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『大奥 第一章』で家康が名古屋辯でしゃべっていた

2014-09-06 09:59:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
時代劇のかなづかい、ことばづかい 壱 #知恵ノート_
11:20 a.m. Sat, Sep 29:Twitterで表示された日時

@kyojitsurekishi 「大奥第一章」のDVDをレンタルして視聴。藤田まこと扮する大御所徳川家康が尾張の名古屋辯らしき方言の台詞を話していたがこれは三河辯という設定か?江与役の高島礼子も徳川秀忠役の渡辺いっけいも春日局役の松下由樹も「時代劇の中の標準語」を話していた。
10:08 p.m. Fri, Sep 5:Twitterで表示された日時

信長に「名古屋ことば」を 河村市長、NHKに要望(朝日新聞デジタル) - Y!ニュース
3:42 p.m. Thu, Sep 25:Twitterで表示された日時

「大奥 第一章」では、三河武士だったはずの徳川家康が名古屋辯(尾張辯)でしゃべっていた。 このドラマで家康を演じた藤田まことは東京出身で京都育ちだったらしい。
0:54 - 2014年9月26日:PCの時計の日時

「大奥 第一章」で藤田まこと扮する家康は三河の隣国・尾張の名古屋辯で話していた。一方、劇中の秀忠と春日局と江の台詞は時代劇で普通の江戸大奥ことばで、東海~近畿の訛りらしきものはほとんどなかった。
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「大奥 第一章」と「水戸黄門」第43部第11話を見る限り、時代劇の脚本家は「三河の人」の台詞を名古屋辯にするようだ。「三河は愛知県だから名古屋辯でいいだろう」という単純な考えか?
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徳川家康の経歴を調べると、幼少期に人質にされたりして、三河と尾張(愛知)と駿府(静岡)の間を移動していたようである。すると家康が三河武士でありながら尾張の名古屋辯を使っていたとしてもおかしくないか?
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徳川家康が使っていた個人方言は三河・尾張・駿府の3方言が混ざった混成言語だったのか?もし時代劇で家康が三河辯か尾張辯か駿府辯を話したとしても、今度は東海方言を話すのが家康だけだとまた不自然になる。
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「大奥 第一章」では藤田まこと(東京出身、関西育ち)扮する徳川家康が尾張の名古屋辯で話していた。ところがDVDで一部の話を見た限りでは渡辺いっけい扮する徳川秀忠の台詞は静岡辯になっていなかった。秀忠は遠江国浜松(今の静岡県)出身らしい。
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渡辺いっけいは愛知出身らしいから尾張辯か三河辯は彼の方が得意だろう。名古屋市長が「信長に名古屋ことばをしゃべらせろ」と主張するなら、徳川秀忠は浜松辯を話すべきだろう。静岡の浜松市長がNHKにそんな要求をした話は聞かない(2014年10月6日現在)。
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もし時代劇で家康が愛知の三河辯で話す必要があるなら、秀忠は静岡の浜松方言で話さねばならなくなる。また江戸で生まれた家光も上方や東海の方言を話す武将や侍女にかこまれて育ったはず。「大奥第一章」のように家康だけ中京方言話者というのは非現実的だ。
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関連語句
三河
三河(twilog)
信長 名古屋 方言 信長 名古屋辯 信長 名古屋弁(twitter)

参照
Y!Blog>徳川家康が話していた方言は三河辯か名古屋辯(尾張辯)か
『水戸黄門』で知立の人が名古屋辯を話していた件について
淀から江へのてがみ
名古屋市長がNHKに要請“大河で名古屋辯、三河辯を使ってほしい”
大河ドラマで秀吉は名古屋辯を話すべきか

2014年7月24日『長七郎江戸日記』再放送

2014-07-25 06:11:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
2014年07月23日(水)
@kyojitsurekishi 唐傘は江戸後期からという説。するともし「長七郎江戸日記」や「忠臣蔵」(例えば「南部坂雪の別れ」、下注釋)で唐傘をさす人が出てきたらこれは新解釋か。
posted at 19:36:14
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2014年07月24日(木)
BS日テレ「長七郎江戸日記」は第2シリーズ第17話 「夫婦飛脚 恋の綱引」か?
HPによると松平長七郎の偽名は速水長三郎。よく使われる偽名の漢字表記(下注釋)はなかなか確認できない。
posted at 18:36:52

BS日テレ「長七郎江戸日記」(第2部か?)の劇中で女性が唐傘をさしていた。紋次郎のような頭に乗せる笠ではなく、柄のある折り畳み式の傘である。歴史学者の見解はともかく、日本の時代劇では唐傘は長七郎の活躍した家綱の治世から使われていたようだ。
posted at 18:40:00

