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桃太の一写一句

駄句が一枚の写真で様になるか!?

加賀野菜

2010年09月30日 | 

「秋めくやメニューに加わる旬野菜」

 

 記録的な猛暑が続いた夏のことを忘れてしまうほど、秋らしい気候になってきた。北國新聞の朝刊を開くと「金時草が旬を迎え、収穫が最盛期」との記事が目についた。今年は猛暑の影響で出荷が約1ヶ月送れているが、9月中旬からの雨により、鮮やかな紫色に色づいたという。金時草の収穫のピークは10月中旬まで続くそうである。

会社の近くにある讃岐うどんの店「粉太製麺」のメニューに、秋の野菜の天婦羅がつく季節限定商品が加わった。五郎島金時・小坂れんこん・せり・米なすの加賀野菜に海の幸のがす海老とめぎすがついて800円。めんはざる・ぶっかけ・しょうゆ・かけを任意に選ぶことが出来る。天婦羅のボリュームたっぷりのお得メニューだ。

五郎島金時は我が家ではご飯代わりの主食である。昨日の夕食には初物の金時草のおひたしが出てきた。ホクホクの五郎島金時とシャキシャキの金時草、今、加賀野菜の魅力に嵌っている。(10-10-1)


本多の森

2010年09月17日 | 

「秋めくや本多の森の暮れ初めて」

 

金沢市は小立野台地の先端に金沢城と兼六園が位置し、その南側に広がるのが本多の森となる。前田藩の筆頭年寄の本多家の屋敷があったことから、広大な敷地は「本多の森公園」と命名され、今は金沢市民の憩いの場として親しまれている。夏の時期には公園内のいたる所で蜩の泣き声を聞くことができ、「本多の森の蝉時雨」として環境省が定めた日本の音風景100選にも選ばれている。

県立美術館の裏から中村記念美術館へと続く散策路に、辰巳用水から引き込んだ水が滝のごとく流れ落ちるところがある。この滝に沿った階段は、休日の散歩コースとして私の一押しの穴場である。金沢城公園や兼六園もいいが、それに隣接する本多の森には多くの歴史的な建造物や文化施設が設けられており、金沢市の魅力をしっとりと味わうことができる。

写真は、県立美術館の建物の裏側の散策路にある一画で、眼下に金沢21世紀美術館のモダンな外観を見下ろす絶妙なスポットである。板張りの散策路がウッドデッキのように張り出しており、鬱蒼とした広葉樹の間からの風には何となく秋の匂いを感じる。記録的な暑さだった夏も終わりを迎え、ようやく朝晩は涼しさを感じるようになってきた。(10-9-5)

 


金沢市 尾張町

2010年08月31日 | 

「眠られぬ夜の明け染めて秋暑し」

 

処暑を過ぎて既に一週間が経つのに、日本中が異常な暑さに見舞われている。

マンションの5階の部屋は窓を開け放つと夕刻には風が通るが、夜になるとばったりと止まってしまう。寝室のエアコンはつけっ放しでは体に悪いと思い、タイマーをセットして寝る事にしているが、エアコンが止まると同時に目が覚めてしまう。このパターンを何度か繰り返しながら、寝苦しい夜はようやく朝を迎える。

5時頃に何度かの目覚めをすると、寝室の窓を開け放つ。マンションは近江町市場に程近く、夜明け前から人々は動き出す。そんな物音を聞きながらうつらうつらしていると、街は何時の間にか明け染めて、金沢には珍しい真っ青な空が今日も広がっている。いったい何時になったらこの異常な暑さも峠を越すのだろうか。(10-8-31)


朝顔プロジェクト その4

2010年08月28日 | 

「朝顔も夏バテしてる朝かな」

 

今年の朝顔は猛暑のせいか、元気がない。

金沢21世紀美術館の外壁を屋上まで埋め尽くした朝顔に触発されて始めた会社の朝顔栽培も今年で3年目。1年目は初めての試みということもあって気合が入り、朝顔の蔓は二階建ての事務棟の屋上まで一気に延びてくれた。葉っぱも元気よく、ロープ一杯に広がった緑のカーテンは、事務所のガラス面の日除けの役割も十分に果たしてくれた。ところが2年目は、種が悪かったためか手入れが悪かったためなのか、蔓の延びも悪く花の咲き方も今一つで、納得できぬ思いが残った。

