勝尾寺脇にある天皇の陸墓? へ
今日は、箕面・勝尾寺南山の帰路、勝尾寺園地から東へ500mほどの所にある<持国天石像>と、勝尾寺山門から南へ400mほどの所にある<軍茶利明王石像>を巡り、併せて勝尾寺にある天皇の陸墓? を訪ねます。石像は・・・「鎌倉時代の1230年、勝尾寺の周りの山中や谷の口に寺と麓の村々との境界を示す石像が8ヶ所設けられ、八天像(四天王と四明王)青銅尊像が埋められたもの・・・」とのこと
勝尾寺霊園外の東側にある <光明天皇七重御?観婆>七重塔は<光明天皇七七日忌>
福田 薫 前箕面市立郷土資料館館長の話しによると・・・「南北朝時代の北朝第二代光明天皇の陸墓は京都・大光明寺陵とされているものの、康暦2年(1380年)に勝尾寺で崩御されたことが、<本朝皇?招運録>や<摂陽群談>などに記載されています。勝尾寺の光明院谷にある七重塔は、江戸時代に「光明天皇陵」とされており、拓本を採ると「大光明院」の文字を判読できるので、光明天皇の陸墓はこの勝尾寺にある・・・」とのこと。 さらに勝尾寺二階堂は浄土宗の開祖 法然上人が後鳥羽上皇により四国へ流罪となったものの、その後許されて京に戻る途中、ここ勝尾寺境内の二階堂で約4年間滞在し、京に戻ったものの3ヶ月後80才で入寂されたとのこと・・・
時には歴史を感じ学びながら、箕面の山を歩くのも楽しいものです。