地理講義   

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150. 青森県の原子力関連施設 

2014年10月03日 | 地理講義

青森県の低所得農家
青森県東部の下北半島大間町、東通村、むつ市、六カ所村の戦後開拓に失敗した農家から農地を買い上げ、原子力発電関連施設の建設が進められている。核兵器の保有国が増える中、日本は原発の稼働で生じるプルトニウムを水爆原料とせず、プルトニウムを燃料とする高速増殖路路サイクルを構築する国際公約を表明した。しかし、核燃料サイクルとしての高速増殖の研究開発には極めて高度な技術と資金が必要であり、フランス・イギリス・アメリカですでに断念した。六カ村における高速増殖路用プルトニウムの生産も、高速増殖炉商業炉の建設も中断状態であり、工事の再開は難しい。現実的対策として国内各地の原発に、ウランとプルトニウムを混合したmox燃料を再使用させル予定である(プルサーマル計画)。しかし、mox燃料としてプルトニウムを使えば、プルトニウムはわずかに減少するが、原子炉の廃棄物総量が増え、最終的には地下へ廃棄することになる(地層処分)。
青森県の下北半島の荒地では原子力そのものの開発・建設は進まず、港湾・道路・建屋の箱物外部ばかりがつくられた。結局は日本政府と電力各全社が下北半島につぎ込んだカネの大半を、大手ゼネコンが回収し、東京に持ち帰った。

 

 原子力船むつ
8,242トンの原子力船むつは、船体は石川島播磨、原子力関連設備は三菱重工業が建造した。総工費60億円であった。1974年8月26日に大湊から実験航海に出たが、9月1日に中性子線漏れ事故を起こして帰港できず、1978年10月16日に佐世保重工で点検修理するまで、太平洋岸を漂流していた。母港を関根浜に新設し、1990年~1992年まで原子力による試験航海をしてから、1993年むつ市関根浜で原子炉を解体して地下に埋設した。1996年から海洋研究所(JAMSTEC)所属の観測船[みらい]となって、世界の海洋観測で活躍している。
原子力船の重大欠点:むつから原子炉取り除き、原子炉を関根浜沿岸地下に埋設した。その上に[むつ科学技術館]を建設した。原子力船むつを海洋調査船みらいに改造することを含め、総経費1,000億円を越えた。日本国民の原子力アレルギーがあったにしても、新造船を上回る建造・改造費用になった。原子力の民間商船は、寄港できる港湾が少なく、経済的に成り立たないとの予測が的中した。

関根浜


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むつ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

東通村原子力発電所
青森県下北郡東通村の尻屋崎は下北半島東北端にある。灯台と寒立馬が有名である。尻屋崎から南に30kmの太平洋に小老部川が流れ、小老部川をはさみ、北に東京電力東通原子力発電所、南に東北電力東通発電所の建設が進行中である。海岸は隆起・沈降の激しく、海岸段丘と潟湖がいくつもある。沖合に下北大陸棚外縁断層が存在する。万一、断層が動けば、大地震からすぐに大津波の襲来する。電力会社は自然災害が全くの杞憂であるとの立場である。
東京電力:青森県東通村に2011年1月に1号機の建設に着工した。改良型沸騰水型軽水炉ABWRを採用し、国内最大の138万5000kwの発電をめざした。2017年3月の運転開始を目標とした。しかし、2011年3月11日の東日本大震災で、東京電力福島第1原子力発電所が津波被害を受け、東京電力は直接には20兆円の被害を受け、原発被災者は20万人と見積もられた。原発の地震・津波・火山などの災害対策が不十分であるとの指摘を無視して原発を建設・稼働させた責任が追求された。さらに災害対策を無視した国内の全原発が、安全対策を講じるまで操業中止になった。
東通原発着工は東日本大震災の2か月前だが、安全性に問題があり、建設工事が中断され、工事再開の目途が立っていない。
地震・津波対策を意図的に省いたため、東通原発の工事再開には計画の大幅変更が必要である。東電は、福島第1原発の事故対策に必要な技術と資金に不足し、事故対策は進んでいない。東通原発の断層・地震・津波対策を目的に、原発の再設計を迫られている。しかし、着工以前に港湾・道路などの大型土木建設が進んでいて、もし設計が変更になると、東電は港湾・道路の建設からやり直すことになる。東電は、福島原発の廃炉工事と被災者対策、東通原発の基本工事のやり直しとなると、巨額の資金を調達しなくてはならない。東通原発は東電から離れ、三菱・日立の原発製造連合の発電専門企業を発足させて原発建設を進めるのか、国策企業J-Powerに頼ることになるか、であろう。東電は電力生産者ではなく、電力小売り企業になる。
東北電力: 1号機は 沸騰水型軽水炉BWRである。1998年に着工、2005年に完成して送電を開始した。2011年3月の東日本大震災の時は定期点検のため、運転停止中であり、大きな被害はなかった。しかし、東電原発同様、地震・津波対策のために操業中止中である。

