干潮の時だけ姿を現す石切場跡は、残波岬に向かう途中の宇座集落にある宇座イノーで見ることができます。イノーとはリーフ(サンゴで囲まれた天然の防波堤)で囲まれた浅い海のことで、海藻や小魚、貝などが集まる豊かな海です。そのため沖縄では昔からイノーのことを「海の畑」と呼んでいます。
そんな宇座イノーにある石切場跡は、「宇座石」と呼ばれる良質な石材が採れる場所でした。宇座イノーの宇座石が盛んに採掘・販売されていたのは、大正時代末期から昭和時代初めと言われています。当時は波照間島の石材が多く流通していたのですが、墓石だけでなく畜舎や石垣など建築石材として幅広く利用が出来る良質な宇座石は沖縄本島内でも人気が高く、那覇や宜野湾、北谷、具志川方面へも出荷されたといいます。
とはいえ宇座石があるのは海の中。しかも潮が引かなければ石は切り出せません。そのため石職人たちは潮が引き始めるとイシアナと呼ばれる採掘場所に集まり、バンジョーガニ(金尺)、ユーチ(石切斧)、チーシ(ハンマー)、チンチョー(石を挟むハサミ)など採掘用の道具を使って石を切り出します。
さらに切り出した石は満潮時の浮力を使って馬車に積み込みます。こうすることによって海の中にある宇座石を効率よく切り出し、遠くまで効率よく運搬することができたわけです。
このように宇座の石切場は良質な石材が採れるだけでなく効率よく石を運搬する方法も確立されていたため、沖縄本島で最大規模の石切場として栄えました。
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