レビュー

音楽や書籍に関するフェイバリットの紹介とそのレビュー。

10、Something In Blue/セロニアス・モンク

2016-10-30 10:48:20 | 日記
こうして書いてると、10曲ってのはわりとボリューミーだなあ。
選曲、たのしや。
よめはんにも、自分的重要曲のセレクトだけやらせてみたが、「あれも外せない、これも捨てがたい」とたちまち32曲くらい積み上がってた。
さすがは整頓できない女。
自分にとって、その生きた時代にはそれぞれに特別な一曲があるはず。
それを思い起こすたびに、その頃の風景や匂いが立ちのぼってくるのは不思議な感覚だ。
ぶっつけに書いてても、当時のことを意外なほどに細密描写できた。
音と聴覚と脳との間には、そういう太い回路が巡らされてて、音の再現→記憶野の引き出し開封→取り出し機能、って暗号スイッチになってるのかもね。
さて、最後の10曲めにはなにを選ぶか、ってことになる。
考えたんだけど、やっぱしここは「いちばん大切にしてる曲」を置くことにしたい。
セロニアス・モンクは、孤高のピアノ弾き。
件の「Jazz on a Summer's Day(真夏の夜のジャズ)」でも、演奏前に司会者から、「彼は音楽のことしか考えない。うまく言えないが、このひとは、それ以外のことをあまり考えないのだ」と紹介されてる。
そんな変人だ。
モンクのピアノは、クラシックなストライド奏法だけど、用いるコードがどれも歯抜けや建て増しのイレギュラーに加工されてる。
その音は、ミスタッチか粗雑な演奏にも聞こえるが、よく聴き入れば、実は高い知性のヤスリにかけて配されたものとわかる。
それは、音の「細工」なんていやらしい作為じゃなく、彼独特の感覚による、音の「手入れ」なんだった。
彼の音には、ふたつと同じ響きのものがない。
誰にも似ていず、どこでも聴き覚えがない音。
いっこのコードを分解して構築し直し、構成要員を絞ったり配置をずらしたりして、わざわざ調子っぱずれにしてるわけで、聴き手側にはくすぐられてるような掻痒感がある。
ユニーク、と言ったらチープになるけど、つまり、次の音を次の音を裏切りつづけるズッコケ感ね(もっとチープか)。
なのに、全体が一貫してそのガタガタ作法に統一されてるので、聴いた後には奇妙なエレガント感が残る。
ディテールで動揺させつつ、総体として完璧なバランスにまとめる、って稀有のスタイルだ。
同世代のチャーリー・パーカーや、デイジー・ガレスピーなんてラッパ吹きがこの作業を担って、時代と音をいっこ更新したわけだけど、モンクはさらにその半歩先をいって、ジャズの前衛ともパンクとも言える思想を持ち込んでたわけだ。
その後に破壊的なフリージャズが台頭するわけだけど、そこまで革新的ではなく、あくまで保守的に、常識的に、音を崩しては再構築する作業をモンクはつづけてて、やっぱこの音は、変人の気まぐれというよりは、感性と知性を積み上げた創造、と読み解きたい。
彼の演奏作品をオレは、手に触れうる限りに求め、集めた。
その中で生涯最高の演奏と思えるものは、生涯最後の録音。
学生時代から現在に至るまで変わることなく傍らに置きつづけた「サムシング・イン・ブルー」は、平板で、穏やかで、全体がハーフトーン。
そして、モンクが生涯をかけて形づくった作法のすべてが取り込まれてる。
荘厳で静謐なのに、やっぱりくすぐりが満載で、聴いてて笑けてくる。
なのにじわりと胸を突かれる。
葬送曲にぴったしだな、と直感する。
自分が死んだとき、流してもらいたい。


