社会に対して愚痴をこぼす部屋

存在意義すら認められない人間が独断的に社会批判。お前さっさと死ねと思われる傍若無人なページ

横浜市長まで辞任かよ・・・

2009-07-30 00:30:42 | 政治
中田市長・・・お前もか。

まぁ、女性問題で訴訟を2件抱えてたり、横浜開港150周年イベントが上手くいってなかったりと、問題抱えてたもんなー。
しかしさ、日本の政治家ってどうして任期を全う出来ないんだろうね。
今度神奈川4区から出馬するであろう、民主公認の長島一由も、その一人。
鎌倉市議を途中で辞めて、逗子市長になって、それも途中で辞めて立候補・・・という形。
今回、中田も国政に乗り換えるつもりらしいけどさ。
んー、そんな奴ばっかりで選びたくても選びたい人がいないってのが、現実だよね。

専業主婦

2009-07-27 23:35:17 | 経済
「専業主婦が無料奉仕なのはおかしい」 by.AERA

まぁ、アエラはネタ的に面白いことを書きたかったんだろう。
だってアエラだし。
どこにでもあることを雑誌の記事には出来ないしな。
ところがこんなの蔓延したら、絶対結婚しない男性が増えるだろう的な記事なので拾ってみた。


今回のご夫婦は、夫がフルタイムで働き、妻は専業主婦。
そして夫は弁当代として妻に400円支払ってるという話。
妻の言い分としては「専業主婦が無料奉仕なのはおかしい。明日から昼の弁当代としてお金を請求します」とのこと。
ちなみ夫は小遣い制で月5万円。

あたしが夫の立場だったらどうするか・・・ね。
とりあえず離婚という選択肢がまず頭に浮かぶだろう。
しかしそれでは、なんとなく釈然としない。
するわけないだろ?
今まで給料持って帰ってきて、それで妻も生活してたわけだ。
弁当代だって、夫が稼いできた金で材料買ってるんだろ?
作るときに使用するであろう、ガス代、電気代、水道代諸々…。
全部夫が稼いできてくれているからこそ、使えるわけだ。
まさか(妻は42歳だそうだが)42年間タダで使えると思って生きてきたわけじゃなかろう。
家が持ち家だか借家だかは知らないが、そこに住めているのも夫の給料があるからこそ。
家賃、水道、光熱費…全部ちゃんと払ってるんだよね?
だから弁当代とか徴収出来るんだよね?

常々思っていることがあります。
夫が稼いできた金を、なんで妻が勝手に中間搾取して小遣い制とかにしてるの?
夫が稼いできた中から、生活費もらってやりくりするのが主婦なんじゃないの?
もし自分が稼いだ分を夫に一回渡して、小遣い制にされても納得するの?
その辺がなんか納得できない。

あたしは人に奢られるのとかすごく苦手で、自分にお金が余りなくても出来るだけ割り勘にしてもらう。
相手が目上の人でも出来るだけは。
まぁ、奢るのが好きな人もいるからね。
そういう人には大人しく奢ってもらうけど。
貸し借りを作りたくない。
それは夫婦間でも同じじゃないかと。
となると、やっぱり夫の小遣い制には納得できないんだよなー。



夫婦別姓

2009-07-26 00:17:07 | 政治
7月22日付朝日新聞声欄より。

大学職員  久保 文 27

「民主の政権公約 夫婦別姓見送り」を読んでの投稿です。
何でもこの方は昨年結婚するときに、別姓での結婚を夫側に交渉したけれど、反対を押し切れず夫の姓で入籍したらしいです。

そして何が凄いって、その後ですよ。



「職場で旧姓を使わせて貰っているが、通称に過ぎない」
「カード支払い時のサインや病院での呼び出しなどで、夫の姓を名乗らされる度に嫌悪感とやるせなさに襲われる」
「自分を失ったような虚無感を感じながらの人生など、これ以上考えたくはない」



