空に問う。

空に問うても果てがない

維新150年

2017-08-04 11:44:09 | 日記
今年は明治維新150周年らしい。右派団体や右派総理の内閣などの動きが目まぐるしいと思われたが、事実上はお祝いムードを封じたような感じである。

で、靖国神社がまさかのウルトラCを計画中だとか。皇軍に対して逆賊である西郷隆盛ら維新の英雄を合祀するという。いい話に聞こえるが、これを行ってしまうと靖国神社の求める国立施設化への道は完全に閉ざされるかも知れない。

なんでも今の宮司さんは徳川さんと言われて最後の将軍である慶喜公の子孫なのだとか?おや・・・徳川?

まっ、大政奉還で政権を朝廷に返していたので徳川家は逆賊にならなかったようである。幕臣として闘った会津藩やその他の武士は逆賊として靖国神社への合祀はされていないのに、すごい矛盾が生じてる。

元々は鳥羽伏見の戦いで亡くなった人を慰霊するための作られた長州藩専属の慰霊施設である招魂社がモデルとなり建造された神社が靖国神社である。その後は日清日露戦争などの戦死者もお祀りするようになるわけだが、戊辰戦争で朝廷側についた武士はお祀りされているんだよね・・・、西郷さんは南西戦争で朝敵になったから、靖国神社に祀られることはなかった。

まあ西郷さんほか幕臣側で戦死した方々も丸ごとひっくるめて英霊にしちゃうそうだが・・・そこに疑念が残る。靖国神社は陸軍、海軍により国が管轄する施設であったが、戦後は宗教法人になってしまった。だから靖国神社としては再度国の管理下に置かれる優遇を望んでいたはずなのだけど・・・。

朝敵は除外するとした当初の目的はどうなるんだ。英霊を肯定する基準が天皇のために亡くなった尊い戦士ではなかったか?

戦後しばらくして、A級戦犯も合祀された訳だが、ここでも英霊を肯定する条件が無視された訳だ。A級とは政治犯をさすのであって、A級だからすなわち一番悪いと云うことではない。だけど問題にされたのは”戦場で戦死”した訳でもない人たちを合祀していかがなものかということだった。

ある意味、戦死した国民と戦争を主導した(戦士に導いた)政治家と合祀するのが問題だと思っていたが、どこでどんな理由で亡くなったのかが問題視されていたわけである。ちょっと理解しがたい理由である。だが靖国神社の定義があいまいになったことで天皇が直接慰霊されることは無くなってしまうのだが・・・。まあA級戦犯を分祀すれば良かっただけの事なのだが、そうしなかった。天皇の意に添うことをしないのに国の管轄下に置かれたいとは少し怠慢にも思うけどね。

思うに現代社会で、戦死した方々の慰霊施設として靖国神社が相応しいのかどうかおいらは疑問に思う。宗教の自由が憲法で定められているのに一度英霊としてお祀りした人を取り下げることは出来ないという。しかしながらキリスト教徒に対して身内に神がいることは耐えがたいことだろう。キリスト教は偶像崇拝禁止で、一神のみが神の定義である。だから合祀を取り下げて欲しいという嘆願を無視するのも傲慢だと思うな。

おいらの身内にも英霊さんは二人いる。二柱と言うべきなのかも知れないが、ちゃんと菩提寺で仏として供養されてるから、地元にある護国神社に慰霊に赴くことはない。たぶんイトコたちはそんなことも考えずに墓参りをし、桜の季節になれば護国神社のある城山に行き、たまたま偶然にお賽銭を上げることはあるかもしれないが、そこに身内が英霊として合祀されていることを知っているかと言えば・・・きっと知らずにお詣りしているのだと思う。

おいらたちの世代でこんなに遠い出来事なのに、どうして右派や改憲を叫ぶ保守は、戦争も知らないくせに戦前の思想を褒め称え、大日本帝国主義などを主張するんだろうか。戦後レジュームからの脱却と言うけれど、それを実行するためにはアメリカと手を切らないと無理だと思うんだ。だけど現状では日本はアメリカの核の傘の下にあるではないか。それだけでも矛盾が生じてる日本の保守とはなんなのか、おいらには理解が出来ない。