むかしむかし、子供お絵かきソフトで描いたマウス画のモンク。

このシリーズ、おしまい。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

9、水中モーター/くるり

2016-10-30 10:46:58 | 日記
ノー・ミュージック、ノー・ライフ。
音楽なしには生きられないよね。
映像がなくても平気だけど、音楽だけはなきゃ困る。
食べ物は体のエネルギー摂取、音楽は精神の潤い摂取だ。
12年前に、寝ても覚めても陶芸の修行、って一年間を送った。
東京の家(ぼろアパートだったけど)はよめはんに守らせ、単身の旅立ち。
窯業地にわび住まいを借り、六畳間の大半をろくろなどの制作スペースにあて、身のまわり品を最小限に、文字どおりに土にまみれる日々。
これがなかなかたのしい。
しかし、やはりわびしいんである。
テレビもラジオもオーディオもなかったが、古いタイプのiMacだけは持ち込んでたんで、疲れ果てるとそいつでぽつりぽつりとCDを聴いて過ごした(当時のパソコンには、CD用のスロットが付いてたのだ!)。
「必要最小限の生活」&「修行に集中できる環境」が目標だったので、わが膨大なCDコレクションは、東京に置いてきた。
数枚を除いては。
せっかく実現した徒手空拳の立場なんで、いつもとは違う音楽でこの一年間を形づくり、記憶にとどめよう、って社会実験も悪くない。
そんなわけで、なぜだかこの一年間は、くるりを聴きつづけた。
新譜を発表するたびに音楽性を更新し、新たな地平を切り開く変幻自在のくるりは、この頃、トランス方面を耕してた。
テクノ歌謡というのか、打ち込みでコポコポした音やエレキドラムなんかを多用して、脳内快感物質を過剰分泌させましょう、みたいな試みだ。
東京の書斎においては絶対に聴かないタイプのものなんだが、深夜遅くまでろくろ漬けになり、三時間だけ眠り、夜明け前に起き出しては器の底を削って、学校へ訓練に向かう、ってラリラリ気味の暮らしっぷりにはフィットしてたのかもしれない。
「水中モーター」は、ミュートを効かせないシンプルなエレキギターと、エフェクターを通したこもり声だけでほぼ構成された曲で、わずか三つの音階(三つのコード、ではない!)の並べ替えでつくられた簡素な旋律の曲だ(実はその裏でコードが込み入ってるのだが)。
「マブチの赤い水中モーター・・・波のない海へ泳ぎだした・・・」
遠くたゆたう、くぐもって聞き取れないほどのぼんやりとした声。
不思議な既視感のある響き。
「ちっちゃなころを思い出した・・・りーりーりりーりーりーりりー・・・」
純粋な音。
ああ、美しいよう・・・
こんなセンテンスひとつで、遠い日の野球少年の、ついに塁に出たドキドキ感と、牽制球を警戒しながらじりじりと塁を離れて次のベースを狙う、ってからからの緊張感が伝わってくる。
その情景を思い浮かべるだけで胸が熱くなって・・・高揚して・・・落涙しそうになってみたり・・・
音って不思議。
今聴いてみるとどうってことない曲なんだけど、当時はなぜだか骨と肉にきてたんだよね。
つまりそういう一年間を過ごしたんだった。

ユーチューブでどうしても水中モーターが見つからないんで、「ロックンロール」。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

