第12話/凧揚げ・後編

2007-02-05 12:27:32 | Weblog
 あくる年の正月、去年のゼブラ模様のゲイラが子どもの心から忘れられず、もう一度作り直すことになった。
 しかし昨年はまぐれ当たりでうまく揚がってくれたが、今年もうまく行くとは限らない。
 細かい部分はまた偶然に頼るしかないが、手順はわかっているだけに完成は早い。
 室内で糸をひいてみると、去年と同じように凧はフワリと浮き上がった。
 しめしめ、こらなら去年の凧にも負けない凧になりそうだ。
 念のために家の外に出てみるが、街の中では電線が邪魔をして糸は5メートルも繰り出せなくて満足なテストは出来ない。
 これ以上の試運転はもっと広い公園に行かねばならない。
 小さな凧なら近所の公園でも揚げられるが、この凧はどこで揚げたらいいのだろう。
 こういう情報は地元で育った女房が詳しい。
 羽根木公園では夏だけでなく、毎朝ラジオ体操をしているとか、代々木公園ではグライダーのマニアが集まっているとか、ボーイスカウトの募集は北沢八幡で毎年9月のお祭りのときに受け付けているなどなど。
 その女房情報では、凧揚げなら駒沢公園だという。
 
 一月の駒沢公園には大勢の人が凧揚げにやって来て、その中には日本凧の会という法被(はっぴ)を着た人もいて、今では珍しいいろいろな和凧も見られるという。
 ところが我が家から駒沢公園はバスで行く距離だが、大きな凧を持ってバスに乗り込むのはひんしゅくものである。
 女房と娘だけを凧の修理用の材料と道具を持たせてバスで行かせ、私は凧を持たせた息子を自転車の後ろに乗せて出かけることにしたが、自転車で走りはじめると大きな凧は風に煽られてなかなか先に進めない。

 今のように携帯電話のある時代ではなく、一旦離ればなれになった家族はもう連絡のつけようがない。
 やっとの思いで公園の待ち合わせ場所についたときには、寒い中で待ちくたびれた娘と女房はすっかりおかんむりだった。

 駒沢公園の空にはいろいろな凧が揚がっていて、女房のいう通り日本凧の会の法被を着た人もいて、ここまでどうやって運んだのか、2メートル近くもありそうな大きなだるま凧を揚げている。
 凧の会のおじさんはもう帰り仕度を始めるのか、だるまの目玉はクルクルと回転する仕掛けの大凧を手元に手繰り寄せていて、私たち家族は自分たちも凧揚げに来たことをすっかり忘れて、大凧が地上に降りてくるまで見とれていた。
 
 さて、自分たちの凧の試運転だ。
 風上に立った息子が糸を持ち、私が風下で高くかかげて手を離すと凧は風に乗ってグングン弧を描いて上昇する。
「やったー! 今回もまぐれ当たりで大成功!」
 私も息子もそう思った。
 ・・・と思ったのもつかの間、グングン揚がった凧は息子の頭の真上をグライダーのように滑空して通り過ぎ息子より風上に着地した。
 糸目の取り方が悪かったようだが、左右のバランスは良さそうだ。
 かねて用意の補修用具を取り出すと、糸目の位置を替えると共に重心を後ろに移すために長い尻尾を付けてみたら、今度は見事に揚がってくれた。
「お父さん、売っているゲイラは普通尻尾は付いていないんだよ」といいながらも、子どもたちの顔は満足げに満ちていた。
 
 一つしかない凧を兄妹で交代で持つことにしていたが、どうしても息子の方が譲らない。
 そこへ、情報係の女房が新情報を持って戻って来た。
「ねぇ、さっきの日本凧の会の人がね、ゴミ箱に捨てられている壊れた凧を修理して、凧を持っていない子どもにあげていたわよ」
 
 なるほど、それはいい考えだ。
 公園内のあちこちにあるゴミ箱には、ちょっと手を入れればすぐに直る凧が捨ててある。
 最近は自分で作るという習慣がないから、壊れた凧を修理をするという発想そのものがなく、当然修理用の道具も持って来ていないから、ビニールが少し破れただけでも、新しい凧を買いなおすしかないようだ。
 骨が1本折れた凧でも、二つの壊れた凧を合わせれば完成品が一つできる。
 中には、糸がからんだだけでも捨てて行ってしまうこともある。 
 これなら、最初から自分の凧は持って来なくても、修理道具だけを持ってくれば凧揚げが出来たね、といいながらゴミ箱から生まれた凧も良く揚がってくれて、兄妹ともに凧揚げを満喫してくれた1日になった。

 ところで、この頃(1970年代)に流行り出したビニール製の洋凧にお正月の空は占拠されて、和凧はすっかり影を潜めてしまったが、変わったのは凧そのものだけではなく、凧揚げにやってくる親子の組み合わせも変わったようだ。
 和凧が主流だったころはお父さんと子どもという組み合わせが中心だったが、誰でも簡単に揚げられる洋凧が流行り出してからは、母親と子どもの組み合わせが多くなって来た。
       *
 時間は一気に流れて2003年のお正月
 息子の方にはまだ孫はいないが、あの駒沢公園のゴミ箱から生まれた凧を揚げていた娘の夫婦が、毎年お正月にはお年賀にやって来ていたが、孫たちが4歳と3歳になったとき、娘も昔の記憶がよみがえったのか初詣での後は凧揚げがしたいと連絡をしてきた。
 60歳を過ぎた私はもう西洋のカイトは嫌だなどと意地を張ることもなく、迷わず3才児でも揚げられるビニール製のグニャグニャ凧(別名フレキシブルカイト)を作って何日も前から孫たちが来るのを待っていた。

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1 コメント

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凧揚げ大会 (piroko)
2009-05-15 09:42:58
もーさん
凧揚げの思い出いいですね。
へそを曲げたり喧嘩したり・・・家族で遊ぶ様子がほほえましいです。
先日、中野広場で行われた凧揚げ大会に行って来ました。青少年指導員の方に作り方を教えてもらいながら子どもたちが自分の凧を作り凧揚げを競っていました。
もーさんのようなやっこ凧やパンダ凧ではなくビニールのキットに自分の名前や絵を描いて、残念ながら心が躍るような代物ではありませんでした。
それでも子どもたちは楽しそうで、それを見るおとなたちも幸せそうでした。空を見上げることが少なくなったのは案外おとなの私たちかもしれませんね。
いつも子どもの心を思い出させてくれてありがとうございます。

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