この先は58号線
この先は東村(14号線)
この厳しい急こう配を源河の青年と東村の娘が密会していたんだ!
ある日のこと、約束の時刻になっても源河村の男は現れません。不安になった娘は「もしかしたら、他に好きな女でもできたのでは」と思いこみ、男の村へ行ってみることにしました。するとどうでしょう。恋人の男はヤガナヤー(昔の青年たちの集会所)で村の娘たちといちゃついてるではありませんか。
有銘の娘は「ああやっぱり」と男の様子に絶望(ぜつぼう)しました。すぐにもと来た道を小走りに帰ると、二人がいつも会っていた場所で楽しかった日々を思いめぐらしながら、自殺してしまいました。
一方そうとは知らない源河の男は、彼女が暗い山中で待っているかと思うと、気が気ではありませんでした。当時は、まだ他のシマ(むら)の異性(いせい)との恋愛や結婚がタブーだった時代でした。むらの娘たちを無愛想に振り切るわけにはいきませんでした。そう、男にとって、むらの娘たちとのつきあいは有銘の彼女とのつきあいを隠(かく)すための見せかけでした。
男は頃あいをみてヤガマヤーを抜け出すと、娘の待つ山へと向かいます。でも全ては遅かったのです。男が会えたのは、悲しい勘違(かんちが)いをしたまま死んでしまった娘の亡きがらだったのです。男は驚(おどろ)き、泣きじゃくりました。悔(く)やんでも悔やみきれないこの思いよ。男はやがて意を決して、自分も娘と重なるように、後を追ったのでした。(他に驚きのあまりのショック死の伝承(でんしょう)もあります)
翌日、山仕事で若い男女の亡がらを発見した源河の人たちは仰天(ぎょうてん)しました。そして、この若い男女の純愛(じゅんあい)にいたく同情して木の枝を折って二人の遺体を覆(おお)いました。
恥うすいの恥は、男女のあられもない姿を恥とする考えと、自殺や変死を村の恥と考える立場の二つありその二つの恥を覆い隠して、この話しを他のシマの人々に語らないようにしていたとも言われています。