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日常をつらつらと書き綴ります。2023年こそ、目指せ毎日更新!

そう、いくら努力しても、増えないものだから。

2006-11-03 | Diary
 その理由を書くと憂鬱になるので書かないが、今とても忙しい。忙しいが、暇を見つけて……というか“本来しなければならない”ことをするべき時間を割いてこのブログを更新したりしている。漢字検定など、もう1週間を切ったというのにまだ1ページたりとも書いていない。やろう、やろうと思っていて、しかし1日が過ぎ去ってしまった。不意にJACCSのラジオCMを思い出してしまった。

「ほら、一日過ぎちゃったよ? また新しい一日が過ぎちゃうよ?」

最近、1日を大切にしていない気がする。気を引き締めて、ちゃんと今しなければならないことをこなしていきたい。ま、だとすると今すぐ私はパソコンの前ではなく机の前に行くことになるのだが。



 で、初体験である。これは、「しょたいけん」ではなく「はつたいけん」と読んでいただきたい。決してやらしい話ではない。って、言ってる私がやらしいか(笑)。

 何が初体験かというと、自動車の運転である。私は先日から自動車学校に通い始めたが、入校した次の日である昨日、いきなり実車を運転することになった。いくらなんでも早すぎだろう。そんな突っ込みをしている暇もなく、私は助手席に座った。教程を終えた後大分暗くなった外に出て、昼運転するより難しいじゃん! と思ったが、教習所のコース内は随所に照明が設置されており、運転に支障はなかった。

 初乗車日、教程が終わった後の6時半から車に乗った。教官はパっと見がヤクザに見えた。まあそんなことはいいとして、まずは助手席に座って車体感覚や死角の確認。運転席に座ると、前は5m先からしか見えない、とか、車体と平行に引いた左右輪が踏む線は、左がボンネットの中央、右がアクセルペダルのあたりに一致している、とか。
 次に、教官の運転で車を走らせ、カーブでのハンドル操作の説明。交差点での曲がり方では、右折ではハンドル1回転なのに対し、左折では一杯に回すのが不思議だった。
 他にも、アクセルとブレーキの踏み方などを習った。言い忘れたが、私はMT車の免許を取ろうとしているが、教習の1時間目はまず車に慣れるためにAT車を使って行われた。そして、いよいよ初運転の瞬間が訪れた。ドアポケットに入っている2枚の若葉マークを車体のフロントとリアに貼り付け、準備完了。
 右足でブレーキペダルを踏んだまま、ギアをパーキングからドライブに。左手でサイドブレーキを下ろし、右ウィンカーつけ、ブレーキペダルから足を離す。クリープ現象で車がそろそろと動き出す。足をアクセルペダルへ移動させ、ゆっくり踏む。少し踏んだにもかかわらず、強い力で加速する。すぐに右カーブ。カーブの少し前でハンドルを切って、適当な場所に合わせる。左手は位置を変えず、右手は左手の少し下を握る。カーブが終わる少し前でハンドルを戻す。
 こんな感じで、カーブの走行、右左折などをみっちり行った。教習所内は確か最高速度40km/hだったと思うが、私は常に20km/h以下で、主にクリープ現象で進んでいた。ブレーキはやさしく踏んでいるつもりでもカックンと止まったりして、文字通りカックンブレーキを体験した。

 5分の休憩を挟んで、次はいよいよMT車の運転である。外見上はAT車と見分けが付かないが、番号で100番台がAT車、それ以外がMT車と区別されている。最初はAT車の時と同じように教官がまず運転する。MT車とAT車の最大の違いであるシフトチェンジ動作についてが主だった。停車時に、クラッチを踏まないで最後まで速度を落とし、わざとエンストさせ、エンストを体感した。ノッキングで車が前後に揺れ、ガクンと止まった。おお、これがエンストか、と思った。これは私が後にエンスト王になる、ほんの前触れに過ぎないのだった。
 次に私が運転席に乗り込み、発進。まずクラッチを床一杯に踏んで固定、サイドレバーを下ろして、ギアをニュートラルからロー(一速)に入れる。確かな手ごたえを感じ、手をハンドルへ戻す。右足をブレーキペダルからアクセルペダルへ移動し、1500~2000回転で固定。初めは軽く越えてしまい、苦戦する。この動作はエンスト防止なのだそうだ。そして、クラッチペダルに乗せた足を徐々に上げ、いわゆる半クラッチの状態にする。車がゆっくりと動き始める。3つ数えて、静かにクラッチをつなぐと、車が加速する。初MT車発進はうまくいった。しかし、途中で2度エンストさせてしまった。どちらも発進時で、半クラでノッキングして止まってしまった。また、変速動作に気をとられていると意識がそちらに行ってしまい、カーブでハンドルを慌てて切ってしまったりした。