日本は見せかけ上は「戦後」と区切ったけど、政治家や支配層や権力者や当時からの資本家からすればやっぱり戦前の続きをやっているだけなんだろう・・・。権力や権益を奪われた者たちが、かつての地位や支配を取り戻そうと蠢いていたようにしか見えないんだけど・・・。

もし憲法改正を否定する者は愛国者でないと断罪されるなら、別に愛国者になりたいとは思わない。あの時はああいう風なやり方でしか国家の存亡をかけることは出来なかったんだと思うけど、それを肯定する気持ちにはならない。

だからもう国家の慰霊施設としての役目はなくなってしまったのかも知れないし、性格上神道は宗教ではないと言うけれど、それでもやっぱり信仰心を伴うものであるから、非宗教性の高い慰霊施設を作るべきだと思う。

まあ靖国神社にお詣りして現世ご利益をお願いする気持ちにはおいらはなれないから、実際は神社としての意識は薄い。まあ「英霊」という存在そのものを否定する気は毛頭ないので、特別な神社としてあり続けて欲しいと思う。だが、おいらが出向くことは永遠にないと思う。まあ靖国神社に関しては旧厚生省も絡んでいたことだから、少しは国の施設して扱ってもいいとは思う。だってその他の神社や伊勢神宮とかと成り立ち自体が違うのに、同じ神道の括りで扱うのは無理なんじゃないかと思う。

人はちゃんとした儀式を行えば祖霊として神にはなれる。そういう仕組みが靖国神社と似てるところだけど、他の神社は神社神道としてあればいいのかな。もし氏子の援助もなく廃れてしまったら、やっぱりそれはそれだけの事なのだと思う。だから伊勢神宮を頂点として明治以降成立した神社神道と国家神道の象徴である靖国神社を同等に扱うのも邪道のような気がするんだ。

それぞれに与えられた信仰性があると思うんだ。だから神社神道はかつての日本にあった古神道とも違うんだよね。祀りたいものをご神体とし、各村で祀られた神はすでに今の神社にはいないのだから・・・。神話の神で成り立っている神社神道は江戸時代の神道とはもはや別物であると思うんだ。そういうことすら一般的には知られていない。だから神社の祭自体が何百年も続いていたとしても、「同じ神様」を祝う祭りではないという神社はたくさんある。それは神仏分離令において政府が神の「基準」を制定したせいである。廃仏毀釈で被害を受けたのは寺や仏さまだと思っているようだが、八百万の神々は悉く否定されたんだよ。そして神仏習合の際に用いられた思想である本地垂迹で神とされた仏も除外された。

神の基準とは、記紀神話の神であり、天皇の臣下として神とされた者しか祀ることは許されなかったんだ。だからほとんどの八百万の神々は神の座を奪われたと言っていい。名前を隠された神は消えてしまうんだ。もしくは祟り神となる。祟り神となる性質は古代からの神道の概念の中にあった怨霊信仰に属しているものだけど・・・。だから日本人は物事の背景に必ず何かの臨在感を感じ取ってしまうのだ。

御神木と呼ばれる木を伐採すると事故に遭うというジンクスがある。しかし現実には木は木でしかない。何千年生きようとも木は木でしかない。だけどそういう謂れや御神木と名付けられた木に対する畏怖の念が日本人にはあるから、単なる事故が「神の祟り」や「神罰」にされてしまうんだ。一概に事故として片づけられない不思議な案件もあるけれど・・・。

まあおいら的には、伊勢神宮に代表される記紀神話の神を祀る神社神社と、英霊を祀る鎮魂神社である靖国神社は別物に思えてしまう。本来は別物だろう。だから地方に護国神社が置かれたのだと思う。同じ神社神道であれば各地のそれぞれの神社で慰霊を行えばいいのに、わざわざそういう仕組みを政府と軍部で作りあげたのだから・・・多少は国の保護があってもいいのではないと思うけど、神社神道である現代の神道はちゃんと教義を作り宗教としての体をはっきりとすべきだと思う。日本人として神を敬うのは当然とする考え方はただの傲慢ではないかと思うんだ。

