ETSU の 宝箱

日々のいろんな宝物をお知らせします。

土曜日

2009年02月28日 22時12分53秒 | Weblog
今朝も、やっぱり早く目が覚めた。
もう大丈夫かと思ったけど、やっぱり怖い気持ちと、不安は消えてない。
最近、何冊かの本を読むようになって、何度も何度も同じところを読み直し、自分に言い聞かせるように読む。
そして、心を落ちつかせる。
私の人生でこんなに本を読むことなんてなかったのに、毎日読むようになった。
「手術すれば治る」を信じてそれ以上は考えないようにしなきゃ!

知也が、手術までの体力を心配してた。この2ヶ月で、かなり精神的にダメージがあったのと風邪ぎみですぐ疲れてしまう。手術までに体力つけないと・・
それと風邪も治そう。

あれ なんか前向き



決めた。

2009年02月27日 21時57分41秒 | Weblog
大阪からお母さんと、知也、知也のおかあさんと愛知がんセンターにのりこんだ。
「でかっ」って思った。
受付してる時に気がついた。いつも持ち歩いている、ばあちゃんの写真のお守りを忘れた
たった、それだけでへこみそうになったけど、見渡すとみんな同じ病気の人なんだと思うとなんか言葉はなくても、つらさや悲しみはみんな一緒なんだと思えて冷静に待合で座れてた。
しばらくして、先生に呼ばれて、はっきりと「がん」宣告をされて、すぐに手術の話になった。
まだ、県病院か迷っているのに、いきなりだったけど、話がとんとんと進みとりあえず予約することになりました。

3/24入院 3/26手術

県病院は 4/7 4/14をおさえてるって言ってた。センターにするなら、百の卒業式、入学式、遥の入園はあきらめるしかない。って思っていたら先生が、一時退院して卒業式行ってもいいとの事
入学式も術後の経過を見て、いけるようにしてくれるといってくれた。
その先生は、「無意味な検査なんかしなくていい!つらい思いするだけだから」って考え方、私に「大丈夫だから、だけど長くつきあっていく覚悟はしないといけない」って言われた。なんか、よくわからんけど、この先生にまかせてみようって思った。県病院の先生とちがって、やさしい感じではないけど、病院の大きさも影響したのか「ここでダメならあきらめつくかな」って思った。

決めた。

そして、またまた先生に言われた。この年でこの病気を患うのは不幸なのかもしれないけど
今の状態で発見できたことは本当に幸せなことです。すごいことですって!

これから、がんセンターと長く親しいお付き合いになっていきそう。

私、がんばるよ

























今日は仕事

2009年02月26日 09時51分47秒 | Weblog
愛知のがんセンターは、明日の13時に変更になりました。
肺がんの担当の先生、光富先生から直接電話があり、少しビックリ!
今日は仕事に出ることになった。
変な天気やけど、今日はかなりやることがいっぱい

先週、夜練習に行かなかったら、進に心配かけたから今日子ども達を見に行こう。

穏やかな一日でありますように

2009年02月25日 09時45分35秒 | Weblog
いつものように朝早く目が覚めて、雨の音を聞いて沈んでいると、寝ぼすけ進ちゃんが降りて来て私の横で寝だした。「どうしたの?」って聞くと「えっちゃんこそどうしたの?」って聞き返された。そして二度寝をしはじめた。
本当は、朝早起きしているのだから家事をすればいいのにって思うのだけど・・
朝から手術を、愛知がんセンターで受けるか、県病院で受けるか考えていた。
とにかく明日病院で話を聞いてから・・結論を出そう。
心の重たい朝だけど、遥の保育園の用意をしなくては・・
遥は、私の心がわかるのか、こんな時は、私の側から離れない。そして「えっちゃん大好き!」って何度も言ってくる。遥と、離れたくない。少しの間も離れたくないって思う。
いつも一緒にいる幸せが当たり前過ぎていた私にとって、子ども達と離れて入院する生活を考えるだけでめげていく。
知也から電話があった。
少し前向きになれた。
今日は、仕事に行く日  心おだやかに仕事が出来ますように