 2時間以上に及ぶ教習を無事終了し、私は家へ帰った。明日は休みで、土曜に10時と午後2時にまた乗るらしい。私は家が教習所の近所(徒歩3分)なので、一度目の教習の後に帰ってのんびりする時間があるのはありがたい。
 車を運転した感想はと言うと、「すごい」。これは、日頃見ている車、それを運転している人に対してである。実際に自分がハンドルを握って分かったが、簡単そうに見えた車の運転というのは、結構難しい。これはあくまで初めは、の話である。そして、「楽しい」。カーブをきっちり曲がれた時、MT車の発進や変速がうまくいったとき、素直にうれしい。これが車を運転すると言う事なのか、としみじみ思った。

 学科も勉強しつつ、補習せずに合格したい。まずは、明日の教習を頑張りたい。
 今回のエンスト記録:2回。目指せ0回!

ポッキーの呪い

2006-10-31 | Diary
 呪われた日、11月11日。この日に入った最初の予定は、埼玉で行われるロボット競技大会だ。私は当初この大会に行くことになっていた。顧問にははっきりとロボットに興味はありませんと伝えたのに、いつのまにか正規のメンバーに入れられ、部活もずるずると続いていた。

 次に入ったのは、某企業の“制服採寸”とその他。同じ11日に、福岡に集合とのこと。先日、長崎に文芸なんとかで行ったとき、顧問から電話がかかってきて、じゃあ大会には行けないな、という話になった。この採寸とやらは1日かかる。“他”の部分で、面談やら書類配布などがあるからだ。さっさと渡してさっさと帰して欲しい。

 そして、最後に来たのが、というか日にちを忘れていて昨日帰りの列車の中で思い出して一気に奈落の底へ突き落とされたのが、漢字検定(準2)である。11月のはじめに行われるということしか覚えていなくて、昨日試験日を確認したところ、11日。検定料とテキスト代で5000円も払ったのに、まさかの払い損

 昨日、家から帰って母に話したところ、ヒステリック気味に「5000円ドブに捨てたって言うの? それ何とかならないの!?」と言われて、しょうがなく文芸部の顧問に電話した。すると、学校での試験日は10日と言うことらしい。だが、この日は文芸なんとか(コンクールの発表?)があり、帰ってきても試験に間に合わない。ということで、特別に9日に受けることになった。自動車研究部にも、3級を受験していたが、大会でいけないことが分かり、金が無駄になったと嘆いていた後輩がいたので、一緒に受けることになるだろう。

 今日、放課後の部活の時に彼にその話をすると、「えっ、もう受けなくてもいいと思っていたのに…」とアキラメムード。後1週間ちょいで私も猛勉強……すると倒れるのでそこそこ勉強して試験に臨みたい。買ったテキストが未だに無記入なのは内緒だ。


 最近、部活のせい(あくまで)で生徒会の会議に参加できず、合わせる顔がない。明日から自動車学校に通うので、さらに参加しづらくなる。しかも文化祭を控えて忙しくなるというのに。でもまぁ、昨日の会議には参加したが、私はいてもいなくても特に問題ないということ(会議では。)が分かったので、とりあえず今後与えられるであろう仕事を早くこなしていきたいと思っている。


 このところ、帰りが遅く、学校を出ると真っ暗闇だ。私は何をするでもなく顔を上げ、空を見上げる。今日は晴れて雲も少なく、星がたくさん見えた。月は三日月から満ちてきていて、昨日がちょうど半月だったと思う。とても明るかった。ずっと上を見上げていると疲れるが、星や月を見ていると癒される。オレンジ色がかった星かと思うと、等間隔で白く点滅して光り、ああ、飛行機かと気づいたりする。月は白く光るが、付いているか付いていないかという微妙な加減でクリーム色が混ざっている。だから、月の光には街灯にはない温かみがあるのだと思う。
 もうじきすると、校内の木々が紅葉する。1年の時はまったく気にも留めなかったのに、今ではそれが心の隅に置いた小さな楽しみになっている。何が私にそうしたのか、はっきりした理由も原因も言えないが、美しいものを美しいと思える心を持っていることが、私には嬉しい。