あたしが夫だったら、この投稿読んだ瞬間に、役所に離婚届貰いにいくわ。
そんなに夫の姓が嫌だったら、妻の姓に出来なかったのかね?
多分妻の姓になってたら、夫が今の自分を同じ思いをして苦しむとか、絶対考えないんだろうな。
そこまでこだわるんだったら、ずっと同棲しときゃよかったじゃん。
日本にいる限りは、現行法上夫婦別姓にはできないんだし。
そもそも日本って国は、個人単位じゃなくて家単位で結婚するもんだったからね。
今だってその根本的な部分は変わってない思うよ。
少なくともあたしが婚約して・・・のときは「まだまだ家単位の結婚なんだな」って思い知ったもの。

だけどさ、ここまで言ったら旦那の立場ないでしょ?
ただ姓が変わっただけで人生の意味がないって、どんだけ甘えて生きてきてたんだか、よく分かりますね。
周りが支えてくれて、今の自分があるなんて、微塵も考えたことないんだろうなぁ。
頭の中お花畑かっ!って勢いですよ。
人生、もっと辛い思いをすることっていっぱいあるよ。
今までの27年間が楽をしすぎてるんだよ。
と、小一時間ばかし説教したい。

女が発言権持つと、ロクなこと言わないからなー。
いいんじゃね、まだまだ日本は人権後進国なんだからさ。
現実を受け入れようぜー。


衆院解散

2009-07-21 23:42:06 | 政治
いよいよですね、総選挙。
どうせ民主が勝つんだろうな。
都議選の結果見てるとね。

このまま自民でいいとも思わないけど、それ以上に民主になったらどうなるんだろうと危惧しています。
気付いたら在日に選挙権とか、堂々と生活保護受けられるようになったりとか、果ては北への経済制裁解除とか、色々とヤバい想像しか出来ません。
あと忘れかけていた従軍慰安婦に保障とか、北朝鮮拉致問題とか、色々蒸し返したりしてきそうな予感…。

「日本は日本人の為だけにあるわけじゃない」って言った人が首相になっちゃうの?
怖いよ、マジで。
これからは賄賂を受け取るのもOKになるんかね?
ああ、寒気がしてきた。

日本沈没も時間の問題か。
ま、もう半分沈みかけてるから一遍沈ませちゃって、新しいのを作るってのでもいいか。
誰が作るんだか知らないけど。所詮、泥舟な気もする所が悲しい。

皆さん、とにかく選挙だけは行きましょうね。
自分が信任出来る人がいないのなら、白紙で十分です。
何よりも政治に目を向けてこなかったからこそ、今の日本はおかしなことになってるわけですから。
国政選挙なのに、投票率が50%を切るなんてね。
国民の過半数は「自分が入れたってどうせ変わらない」とでも思ってるんでしょうが、そんなことないです。
残り50%がちゃんと投票に行って、自分のスタンスをハッキリさせたら、こんな国でも変わると思いませんか?
一人一人がきちんと政治に参加しないで「どうせ変わらない」と言ってるのは愚策ですよ。
もし残りの50%全員が白紙投票だったら?
きっと面白いことになるでしょうね。
って、そんなくだらない理由でも投票に行く価値はあると思いますよ。

大人よ、しっかりしろ!

2009-07-09 21:45:50 | 教育
子供の躾って親がするものだろう。
ということは、その親がダメだったら子供もダメになる確率は高い。
まさに負のスパイラル。

DQNに育てられた子供が、天才的な科学者や文学者なんかになると思うか?
普通は思わない。
もし子供にそういう才能があっても、親がおバカだから気付かないとか、本気でありそうだから怖い。
「鳶が鷹を生む」って、鳶だから生まれたわけだから。
DQNの場合、親が既に鳥じゃない可能性が考えられる。
鼠から鷹はさすがに生まれそうもない。(鼠よ、変な例えで使ってすまんw)

物事を表面的にしか捉えられない人が、ホントに増えたと思う。
自分で考えることをしない人。
一時はそれでいいのかもしれない。
しかし子育てがそれでいいのだろうか。
一人の人間を育てるのは、物凄く大変なことだろう。
大変なことだとは思うが、自分で躾をせず、学校に丸投げだとかいう話を聞くと呆れ返る。


