桃太の一写一句

駄句が一枚の写真で様になるか!?

山中温泉 「かよう亭」

2012年12月25日 | 

「はたはたを丸ごとかじる朝の膳」

 

山本益博のエッセイ集「味な宿に泊まりたい」(新潮文庫)に山中温泉のかよう亭が紹介されている。「焼物がはめ込まれた石段がS字に曲がり、それを上がって宿に入った。水が流れる中庭を囲むようにして客室がわずか10室だが、旅館の敷地は一万坪もあるという。部屋から眺められる自然そのままの裏山まで『かよう亭』の敷地とのことで、その景観はまことに気持ちが良い・・・」と、山本益博の筆遣いはなかなか達者だ。

紹介の中で、風呂にも夕食にも最上級の賛辞を贈っている山本が、それ以上に絶賛しているのが朝食である。「・・・・・、そこへ、はたはたの風干しが運ばれてきた。目の前に置かれたとたんに香りが立ち、はたはたには十分にあぶらがのっている。焼きたてである。干物のうまみを存分に含んだはたはたは、ほかのおかずに目がいかなくなってしまうほどの美味しさだった。これとて、焼きたてのこのタイミングあってこその美味しさに違いない。朝ごはんの焼き魚をこんなに気を遣って出す旅館は、いったいどのくらいあるだろう。私ははたはたの味にしびれながら、それ以上に、宿のサービスに感動してしまった・・・・」

はじめて味わってみた「かよう亭」の朝食は、山本益博のエッセイそのままだった。けっして豪華ではない。沢山の皿が並んでいるわけでもない。実に普通でさりげない、なのに、この贅沢感は何だろうか。山本益博の言うように、この朝ごはんをいただくために泊まってみる価値がある宿である。(12-12-8)


越前 三国温泉

2012年12月06日 | 

「漁火の海坂にゆれ冬の月」

 

江戸後期の享保頃から明治時代にかけて約150年間、「北前船」が日本海を無尽に駆け抜けた時代がある。北前船は天下の台所・大阪をかかえる畿内から稀代の物質の宝庫であった蝦夷地までの長航路を行き交う水運の要であり、近江商人の流れを汲む廻船問屋を中心に行われていた。福井から大野に広がる広大な福井平野を従え、その平野を貫く九頭竜川・足羽川・武田川といった大河の流れ込む三国は、越前の物資輸送を一手に担うことができ、当時の最高の中継基地としての機能を備えており、何百を数える廻船問屋が栄えいてたという。

そんな三国の廻船問屋の一つに「刀根家」というものがあり、その流れを汲む「望洋楼」で、越前蟹コースを味わう機会を得た。越前蟹の漁は11月6日が解禁。午前0時に漁場が解禁となるため、前日の夜の9時ごろから漁場を目指して船が出港となる。この瞬間を迎える漁師たちの心の高ぶりは特別のものらしい。ズワイガニの生息場所は水深300メートル前後で、10回以上の脱皮を繰り返して大きくなる。越前蟹が美味しいのは、三国沖の漁場付近の地形が段々畑のようになっており、蟹にとって生息しやすいことと、港からの距離が近いため、採った蟹が当日朝のセリに間に合うことによる。 

三国港越前蟹の黄色のタッグが自慢げについたズワイの茹では、期待を上回る旨さだった。尚、写真の漁火は、残念ながら蟹ではなく烏賊船のもの。(12-11-16)