ちゃんと宗教化出来ていないから、願い事をして叶わないと誰もが足を遠のく。現世ご利益の権化みたいになる前にキチンとした教義を作れなかった責任は神社側にあるのではないかと思う。おいらもついこの間まで約20年間神道を信仰していた。例えば願い事など全然叶わなくても信じることで幸福だった。でも幸福なだけではダメだった。そこには宗教としての瑕疵があった。

神道には宗教にあるはずの「救済」や「救い」がないのである。どんなに祈ってもおいらの思いも人生も救ってはくれなかった。だから神道を信じるのを辞めてしまった。神は確かにそこらに数多いるが、それは森羅万象自然と共にあるモノであり、人間の欲やエゴを満たすものではないんだと思った。

まあ呼ばれたと思い、神社に参れば翌日には自然災害に遭う偶然を何度も経験したので、おいらがその前にその地区の神社に訪れることはまるで禍いを呼び込んでしまっているように思えたんだ。それはたまたま偶然の出来事でしかないのに、おいらを呼んで導いたモノが正しい神ではない気がして、恐ろしくていけなくなった。それはそれで神を信仰していたおいらにとっては辛い経験だったけど。まあぜんぜん神社に行かないわけではないけど、入場料として賽銭をいれるだけにしてる。

あんなに「幸福」だったのに、今はそれが「苦痛」でしかない。他の宗教ならばその「苦痛」に対する教えや導きがあるんだけど、悲しいことに神道にはソレがない。祝詞は神を褒め称える作文であって、それは仏教の経文とは趣が異なる。その人を救うのはその人ということになってしまう。神がそばにしてくれたような安心感はもうない。

神主に呪われるという貴重な体験をしたせいで、様々調べている内に辿りつた答えが、神道には救いがないと云うことだった。呪う相手の神と、おいらが信じる神と何が違うのか、分からなくなったし、正しい神が正義ではなく、強い神が勝つということに思い至ったからだ。神に正義を求めても、そこに答えは存在しない。神主の恨みの念と、おいらのあがらう気持ちでは、神主の念の方が編み出す神の力の方が上と言うことであって、おいらが正しいからとしても、正しさだけで神は正義も果たせないというモノなのだ。

おいらの思う神は慈悲深くて正しくて聖人君子のような存在だった。

神主の思う神は神主の願いのみを叶える、慈悲や正義とは無縁の鬼のような存在だった。

しかし鬼であっても神となれるのが神道なのである。

だからおいらの中の神は負けてしまったし、死んでしまった。おいらが思う神をおいら自身が弱いと否定したからである。

そして信心や幸福や安心感が、迷いとなり、おいらはおいらを救う術を失っていた。で、調べてる内に神道に宗教に必要な「救い」の教えがないことに気が付いたのである。恐れ崇めるためだけに人間の前に君臨する神こそ日本の神であることに至ったからである。

おまけに右的な思想の背景に必ず神道が見え隠れすることが、おいらの思想信念に反していると思ったからだ。神道=右翼思想とはならないが、神を信じると云うことは最終的にそこに辿り着いてしまう。だから心がブレーキを踏んだ。

そしておいらの神道への帰依は消えてしまった。おいらの信じる弱い神は、そのまま弱いおいらでしかなかったと云うことだ。

まあ話がそれてしまったけど、靖国神社に西郷隆盛ら朝敵を合祀するのは反対だ。なにもかもないまぜにしてしまうのは乱暴なことであると思うし、靖国神社自らがその役目や立ち位置を否定してしまっては本末転倒だと思うんだ。靖国神社や神道が日本人の心の拠り所とは思わないが、日本人の心の在り方の一つであってもいいとは思う。

それがおいらなりの神への敬意である。

せめて靖国で眠る英霊さんたちは強い神でもなく弱い神でもなく、正しい神としてあって欲しいと思うんだ。

だってそれこそかつての敵同士を合祀したらケンカするでしょ。それは人間の思う”ともに仲良く”が通じない世界だと思うんだ。そこはさ、また別の施設や機関が行えばいいことだと思う。天皇陛下が許せば朝敵も逆賊もいなくなるわけだけど、そういう人たちの思想信条をちゃんと汲んで、英霊とは違う存在として慰霊すべきだと思います。




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