8、拝啓、ジョン・レノン/真心ブラザーズ

2016-10-20 08:25:53 | 日記
ボブ・ディランにノーベル文学賞、ってのは、選考委員会の英断だなあ。
なるほど、文学のくくりはそこにまで及んでたんだっけ。
フォーク・パンクのひとであるディランは、刺激的な詩を朗々と吟じるように歌う歌うたいさんだ。
説明的でない分、むき出しの力強さがあり、ひとびとの心を惹きつける訴求力と説得力を持ってる。
そんなメッセージが音にのると、聴いてる側の感受の質が倍増してより深い浸透が生じる、ってのは面白い現象だよなあ。
日本には、「イエ~」と「ベイベー」を持ち込んだ忌野清志郎がいる。
このひともフォーク・パンクからロックに渡ったひとで、歌詞は私小説的にしてハードボイルド。
詞を追うと肝心の音楽が頭の中で整頓できなくなってしまうオレには、こうした講談みたいな、つまり音にのった話芸みたいな歌の方が理解しやすいみたいだ。
逆に言えば、詞に高度に編み込まれたメロディーをつけられると、オレの意識は音の構造理解と解体分析の方に向かってしまうんで、日本の歌を聴くなら、音は簡潔で、詞は電気刺激みたいに知性じゃなく五感で感知できるものがありがたい。
そうして、オレもようやく日本の歌うたいの曲の聴き方を学んだんだった。
フォーク・パンクの進化系である真心ブラザーズの出現を知ったのは、彼らのデビューからもうずいぶんたった頃のこと。
テレビのチャンネルをガチャガチャしてる最中に通りかかった、深夜のとある音楽番組だった。
「ループスライダー」ってカッコいい曲だったな。
その音とスタイルから、RCサクセションの後釜指名を受けるべきはこのひとたちなのでは?とピンときて、不意に見入ってしまったんだった。
真心は、やたらとでかい声を張り上げてまっすぐな歌詞を叫ぶヨーイチ(YO-KING)と、ちょっとねじくれた高度な音組みを繊細に編み上げてか細い声で歌い上げる桜井の二人組。
アルバムの中には、この粗忽と洗練、辛辣と穏健、二種類のまったく異なる個性が交互まぜこぜになって詰め込まれてる。
主にボーカルを担うのは、大学の先輩であり暴君でもあるヨーイチなわけだが、殿はスリーコードをちょっと展開した程度のメロディで構成された清潔なシンプルさを求めすぎるため、その素材をギター・プロデュース・さらに家来でもある桜井がいじくって多彩な音に仕上げ、聴けるものにしてく、ってシステム。
アルバムには、メインディッシュ(=ヨーイチ)の付け合わせとして、桜井の頼りない声(しかしエレガントな楽曲)の歌がはさみ込まれてるわけだが、そのデコボコぶり、節操のなさは、「これでいいのか?」ってくらいのものだ。
ふたりは、当時のテレビで流行った勝ち抜きオーディション番組からのご褒美デビュー組なんだが、その素人芸をほぼ「このあたりまでは」貫いてたと言っていい。
んなわけで、ヨーイチがつくる歌はヨーイチが歌い、桜井がつくる歌は桜井が歌う。
勝手気ままで、ヘンなデュオなんだった。
それでも、こうした自由すぎる姿勢のために、ライヴはMCを含めて最高だった。
拝啓、ジョン・レノン」は、声量と歌詞にびっくりさせられた。
こんな内容を大声で直言してもいいんだな、と。
オレも路頭に迷ってたからね、感じ入るものがあった。
言いたいことを、好きに叫ぶ。
ヨーイチの声に出会ってから、オレって小市民をやめて、王様になれた気がする。
自由にのびのびと生きる。
好きなひととだけつき合い、したくないことをしない。
その後の性格形成に最大の影響を与えた歌かもしれない。


むかしむかし、マウスで描いたイラスト。

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7、Sweet Georgia Brown/アニータ・オデイ

2016-10-20 08:24:50 | 日記
ここには本来、セロニアス・モンクの「Blue Monk」を持ってくるべきなんだけど、ユーチューブを移動しながら熟考して、アニータ姐さんの方にした。
「好き」よりも「影響を与えた」の方が、この企画には重要なんだった。
さて、オレは学生時代以降十年ほどを、テレビ無しで過ごした。
芸術家にとってあの箱はアヘンだ、と言ってはばからなかったっけ(青かったな・・・)。
そんなわけで、オレは同世代が熱狂した(という噂の)おニャン子クラブなるものを、一度も目にしたことがない。
解散したというBOØWYも、死んだという尾崎豊も、自殺したという岡田有希子も、姿かたちもわかんなきゃ素性もわかんないんで、自分の知識に情報として取り込みようがなかった。
ただ、バイト先の「村さ来」の有線では、いろんな流行りものを聴いてたから、彼らの音楽がどんな質のものか、ってのだけは理解してた。
だけどバイト中に聴いてていちばん心躍ったのは、嘉門達夫(「アホが見ーるー、ブタのケーツー」のへん)だったなあ。
ってわけで、当時のオレの音楽観は、ひどく偏ってるのだ。
いったんビジュアル方面に流れたものが、視覚情報を遮断したことにより、再び音の本質的な部分に耳を立てるようになったわけだ。
幸運なことに、と言っとこう。
一方、相変わらずオレはジャズ酒場で飲んだくれてたわけだが、その店「ジョー・ハウス」にも時代の波が押し寄せ、ついにビデオの装置が入ったんだった。
なわけで、「テレビは悪魔の箱」と言ってはばからなかったこのオレが、この場所でだけは、映像に見入らされることとなった。
カウンターの頭上高くに長い電線で繋がれたブラウン管式のテレビからは、ジャズミュージシャンのライブ映像などが流された。
その中で好きだったのが、「Jazz on a Summer's Day(真夏の夜のジャズ)」って古い映画だ。
1958年のニューポートのジャズフェスをドキュメンタリーにしたもので、映像スタイルも、当時の歌手も音楽も、おそろしくかっこよかった。
チャック・ベリーなんて、音が軽くてあまり感心したことがなかったんだけど、ちょっと観てほしいんだよね「スウィート・リトル・シックスティーン」。
顔の深い陰影とくねる腰、ブルースギター一本ってたたずまいだけで、ほとんどギャング映画だ。
そして踊る観客のクールで愉快な雰囲気・・・アメリカの青春時代・・・
イカす、の意味を心底から理解した。
それにしても、日本のブルースってのは、なんで淡谷のり子や和田アキ子な感じに仕上がってしまうんだろ?
リズムもコブシ回しも、演歌とどこが違うん?
ま、森進一のブルースだけは、完全に一回転した和ブルースとしてパーソナルな普遍性を獲得しちゃってる点は認めるけど、それでもアメリカ南部のブルースとはまるで別物だ。
日本で「ブルースの女王」なんて呼ばれてる連中は、ちょっと遠慮して、演歌サイドの楽屋に引き下がってほしい(米大陸方面に謝りつつ)。
かたや、リズム、スウィング感、節まわし、バックとの軽妙な掛け合いとスキャット、それに空気感を最高にブルージーに醸してるアニータ姐さんは、ジンをちびちび歯茎に染ませて目もうつろな「孤独な彫刻科学生」を陶酔させた。
心をわしづかみにした、って言い方でいいや。
長い航海の果てに海岸に流れ着いた船乗りは、浜辺のオットセイを見て「人魚だ!」と恋心を覚えるわけだけど、そんな心持ちだったのかもしれない。
テレビ無し生活の目に、ブラウン管の中の美女はまぶしかった。
それは、可愛くて、かっこいい、本物のBluesだった。
この「スウィート・ジョージア・ブラウン」を聴いて(そして観て)、恋に落ちない男子がいるとは思えない。
そして、アメリカのエンターテイメントの深みを思い知らされる。
それくらいの衝撃だった。