珍名もそうだ。
ピカチュウと名付けられた子供は、大人になってどう思うのだろう。
名刺交換して、相手がピカチュウという名前だったら…。
もし私が社長だったら、その会社との取引を止めるかもしれない。
そんな珍名、どう考えてもまともじゃない。
これから先の取引を考えたとき、会社の姿勢としてピカチュウを雇っているのはどうかと思うからだ。
さすがにピカチュウを雇っている会社は、信用出来ない。
護衛用にでもすればいいかもしれないがw

子供は一人で大きくなるわけじゃない。
周りの大人がきちんと、教えなければいけないことを教えておかないと、数十年後の日本は犯罪大国になっているかもしれない訳だ。

ここのところ「誰でもいいから殺したかった」人がいっぱい出てくる。
それは人間関係が希薄になり、愚痴を聞いてくれる相手もいないからなのかもしれない。



超個人主義。
この時代は長く続くのだろうか…。


キッズ車両って・・・・・はぁ??

2009-07-08 23:10:02 | 政治
ホントに、女の国会議員て馬鹿だけしかいないのな。
何だよ、女性専用車両でも飽き足らず、キッズ車両とかいうのまで作る気か?
女性専用車両には子供も乗っていいんだぞ?

こうやって、男性差別はどんどん助長されていくんですね。
てかさ、もう女性が社会進出するのとか止められるようにしとけ。
めんどくさいから。
女は家で大人しくしとれ。
社会に関わりたいなら、もっと闘え。
甘えるのもいい加減にせいよ。

国はもっと根本的なことを直せよ。
ガラガラになるであろうキッズ車両とか作る前にさ。

これが選挙の為に、少しでも票集めしようとしてるならこんな国捨てるわ。
ってぐらい酷い。

もうこの国の全男性去勢しちゃってさ、女性だけの社会にしちゃえば。
そうすりゃ痴漢もないし、女性専用車両なんてものもなくなる。
んで、子供も生まれないからキッズ車両も必要なくなる。

ほら、それでいいじゃん。
一回国潰さないと、この国もうダメだろ。

ココロの中

2009-07-02 23:28:05 | 政治
毎日毎日、死にたいと思う。けれど、実際死ぬことはない。
ただただ病気に甘え、誰かに頼り、何かに依存して生きている。
本気で死ぬ気なら、何度でもチャンスはあったはずだ。

何度死のうと思ったか、そして何度実行しようと思ったか、実行して失敗に終わったか。
本気で死ぬつもりなら、もう私はこの世にいないはずだ。だが、なぜか生きながらえている。

その理由はしごく単純。



本気で死のうと思っていないから。
本気で死ぬなら、列車に飛び込んだり、高いところから飛び降りたり…。中途半端にリスカをしたり、ODをしたり…。一回首を吊ろうと思ったが、苦しくてやめてしまった。
この中で、一番実行率が高いのが首吊りだろう。冗談にならないからだ。
ODやリスカで死ぬことはない。
そんなに強力な薬を医者が出すわけがないし、リスカで血が流れるなどごく微量だ。そんなもので死ねるわけがない。本気で死ぬ気なら、手首を切り落とすくらいしていたはずだ。腹を刺すにしてもそう。
いつも「死ぬ死ぬ」言って、周りからの注目を集めたかっただけだ。私は悲劇のヒロインを演じていた。とんだ茶番劇だ。周囲をどれだけ心配させ、振り回し、疲れさせ…。
これまで生きてきたのに、その前の繋がりが一切ない。私は世間から一旦は抹消された人間なのだろう。


だが、それでも新しく友人になってくれる人もいる。それは私の、最悪な時期を知らないから。
最悪の時期を知る友人は、どんどん私から離れていった。
今でも友人と呼べる、昔からの友人…。
最近は連絡も取り合わず、何をしているのか分からない人が圧倒的だ。もうすでに友人ではないのだろう。
ある女性など私からの連絡は一切無視。私はなぜそんな態度を取られるのか全く分からない。失礼があったら詫びると言っても、一向に連絡はない。


自分が成功したから、過去の友人はいらない。特に私のような負け犬は。
自分だって大差ないことをしておきながら、周りにはいい子ぶる。別れた前の彼氏とセックスした話を聞いたが、そんなことを表に出さない。
私は何でも表に出してしまう性格だから、誰に対しても同じように振舞う。老若男女問わず。外見、内面問わず。そんな演技をずっと続けてきた。それがいつの間にか当たり前になり、ストーキングされるような勘違いも起こしてしまった。