2006/10/30

2006-10-30 | Diary
 去年、私は掛け持ちしている2つの部活で、宮崎に2度行った。これを私はシーガイアの呪いと呼んでいる。そしてこの度、新たな呪いが発生した。
 ポッキーの呪い。私はそう呼んでいる。ケータイで文字を打つのが面倒臭いので、詳細は明日書くことにする。

 今日、昼休みに図書室で1年の男女がいちゃついていた。男の方はビニール袋をくしゃくしゃにしたような声だった。注意しようとも思ったが、時間も義理も無かったのでスルーした。帰りに駅でも見かけた時は流石にイラっとした。

久々の休日

2006-10-29 | Diary
 最近は、休日も休日らしく休めなくなっていたので、今日はゆっくりできて良かった。といっても、ただだらだらと過ごしただけだが、そういう息抜きも時には重要だ。

 金曜、内定をもらった某企業の人が学校へ来た。私の世話役というか、案内役というか、相談役というか、そういうことをする人らしい。大卒で入社して3年目なのだそうだ。ものすごい倍率を潜り抜けてきたエリートだった。そしてイケメンだった。で、その彼と話をした。寮とか、“福利厚生”の一環である色々なオトク制度(なんのこっちゃ)、etc...。気さくでとても話しやすかった。卒業まで月一で会いに来るらしい。ご苦労なことだと思った。また、11月には制服採寸に行かねばならない。この日はロボット大会の日とかぶってしまったため、大会にはいけなくなってしまった。まあ残念といえば残念だが、しょうがないとあきらめた。会社のおにいさん(前述の人)も「法事とかそういうの」があれば何とか日程を変更できるそうだが、あいにくそういうのではない。まあいいか。

間に合わない?!

2006-10-29 | Diary
 スリリングな1日だった。
 今日は工業何とか大会で、6:50までに学校に行かなければならなかった。逆算して、6:20に駅に着く列車に乗る。さらに逆算して、5時に起きればまあ間に合うと私は踏んだ。
 しかし、朝4時に目が覚め、電気が付けっぱなしだったので消し、再び布団にもぐりこんだ。そのまま5時を向かえ、2台の目覚ましによって一旦目が覚めるものの、すぐに二度寝してしまった。
 結局起きたのは6時10分。列車は6分前に発車してしまっている。ヤバイ。ということで適当にパンを飲み込んで、6時半に母に学校まで送ってもらった。車の流れは順調で信号にも特に引っかからなかった。道路上に猫かなにかの死骸があり、3匹も見てしまった。
 6:50。学校に着いて、バスに飛び乗った。その後2名ほどまた乗ってきて、出発した。鳥栖工業まで、約2時間弱かかった。

 9時から開会式があり、10時から研究発表のリハーサル。お昼を挟んで1時から発表が始まった。私達の高校は……ええい、もういいや、2番目だった。
 6校の発表が終わり、審査の間持ってきたエコランカーやらロボットやらを片付けて、結果発表を待った。

 閉会式で、各部門の表彰があり、その後に研究発表の表彰があった。ウチの学校は優秀賞だった。最優秀賞だと来年鹿児島である全国大会に行かねばならないらしいので、ベストな結果だったと思う。


 漢字検定の勉強はまったくしてないし、生徒会の会議もサボってばかりだし、ロボットもしばらく続く、文芸はそろそろ部誌の製作、自動車学校は来週水曜から始まる……何なんだ、この忙しさは。卒業まで忙しいのか、私は。

文芸研修会(in 長崎)報告

2006-10-25 | Diary
 書くのがかなり遅れて記憶も曖昧になってはいるが、一応けじめ(何のだよ)として、書き記しておく。尚、この催し(?)は文芸道場九州大会という名前が正しいらしいが、面倒くさいので研修会と以後は記述する。

