とぼけた味がポイントの2代目のおひな様
「ほら、これってニワトリみたいだろう?」
私自身が子どもの頃に殻つきの落花生の尖った部分をくちばしに見立ててニワトリを想像していたから、誰もが同じように想像しているものと思っていた。
息子が5歳の頃だったと思うが、殻つき落花生を食べながら息子も同じようにニワトリの姿を想像しているものと思い込んで聞いてみたが、まだ幼児の息子には理解が出来なかったらしい。
念のために女房にも尋ねてみたが、落花生を食べてニワトリなど想像したことは一度もないとあっさり言われてしまった。
どうやら殻つき落花生でニワトリにイメージを広げていたのは私だけだったらしい。
それなら子どもにも判るようにと、落花生の殻に私が想像で補っていた目玉やトサカなどを色画用紙を切ってつけてみたらやっと息子にも理解出来たらしい。
私はこれまで殻つき落花生を見ても、想像の世界で遊んでいただけで、具体的な形にしてみたのはこれが初めてだった。
頭の中だけで考えているうちのイメージは同じところを堂々回りをしていてそれ以上の発展をしないが、これを絵に描いたり、作ってみたりして客観的に眺められる形にしてみるとこれまでのこだわりから解放されて次の段階に思考が発展する。
小学生だった頃から30才を過ぎるこの歳になるまで、長年ニワトリ以外にイメージの広がらなかった落花生だったが、こうして一度形にしてみるとオンドリ、メンドリ、ヒヨコのファミリーから始まって、パンダ、クマなどなどいろいろな動物になることがわかってきた。
幼かった息子もこの落花生の動物が気に入って、ウサギ、ライオン、ペンギン、象など次々とレパートリーを広げて行った。
一通りいろいろな動物を作り終え今度は幼稚園に通い出した娘の為にお雛様を作り始めた。
娘が生まれた年に女房方のおばあちゃんからお雛様を買ってもらったが、狭いアパート暮しでは段飾りなど置く場所もないから、お内裏様のセットだけしか買っていなかったが落花生のお雛様なら段飾りを作っても机の上にでも置ける。
取りあえず内裏様をいろいろ試作してみるが、どうしても納得のいく人形が出来ない。
かなり手の込んだ衣装を着せてみたが面白くない。
一旦あきらめかけて2~3日放り出しておいたが、TVの料理番組を見ていたときにひらめきがあった。
「素材の味を活かす・・・」
これがキーワードだった。
素材の味を殺さずにその味を最大限に活かすことを考えれば、きれいなお雛様を作ろうとしたのが間違いだった。
衣装に凝り過ぎると素材が出るのは顔でけで、落花生で作った面白さが出せない。
動物たちを作ったときも、落花生の人形はユーモアが身上だった。
そこに気がついた後は簡単だった。
衣装の十二単衣も最大限に簡略化して襟と袖だけで表現するようにし、顔もとぼけた味わいの顔に仕上げてみたら殻つき落花生ならではのユニークなお雛様が出来上った。
この味はまだ幼児の娘には判らないだろうが、女房はいいのを作ってくれたと喜んでくれた。
余談になるが、このお雛様には後日談がある。
それから30年という歳月が過ぎたある日、そのお雛様のことをまだ憶えていてくれた編集者からある雑誌でお雛様の旅という特集をするが、あのときのお雛様がまだあったら貸して欲しいという電話があった。
しかし、落花生の人形は虫が付きやすくもう残っては居なかったが、当時幼稚園児だった娘にもすでに私にとっての孫がいて、その孫の為にまた落花生のお雛様を作ってみようかと思っていたところだった。
締めきり日を尋ねてみると、まだ1ケ月はあるということなので30年ぶりに再度お雛様作りにチャレンジをすることになった。
2度目の製作とはいえ、30年もの空白があるから初めて作るときと同じで、ほとんどの行程が手探りだった。
せっかく作り直すのなら、前の作品よりいいものを作りたい、また娘より可愛い孫の為だからより良いお雛様を作りたいとつい力が入ってしまい、五段飾りが出来上ったときはもう締めきり直前になってしまっていた。
