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桃太の一写一句

駄句が一枚の写真で様になるか!?

奈良 長谷寺

2011年10月21日 | 

「幾人の眺めしことや寺の秋」

 

興福寺の国宝館を見学した後は、奈良町で昼食をとり、その後少し足を伸ばして桜井市にある長谷寺を訪れた。長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半。開基は道明上人とされる。西国三十三箇所観音霊場の第8番札所であり、日本有数の観音霊場として知られる。檀信徒は約200万人、四季を通じて「花の御寺」として多くの人々の信仰を集めている。

予備知識を持たぬまま訪れたが、先ず、門前町の想像以上の長さに驚き、南向きの山の斜面を切り開いた境内の広さに驚き、伽藍の歴史と規模にも驚いた。我々一行はここでもガイドに従い、仁王門から登廊の石段を登って本堂をお参りし、五重塔から本坊に下りるという約40分の参拝コースを選択した。

ご本尊の十一面観世音菩薩の大きさにもびっくりしたが、本堂の前面に張り出す京都の清水寺と同じ懸造りの舞台から見渡す景色には感激した。紅葉にはまだ早い時期ではあったが、由緒あるパワースポットに身を置き、心身が癒されるひと時を味わうことが出来た。(11-10-13)

 


奈良 興福寺

2011年10月21日 | 

「立ち去りて匂ひ新たや金木犀」

 

お客様をお連れして、奈良の興福寺を訪れた。興福寺は710年の平城遷都の時に現在地に移されており、この710年が実質的な創建年といわれている。藤原氏の祖である藤原鎌足・不比等親子ゆかりの寺院であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。鎌倉・室町の武士の時代になっても、幕府は守護を置くことができず、大和国は実質的に興福寺の支配下にあり続けたとのことだ。

興福寺は創建以来たびたび火災に見舞われたが、その都度再建を繰り返して今に至っている。明治元年(1968年)の神仏分離令により全国に廃仏毀釈の嵐が吹きまくり、興福寺も大打撃を受け、広大な敷地の一部も奈良公園として没収。その後、行き過ぎた廃仏毀釈が反省され「古社寺保存法」が公布されると、興福寺の諸堂塔の建築・修理などの整備が始まった。修復整備は現在も続いており、1998年に世界遺産登録されてからは、そのピッチがあがっている。国宝館は2010年にリニューアルオープンとなり、中金堂が再建中、さらには南大門の再建が計画されている。それらの再建には何十億円という莫大な費用がかかり、一般からの勧進も行なわれていると聞く。せいぜい5年単位ぐらいでしか物事を考える余裕のない中に暮らしていると、時には、こうした綿々と続く世界を学ぶことの大切さを感じる。

1300年以上も続く興福寺の歴史の変遷に思いを馳せ、我々一行は国宝館をボランティアガイドの説明を受けながら見学した。阿修羅像の意外な小ささに驚きながら外に出ると、金木犀の芳香がどこからともなく漂ってきた。(11-10-13)


金沢市 尾張町

2011年09月14日 | 

「十六夜の月煌々と夜明け前」

 

日本列島の南の湿った高気圧が張り出し、金沢でも連日30度をこす真夏日が続いている。日中の暑さには参るが、朝晩はさすがに秋の気配を感じるようになってきた。

今年の中秋の名月は好天気に恵まれたため、実にくっきりと味わうことが出来た。日頃、月など気にもしない輩も、さすがに「今日は満月だね・・・」と話題に出す。こんな時、日本人の中にすり込まれているDNAを感じるのは私だけではあるまい。ところで旧暦の月の呼称には立待月・居待月・寝待月など実に趣のある名前が付けられているが、中でも十三夜と十六夜の呼び名には、十五夜よりも一層人を惹きつける響きがある。

十六夜の昨夜、早く寝たためか、夜明け前の4時ごろに眼が覚めた。部屋のカーテンを開けると、西の空に十六夜の月が煌々と輝き、まだ寝静まっている街を照らしている。兼六園での観月会もそれはそれで良いものであろうが、一人で見る夜明け前の十六夜の月も、それに劣らぬ魅力的なものであった。(11-9-14)


DRC

2011年01月07日 | 

「神無月背伸びして飲むグランヴァン」

 

ロマネ・コンティといえば、ワイン好きなら一度は飲んでみたいと思う夢のワイン。そのロマネ・コンティを産出するDRC社が提供する超レア物のワインを飲む機会があった。

DRC社はブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネ村に、ロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾーの6つの特級畑を持っている。通常は、それぞれ畑で育てたぶどうから6つのクリュ格付けのワインをリリースして、使わなかったぶどうは他所に売っている。しかし、ぶどうの出来が特別に良かった年に限っては、グラン・クリュとしては使わなかったぶどうをブレンドして作った特別なボトルをヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュの名で売り出している。1999年が最初で、その後は2002年、2006年が作られている。

