もむでんブログ

ITと私

昨日・一昨日とITイベント対応の仕事をしましたが、私は社会人になって15年以上ITの仕事をしています。入社当時は「IT」なんて言葉はなく、情報・通信とか呼ばれていましたが・・・。


私とコンピューターの出会いは中学3年生頃までさかのぼります。当時はPCがある家なんてほとんどありませんでした。

その頃は「マイコン」と呼ばれており、「ゲームセンターあらし」で有名なすがやみつるの書いた「こんにちはマイコン」が普及に一役買ったと言われています。

自分もその本を見て、またクラスメートが家にPCを持っていたのを触らせてもらっていたく感動し、親にダメ元で「マイコンが欲しい」と相談したら、貯金をはたいて買ってくれたのでした。


ちなみに「マイコン」とは「マイ(自分の)コンピュータ」とも「マイクロコンピュータ」の略とも言われています。現在の「パーソナルコンピュータ」は、すでにアメリカで呼ばれていた名称らしいですが、NECが早くからその略である「PC」を型式に使い、半分近いシェアを握ったことから次第に広まったのではないかと思います。
当時はNECと富士通、シャープがPC御三家と言われており、その中で圧倒的なシェアを握るNECの入門機PC-6001を到着したときの興奮は今でも忘れられません。

本体定価¥89,800・データレコーダ(カセットテープ式の記憶装置)が¥19,800だったのを、親の知人の電気屋さんで¥85,000で買ってもらった記憶があります。なお、当時の入門機は専用ディスプレイがなくてもTVのアンテナ端子に接続して使えるものが主流でした。

今では信号形式が違うのでコンバーターを使わないとダメですが。

もちろん当時は現在のような個人がネットワークに接続するような利用形態ではなく、デスク上に本体とディスプレイ(TV)を置いてスタンドアロンでプログラミングやゲームを楽しむものでした。

小遣いを貯めてはゲームソフトを買い、時間があればBASICで簡単なゲームを作ったりしていました。

その後アセンブラに挑戦するのですが挫折し、高校生になると街をぶらぶらするのが好きになり、また大学に入学した頃にはファミコンが普及し、一方でPCが16Bitにシフトし高価格化して簡単に買えるような物ではなくなったりと、次第にPCから離れてしまった時期がありました。


そうしているうちに就職活動の時期がやってきました。

時代はまさにバブル全盛、PCの世界ではWindows2.0が出てきて現在の下地を固めている頃です。

割と早い時期から電機や情報通信に絞って活動し、無事現在の会社に入社しました。
そんなこんなで、中学生時に「マイコン」に興味を持ち、父に買ってもらったことがきっかけで現在もその世界で給料を頂いています。

「これからコンピュータを知らないとダメだ」と奮発してくれた父に感謝したいですが、その肝心の父は未だに電源スイッチとマウス以外を操作することができません。


他にもまだ書き足りないことがたくさんありますが、長くなってしまったのでまたの機会にしたいと思います。

コメント一覧

もむでん
ポケコン・・・懐かしいですねえ。
カシオかシャープが主流でしたね。1行か数行しか入力できないのに数万円しました。
でも持ち運べてBASICができるので密かにあこがれていたポケコン・・・。
といまうす
私なんて ポケットコンピューター(略してポケコン)愛用してましたよぉ(~_~;)
今も使われてるんでしょうかねぇ。
(でも 哀しいかな・・・学校で盗難にあってしまいその後は関数電卓なんて使ってた だって買えないんだもの・・ポケコン。)
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