 19日、朝早い列車で某駅に降りた私は、そこから苦楽を共にする仲間(同じ文芸部員)と合流、しはらくして来た下り電車に乗り込んだ。
 その後、早岐で大村線に乗り換えた。ここから長崎行きの下り電車に乗ったわけだが、下りでも混んでいて、私達は最後まで座れなかった。運悪く通勤通学の時間帯にかぶってしまったようだった。
 客の増減を繰り返しながら、終点長崎に着いた。そこから会場の『活水女子大』まで路面電車で行った。乗って、運賃100円均一で採算が成り立っている理由が分かった気がした。事前に顧問が渡しておいた路線図によると大浦天主堂下が最寄り駅となっていたので、素直にそこで下りた。が、実は築町の方が断然近かったという事実を、後に私達は知ることになる。電停にあった地図と勘(当てにならない)を頼りになんとか私達は活水女子大へたどり着くことができた。というか、その後はオランダ坂を上って、へとへとになった。校舎に入ったのは集合時間の7分くらい前、ギリギリセーフである。

 まず、開会式は小チャペルで行われた。私は教会に入ったことがなく、神秘的な雰囲気を持つそのチャペルにまず圧倒された。ステンドグラスのせいで、まだ朝だというのに室内は黄色がかった夕暮れ色に染まっていた。
 開会式の後、早速部門別に分かれて分科会1が始まった。部門は全部で5つあるが、その中で私は文芸誌部門(以下部誌部門)に参加した。この研修会その1では散策をし、他部門は作品を作ったりするが、文誌部門はただ散策するだけなのでありがたかった。
 活水女子大から、坂を下りて数々の観光地を回った。時間が経ったのであまり覚えていないが、とりあえず大浦天主堂とグラバー園には行った。どちらも観光地だけあり平日にも関わらず人であふれていた。特に大浦天主堂の近辺は修学旅行の小学生やら中学生やら女子高生やらでごった返していた。
 そして、昼は込み合ったレストランで済ませた。私は最初、弁当か何かだと思っていたが、実際には机に大皿が2つほど乗っており、それを皆でつついて食べた。端の席だったが、まん前の席も女子、隣も女子、通路を挟んで顧問(笑)と、かなりきつかった。言い忘れたが、この研修会は文芸部に所属している生徒が参加している。したがって、比率的には女子が多くなる。98%は女子だった。男はメガネを掛けたオタクっぽい奴しかいなかった。
 昼食後、また坂を下って上って小チャペルへ移動。全部門が揃ったところで講演会が始まった。この講演会では、私は少し眠ってしまった。
 講演会後は、分科会2で、また部門ごとに散った。部誌部門は別の棟に移動した。その日は印刷会社の人から部誌を作るに当たっての注意点や各校の部誌の批評などがあった。私のところは表紙とサイズだけ褒めてもらったが、他はダメダメだった。まあ、私も今年の出来は最悪だと自認しているので、妥当な評価だったと思う。
 それはそうと、このとき講師の先生(印刷会社の人)の紹介なんかをした長崎県のどっかの高校の女子生徒の声にドン引きした。一言で言うなら、“ウグイス嬢”。もうとにかく引いた。私もどちらかと言うとしゃべりはうまいほうで、たまにそういう風なしゃべり方をする時もあるが、人が目の前でしているのを聞くと私も考え直さなければなあと思った。人の振り見て…というやつである。講師も、紹介の後「……えっと、もう話していいんですか?」と訊ねていた。それぐらいのインパクトがあった。やばかった。
 で、講師の話でその日の分科会2は終わった。他校からもらった大量の文芸誌(中にはムカつくぐらい大きく分厚いものもある)抱え、さらに自分の荷物も持って、重い重いと言いながらホテルへ行った。ホテルの場所が分からなかったので先に付いていた相棒に迎えに来てもらったが、私は顧問のナビを無視して歩いたので、結局彼とは会えなかった。彼は無駄にホテル~大学を往復してしまったのだ。スマン。だがまあダイエットにはなったろう。
 昨年も私はこの研修会に参加したのだが、昨年は宮崎で行われ、結構いいホテルで美味しいものを食べたり、温泉につかったりして何気に楽しかった。頼りにならないが頼りになる(どっちだよ)先輩がついていたのも心強かった。だが、今年は観光ビジネスホテルとかいう胡散臭い名前のホテルだった。別の用事(自動車研究部)でも昨年宮崎に行ったが、その時はビジホにも関わらず足を伸ばせる風呂(しかも6階ぐらいで街を見下ろせる)があり大満足したが、今回は狭いユニットバスしかない。しかも湯の温度は水とお湯をそれぞれ調節するタイプだった。要は、一番ウザいタイプだ。出す度に調節しなくてはならない。これは私に大いにストレスを与えた。
 好きな量を選べるバイキングで夕食を摂り、しばらくして私は相棒とともに街に繰り出した。適当に歩いて本屋にでも行こうと思ったのだ。
 だが、歩けど歩けど本屋は見つからなかった。ホテルから少し歩いたメインストリートは、右手も左手も歩くとすぐネオンが寂しくなる。ついでに私も相棒も散策できつい坂を昇り降りし、足が悲鳴を上げていた。だが、せっかくだからと励ましあい、ついにそこそこ活気のあるアーケードまでたどり着いた。目の前でシャッターを閉めるケーキ屋を横目に、私達は無事、本屋にたどり着いた。だからどうということはない。少し立ち読みし、帰った。そしてウザいウザいと言いながら圧迫感を与えるユニットバスでシャワーを浴び、いつ寝たか分からないように寝た。