今回飲んだのは、その2002年物。5年程前に福岡でロマネ・コンティを飲ませていただいたことがあるが、その時は飲むまでの期待が余りにも大きかったせいか、あるいは飲むタイミングが少し早すぎたせいか、実際に飲むと旨いことは旨いが何十万円までの価値があるかというと、その評価は分かれるところだった。それに比べると、このボトルはプルミエ・クリュの表示にはなっているが、実際には6つの特級畑のぶどうで作られている。いわば、6本のDRCのグラン・クリュをブレンドして飲んだようなもの。ただ、このワインもそれなりの価格だ。おいそれとは飲めない。神様がいない間に秘蔵のワインをこっそりと飲んだような、申し訳ない思いを感じた。(10-11-20)


京都 銀閣寺

2010年11月09日 | 

「閣上を守りて久し暮の秋」

 

秋、恒例の家族旅行で京都に出かけた。妻のお供でパン屋を数軒回り、京都駅で待ち合わせた娘をピックアップした後、ホテルのチェックインまで時間があったので、夕刻時の銀閣寺を訪れた。

実は、「銀閣寺」という呼び名は俗称で、正式な寺としての呼称は「東山慈照寺」だということを、恥ずかしながら今回改めて知った。室町幕府の8代将軍足利義政は、1473年義尚に将軍職を譲り、1482年から東山に山荘(東山殿)の造営を始め、この地に移り住んで書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送った。現存する当時の建物は観音殿(銀閣)と東求堂の二つであり、双方とも国宝に指定されている。「銀閣」として知られる観音殿は二層の宝形造、柿葺で、書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物である。閣上には青銅の鳳凰が東面して設置されており、観音菩薩を祀る銀閣を今も守り続けている。

印象的だったのは、銀閣よりも庭園の「銀沙灘」と「向月台」と称される二つの砂盛りの方であった。銀沙灘(ぎんしゃだん)は白砂を敷き詰めた表面に大胆な縞模様をつけたもの。一方、向月台は白砂を円錐状に盛り上げ、頂を水平にカットした富士山的な形の構築物である。共に江戸時代後期に造られたと解説書にあるが、その一種モダンな造形は歴史ある建物や枯山水の庭に不思議とマッチしている。講釈できる知識を持ち合わせてはいないが、ワビサビの世界と江戸風の小粋さをコラボさせようとした、造園師の気概のようなものを感じた。(10-10-30)


沖縄 名護ブセナ沖

2010年11月09日 | 

「得手に帆をデッキを渡る風は秋」

 

季節はずれの台風の動きが心配された10月下旬の沖縄旅行。まずは、那覇空港ビルの郷土料理店「天龍」でソーキそぱを食べた後、レンターカーで名護のザ・ブセナテラスに到着すると、ホテルのロビーを吹き抜ける海風の爽やかなこと。ブセナテラスはロビーをはじめ宿泊棟の造りが実に開放的で、ハワイなどの海外のリゾートに到着したかのような雰囲気を与えてくれる。

我々は夕食までの時間、44フィートのカタマランをチャーターしてブセナ沖のクルージングを楽しむことにした。「台風が近づいてきていますので、沖は波と風があるかもしれません」と出航前に説明を受けたが、当日の海は程よい波と風のクルージング日和で、早速クルーが用意してくれているオリオンビールで乾杯!となった。

沖縄の海はなかなか侮れない。夏場の海が一番安定しているのであるが、ご承知のように台風の進路にあるため、旅行の日程によってはホテル内に足止めとなってしまう。又、冬は季節風も強く、天気は良くても観光用のクルージングは中止となることが多いときく。ヨットレースでの遭難事故などもあり、歴史的にも東シナ海は「荒れ狂う海」のイメージがある。この日は気温も25度以上となり、沖縄はいまだ「夏」なのだが、雲は刻々と形を変え、デッキを渡る風には秋の気配を感じた。(10-10-26)


ハイアット・リージェンシー・ワイキキ・リゾート・アンド・スパ

2010年10月23日 | 
「潮騒や名残の宵の月明かり」



4泊6日のハワイ旅行も、あっという間に最終日の夜になってしまった。宿となったホテルはワイキキ・ビーチに面するカラカウア通り沿いの中心部にある高層ツインタワーのハイアットリージェンシー・ワイキキだ。1230室を備えるビッグホテルは、JTB利用のメインホテルの一つになっている。あらゆる設備が整っており、日本人のツアー客も何一つ不自由なくホテルライフを楽しむことができる。

3回やったゴルフ。、カートで食べるスパムむすび、インターナショナル・マーケットプレイス奥の屋台のプレートランチ、マッキーズのガーリック・シュリンプ、一見客ではとても入れない裏通りにあるサイド・ストリート・インの鳥のから揚げなどの予想以上の旨さ。ハレクラニでのサンセット、チャートハウスのロブスターで味わったの贅沢感。「ゴルフ」と「B級グルメ」と「ちょっとした贅沢」という今回のハワイ旅行の企画は、万全な準備もあってどれもが印象深く満足のゆくものだった。