そして3年目の今年、5月の種まきから気合十分で臨んだはずであったが、どうも育ち具合に勢いがなく、更には記録的な猛暑も重なり、朝顔もすっかり参ってしまっているようだ。朝顔は名前のとおり朝に咲き、昼間は花はしぼみ、葉っぱもしなっとなる。よく考えてみれば、緑のカーテンの役割を期待するにはやや力不足かもしれない。みんなの意見を聞かなくてはいけないが、来年は「ゴーヤ」にしようかと密かに考えているところだ。(10-8-28)


冬タイヤ搬入

2009年11月24日 | 

「タイヤ屋さん元気出そうぜ冬近し」

 

地球温暖化の影響もあり、大雪だった2005年~2006年のシーズンを別として、スタッドレスタイヤの販売に苦戦している。11月も下旬となり、冬タイヤ商売もとっくにシーズンインとなっているが、年毎に履き替えのタイミングが遅くなってきているようだ。「履き替えのタイミングがずれるだけで、シーズンの需要が変わるわけではあるまい」という意見があるが、その見方は現実を分かっていない。年内にまとまった雪がこないと、履き替え需要は確実に減ってしまうのが現実である。ほんとに、需要はどこに消えてしまうのだろうか。

メーカーの生産体制もあり、5月頃にまとめてオーダーした冬タイヤは8月から9月には入荷して、倉庫はタイヤで溢れかえることになる。リスクを恐れると追加オーダーとなり価格の特典もなくなってしまう厄介なしくみだ。

それでも、ようやくタイヤが動き出した。しかし、前年と比べても動きは鈍い。「寒波よ、早く来てくれ!」と願う毎日が続いている。(09-11-19)


山代温泉 魯山人寓居跡「いろは草庵」

2009年11月19日 | 

「賢人の座に加わるや庭紅葉」

 

山代温泉にある魯山人寓居跡「いろは草庵」に友人を案内した。魯山人は書家、篆刻家、陶芸家、そして画家といくつもの顔を持つ異能の芸術家である。特に陶芸における影響力は絶対的で、食器が芸術たり得ることを確立したことでも有名。その魯山人に陶芸の道を開いたのが加賀は山代温泉であったことは、実は「いろは草庵」で初めて教えられた。

魯山人は大正14年から15年にかけての半年ほどの間、山代温泉の吉野家旅館の吉野治郎の依頼で、旅館の看板を彫るために当地を訪れる。吉野家の食客として迎えられ、別荘であった「いろは草庵」をあてがわれて仕事場とした。「草庵」では茶会も催され、初代須田菁華や金沢の細野燕台などの文人たちが集まり、さながら文化サロンの様相だったという。

そんな解説を、いかにも人のよさそうな親切な説明員から受け、お茶とお菓子をいただきながら、苔むす小さな庭を眺めていると、私も賢人たちの仲間入りをしているかのような気分になってきた。(09-11-14)


クラブタイ

2009年11月05日 | 

「秋晴れやみんな青春クラブタイ」

 

所属している大学時代のラクビークラブの創立80周年記念行事に出席するために、東京まで出かけてきた。クラブの創立は1929年。大学の体育会は別として、クラブチームでは日本最古の歴史を持つ。このクラブの特長は学生チームが参加しているリーグでの優勝を目指すことは勿論大切なことであるが、それ以上にメンバーの絆づくりに力点を置いている所にある。

写真のネクタイはクラブタイである。ユニフォームの紺色とグレーのカラーをアレンジしたストライプ柄だ。このクラブタイ一本が、メンバー達を年齢を越えて一瞬の間に学生時代にタイムスリップさせてくれる。

