「はたはたを丸ごとかじる朝の膳」
山本益博のエッセイ集「味な宿に泊まりたい」(新潮文庫)に山中温泉のかよう亭が紹介されている。「焼物がはめ込まれた石段がS字に曲がり、それを上がって宿に入った。水が流れる中庭を囲むようにして客室がわずか10室だが、旅館の敷地は一万坪もあるという。部屋から眺められる自然そのままの裏山まで『かよう亭』の敷地とのことで、その景観はまことに気持ちが良い・・・」と、山本益博の筆遣いはなかなか達者だ。
紹介の中で、風呂にも夕食にも最上級の賛辞を贈っている山本が、それ以上に絶賛しているのが朝食である。「・・・・・、そこへ、はたはたの風干しが運ばれてきた。目の前に置かれたとたんに香りが立ち、はたはたには十分にあぶらがのっている。焼きたてである。干物のうまみを存分に含んだはたはたは、ほかのおかずに目がいかなくなってしまうほどの美味しさだった。これとて、焼きたてのこのタイミングあってこその美味しさに違いない。朝ごはんの焼き魚をこんなに気を遣って出す旅館は、いったいどのくらいあるだろう。私ははたはたの味にしびれながら、それ以上に、宿のサービスに感動してしまった・・・・」
はじめて味わってみた「かよう亭」の朝食は、山本益博のエッセイそのままだった。けっして豪華ではない。沢山の皿が並んでいるわけでもない。実に普通でさりげない、なのに、この贅沢感は何だろうか。山本益博の言うように、この朝ごはんをいただくために泊まってみる価値がある宿である。(12-12-8)