だが、女性は私にとって憎むべき存在だ。私をこんな闇の世界に閉じ込めさせた。私はもっと違う生き方がしたかった。それをむざむざと踏みにじったのは女だ。
自分の性に関しても嫌悪を覚えることが多い。
けれど今更、性別を変える気も無い。女として生きてきて、得をしたこと…。自分が気付いていないだけで、多々あると思う。
だが私は女としてこれ以上生きていくのは辛い。女であることをどうしても受け入れられない。
それは何故か。私にとって女性という性は、憎むべき性であり、自分がその憎むべき性であることを、嫌悪せずにはいられないのだ。
誰よりも、世界中の誰よりも、自分のことを嫌っているだろう。
男性…。男性としてこの世に生を受けたかった。もしそうなっていたら、私の人生はこんなに狂わなかったかもしれない。
女性特有の妬み、僻み、そんなものに私はいつも晒され続けた。大して世渡りが上手いわけでもない。容姿が端麗なわけでもない。特に何の才能があるわけではない。
だが、何故か昔から勝手に目立ってしまう。目立ちたくない。平凡に生きたい。そう思ってここまで生きてきた。
だが、世の中に認められて今まで見下して来た奴らを、今度は見返したいという思いもある。ただの負け犬と思われたくない。今まで散々馬鹿にしてきた奴らを、見返してやらなければ気が済まない。



私は何をすべきなのか。どうすれば生きていくことが楽になるのか。夢ってなんだったんだろう。そしてこれから先、生きていかなければならない理由はなんだ?
今すぐに自分の人生にピリオドを打つ。打ちたいと思いながら、それでものうのうと生き続けている。死にたいなら、早く死ねばいいのに。
人生に未練があるのか?死ぬことが怖いのか?
ならばそれを口にするのを止めるべきだ。「死にたい」というのは簡単だ。
ふざけて冗談で言う「死にたい」もあれば、毎日毎日思いつめて「早く死にたい」という「死にたい」もあるだろう。
だが「死にたい」と言えるうちは、まだきっと楽なのだろう。
本気で死にたいと思ったとき、誰かに相談するようなことはない。相談するのは止めて欲しいからだ。つまり「自分の決断ではない。相手が言ったから死ななかったんだ」という自己弁護が成り立つように。
私はいつまで生きていればいいのだろう。天命というものは、いつ終わりを迎えるのだろう。
死にたいと言うより、存在が消えてしまえばいいのにと思う。私の記憶を周囲の皆から全て消し去り、そして自分自身も消えたい。生まれてきたことをなかったことにして欲しいのだ。
生まれなければ、苦しむことも辛いことも経験しなくて良かった。そうすれば希死念慮に支配されることも無かったし、自殺企図をすることもなかった。
今はただ親に心配を掛けたくないという一念で、唯生きている。少し、未来に希望を持っている。今の彼氏と出会えたことが、私を変えたと思う。簡単にキレることも無くなったし、何よりも人を愛するということがどういうことだったのか、それを思い出させてくれた。
だが同時に、かつて愛した男たち…。カズやあつし、様々な男性と付き合ってきたが、この二人だけは何かが違った。カズとは3年半一緒にいたし、お互いに結婚の約束もしていた。カズがその後誰とも付き合わず、結婚せずにいるのを聞くと胸が詰まった。
「お前が居なくなったら俺はどうやって生きていけばいいんだ」と涙ながらに言っていたことを思い出す。
私はそんな彼を裏切ってしまった。彼は私のことを心から愛してくれていたし、結婚のことも真剣に考えていてくれた。確かに私はまだ若かったのかもしれない。けれど、彼と一緒に居たかったと、今でもふと思うことがある。
あの時結婚していたら、私はこんなに辛い思いをしていなかったかもしれない。もう、彼と連絡を取ることは叶わない。私は彼から見たら、すでに過去の人であるし、そしてもうこの世には存在していない、そういう存在なのだ。
私は彼と今でも結婚したかったと、後悔することがある。今まで生きてきた25年間の中で、唯一の後悔だ。私は後悔しない主義だし、小さなことでくよくよしていても仕方がないと思う。
だが、彼のことは何があっても忘れないだろう。最悪の時を支えてくれ、私のことを心の底から、誰よりも愛してくれた人だ。自分の若さが恨めしい。「もし今、彼と出会っていたら…」そう思うとやりきれない。
あつしにも後4年…あと4年早く出会えていたら、あつしは結婚していなかったんだ。子供がいることがやはりネックになった。
母親になる人間が、自分のことを優先して子供のことをほったらかしにするなど、出来るはずがない。彼と一緒にいたのは、本当に短い間だった。だが、それで私は人を愛する心を取り戻せた。
カズのことをずっと心の重荷と感じていた私も、新しく誰かを愛することが出来た。
しかしあの時あつしが現れていなかったら、私は今頃のぶと結婚していただろう。そして金銭的に何の苦労もしていなかっただろうと思うと、あつしに出会えていたことが良かったのか、そうでなかったのか、いまいちどちらとも言えない。だが、結婚したいと本気で思った、二人目の人だった。
今、幸せなのかよく分からない。毎日悩んで苦しんで、それでも彼と一緒にいるべきなのか、彼と居ることがストレスになっていることははっきり分かる。それなのに、一緒にいてもいいのだろうか。分からない。
自分の人生がこれからどうなっていくのか、全く検討もつかないし、自分の運命というものはどういう方向に転がっていくのか、全く予測出来ない。
平凡でいいから、彼と二人、最低限の稼ぎでも二人で一緒にいられるように…。そう願わずに居られない。
今は彼のことを支えるのが辛くて仕方ない時がある。いきなり機嫌が悪くなったり、いきなりキレられたり。疲れることが多くて、本当に付き合っている意味があるのか。そう自問自答することが多々ある。
ただ彼の優しさには偽りが無い。そういう彼を見ていると、凄く優しい気持ちになれるのだ。
だから私は、彼と居ることでストレスを感じることもあれば、和まされることもある。私の人生は、すでに波乱万丈が決定されたみたいであるし、このままなんとなく一緒にいるのも悪くないのではないだろうか。別に結婚にこだわらず、唯一緒に居られればそれでいいのかもしれない。