見事な秋晴れの中、競技場に到着すると、記念ゲームを観戦するために続々と中間達が集まってくる。ゲーム終了後の記念式典には、何と500人?を越えるメンバーとその関係者が集まった。学生4年間の先輩後輩達始め、90歳を越える大先輩まで、懐かしい人たちとの思い出話が、時間を忘れて延々と続いた。(09-11-3)

 


北越急行「天地人ラッピング電車」

2009年11月05日 | 

「義と愛の尊さ知るや山紅葉」

 

金沢から「特急はくたか」で越後湯沢まで行き、上越新幹線を乗り継いで大宮まで出張した。「はくたか」は先ず北陸本線で直江津へ。直江津からし信越本線で柏崎を経由して長岡まで行き、こんどは上越線を小千谷・浦佐・五日町・六日町と通過して、列車はようやく越後湯沢に到着した。海岸沿いから山間部まで、のんびりとした日本的な初秋の景色の中、2時間半の列車の旅を久々に楽しんだ。

新幹線に乗り継ぐために越後湯沢駅のプラットホームを歩いていると、なんと、天地人のラッピング電車が止まっているではないか。先頭車両には立派な「愛」のパネルが掲載されている。NHK大河ドラマの地域起しに与える影響は大きく、地元では数々の便乗イベントが行なわれている。

NHKの放映もいよいよ終盤に近づいた。最初は何となく頼りなさげな俳優たちの演技も、堂々として様になってきた。「義」と「愛」。戦国の時代に何を女々しいことをと思っていたが、彼等の政治判断と国造りには教えられることも多い。我が家もしかり、今年は全国に直江兼続ファンが一気に増えたのではないだろうか。(09-11-2)


おかげ横丁

2009年10月27日 | 

「お伊勢さん今も食い気の勝りけり」

 

江戸時代、一生に一度の夢と言われた伊勢参り、ブームとなった背景には、信仰心ばかりではなく、道中の旅そのものの魅力が大きかったようだ。その終点の伊勢には、今で言うツアーコンダクターも商売として成り立ち、古市は江戸の吉原・京都の島原と並ぶ3大遊郭として栄えた。

それにも増して、何よりの楽しみは伊勢の地の豊かな海の幸・川の幸であったようだ。神饌の代表とされる鮑を始め、伊勢海老・牡蠣・サザエ・ワカメ・鰻などなど、まさに伊勢参宮はグルメの旅だったともいえる。

我々も参拝もそこそこに早速「おはらい町」に繰り出した。賞味期限事件を起こした「赤福」は客からの支持もあり、立派に復活を遂げて賑わっている。今回のお目当ては「おかげ横丁」に店を構える「若松屋」の「ひりょうず」。「ひりょうず」とは関東でいう「がんもどき」のこと。明治38年から続くかまぼこ屋の老舗が作る「ひりょうず」は一味も二味も違う。魚のすり身と豆腐・うづら卵・わかめ・ひじき・きくらげ・人参・椎茸・筍・枝豆にごぼう。これをたっぷりと練りこんだボリュームたっぷりの逸品だ。病みつきになりますぞ。(09-10-23)


神宮杉

2009年10月27日 | 

「天高し杉の木立に神宿る」

 

杉の大木が生い茂る参道は、伊勢神宮の最も伊勢神宮らしい景色とも言える。伊勢湾台風などによる被害の影響もあり、本数が随分と少なくなったそうであるが、天に向かって聳え立つ大木に囲まれた神宮内を歩いていると、何とも神秘的で神聖な気持になる。

樹齢500年を越える古木が参道周辺に点在しており、それらの杉を「神宮杉」と呼び、1966年には三重県の県木にも指定されている。

ところで、式年遷宮には1万本以上の木材が必要となる。こちらは杉ではなくヒノキ材である。このヒノキ材の確保についても昔からの課題であり、神宮では大正時代に森林経営計画を策定し、神宮周辺の山への植林を続けている。遷宮の用材として使用できるまでには200年かかるとされており、大正時代から始められた植林による用材が本格的に使用されるまでには、まだ120年以上も待たなくてはならない。1300年続いている式年遷宮の伝統を継続することは、気が遠くなるような話である。(09-10-23)