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6、Watermelon Man/ハービー・ハンコック

2016-10-15 02:03:55 | 日記
ビリー・ジョエルはジャズ畑のピアニストで、ポリスのスティングもジャズベース出身、ストーンズのチャーリーは徐々にジャズドラムに流れてくし、ドナルド・フェイゲンはそもそもジャズロックミュージシャン。
オレの好みは、知らず知らずのうちに、はっきりとジャズに偏ってた。
そうと知った大学時代は、毎夜のようにジャズ酒場に入りびたって安いジンをあおり、古い音源に聴き入ったものだ。
が、ジャズって音楽に最初に感度を向けたのは、もっとずっと早い時期のことだ。
サントリーのCMで、ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」に出くわしたときの興奮ときたら。
探してた音楽を見つけた気がした。
そして、ピアノを習ってた(が、ほとんどサボってるようだった)妹のアップライトで、必死に耳コピで練習したんだった。
ピアノも音楽もまったくの無学だったが、音(コード)を耳で聞き取って鍵盤上に写し取る、って作業は、なぜか最初からできるひとなんだった、オレって。
大人になってからピアノを習いはじめ、ヨチヨチの当初に、よめはん家から運び込んだアップライトで耳コピを再開したわけだが、今は便利だね、ユーチューブがある。
その各種映像の指の動きを読み込んだら、当時(中学か高校の頃)に完璧にコピったと信じ込んでた音は、ぜんぜん薄っぺらで的外れだってことがわかった。
そして実際に弾いてみて知ったんだが、この曲、スイングしてもいないし、左手でコード進行を、右手でメロディーを、って作法からも逸脱してる。
右手と左手の音を玄妙に絡め合わせて、一本の分厚い音を紡ぎ出す、ってモダーン的ジャズなわけ。
うまく言えないけど、飛んだり跳ねたりって音を用いないで、右手と左手で8分音符を代わるがわるに繰り出し、譜面をすき間無く埋めることで、音の複雑な歯車を回してるわけだ。
わが拙い耳コピ演奏「ミスタッチャブルなウォーターメロン・マン」を聴いてもらえばわかるが、冒頭部はタテノリも横揺れもない、茫洋とフラットな音の連続。
俳句のように削ぎ落とした、禅的世界だ。
が、必要なエレメントのみを残し、複数のそれを再び鍵盤上の狭い域内で再構築するんで、シンプルとはほど遠い、濃密で猥雑な音が立ち上がる。
落ち着きがなく、つかみどころのない、ファンクな総合。
最小の音で最大の効果を、って記号論だ。
彼の師匠であるマイルス・デイビスの晩年の音は、ヤスリにかけすぎて「呻吟」みたいになっちゃってたけど、あれともちょっと違う。
そんな悟りを開ききれずに、俗世の享楽に浸っちゃってる破戒僧。
ハービー・ハンコック先生って、そんなイメージ。
単音のラッパじゃなく、音が複合的なピアノには、そうした遊びが許されるんだった。

