「ただいま~……」
「おかえっ―― ええっ!? どうしたのお兄ちゃん!」
沙希は慌てて玄関の虎男に駆け寄る。
ダイヤに腕を抱えられた虎男の顔が血まみれだったからだ。
「ははっ、ちょっとな」
「ちょっとなって――」
「沙希ちゃん、救急箱ある?」
「ありますけど、何があったのお兄ちゃん……」
ダイヤが申し訳なさそうに、
「俺のこと守ろうとして怪我したんだ」
よろめきながら二人が玄関へ上がると、後ろにもう一人少年が立っていた。
沙希はその少年のあまりの美しさに思わず息を呑む。
「あの、お兄ちゃんのお友達ですか?」
「天野サクラと言います。上がらせてもらっていいですか?」
「はい、どうぞ……」
「失礼します」
――綺麗な人。でもどこか不自然な気がする……。
**********
「イテっ!」
「じっとしてて」
沙希は器用な手つきで虎男の応急処置をすませると、
四人分のお茶を用意してテーブルの椅子についた。
「お兄ちゃん、何があったの」
「僕に説明させてください」と、サクラ。
沙希はこくりと頷く。
サクラは湯飲みの茶を静かに一口すすると、数時間前、自らが海星高校へ転入した所から話を始めた。
ダイヤと虎男、そしてサクラ自身にまつわる因果を、十歳の沙希にもわかるように噛み砕いて説明する。
沙希は俄かに信じがたいその話を、まばたきをするのも忘れて聞入った。
「サクラさんはわたし達を取り巻く因果を断ち切るために、ダイヤさんを殺すつもりで海星高校へ転入した。
そしてダイヤさんを守ろうとしたお兄ちゃんと戦った。そういうことですか?」
「そう」
「サクラさんの持ってる力は、幻視の力?……なんですね」
「あぁ。今みんなに見えている姿も、本当の僕の姿じゃない。
僕は人の脳に直接イメージを植え付け、それを現実のものとして認識させる力がある。
そして、僕の作り出した世界で起こる事象の全ては現実と同等の意味を持つ。
すなわち、僕の世界で誰かが死ねば、その人物は現実界でも実際に死ぬ」
「お兄ちゃん……力を使ったの?」
「使わなきゃ勝てなかった」
「虎男君の持つ力は想像を遥かに超えた素晴らしいものだった。
もしかすると、僕達を待ち受ける運命にも立ち向かえるかもしれない。
以前の僕たちにとって、それは塵ほどもない微かな希望だった。
だけど、今なら違う。虎男君なら運命を変えられる気がするんだ」
「これからわたし達、どうなるんですか?」
「わからない。悪霊がどんな手段を使ってダイヤ君に近づき、人を襲い始めるか、
前触れのようなものがあればいいんだけど、きっとそれは突然やってくる」
「わたしも戦います」
「聞いたよ。君は剣術を使えるんだってね」
「はい」
サクラは席を立ってキッチンを出ると、
しばらくして自分の身の丈ほどもある日本刀を持って帰ってきた。
「見てもいいかい?」
サクラは沙希から日本刀を受け取った瞬間、
あまりの重みに手を滑らせ、刀を床に落としてしまった。
「この刀には特殊な力が宿っていると聞きました。
わたしにしか使いこなせない刀です。
わたしもお兄ちゃんも、大切な人を奪われるのは二度といや。
だから、どんな敵がやってきても全力で戦うつもりです」
サクラは力強い意志を宿した沙希の瞳に、哀れみに似た感情を覚えた。
生みの母の記憶もなく、育ての母親は自分を守るために殺された。
まだ年端もいかない小さな少女が、命をかけた戦いを強いられる。
いくら宿命を背負わされたといえ、それはあまりにも無慈悲に思えた。
「沙希ちゃん、そう呼んでいいかな?」
「はい」
「僕は人の記憶に植え付けられた思念を解放することができるんだ。
君のお母さんが亡くなる寸前、虎男君に向けて多くの思念が放たれた。
彼女の生きてきた人生、思想、想い、その全てを別の脳内に再生することができる。
もしも君が望むなら、虎男君とダイヤ君に見せた映像を君にも見せてあげられる。
だけどそれは、今の君には刺激が強すぎるかもしれない。だから――」
「見せてください」
「沙希……」
「お兄ちゃん、あたしも知りたい。お母さんがどんな人生を送って、最後に何を想ったのか」
「辛くなるかもしれないよ」
「わたしは大丈夫です」
「わかった。じゃあ、いくよ」
サクラが手をかざした瞬間、沙希の瞳の瞳孔が開いた。
**********
現実に意識が戻ったとき、
沙希は自分の目から涙が流れていることに気づいた。
「お母さん、あんなに小さいころ、いっぱいつらい目に合って、
大人になってやっと幸せになれたのに……。どうして……」
「それが僕達の因果だ」
沙希は真っ直ぐにダイヤを見つめた。
そして心苦しそうに俯くダイヤに、
「ダイヤさん、わたし達で断ち切ろう、こんな運命」
「えっ?……」
「わたしもお兄ちゃんも、全力で守る。
もしもダイヤさんに危険が及んで、ダイヤさんの因果が誰かを不幸にしようとしても、
わたし達みんなで力を合わせれば、きっと誰も死なずにすむ。守れるって信じる」
「沙希ちゃん……」
「ダイヤ、お前には三人のガードマンがついてんだぜ! 絶対大丈夫だ」
虎男が豪快にダイヤの肩を叩いた。
「いてっ!」
四人はキッチンのテーブルを囲んで茶菓子を食べると、
まるで先ほどまでの空気が嘘のように他愛もない話で笑いあった。
しかし、まだ四人は気づいていない。
すぐそこに運命の足音が近づいていることに。
第二話「転校生! サクラ現る! 終」
第三話「和也の夕飯」へ続く!