「脳死は人の死」ついに決まった臓器移植法改正案 みなさんは賛成ですか? 反対ですか?
18日の衆院本会議で、臓器移植法改正4案の採決が行われ、A案を賛成多数で可決しました。
A案は「脳死は人の死」とし、家族の同意があれば15歳未満でも臓器移植を可能にするものです。
参院の審議を待たねばなりませんが、これにより子供の臓器提供に道が開くことになります。
「脳死は人の死」案、衆院通過 臓器移植法改正(共同通信) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/politics/CO2009061801000080.html
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この記事についての意見:
「脳死は人の死」案に反対
「臓器の移植に関する法律」の見直しに関する意見書[P7~8;日弁連]
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/060314_000.pdf
>これまで,国際的にも,我が国においても,生物学的・医学的に,
>(1)人の生は,各臓器・器官が全体として有機的統合性を保っている状態であり,有機的統合性が失われた状態をもって死とする。
>(2)脳幹を含む脳を中心とした神経系が各臓器や器官を統合調整する機能を担っている。
>(3)したがって,脳幹を含む全脳が不可逆的機能停止に至れば,有機的統合性は失われ,多くの場合,数日の内に心停止する。
>(4)よって,脳死は人の死である。
>と理解されてきた。
>1992年の脳死臨調の最終報告書(多数意見)も同旨であり,臓器移植法もこの考えを前提として制定されている。
上記より、生物学的・医学的において、「脳死」は「心臓死」を認めることを前提としていると考えられる。
乱暴に言うと、「数日以内に「心臓死」する事が確定したのだから、その段階(「脳死」)も人の死とします。」と言う事になる。
基本的には、人の死は「心臓死」のみであり、「脳死」は「心臓死」が殆ど確定した段階まで、人の死を拡大しようと言う主旨であると考えられます。
よって、生物学的・医学的において、「脳死」に疑問をはさむ・否定する事を行っても、「心臓死」には必ずしも連動しないが(フライングのみへの反対が可)、「心臓死」に疑問をはさむ・否定する事は、自動的に「脳死」にも疑問をはさむ・否定する事になります。
日本における法的な死は、医師等が判断することが定められていても、何(三徴候死又は「心臓死」)を人の死とするかという記述は、法律に記載されていなかったと思います(本人や遺体が不明で、それを元に判断できない場合を除く)。
上記は、「脳死」が臓器移植法に言及されて以降も変わっていないと思います。
日本の法体系の考え方は、基本的に、国民の哲学的な人の死の認識と、医者等の生物学的・医学的な人の死の定義は、あまり乖離しないと言う前提なのだと思います。
または、乖離していれば、法律に直接的な記載が必要で、乖離していなければ、法律への直接的な記載は不要と言う前提なのであろう。
上記とすれば、一般的(国民的)にそれが人の死と認められれば、三徴候死又は「心臓死」の様に、法律に直接記載されてない状態が、日本の法体系における原則的な対応であると強く推認される。
しかし、A案は、「脳死」を一般化するに当たって、上記原則を無視し法律に直接記載すると言う手段を用いている。
このことは、A案自身が、未だに国民の哲学的な人の死の認識と「脳死」が(かなり)乖離している事を認めているに他ならないと考える。