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5、New Frontier/ドナルド・フェイゲン

2016-10-15 02:02:55 | 日記
時代は完全に洋楽志向に傾いてた。
・・・少なくとも、オレの周囲では。
列島内では、チェッカーズとか、ブルーハーツとか、爆風スランプなんてのががんばってた気がするんだけど、MTVが深夜枠で開始されてからは、街角ではほぼ全的に洋楽しか聞こえなくなってた。
バブルの風が吹きはじめたわが国では、それまでの「12時には電気を消して寝ませう」みたいな、つまり人間的な生活から脱却して、「24時間戦いませう」「朝までオールで遊びませう」というハチャメチャなことになってた。
それに従うように、テレビの番組編成も変わったんだった。
あのね、昭和の時代、テレビは深夜の12時を過ぎるともう、ザアザアと耳障りな砂嵐が吹きすさぶモノクロ画面か、カラーチャートとピー音の「トリニトロン」(意味不明)みたいな画面しか見られなかったんだよ、若いキミたちにはわかんねっか。
その深夜枠のすかすかの空き地に、突如として洋楽のチャート紹介みたいな番組が林立し、さらに満を持して、アメリカ大陸からMTVが殴り込みをかけてきたんだった。
深夜の1時から4時近くまで、三時間ぶっ通しに洋楽のミュージックビデオを流す、なんてことをはじめたわけだ。
途中でCMも入らず(映像自体がプロモーションだから)、3分から5分程度の曲が間断なく連なる映像形態はクールでセンセーショナルだったし、どのビデオの内容も冒険的・実験的で面白かった。
新しもん好きがこれに飛びつき、オレたち高校生も、「こいつは外せないぜ」ってなことになる。
音楽を聴きながら、その音のトーンにマッチした映像を目で追う複合的な鑑賞方は、新鮮な感覚を与えた。
今となっては当たり前のようだが、それははっきりと新しい文化の芽生えだった。
スピルバーグだかルーカスだかが、「映画の出来は音楽で決まる」みたいなことを言ってるが、とにかく、音楽と映像は切っても切り離せないものとなったのだ。
この時代、逆に、素人が映像を撮る、ってムーブメントも盛り上がった(ミュージックビデオのつくりがどれも素人っぽかった、ってこともある)。
いろんな映像コンクールや賞が創設され、ヒトビトをそそのかす。
オレたちもまた、そこに食いついた。
8mmフィルムで自主制作映画を撮ろう、となった。
オレが進学した美術系の高校では、周囲に有能な変人や天才的バカが複数いて、誰もが、なにかをはじめなければ、って焦燥感にあぶりたてられてた。
時代に爪痕を、ってわけだ。
こうして、わが青春時代ハズカシの主演映画「虚像の周辺」がつくられたんだった。
特殊効果満載の、コンセプチュアルでアバンギャルドなやつだ。
文化祭や市祭では好評を博し、賞を総なめにした問題作だが、今思えば、青かったな・・・(遠い目)
さて、ドナルド・フェイゲンは、今でこそ「おしゃれな音の権化」と一部で崇められるまでになったが、迷惑な話だろう。
彼の音は、芸術作品なのだ。
創造的で、緻密で、クールで、知的。
いちばん好きな「ニュー・フロンティア」もまた、ある年の大晦日の、「朝まで7時間ぶっ通しMTV」みたいな番組で発掘したものだった。
印象的に小節を刻むベース音の上に、ジャジーなピアノ、ブルージーなハモニカ、ギターのブレイク、そして間の手みたいな声の断片を、まったく別個に配置しながら、か細い糸で総合する。
多くの音を足して足して膨らませてくオーケストラとは逆アプローチの、ほとんどコードの移動のみで進行してく削ぎ落としの妙。
まさしくマエストロだ。