その雑誌が出て半月後に編集部宛に読者から、あのお雛様を売って欲しいという手紙が来た。
孫の為に作ったお雛様で売る気はない旨返事を書いたが、そうでしょうが、そこを何とか・・・と重ねての手紙が来た。
手紙の主は文面から察すると20才代前半の女性らしいが、お雛様の素材がただの落花生と千代紙くらいだから、そんなに高いものではないだろうと気楽に手紙をくれたのだろうが、もし私がそれを売るとしたら、材料費はそれほどではないが、1ケ月近くかかった日当を計算したら本物のお雛様が買えるくらいの値段になってしまうということまで気がついてくれていなかったようだ。
話をまた30年前に戻すと、お雛様を作っているうちに人物を作ると人形とはいえ、より人間臭い表現のできることに気がつき、もう子ども相手の動物作りはやめて、自分のコレクション作りに没頭し始めた。
しかし、この人形作りは国中が揺らいだ汚職事件のために一旦中断することになってしまった。
1976年に日本中が大騒ぎになったロッキード事件があった。
全日空の次期導入予定の大型旅客機の選定にあたって、現職の総理大臣がロッキード社の便宜を図ったという総理大臣の収賄事件である。
私のピーナッツ人形はこの事件に巻き込まれた・・・というのは大袈裟過ぎるが、商社、政商、右翼、政府の高官などへ渡った数十億円の賄賂に円またはドルではなく、ピーナッツという単位(1ピーナッツ=100万円)の領収書が発行されていてピーナッツと言う言葉は当時の流行語にもなった。
こうしてピーナッツはすっかりダーティーなイメージがしみついてしまい、私のピーナッツ人形熱もすっかりさめてしまった。
それから7年経った1983年になってロッキード事件の地裁の判決が出た。
この頃になると、新聞記事にもピーナッツという活字も出てこなくなり、世間も収賄事件とぴーなっつとは結び付けることはなくなってきた。
こうなってくると、私の中にまたピーナッツ人形を作ってみようという気が起きて来た。
前編おわり、以下後編に続く・・・
古典落語「祟徳院」の一場面
「ほら、これってニワトリみたいだろう?」
私自身が子どもの頃に殻つきの落花生の尖った部分をくちばしに見立ててニワトリを想像していたから、誰もが同じように想像しているものと思っていた。
息子が5歳の頃だったと思うが、殻つき落花生を食べながら息子も同じようにニワトリの姿を想像しているものと思い込んで聞いてみたが、まだ幼児の息子には理解が出来なかったらしい。
念のために女房にも尋ねてみたが、落花生を食べてニワトリなど想像したことは一度もないとあっさり言われてしまった。
どうやら殻つき落花生でニワトリにイメージを広げていたのは私だけだったらしい。
それなら子どもにも判るようにと、落花生の殻に私が想像で補っていた目玉やトサカなどを色画用紙を切ってつけてみたらやっと息子にも理解出来たらしい。
私はこれまで殻つき落花生を見ても、想像の世界で遊んでいただけで、具体的な形にしてみたのはこれが初めてだった。
頭の中だけで考えているうちのイメージは同じところを堂々回りをしていてそれ以上の発展をしないが、これを絵に描いたり、作ってみたりして客観的に眺められる形にしてみるとこれまでのこだわりから解放されて次の段階に思考が発展する。
小学生だった頃から30才を過ぎるこの歳になるまで、長年ニワトリ以外にイメージの広がらなかった落花生だったが、こうして一度形にしてみるとオンドリ、メンドリ、ヒヨコのファミリーから始まって、パンダ、クマなどなどいろいろな動物になることがわかってきた。
幼かった息子もこの落花生の動物が気に入って、ウサギ、ライオン、ペンギン、象など次々とレパートリーを広げて行った。
一通りいろいろな動物を作り終え今度は幼稚園に通い出した娘の為にお雛様を作り始めた。
娘が生まれた年に女房方のおばあちゃんからお雛様を買ってもらったが、狭いアパート暮しでは段飾りなど置く場所もないから、お内裏様のセットだけしか買っていなかったが落花生のお雛様なら段飾りを作っても机の上にでも置ける。