オアフの魅力は、爽やかな気候と青い空と海、加えてワイキキの街の雑踏。それらの渾然一体となった非日常感にある。
ホテルの32階の部屋のラナイのイスに座り、半月の月明かりを浴びて、バッドワイザーを片手に、絶えることのない潮騒を聴きながら残り時間少ないハワイ滞在の名残を惜しんだ。(10-10-14)

アラワイ・ヨットハーバー

2010年10月22日 | 
「ハーバーにマストのゆれて秋入日」


ハワイ4日目の夕食は「チャートハウス」。目の前がアラワイ・ヨットハーバーという、いかにもハワイらしい絶好のロケーションにあるレストラン&バー。新鮮なシーフードが楽しめ、リピーターも多い人気店で、ハワイを訪れる度に行きたくなる独特な雰囲気のある店だ。

待ち合わせまで時間があったので、ヨットハーバーの周辺を散歩することにした。位置的にはワイキキとアラモアナショッピングセンターの中間にあり、ワイキキの山手を流れるアラワイ運河が海に注ぎ込む所になる。
マリーナの規模は大きく、40フィートを超える大型艇がゴロゴロと係留されている。ロスとホノルル間で争われるトランパシフィック・ヨットレースはダイヤモンドヘッド沖がフィニッシュラインとなっており、アラワイ・ヨットハーバーにあるハワイヨットクラブのクラブハウスで、毎回歓迎のレセプションが行われている。
古い話としては、石原慎太郎と裕次郎兄弟のクルーザー「コンテッサ」のホームマリーナでもある。最近では小室哲也の大型ボートもここにいるとか。クルーザーとは成功した男どもの玩具なのかもしれない。無造作に係留されている豪華船の数々。きっと、それぞれに様々な思い出とエピソードが詰まっていることだろう。
ハーバーの前の海は、海に向かって右が「アラモアナボール」、左が「カイザース」というサーフスポットになっており、海は夕暮れまでサーファーたちで賑わっていた。

ハワイのサンセットは本当に美しい。夕日に染まるヨットのマストの影が水面に揺れる景色はいつまでも眺めていたいほどで、忘れられない思い出の一つとなった。(10-10-14)

ハレイワ/エビ屋台「マッキーズ」

2010年10月22日 | 

「天高く人も肥ゆるやエビ屋台」


3日目は団体行動で、バスをチャーターしてノースショアのハレイワへ。お目当てはエビ屋台。ノースショアのカフク周辺ではエビの養殖が行われており、新鮮なエビのプレートランチを出すバンの屋台が目白押し。ホノルルからは車で1時間半ほどの距離。雑誌にこれでもかと紹介されているため、日本人の観光客も多い。

我々がリサーチしていた屋台は「ジョバンニ」。しかし、チャーターバスのガイドは「マッキーズ」が一押しだという。当然、反対する理由も情報もない。我々はすばやく方針変更して「マッキーズ」へと向かった。道路沿いの広場に派手なペイントを施した大型バンが止められており、日差しを避けるためのテントの下に簡単なテーブルがセットされている。人気のメニューはガーリック・シュリンプにサラダとパイナップルとご飯が付いて11ドル。秘伝のタレで調理するエビは、臭みもなくガーリック味も強すぎずに日本人好み。隣にあるセブン・イレブンで買い求めたコナ・ブリューイング社のロングボート゜・アイランド・ラガービールとの相性もバッチリだった。青空の下でむさぼり食うガーリック・シュリンプの旨いこと。

マッキーズのシュリンプはホノルル・マガジンの「ベスト・シュリンプ・トラック・オブ・オアフ」にも選ばれており、人気の秘密は家族がエビの養殖を営んでおり、どのエビが食べ頃か知り尽くしていることにある。屋台を馬鹿にしてはいけない。ホノルルの澄ましたレストランより味では屋台の方が勝っている。
例えれば、伊勢は鳥羽の牡蠣屋台「浜英水産」の趣きではないだろうか。(10-10-13)


ハレクラニ・ハウス・ウィズアウト・ア・キー

2010年10月22日 | 
「夕闇や浜に流るる唄涼し」


会社の創立25周年記念の社員旅行でハワイに出かけた。4泊6日の日程で、1日だけは団体の統一行動。あとは自由ということで、我々は、旅行のコンセプトを「ゴルフ」と「B級グルメ」と「多少の贅沢気分」ということに決め、万全なリサーチを重ねた上でオアフ島に到着した。

2日目の夕方は、名門中の名門リゾートとして評価されているハレクラニのガーデンテラスである「ハウス・ウィズアウト・ア・キー」で一杯やりながら伝統のハワイアン・ミュージックとフラダンスを見ることとした。良く冷えたシャルドネと思い出に残るサンセット、元ミスハワイのカノエ・ミラーさんの優雅なフラ。それは喧騒のワイキキ・ビーチとはまるで別世界だった。

ハレクラニとはハワイ語で「天国の館」を意味する。名門リゾートとして評価される所以は、ダイヤモンドヘッドを見渡せる絶好のロケーションもあるが、何と言っても、そこに流れる上質な空気感にあるのだと思う。我々はここに居るだけで、何故かハレクラニの常連客のような気分を味わった。(10-10-12)