BS日テレ「長七郎江戸日記」(第2部か?)の劇中で、身分の高そうな武士が「一文(いちもん)惜しみの百失い」と言っていた。ケチな他の武士を皮肉った台詞のようだが、「安物買いの銭失い」に似ている。振り込め詐欺に2度だまされる人も似たようなものだ。
posted at 18:41:53

長七郎江戸日記2 佐野浅夫がゲスト
武士の娘が息子を連れ墓参り。巳年か?推定1653年。
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2014年7月

関連語句
長七郎
長七郎(twilog)
長七郎(twitter)

注釋
南部坂雪の別れ
『忠臣蔵』の定番で、大石内蔵助を三船敏郎(1971年『大忠臣蔵』第49話)、里見浩太朗(1985年『忠臣蔵』)、中村吉右衛門(2003年『忠臣蔵~決断の時』)が演じた作品で描かれたようだ。
瑤泉院を演じたのは佐久間良子、多岐川裕美、牧瀬里穂といった女優。
しかしこれも浪曲などによる脚色された可能性があるらしい。
税理士佐々木利夫のホームページ目次南部坂雪の別れ
この場面で大石がとぼける場面の他、『忠臣蔵』で登場人物はしばしば口にする討ち入りへの否定、つまり「浅野内匠頭の切腹は公儀の決定であり、赤穂浪士の仇討は謀叛である」という理論は正論であり、そもそも吉良上野介は浅野内匠頭を殺していないのだから、赤穂浪士が浅野の仇を討とうとするなら綱吉を討たねばならない。吉良は松の廊下の時から被害者である。この理論が通用しなかったことに悲劇がある。
大石らの切腹から6年後、『大奥 華の乱』で綱吉は柳沢吉保によって刺されて絶命し、側にいた大奥のある女性の判断で家臣には自死と知らされ、更に(幕臣の判断だろうが)世間には病死と公表された。吉保が浅野の仇を討ってしまったことになる。

偽名の漢字表記
ことばは音が先で字は後であるから、口頭で名乗るだけの偽名の漢字表記など考えるだけで無意味かも知れない。『水戸黄門』で光圀が名乗った光(右)衛門に関しては、東野英治郎が2役を演じた回で本物の光衛門が登場した回があり、これは「偽黄門」ネタだが、光衛門にしてみれば光圀こと「偽光衛門」だろう。吉宗の名乗った「新之助」は源六、頼方とともに本人が名乗った通称のようである。
時代劇における偽名、假名(かめい)の問題【事項】を参照。

参照
時代劇における偽名、假名(かめい)の問題【事項】 - Yahoo!ブログ
将軍家と奉行、隠密同心の実名と偽名(Wikipediaなど参考) - Yahoo!ブログ
【時代劇の時代設定】長七郎江戸日記 - teacup.ブログ“AutoPage”

2011年、水戸黄門終了決定、里見浩太朗の記者会見から3年

2014-07-15 18:10:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
「水戸黄門」終了で…里見浩太朗「斬られた思い」 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能
[ 2011年7月15日 19:34 ]


里見浩太朗は「脚本は前よりよくなっているのに、なぜ(視聴率)が10%なのか」と不思議に思って落胆していた。脚本がよくて、他の配役をどう変えても数字が改善しなかったのなら、自分(里見浩太朗)自身が主役であることが視聴者に受け入れられないと思わないのか。

里見浩太朗が主役になってから周りのレギュラー陣の変更はめまぐるしく、鬼若(照英)、アキ(斉藤晶)、原田助、合田格、お娟の時代が里見黄門の個性の明確な時期だったが、ナショナル劇場の『水戸黄門』で光圀役が変わらないままた助挌が2度交代したのは後にも先にも里見黄門だけである。

大河ドラマで徳川家康をフランキー堺や滝田栄が演じたように、徳川光圀を里見浩太朗が演じていけないわけはない。ただ里見浩太朗は東野英治郎の時代にできたナショナル劇場の『水戸黄門』独自のイメージを重視しており、それで石坂浩二のヒゲなし黄門を批判していたが、自分がそのナショナル劇場の『水戸黄門』のイメージに合わないとは思わないようだ。
なお、里見黄門は石坂浩二降板を受けての苦肉の策に見えたが、実は里見浩太朗が助三郎役だった時からスタッフが考えていたことのようだ。

一部で、逸見稔存命時は『水戸黄門』の王道が守られていて、中尾チーフになってそれが崩れたという評があるが、里見黄門のアイデアは逸見存命時からあったもので、簡単にどこまで良くでどこから悪くなったなどとで線引きできるものではない。