取りあえず内裏様をいろいろ試作してみるが、どうしても納得のいく人形が出来ない。
かなり手の込んだ衣装を着せてみたが面白くない。
一旦あきらめかけて2~3日放り出しておいたが、TVの料理番組を見ていたときにひらめきがあった。
「素材の味を活かす・・・」
これがキーワードだった。
素材の味を殺さずにその味を最大限に活かすことを考えれば、きれいなお雛様を作ろうとしたのが間違いだった。
衣装に凝り過ぎると素材が出るのは顔でけで、落花生で作った面白さが出せない。
動物たちを作ったときも、落花生の人形はユーモアが身上だった。
そこに気がついた後は簡単だった。
衣装の十二単衣も最大限に簡略化して襟と袖だけで表現するようにし、顔もとぼけた味わいの顔に仕上げてみたら殻つき落花生ならではのユニークなお雛様が出来上った。
この味はまだ幼児の娘には判らないだろうが、女房はいいのを作ってくれたと喜んでくれた。
余談になるが、このお雛様には後日談がある。
それから30年という歳月が過ぎたある日、そのお雛様のことをまだ憶えていてくれた編集者からある雑誌でお雛様の旅という特集をするが、あのときのお雛様がまだあったら貸して欲しいという電話があった。
しかし、落花生の人形は虫が付きやすくもう残っては居なかったが、当時幼稚園児だった娘にもすでに私にとっての孫がいて、その孫の為にまた落花生のお雛様を作ってみようかと思っていたところだった。
締めきり日を尋ねてみると、まだ1ケ月はあるということなので30年ぶりに再度お雛様作りにチャレンジをすることになった。
2度目の製作とはいえ、30年もの空白があるから初めて作るときと同じで、ほとんどの行程が手探りだった。
せっかく作り直すのなら、前の作品よりいいものを作りたい、また娘より可愛い孫の為だからより良いお雛様を作りたいとつい力が入ってしまい、五段飾りが出来上ったときはもう締めきり直前になってしまっていた。
その雑誌が出て半月後に編集部宛に読者から、あのお雛様を売って欲しいという手紙が来た。
孫の為に作ったお雛様で売る気はない旨返事を書いたが、そうでしょうが、そこを何とか・・・と重ねての手紙が来た。
手紙の主は文面から察すると20才代前半の女性らしいが、お雛様の素材がただの落花生と千代紙くらいだから、そんなに高いものではないだろうと気楽に手紙をくれたのだろうが、もし私がそれを売るとしたら、材料費はそれほどではないが、1ケ月近くかかった日当を計算したら本物のお雛様が買えるくらいの値段になってしまうということまで気がついてくれていなかったようだ。
話をまた30年前に戻すと、お雛様を作っているうちに人物を作ると人形とはいえ、より人間臭い表現のできることに気がつき、もう子ども相手の動物作りはやめて、自分のコレクション作りに没頭し始めた。
しかし、この人形作りは国中が揺らいだ汚職事件のために一旦中断することになってしまった。
1976年に日本中が大騒ぎになったロッキード事件があった。
全日空の次期導入予定の大型旅客機の選定にあたって、現職の総理大臣がロッキード社の便宜を図ったという総理大臣の収賄事件である。
私のピーナッツ人形はこの事件に巻き込まれた・・・というのは大袈裟過ぎるが、商社、政商、右翼、政府の高官などへ渡った数十億円の賄賂に円またはドルではなく、ピーナッツという単位(1ピーナッツ=100万円)の領収書が発行されていてピーナッツと言う言葉は当時の流行語にもなった。
こうしてピーナッツはすっかりダーティーなイメージがしみついてしまい、私のピーナッツ人形熱もすっかりさめてしまった。
それから7年経った1983年になってロッキード事件の地裁の判決が出た。
この頃になると、新聞記事にもピーナッツという活字も出てこなくなり、世間も収賄事件とぴーなっつとは結び付けることはなくなってきた。
こうなってくると、私の中にまたピーナッツ人形を作ってみようという気が起きて来た。
前編おわり、以下後編に続く・・・
古典落語「祟徳院」の一場面