空に問う。

空に問うても果てがない

神聖

2015-10-30 08:27:01 | 日記
古代の祈りの場や祭祀場のあとに神社が建てられているケースが多いから、日本は比較的パワースポットが分かり易いし多いと思うんだけど、本邦の場合はパワーを拡散する目的ではなくて、蓋をする役目が神社を建てることだったりする。良いところと悪いところの差ってなんだろう。なんだかややこしいね。

イギリスの超有名なソールズベリー近郊にあるストーンヘンジ。今は石柱がキレイに並べられているけど、それは比較的最近の話。『テス』というナスターシャ・キンスキー主演映画の中に映るストーンヘンジは倒れてる・・・・。今は整備された結果です。欧州は巨石を人間が配置して作ったから日本のそれとは異なる。日本は巨石が露出してる場所を選び、磐座として信仰の対象としてる。日本にも有名な環状列石が東北にありますが、あまり人工的な古代祭祀場は思い浮かばない・・・・・。

どうしてわざとパワースポットに蓋をしたんだろう?結界を張ったんだろう?

入口があるならば出口があるんではないかと考えたからかな?まあ出入口と考えたからのような気がする。おいらの地元と西の市に同じ氏族がおそらく作ったのであろうと言われる神社が三つ点在する。真ん中にある神社は山の上にあるが、山頂にはペトログラフが彫ってあるような巨石がある。その両サイドの神社にはもちろん屏風状の巨石があり、それを背にして建っている。両方が入口に思えるけど、両方が出入口とも思える。

変な話なんだけど片方の神社を思い出すと片方も浮かぶ。距離は約50キロ。地元と中央部の神社は阿波の忌部氏創建になっている。忌部氏と言えば養蚕と麻の生産を思い出す。で西の市の神社は忌部氏だけではなく奈良の春日族も関わってくる。

で、この両サイドの神社は明と暗に分けられるくらい違いがある。冥と安かもしれない。

今回、体調を崩すキッカケになったのは西の市にある、その冥で暗な社を思い出したからだ。なんでかつい最近までそこに昨年訪れたことに蓋をしていた。恐怖心の怖いところは本当の恐怖心を隠してしまうところだ。セイフティネットみたいなモノかな?思い出した途端に精神が汚染された気がする。まあその社が鎮守の方もいるだろうからあまり悪く書いてもいけないんだけど、おいらにとっては負のパワースポットである。

で今地元にあるもう一人の出入口の社に呼び出されてる気がするが、気が載らないので行ってない。もちろんまっすぐに歩けないからなんだけど・・・。今そこは普段神様は不在で、神さんは近くの八幡宮にいることが多いみたい。そこは今月の初めに訪れたんですが・・・・。

なんか危険でしょ?思い出しただけで、訪れたときの忌々しさが蘇ってくるなんて・・・。のちに訊いた話ですけど、その社の宮司家は人死にまで出てるくらいに陰惨な出来事が続いてるそうで、霊能者Mさんも近寄らない方がいいと断定してました。ビンゴでした(苦笑)

地元のある忌部氏創建の二社と地元しか存在しない女神さまと歴代の城主を慰霊する神社が町の中心部にあり、江戸時代にはこの三社を巡る詣で人気を集めたのだとか。今はそれを知る人もあまりいないみたいです。おいらも試しにやりました。順番がわからないので三通り。ま、結果はこんな感じですから、良いか悪いか言えませんけど・・・・。

前にも話しましたが、訪れた途端に泣いてしまう場所があります。山頂にあるその神社に行くと必ずと断言してもいいくらい涙がこぼれます。元々山岳信仰が盛んで修験の山でした。その神社は神宮寺と呼ばれた昔によくあった神仏習合が深いところです。150年前の地震で寺院部分が滑落し、廃仏毀釈も手伝って寺院部分は小堀遠州作の庭園部分を残したものの再建されることはありませんでした。

どちらかと言うと朱塗り系の神社は×です。神仏習合時代の名残りですからね。どうも精神的に受け入れがたい気がします。かといって我が家の宗派と違うんですけど真言宗の古刹には縁があります。まあ神は神、仏は仏と今現在区別されているところの方が性に合っています。神仏習合の方が一石二鳥な感じはしますけど・・・・。