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4、Message In A Bottle/ザ・ポリス

2016-10-14 09:24:05 | 日記
「無人島に流れ着いちゃったよ。さみしいな。そうだ、ボトルに手紙を詰めて流そう。ぼくは孤独だよ。世界のみんな、気づいて・・・」
するとある朝、世界中から一千億のボトルが返ってきて、彼の浜辺に流れ着いてる。
ボトルを開けると、中の手紙には、「うるせー。孤独なのはおまえだけじゃねえ!」。
こんな歌詞なんだった。
ポリスの音楽性には、人生で最大の衝撃を受けた。
いちばん好き、と白状するしかない。
彼らの名曲「メッセージ・イン・ア・ボトル」は、「孤独のメッセージ」と邦訳されてるんだけど、こんなハードボイルドの世界観に形容動詞を持ってくるなんて、訳者の野暮さには呆れるなあ。
が、その頃のオレもいっぱしに孤独だったのかもしれない。
部屋でひとり、音楽ばかりを聴いて過ごした。
この頃は、レコードとカセットテープの時代なんだった。
レコードを聴くには巨大なオーディオシステム(レコードプレイヤーにアンプ、スピーカー)が必要なんで、ラジカセで気軽に聴けるカセットは重宝した。
この時代の連中は、レンタルレコードを借りてはダビングし、コピーしてコピーしてコピーし倒したカセットを山と積み上げて、磁気テープが擦り切れるくらい聴いてたはずだ。
カセットをインするのは、ラジカセから劇的な進化を遂げた「ミニコンポ」ね。
突如として出現したミニコンポは、かっこよすぎて、うざいほどだった。
このあたりから、日本のメーカーの機能過剰=無駄に小難しいメカメカのデザインがはじまったんじゃないかな。
オレが手に入れたミニコンポ(母ちゃんに買ってもらった)も、イコライザーやら、ドルビーシステムやら、ベース音増幅ボタンやら、わけのわからないスイッチやツマミがゴテゴテ満載のやつだった。
こうしたアレンジ機能は、最初は面白がっていじりまくるんだけど、次第に飽きがきて面倒くさくなり、やがて「やっぱそのままがいちばんいいわ」と気づいて(当たり前だが)、再生ボタンとイジェクトの二領域しか手垢で汚さなくなってくんだった。
あと、早送りボタンとね(なつかしや)。
過剰なものは、かっこいい反面、ジャマなんである。
そんな時代に出会ったんだった、ブリティッシュロックとは。
UKの基礎勉強としてのビートルズは、聴き込んでる頃にはすでに解散してて、オレの世代では一周遅れだった(ジョンが撃たれた頃だ)。
ポールのメロディアスなものより、ジョンのブルージーなシャウトの方が好きだったな。
ビートルズが顕著なんだけど、グループの終息に向かうにつれて、音楽がごちゃごちゃとトゥ・マッチ・プロデュースになり、音が洗練とゴージャスを手に入れると同時に、シンプルな熱さを失ってしまう。
ポリスも、三人の音だけでつくった低予算の最初の二枚のアルバムが、パンキッシュな世界観の完成って意味でピークだった。
その後に売れすぎて、音楽にも金を掛けられるぞー、なんて張り切ったのか、ものすごく装飾的になってく。
外観の爛熟は、本質の滅形と表裏一体。
立派に整ったものをつくり上げてはみても、それは逃げを打ってるのと同じ姿勢なんで、まあ無残なものだ。
ってわけで、音づくりと個性の絡み合いを最高に面白がってる「素」のままのこの「Message In A Bottle」は、その後に賢く立ち回ることになるスティングにとっても、逆に最高到達点だったにちがいない。
原初の熱がみなぎったひらめきと直感のエッセンスそのものをぶっつけたシンプルな音は、それ以上に磨く必要がないくらいに輝いて、褪せることを知らない。
シンプルな音に、イコライザーは必要ない。
まばゆいばかりの音を、勝手なプロデュースでくすませるのは、罪なことだ。

