風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

変化球でもフォ-クソング・・・9 Maki

2020年10月17日 | FolkSongヴギ

昨日 話した 浅川マキ

先ずは 1970年ファーストアルバム 「浅川マキ」の世界

確か 後 数枚あったと思います

何故 聞きだしたのか?

高校時代は フォ-クが中心にあったものの

ハ-ドロックから歌謡曲迄 天才君の家に毎日行って大音量で聞いていたが

そんな中 JAZZが大好きな友達がいて

僕だけ

ソニ-コリンズ・マイルスデ-ビス・ナベサダ・山下洋輔等々の

JAZZを聞きだしていた

それにバアバも聞いていたので そんな影響もあったのかもしれない

その中で 浅川マキさんの「赤い橋」「かもめ」に出会い聞きだしたと思える

もう一つは 寺山修司さんの詩画集も集めていたので

何かの情報を得て 浅川マキさんに行きついたのか

こちらは 想像でしかない

「浅川マキの世界」

1.夜が明けたら 作詞浅川マキ 2.不幸せという名の猫 作詞寺山修司

3.淋しさには名前がない 作詞浅川マキ 4.ちっちゃい時から 作詞浅川マキ

5.前科者のクリスマス 作詞寺山修司 6.赤い橋  作詞北山修

7.かもめ  作詞寺山修司 8.時には母のない子のように(黒人霊歌)

9.雪が降る  作詞安井かずみ 10.愛さないの愛せないの  作詞寺山修司

11.13日の金曜日のブル-ス  作詞寺山修司 12.山河ありき  作詞寺山修司

殆どが 作詞寺山修司ですが 「赤い橋」の作詞がフォ-クルの北山 驚きと納得・・・

8曲目 時には母のない子のように(黒人霊歌)を原曲で歌っている

この歌から発想をした 寺山修司氏が作詞して

カルメンマキの「時には母のない子のように」に繋がっていく

勿論 「愛さないの愛せないの」も収録されている

全ての教区を聞くと 唄の情景がうかんできます

「赤い橋」

不思議な橋がこの街にある 渡った人は帰らない

昔 むかしから橋は変わらない

水は流れない 何時の日も

不思議な橋がこの街にある 渡った人は帰らない

僕のイメ-ジ:古ぼけた橋に続く ガス灯

霧でガス灯も橋も霞んで見える中

一人の男が歩いていく

橋の欄干を触りながら 

何か思いだしたように顔をあげ

来た道を振り返り 大きく手をあげ

2.3回振ると 霧の中に消えて行った

このアルバムの中に 

もしかして四角いレコ-ドがあったら

私のレコ-ドは 四角にしたいと 絵を一緒に書いてあります

四角いレコ-ド プレ-ヤ-はどんな形になるんだろう

1942年から2010年 68歳 

68歳は今でいえば若い・・・

実際 ライブに行けなかったのが悔やまれる

 

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何でいけないんだ?・・・

2020年10月17日 | 釣り釣りヴギ

2年前に 自分で作った 竹竿

竹は 近くの自転車屋の店主から貰った物

小さな糸通しのガイドも 自転車のバネ部品でつくりました

難しかったのは 竹ののばし

やったことも無いのに

蝋燭に当てながら 右だ・・・左だと・・・ 擦って のばして 右左・・・

焦がさないように 何日もかけて真っすぐにしていきましたが

今考えると 節をもう少し削っておけばよかったと思います

手元は たけジイがのこしてくれた 竹ひごって言うんですかね

是を撒いて固定!