に、しても神は仏さまよりも気まぐれですから困ります。

霊能者Mさんに『黒い渦』と指摘されたのは西のその神社の事なのではないかと思います。空気が脈打っていて吹き出すような感じが『黒い渦』の表現にぴったり来る。逆噴射ですけどね。吸い込まれると言うよりは出て来てる感じがしました。その嫌な感じは元の職場の西の営業所や本社にもあったので、なんとなく納得しましたけどね。猜疑心や疑念や妬み嫉みが凝縮されたエキスみたいなのです。海側はやっぱり潮風が邪気を祓うのか、そんな気配はありませんが、山間部の方が吹き溜まりみたいになっていますね。

まあもう関係ないと言えば関係はないんですけど、その場所が古代の神聖な場所であったことは確かだと思いますし、地元の関連氏創建の神社の映像が絶えなまく浮かんだりすると無関係とは言い切れなくなります。今回に関しては行けば祓われるのではなくて、こちら側を開けさせる鍵みたいになってる気がするので珍しく呼び出しがかかってもいく気はありません。なんとなく酷い結果になりそうだから・・・・・。

と言うのも地元の神社のすぐねきにあるちょっと知ってる会社で人死にがあったからです。共犯と呼ぶのかまでは分かりませんが、その人死の原因になる問題に昔からの知り合いが一枚噛んでいるみたいです。もしいろんなものが開示されていくとちょっとしたパニックになるかもしれません。悪事は自然に暴かれなきゃ正義は果たされないので、それは仕方ないですが、このタイミングで、この体調で行くのは無理ですね。一宮の方なら行けますけど(苦笑)。

その社には天岩戸伝説で石の扉を開いたとされる『天石門別神』がご祭神として祀られています。天津系の門番の神様です。門と来れば扉、扉と言えば鍵でしょ?なんかね、、、、、、嫌な感じがします。こっち側も『黒い渦』が吹きだしたら溜まったもんじゃない。

で、思うんですが、天津神系って怖いですよね。天孫系ともまた違うし、人間味に溢れた国津神系とも違う。記紀神話を読んでいて思ったのは高天原に住まう神様は聞き分けがなく容赦がないことです。正しすぎると言うのか、おいらみたいに何度も穢れや自らの愚行により愚かに生きてるものにはとても厳しく罰せられているような気分になります。だから何度も伊勢に行く機会があるのにそのたびにいろんな理由で行けなくなったことも頷ける気がします。よほどしっかりした霊能系と一緒じゃなければ行かないと思う場所です。みんな神聖な場所と呼んでいるのに・・・・・・。

まあ雲みても神、木を見ても神、岩を見ても神を見てしまう日本的な宗教感。目を凝らせばそれこそ八百万に神がいる。そう思うと名前はないけど神のようなそれこそ神々しい存在が満ち溢れている。そう言うものを呼吸するみたいに感じている方が今のおいらには十分です。

さすがに今日も怠くて重い。気分の方はそうでもないんですけど、身体が引っ張られてしまいます。木偶になる気はないので別の鍵を探していただきたい。この町にも無類の神社フリークはいるだろうから権利を有する人もいるでしょう。

もう同じ線上のネットワークにいないからお互いのことは分かりませんが、とてつもない嫌なことをしていたりされていたりはするんだと思います。氏族に関係してる古い家系の家の出身者であれば、もう一つの岩の扉に造詣が深いのかもしれませんしね。自分の心情に迷いのない人は本当に恐ろしいと思います。妬み恨み嫉み憎しみすべてを正義の源に出来るからです。おいらにはそんな器用な芸当は無理ですが、情け容赦のない人間を一人ほど存じてまして、その魍魎が跋扈しているのを薄々ですが感じ取っています。だからこんなに具合が悪いのだと思います。病気ではないようですし・・・・。

指の先で軽くタッチされてるくらいで衝動はやってきますから、言葉や発言にはくれぐれも注意しましょう。

そしてスピ師に煽られて、スピ詣でするのはしばらく辞めましょうね。特に菅原さんと天津系は何故だかとても怒っていますよ。神聖な場所を穢すのもほどほどにしろと言うことなのかもしれません。

神になりたくなった神さんの怒りは少し鎮まったようです。愛する妻に会えたんでしょうか。それならば嬉しいですけど・・・・・。

神聖ってものは人間には毒となるものがほとんどです。開運貧乏やお札集めに遁走するよりは困ったときは氏神さんにお詣りしましょう。それをしないで開運には絶対に繋がりませんよ。何事も手順や礼儀や作法を重んじるのが日本の伝統です。


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