第12話/凧あげ・前編

2007-01-01 15:21:20 | Weblog
写真の凧は当時わが子に作った凧のいろいろ。
1974年/私の処女出版「手づくり遊び」(保育社・カラーブックス)より

♪お正月には凧あげて、コマを廻して・・・♪
 暮れのうちに散髪を済ませ、お正月になると新しい足袋や下駄をおろしてもらい、新しいシャツに着替えるだけでなく、現在の<満年令>ではなく<数え歳>といって、何月生れでもお正月になると一歳年令が上がるという、お正月がすべての生活の節目になっていて、現在のお正月よりお正月らしかった時代に育った私は、子どもたちにもせめて凧あげだけでもお正月風景として記憶に残してもらいたいと、息子が5才になった頃から元日には凧を作ることにしていた。 

 私自身は凧揚げをして遊んだ覚えはあるが、自分で作った凧は小学校の4年生のときに学校で作ったことが一度あるだけだった。

 子どもの頃を過ごした名古屋には四角の凧だけではなく、奴凧、蝉凧、扇子凧などいろいろな凧が町の駄菓子屋で安価に売られていて、凧あげはお正月の風物詩だった。
 しかし、お正月の凧揚げも昭和四十年代になって、ゲイラと呼ばれるビニール製の洋凧が主流になり、和凧はマニアの世界に追いやられるようになってしまっていた。
 そんな風潮に逆らいたくて、私自身凧作りの経験も乏しいのに、難しい和凧作りに取り組んでみた。

 近所の遊歩道にまだ5歳だった幼い子どもを連れ出し、凧を持たせて走らせるがやはり糸目の取り方がまずいのか地面を引きずるだけで凧はなかなか揚がってくれない。
 それでも、夢中で走っている息子は後ろを振り返って見るゆとりはないから、良くあがってるよ、と声をかけてやると私と女房の間を行ったり来たりして、一生懸命凧を引きずって走っていた。
 揚がらない凧でも、息子の体力作りにはそれで充分だったが、やがて二才離れた娘も仲間に入れての凧揚げになると、凧作りが我が家の年中行事として定着してきたが、お父さんの作る凧は格好いいが揚がらないという子どもたちの評価も定着してしまった。
 子どもたちの評価を変えてもらうために、私もこだわりを捨て宗旨替えをしてビニールのフレキシブルカイトを作ってみた。
 別名をグニャグニャ凧ともいい、簡単に作れて誰が揚げても良く揚がる凧で、幼い子どもたちには揚がらない和凧よりこちらの方が気に入ったようだった。

 翌年のお正月は名古屋の郊外にある姉の家で過ごすことになったが、家の周りは稲を刈り終わったあとの広い田んぼで、電線もなく凧揚げには絶好の環境である。
 一度節操を失ってビニール凧を作ってしまうと、どこまでも堕落の出来るもので、あれほどいやだったゲイラとよばれる洋凧を作ってみる気になってきた。
 仕事ではいつでも自分の気持ちがニュートラルな立場を保てるように、政治、宗教にからむ仕事は受けないことを立て前としていたが、このぶんでは金でも積まれればいつでも立て前など崩せそうな気がして来た。

 街に出て洋凧を作る材料として模型飛行機用の角材、凧糸、ビニール用の接着剤などを購入して来る。
 ところで、三角翼の洋凧作りには手本や解説書があったわけではない。
 以前にテレビ番組でハングライダーの解説をしていたときに<翼にたるみを持たせて風を逃がすのが秘けつ>と話していた記憶だけが頼りで、三角形の角度、縦、横の比率などまったくの当てずっぽうだが、<ゲイラを買うのではなく、自分で作るのだから・・・>という自己の変節を正当化する言い訳のためにも困難に挑まねばならない。
 さらに、初めて作ると言うのに、無謀にも三角形の1辺が90センチもある大型ゲイラに挑むことにした。

 先ず角材で骨組みを作り、翼に使うビニールにはごみ袋を開いて息子にマジックインキでゼブラ模様を描いてもらう。
 ゼブラ模様を選んだのは、下書きなどしないで成りゆき任せで描いてもそれなりの模様になり、高く揚がっても目立つからだった。
 模様が描けたら、これまた当てずっぽうだが適当なたるみを持たせて骨組みに貼付ける。
 ここまで出来たところで、軽く浮かせるように持ち上げて調子をみると、一応左右のバランスも取れていて、ひょっとするとうまく揚がってくれるような気がして来た。
 大型のゲイラは売っている凧のように軽くはないが、道糸を取り付けてそっと引いてみるふわりと宙に浮いてくれた。
 しかしこれではまだ安心出来ない。
 これまで作った和凧も室内で糸を引いたときにはどれもうまく浮いてくれたが、外の風に当てるとたちまちキリもみ状態になってしまったのだから。
「早く外で揚げようよ」と息子にせかされて、いよいよ外でのテストに移ることにした。
 裏の田んぼに出る私たちを女房は、揚がるわけもないのにいきなり大きな凧を作ってしまって・・・という冷ややかな顔つきで見送る。
 息子がはしゃぎ切っているだけに、私の不安は増大してくる。

 私が風上に立って凧を高く持ち、息子が糸を持って少し走り出すと、部屋の中での試運転のときのように凧はゆったりと宙に浮き、そのまんまどんどんと高くあがっていく。
 キリキリ舞いどころか、ゆらりともしない安定度でゼブラ模様は上昇して行った。
 これは何かの間違いだ。
 本来なら良く揚がった凧に喜ぶべき場面だろうが、心の隅では偶然でもいいから揚がって欲しいとねがいつつも、試運転の結果を見て調整をしなければなるまいという確信に近いものがあっただけに良く揚がった凧を見て戸惑いの方が大きかった。
 上空の風に乗った凧は、子どもの手には負えない力で糸をくり出して行く。
「ちょっとこの糸を持っててね、お母さんを呼んで来るから」
 息子は私に凧を預けて駆け出すと、やがて「すごいでしょう、すごいでしょう」を連発しながら女房と娘を連れて戻って来た。
 女房もまさかの凧が大空高く舞う姿を半信半疑で眺めていた。

 手持ちの道糸いっぱいまでくり出した凧だったが、お昼の時間になって一度おろすことにしたが、大きな凧の揚力に逆らって糸を手繰り寄せようとしたとき、道糸はぷっつりと切れてしまった。

 切れた糸は地面を這うように遠ざかって行き、息子がそれを追うがなかなか追いつけない。
 偶然の結果とはいえ、こんなに良く揚がった凧を逃がしてなるものかと私もあとから追い掛け、息子の横を駆け抜け稲の切り株に足をとられそうになりながらもようやく凧に追い付いた。
「お父さんは、いざとなったらすごく速いんだね」
 凧をおろして家に戻る途中、息子は目を丸くして驚いていた。
 ふだん駆けっこをするときは、子どもたちに花をもたせて追い抜くなんてことはしなかったが、今日ばかりは我を忘れて夢中になり過ぎたようだった。
<お父さんの作る凧は格好いいが揚がらない>という子どもたちの評価はすっかり取り消してもらえた凧だったが、Uターンラッシュとなる新幹線に持ち込むには大きすぎ、子どもたちは残念がったが姉の家に置いて東京に戻ることになった・・・。

凧揚げの前編おわり、以下後編は変則的ながら、「第11話/お年玉のもらい方」をはさんでその後に掲載予定です。

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