部品はタコ糸や釣り糸などで固定し

うわぐすりを塗って 固定させていきました

はじめて作った竿なんで愛着があります

去年は此の竿も活躍してくれました

時間もあることなので はがれてきた塗りを剥がし

新しく塗り直そうと思っています

2019年12月25日にワカサギに行ってから

2020年6月25日にマス釣りに行くまで半年間釣りにいけませんでした

行こうとしてから 雨でダメ 台風でダメ

今週はこの水量で 10/10-16迄 餌釣り場は中止

マスが駄目ならワカサギと・・・用意したら

木曜日は何処の釣具屋も休み・・・最悪でした

水曜日の23時に懐中電気持って倉庫に行き

竿おきを見つけたりしたのに・・・

今回で6週間 釣りの道具が車に乗ったまま行く頃も出来ません

来週は 水曜日だけ晴れマ-ク

気がかりなのは それまでに雨マークが・・・

こりゃ 下手すると 水かさが上がり又いけないかも・・・

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雨に欄間ともつ鍋(笑)・・・

2020年10月17日 | 隠居部屋

今日は結局 雨 -小学校の運動会も中止です-

昨日デッキを塗って正解でした

少しは雨を防御できたと思います また再来週くらいに もう一度塗る予定です

 

隠居部屋も 今日は 手抜きで布団を敷きっぱなし

小さい雨戸を少し開けてあるだけなのですが

この ほの灯が 逆に欄間の彫り物をうかばせていることに気付き

再度 撮ってしまいました

これは昔の生家の 居間と客間の間にはめ込まれていた欄間の一枚

もう一枚は 屋根裏に終ってあります

親父が建てた家から持ってきて長らく埃をかぶってましたが

隠居部屋を作た時に 大工さんにお願いしてはめ込んで貰いました

丁度 障子からの灯が良いようです

もう一枚も飾りたいのですが 板が反りかえていて

是も 気候の良い時に 水を吹きかけながら直すしかありません

直し方は 山車をつくてる知人に聞こうと思っています

自分の手元にある限り 何とかしないと・・・

追記:それにしても時間がありすぎで手持無沙汰・・・

六ちゃんもかほ山さんも風邪気味なので

じいじ特性のもつ煮を作ることにしました

大根・ニンジン・レンコン・キノコ・ごぼう・ジャガイモ・生姜・ネギ

こんにゃく・豆腐・モツ・砂ギモ・麩・モチ

味付けは ベ-スは味噌とニンニク

隠し味は コンソメと昆布だし

野菜たっぷりの もつ煮で温まったから

明日 うどんを入れて食べると又格別

野菜が沢山入った もつ鍋です

 

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親父の自作本・・・ 一枚の葉書・・・1

2020年10月17日 | 自作本

以前書いた 「越後から来た千代ちゃん」の続編

1991年9月の中旬

父のコレクションである鉄道駅のスタンプを整理してみようと思って

広げてみたところ 面白い葉書が一枚出てきた

消印は

昭和10年3月23日で 門司から母に宛てたものである

門司には 祖母の弟 真平伯父がおられ

 門司で共進亭ホテルを経営していた

注:リンドバ-グが日本に来た時に泊ったホテルの様です

父は度々手伝いという事で九州に長逗留する事があったから

そういう時の事だろう

内容は

ヒデオより手紙参りし申越しの件承知せり。

千代も帰る事になったと困ることだと思ふ。

自分の帰りも今日の手紙通り遅れる事になる故

先日話した通り 上諏訪の洲羽の所に行って

小学校を卒業する娘を頼むのが良いと思ふ。

向こうへ行って若し不要の時は

他へ世話をしてよいから差し向き子どもの子守として頼んでは如何。

朝夕の飯くらいは焚けると言っているから

その辺自分の考えでやると良いと思う。 結

僕が小学校六年生の年の秋の事であろう

面白いのは 千代ちゃんの名前が出てくる唯一の資料だからである

しかし ここにも千代ちゃんの出身地の事は出てこない

固有名詞でいえば 洲羽とは父のすぐ下の妹で

上諏訪に嫁ぎ ぼくの子どもの頃から戦後まで料亭をやっていた

-続-

☆僕の小さい頃はお手伝いさんはいなかった

越後から よくも 片田舎の神宮寺迄来てくれたと思うのと

越後も諏訪も寒いことには変わらないのに

お手伝いも大変だったのではないのか?

上の 親父の書いたハガキは見たことがある記憶が・・・

もう一度 葉書のコレクションを見返すしかない

それと 今思えば 記憶違いかもしれないが

どこかの鉄道駅のスタンプをお土産に持っていくという

女の人からの葉書があったような・・・

もし 是が ちよちゃんからなら 親父の仏前に持って行かないといけないな

 

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