  

電力の地域独占
明治時代に多数乱立していた電力会社は、大正時代に5社、第2次大戦中に国策会社日本発送電1社の独占となった。第2次大戦後、日本を支配した連合軍が、日本企業の独占排除の政治姿勢を強く打ち出し、1951年、日本発送電が松永安左衛門の政治力によって、発送電一体型の9社による地域分割体制になった。しかし、福島県只見川の豊富な水力発電を東京電力が欲しがって、東北電力と政治家を巻き込んで激しく対立した。その解決策として、松永安左衛門は政府と9電力会社との共同出資による電源開発株式会社(電発、J-Power)を設立した。大手土建会社ゼネコンは電発のダム建設の全国展開で長期安定の利益を得た。電発は、佐久間ダムを建設するのと並行し、只見川に多数のダムを建設し、東京電力と東北電力に売電した。松永安左衛門は只見川の余った電力を大量に使うアルミ工場・肥料工場を流域に誘致したり、電化ブームを演出して電力を使い切った。
電発は全国にダムと火力発電の建設を進めた。電発は電力会社の補完的役割だけであり、きわめて政治的な原子力発電所を建設できなかった。原子力発電所は定型化していて、電力会社にも製造業者にも利益が大きく、政治家の調整・介入も頻繁であった。電力会社が原発から得る利益、電力会社に頼る政治家、政治家に頼るゼネコンの構図が、大間原発にもあった。MOXとプルトニウムを燃料に使うのは、六カ所村の核再処理と一体化した原発である。つまり、核兵器に使われるプルトニウムを原発で消費し、他国からの日本核武装の疑念を晴らそうとするものだろう。その一方で、日本は潜在的核保有国として国際的地位を向上するため、ある程度のプルトニウムを常時保有していなくてはならないと考える政治勢力もある。
電力会社の原発建設が消費者の賛同を得られなくなり、電源開発に念願の原発建設の機会が到来した。大間原発は、日立、東芝、三菱の原子力企業が総掛かりの事業である。電発は、発電所建設会社であり、消費者とは縁の薄い企業であり、反対運動を受けないことが計算できる。今後、日本製原発を日立、東芝、三菱が輸出し、電発が3社の利害調整を行えば、国民には知られずに大きな利益を上げられる。原子力がエネルギー政策を離れ、輸出政策となった。

大間原発
津軽海峡に面した大間町に原子力発電所が建設されている。原発(Jー=power)念願の原子力発電所である。反対運動があったが、現在の工事進捗率は40%である。電力系は日立、三菱、東芝の3等分である。燃料は六カ所村で持て余したMOXとプルトニウムである。130万kwの大型炉である。
どの原発も同じだったが、見えないところで工事が進んでいる。全国から原子力関連施設工事に慣れた労働者が集まったが、福島原発事故処理の高賃金にひかれて集団で出て行ったが、福島での放射線汚染が限界に達し、まだ核燃料の搬入されていない大間に戻って来た労働者が多く、工事は関係者以外には見えない位置で、着々と進んでいる。

 

函館市からの異議申し立て
大間から津軽海峡をはさんで、直線距離で29km離れた位置に函館市がある。大間でもし原発事故があった場合、大きな被害を受けるのは大間と函館の人々である。しかし、これまで函館市民に、全く大間原発に関して知らされることはなかった。
福島原発事故では30kmを避難の目安としていることから、函館市民の大間原発への不安は大きい。大間と函館の間に津軽海峡があるが、フェリーで1時間30分の近さであり、古くから住民同士の結びつきが強い。2014年、函館市長が国と電発(J-Power)を相手に、大間原発工事の中止を求めて訴訟を起こした。函館市民のみならず、大間の人々の不安を、裁判に訴えた。
なお、白黒の大間灯台の向こうが、マグロでも有名な国際海峡の津軽海峡である。そのまた向こうのかすんでいるのが函館である。

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灯台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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