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3、Root Beer Rag/ビリー・ジョエル

2016-10-14 09:23:04 | 日記
結構恥ずかしい過去まで明かさなきゃならないな、この「マイベスト」ネタ。
さて、特定のアーティストがいちばん好きかどうか、や、あるいは、特定のアーティストの持ち歌の中でその曲がいちばん好きかどうか、は、この際ヨコに置いとかなきゃならない。
これは、自分の人生に影響を与えた曲、ってのを開陳するべき企画なんだった。
中学校に上がったオレは、家族とともに過ごすのが面倒な思春期って時期に突入してて、そこから逃れるために、自室でひとりきりの時間を過ごすのを夜の習慣としてた。
リビングで一家団欒、そろってテレビを観ましょ、なんてうざいことやってられっか、なんだった。
昭和のその頃、テレビは一家に一台きり、ってのがあたりまえだったんで、晩メシ後すぐに部屋に立てこもるオレは、話題のテレビ番組を観ることがほとんどできなかった。
その代わりに、自室でラジオを抱え込むようにしてむさぼり聴いた。
中でも、クラスメイトが夜10時頃からの30分番組にハガキを出しては、ちょくちょくと読まれてたこともあって、「ヤングスタジオ1431」は欠かせない番組だった。
みんなも耳覚えがあると思うけど、もちろん毎晩聴いてたよね?岐阜放送。
んで、そのローカル番組、ヤンスタがはじまる10時直前から周波数をザーザーと合わせるわけだが、その前にやってる番組のエンディング曲が耳に残るのだ。
「提供は、サンデー・フォーク・プロモーションでした」って声の裏で、その曲は流れてるわけだ。
早弾きのジャジーなピアノソロで、カントリーチックでありながら垢抜けてて、古めかしいチャールストン風なのにアップテンポのリズムとメロディの置きが革新的で(当時はもちろんこんなふうには考えなくて、ざっくりとかっこいいとしか感じてないわけだが)、この音の出所を探さねば、と思い立って、調べに調べた。
ものっすごく後になってから、不意にそれはわかった。
高校時代に入ってから、オレは恥ずかしいことに、ビリー・ジョエルを聴くようになってたのだが、それは英語の時間に「リスニングテスト」で聞き取らされた、おなじみの「オネスティ」からだった。
例の「お~~~ねすてぃい~、さっちゃろんりわあ~ろ」の、「さっちゃ」の部分で、なんでこの箇所にこのあさっての音が入れられるのか(これは転調なの?音楽の素養がないんでわかんないんだけど)、その感性が不思議で、どうにも引っかかって、彼の曲を聴き込むようになったんだった。
そうしてビリー・ジョエルの別のアルバムにまで手をひろげるうちに、偶然にも件のピアノソロ曲(厳密には、ソロじゃなかった)を掘り当てたのだ。
それは、「ルート・ビア・ラグ」って曲だった。
そういえば、今聴いてみると、この曲の冒頭部分もシンコペーションの展開(4拍子×8=32の中に3拍×10をねじ込み、2余り)だし、イントロが終わってから2小節めの二つめの音は、「さっちゃ」のようなあさっての方向への転調だ!
うわーっ・・・不意につながってしまった・・・
人生を指針する曲って、不思議なつながり方をしてる!
こうして人間は、音楽にコントロールされてんのかな?

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2、Get Off of My Cloud/ザ・ローリング・ストーンズ

2016-10-12 09:11:22 | 日記
ピンクレディーという大現象が巻き起こり、松田聖子や中森明菜といった超アイドルが出現してた。
が、そっち方面にはまるきり興味が向かなかった。
仲間たちが「ザ・ベストテン」を面白がれる意味がわからなかった。
いつしか、歌手のことを「アーティスト」と呼ぶようにもなってた。
が、サザンオールスターズは面白いけどそれだけで、TMネットワークはチープで寒々しく、ドリームズカムトゥルーは上手だけど大げさすぎて、肌に合わない。
さだまさしの歌だけはメロディに言葉がうまく乗ってるのが理解できて、落語的な語感がしみじみいいなあ、とはこっそり思ってた。
けど、オレの脳の構造上、日本の歌手の歌声にはほとんど魅力を感じることができなかった。
ついでに言うけど、バーのオカマママが、「ひとって若い頃、必ず三つのうちのどれかの道を通ってくるじゃない。つまり、松任谷由実か、中島みゆきか、竹内まりやか、のね・・・あなた、誰派だった?」と言ってたけど、そん中の誰もちゃんと聴いたことねーわ、わりーけど。
というわけで、オレは無所属のまま、音楽の荒野を流浪してたんだった。
ある日、弟とふたりで、小学校からの帰り道をゲラゲラ笑い合いながら歩いてた。
そこに、それは落ちてた。
その頃は、なんでも落ちてる時代だった。
電気製品や家具から、エロ本まで、欲しいものはなんでも道端にあった。
そこに、一本のカセットテープが落ちてたのだ。
オレたち兄弟は面白半分に持ち帰り、わが家愛用の、昭和のスパイ物に出てくるような古めかしいカセットデッキに投入した。
飛び出してきた音声は、不思議なリズムと、聞き覚えのない言語、つまり英語の歌詞だった。
のちに知ることとなるが、それは「アース・ウインド・アンド・ファイアー」や「ABBA」なんてガイジンさんの歌が満載された、何者かのマイベスト、みたいなやつだった。
はじめて聴くタイプの音楽性に、オレたちは度肝を抜かれる・・・というよりは、キョトンとするしかなかった。
そんなわけで、大半を聞き流したんだが、中でオレの耳を引く曲があった。
それが、チャーリーのキャッチーなドラムと、ミックのシャウト声だ。
ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド」でシビレさせられ、オレはロックに目覚めようとしてたんだった。