しかし彼はアスペルガー症候群を患っている。それが原因で今は酷い抑うつ状態にある。
仕事など出来る状態ではない。
障害年金や生活保護を受けなければ、到底生活していかれないのだ。
ところが行政からは判で押した様な答えしか返ってこない。
「仕事が出来ているのだから、障害年金は払えない」
「車とバイクがあるから生活保護は出せない」
確かに特例を認めてしまうと、後々大変だし、平等に…という観点から見たら出すものも出せないのだろうが、上記の問題にはきちんと理由がある。
「仕事が出来ている」のではなく、「仕事をせざるを得ない」のだ。
生まれたとき既に父親は無く、母親も2年前に癌で亡くしている。双子のお姉さんがいるのだが、結婚して別の家庭を築いている。
「仕事をしなければ生きていけない」のだ。
そして二つ目。
車とバイクを所有しているのは事実である。しかし障害のため、バスや電車に乗ることが大変な苦痛になってしまうのである。
健常者の方には想像も付かないだろう。電車という閉鎖された空間の恐ろしさ。見たことのない人間が同じ空間に押し込められている恐怖。視線や話声がどれだけ神経を逆撫でさせるか…。
私自身、境界性パーソナリティ障害と診断され、パニック障害も併発しているから、その恐怖は人事ではないのだ。
確かに車とバイク、両方の所有は出来なくても、どちらか片方がないと外出が難しい。全ての人間の事情も聞かず、一緒くたにすることは無理があるのではないだろうか。

かなり自分勝手なことを書き連ねてきたが、最後にこれだけは言いたい。
弱者を切ってでも、この国は豊かになろうとしているのか。
もう経済的な成長を求める段階ではなく、精神的な成長をしなくてはいけない時期に入っているのではないだろうか。国民一人一人に熟考を求めたい。