石坂・里見と中尾チーフは『水戸黄門』を終わらせた戦犯のように思われることがあるが、実は佐野浅夫の時代に終わって不思議はなかったシリーズを約10年も延命させた功労者と見るべきであろう。
里見浩太朗は石坂黄門で王道から外れたシリーズを元の路線に戻したつもりだっただろうが、世間は里見黄門を石坂黄門と同類の異端と見なしたのだろう。
そして『水戸黄門』は王道が飽きられたのか、王道からずれたのがいけなかったのか、そこの総括ができないまま終わった。

『水戸黄門』が42年で終わることを知った時、個人的には正直、ほっとした。
徳川光圀の晩年の10年を42年かけて描いた本作は時間が進んだり戻ったり、時系列が滅茶苦茶になっていた。助三郎が美香と結婚したら、俳優が原田龍二から東幹久になった途端、独身に戻ってまた、志乃と結婚。お娟がお銀でないならうっかり八兵衛や弥七とどういう知り合いなのか。お娟の卒業と助挌コンビ結成が同時に描かれるなど、まともな頭で考えた脚本とは思えず、スタッフも半ばヤケになっていたのではないか。

『水戸黄門』終了時「勧善懲悪が飽きられた」と評するメディアが多かったが、2年後に『半沢直樹』が高視聴率を記録すると「現代版水戸黄門だ」と評したのだから勝手なものだ。
すると勧善懲悪は時代劇なら受けず、現代劇なら受けるということか。
先の見える予定調和は時代劇なら許させるはずだったのではなかったか。
『半沢直樹』は時代劇に例えると両替屋の奉公人による店内での復讐劇で、『水戸黄門』とは大きく違っていたが、最終回で、頭取の判断で大和田常務への処分が軽く、半沢直樹が他所へ飛ばされた展開は『水戸黄門』に似ていた。

『水戸黄門』終了後、東京のTBSは『Mスタ』を4時台スタートにして、『水戸黄門』や『江戸を斬る』の再放送をBSに回した。
C.A.Lはパナソニックと手を切り、『大岡越前』をNHKでリメイクし、東山紀之が主演となった。
東山紀之は松方弘樹の『遠山の金さん』で同心を演じたことがあり、『必殺仕事人2007』以降のシリーズでも同心を演じている。

『水戸黄門』で里見浩太朗が助三郎役だった時、当初は『大江戸捜査網』、次に『長七郎江戸日記』と掛け持ちだったが、東山紀之も北大路欣也と同様、21世紀の時代劇では昔からのシリーズを守る助っ人のように起用されている。
また、里見黄門、原田助、合田挌の布陣は舞台で一時、復活しており、これが示すのは、『水戸黄門』終了は民放とスポンサーによる判断であり、民放とスポンサー抜けてC.A.Lまたは出演者が揃えば『水戸黄門』や『大岡越前』はリメイクされるわけだ。
ただ、重要なのは視聴者が金を拂うシステムだということだ。

『水戸黄門』終了で民放の連続時代劇が減った。テレ東『逃亡者おりん』、NHK『あさきゆめみし~八百屋お七異聞』などで少しずつ続いているが、多くは『だましゑ歌麿』『みをつくし料理長』のようなスペシャルか『武士の献立』『利休にたずねよ』のような映画だ。
2014年には『超高速参勤交代』『るろうに検心』の新作もある。

『水戸黄門』終了決定時、多くのメディアは日本文化の危機のように大騒ぎしたが、それは『水戸黄門』そのものの消滅でなく、単に時代劇が減って、撮影所の裏方の仕事が減ることへの危惧だった。それならスペシャルでも映画でも時代劇が増えればいいだけの話だ。
『水戸黄門』終了は時間の問題だったし、むしろもっと早く終わっても不思議はなかった。

『水戸黄門』終了で時代劇の裏方の仕事が減るとしてもそれは『水戸黄門』スタッフや出演者の責任ではない。
むしろ1996年か97年ごろから潮が引くように時代劇から撤退を始めた他のテレビ各局の責任である。
『水戸黄門』は気付いたら民放の連続時代劇が自分だけになったので、引くに引けなくなっていただけの話だ。
西暦2011年まで続いた方が奇跡的だった。

BS-TBSで「こちら本池上署」の再放送をやっていた。これは2002~2005年のナショナル劇場で放送された水戸黄門の各シリーズの間の現代ドラマ。1970~90年代当時、この枠は大岡越前、江戸を斬る」などの時代劇だった。
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水戸黄門の後番組(月曜夜8時TBS)
2012
ステップファザー・ステップ
ハンチョウ5
浪花少年探偵団
パーフェクト・ブルー
2013
ハンチョウ6
確証
名もなき毒
刑事のまなざし
2014
隠蔽捜査
ホワイト・ラボ
ペテロの葬列
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2014年7/15