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1、カルメン/ビゼー

2016-10-12 09:09:27 | 日記
NHK教育(Eテレ、というの?)かなんかで、「これまで自分が聴いてきた10曲で生涯を語ろう」みたいな試みがあって、なかなか面白いんで、オレもやってみようと思いつく秋の夜長。

・・・

幼い頃、実家に古くて安物の、「オーディオ」なんて呼ぶのが恥ずかしいくらいの質のステレオセットがあった。
薄っぺらなレコードプレイヤーに、ふたつのチープな小箱のようなスピーカーが繋がった、おもちゃみたいな代物だ。
そいつでオレは、親が元々持ってたレコード・・・なのか、親が子供たちに聴かせようと買ってきたものなのかわからないが、とにかく、クラシックのオムニバス版のようなのを聴いてたんだった。
名曲のいい部分(有名なフレーズの箇所)をざく切りにして詰め物にされた、それこそ「クラシック名曲ベスト50」みたいなやつだ。
ベストといえば、その頃、「ザ・ベストテン」なんて歌番組が猛烈にもてはやされ、ものすごい視聴率を取ってたっけ。
だけどオレは、そっち方面にはまったくなびかなかったのだ。
なびかないというよりも、まるでそそられなかった。
オレの感性の構造は少々奇妙にできてるようで、ある意味、脳機能障害が混じってる気がしてるんだが、つまりオレって、「音を聴いてると、歌詞が頭に入ってこない」ようなのだ。
言葉の意味が音の裏で素通りしてしまって、まったく理解できない。
誰もが普通に同時進行でやってると思われる作業、すなわち、歌詞の解釈を音の雰囲気に溶け込ませて情景を思い浮かべる、ってことが、オレには瞬時にできない。
なので「歌」を聴いても、歌詞の意味は捨てて、音だけを拾うって作業に集中することになる。
テレビを一緒に観てるよめはんにも不思議がられるのだが、オレは「CMの意味・訴求内容を理解できない」。
CMは、映像と音声と文字情報を組み合わせた複合表現だが、オレは音に聴き入ると映像が見えなくなり、映像を見てると言葉を拾えなくなり、言葉の意味を理解しようとすると音楽も映像も脳内から追い出されてしまう。
どれかひとつしか追えないのだ。
というわけで、オレは日本語の歌の価値を半分しか理解することができない。
オレにとって、音楽に歌詞は必要ないんだった。
その代わりに、音の構造は、ひとよりも明晰に、立体的に捉えることができてると自覚してる。
いわゆる「サヴァン症候群」の小現象じゃないかと思いたいんだが、音楽を幾何学的に解体して捉えることができてる、ような気がする。
話は飛んだが、幼い頃に、オレはクラシックの小片を繰り返しに聴いてたんだった。
その中でも好きだったのが、ビゼーの「カルメン」って曲だった。
こいつの何楽章めか知らないが、6拍子(3拍×2)に2拍をねじ込んでるような部分があって(のちにウイントン・マルサリスの音楽講座をテレビで観て、この構造を「シンコペーション」というのだと知る)、それを脳裏で幾何学に起こし得たときのドーパミン?エンドルフィン?の大放出が、オレにとっての音楽における最初の感動だった。
そのときの驚きは、鮮明に覚えてる。
このレコードは、繰り返し繰り返し、ものっすごく繰り返しに聴いた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園