関連語句
水戸黄門 半沢直樹
Yahoo!ブログ - [水戸黄門 終了 43部] の検索結果(記事)
Yahoo!ブログ - [水戸黄門 終了 42年] の検索結果(記事)
水戸黄門 終了 里見浩太朗(twitter)
水戸黄門 里見浩太朗 斬られた思い(twitter)
黄門 里見 斬られた思い(twitter)

参照
『水戸黄門』が第43部で終了 - Yahoo!ブログ
『半沢直樹』最終回を『水戸黄門』に喩えた場合 - Yahoo!ブログ

影武者 徳川家康【作品】

2014-05-29 18:47:00 | 江戸時代初期、家康~秀忠~家光~家綱
平成25年tw
@kyojitsurekishi 徳川15代が登場する時代劇(主人公作品優先)
1徳川家康:家康が登場する時代劇は多いが家康が主人公の作品となるとNHK大河ドラマ「徳川家康」(滝田栄主演)、アニメの「少年徳川家康」が代表だろう。異色(?)の作品で「影武者徳川家康」がある。
posted at 12:26:35

posted at 03:59:34

posted at 04:00:17

テレビ東京の「#影武者徳川家康」では西田敏行が家康とその影武者の2役を演じるらしい。西田敏行はNHKの大河ドラマ「おんな太閤記」で豊臣秀吉を演じ、「八代将軍吉宗」で徳川吉宗、「葵 徳川三代」で徳川秀忠を演じたが、今度はテレ東の時代劇で家康役である
posted at 04:05:36

時代小説「#影武者徳川家康」の設定では家康が関ケ原の合戦で暗殺されたらしい。この場合、江戸時代の将軍で「本物」の徳川家康の血を引くのは秀忠から家光、家綱、綱吉、家宣、家継までで、吉宗から慶喜までは他家の子孫ということになり、水戸光圀も「家康の影武者の孫」という設定になるのか?
posted at 04:51:58

平成26年tw
#影武者徳川家康」で西田敏行が家康と影武者の2役。西田敏行は豊臣秀吉(おんな太閤記)、徳川秀忠(葵徳川三代)、徳川吉宗(八代将軍吉宗)、大岡忠相(丹下左膳2004)を演じた。
posted at 16:24:16

西田敏行は「翔んでる!平賀源内」では平賀源内を演じ、「おろしや国酔夢譚」で庄蔵を演じた。更に西田敏行は「翔ぶが如く」では薩摩の西郷隆盛を演じ、「八重の桜」で西郷頼母を演じた。
posted at 16:26:39

「王になった男」の時代設定は1616年で、徳川家康が没した年。奇しくも「影武者徳川家康」と似たドラマで時代設定も近い。
posted at 00:37:45

時代小説「#影武者徳川家康」の設定では江戸時代の将軍で「本物」の徳川家康の血を引くのは7代将軍・家継までで、吉宗から慶喜までの将軍は「影武者の子孫」で、水戸光圀も「影武者の子孫」。影武者が同一人物ならやはり光圀と吉宗は「親戚同士」になる
posted at 18:18:24

NHK新大型時代劇「真田太平記」で徳川家康を演じたのは中村梅之助で、徳川秀忠を演じたのは中村梅雀。大河「徳川家康」では滝田栄が家康を、役所広司が信長を演じたが、もし滝田栄が信長役だったらどうなっていただろうか。
posted at 20:01:50

NHK大河「おんな太閤記」では西田敏行が秀吉を演じ、フランキー堺が家康を演じた。
posted at 20:02:01

もし、西田敏行がこれらの人物を一人で演じる時代劇があったら、視聴者は頭が混乱するだろうか。
豊臣秀吉(NHK大河ドラマ「おんな太閤記」)、
山本勘助(NHK大河「武田信玄」)、
徳川家康、徳川秀忠(NHK大河「葵 徳川三代」)、
紀伊國屋文左衛門(テレ東「徳川風雲録八代将軍吉宗」)、
日野家用人・垣見五郎兵衛(日テレ「忠臣蔵」)、
徳川吉宗(NHK「八代将軍吉宗」)、
大岡越前(中村獅童主演、日テレ「丹下佐膳」)、
平賀源内(TBS「翔んでる!平賀源内」)、
庄蔵(映画「おろしや国酔夢譚」)、
西郷隆盛(NHK大河「翔ぶが如く」)、
西郷頼母(NHK大河「八重の桜」)

平成27年tw
「影武者 徳川家康」は「もしも関ヶ原で家康が暗殺されていたら」という話。もし大坂夏の陣で家康が倒れていても、実際の逝去の前年だし、将軍の座を秀忠に譲った後だったので、大きな変化はなかっただろう。

〔午後7:00 · 2022年12月27日 〕

午後7:19 · 2022年12月27日


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