 2日目。6時半に起きて、7時過ぎに好きな量(以下略)バイキングで朝食を摂った。身支度を整え、チェックアウトして大学へ。文芸誌が超重たかった。
 ところで、活水女子大は女子大である。そんなことはもう誰もが知っていると思う。で、私は昨日トイレに行きたくなった時に、少し困ったことがあった。トイレが、女子生徒用と男子職員用しかないのだ。私は女子でもないし、かといって職員でもないし……と悩んだが、まあ常識的に考えて男子職員用に入った。これは多分貴重な経験だと思う。
 今日の分科会では、『文芸誌にイラストは必要か』という題で議論した。私は当てられるまで答えないというスタンスだった。流石に司会の生徒も男子には当てにくいらしく、私の隣の大分の高校の人が集中被害にあっていた。で、結構白熱した議論の後、長崎の高校の生徒が主催して交流を深めるためのゲームをした。その後半、某高校(“ウグイス嬢在籍”)のクイズが難しすぎた。例えば、

 問題:長崎で明治時代、街灯の燃料として使われていたものは次のうちどれでしょう?
 1.菜種油 2.灯油 3.石油 4.石炭

これは、3番が正解である。はっきり言って難しすぎる。ハンデとして、各他県の生徒には長崎県高校の生徒が助っ人として付いていたが、私と組んだ彼女も「全然分かんないっす」という問題ばかりだった。結果、成績は、ブービー。これは(ディープな)長崎マニアしか全問正解は難しいと思った。

 最後にまた小チャペルに行って閉会式があり、解散した。帰りに長崎駅で部員+顧問で昼食を摂り、お土産(一番安いもの)を買って、列車の時間まで時間をつぶして、帰った。帰りも座れず、某駅までの2時間半、立ちっぱなしだった。

 とまあ、文章にすると長いが、体感時間的にはあっという間の2日間だった。私はこの研修会で何度「帰っていいですか」と口にしたか分からないが、終わってみるとたいしたことはなかった。来年は大分で行われるそうだ。相棒と2人で「温泉に入れたのに」と悔しがった。

珍しくモブログで

2006-10-19 | Diary
 研修会っぽいものの1日目が終わった。今は、ビジホの一室でくつろいでいる。
 とりあえず非常に疲れた。どこへ行くにも坂、坂、坂。足が棒になった。
 明日、まっすぐに帰りたい。何もせずに。ホテルはビジホだし、大浴場はユニットバスだし、明日のことを考えると憂鬱でしょうがない。はぁ……。

明日から長崎へ

2006-10-18 | Diary
 明日から、文芸の研修会か何か(行くくせによくわかっていない)に、長崎まで行ってくる。正直なところ、平日に学校をサボってまで行きたくない。じゃあ休日ならいいかと言うと、せっかくの休日をわざわざそんなことに使いたくない。結論としてとにかく行きたくない。

 現地で携帯からを更新できればいいが、こういう時、大抵更新はすっぽかしているので、期待はできない。

 文化祭で自動車研究部がフライドポテトかなんかしたいなと思っているのだが、とっくに企画書提出期限が過ぎている。ヤバイ、とも思っているが、今超忙しいので、もういいか、とも思っている。

忙殺の始まり

2006-10-17 | Diary
 テストが終わって一息……つく間もなく、部活+色々の日々が始まった。まず頭を悩ませているのが、今月末に行われる工業研究発表会(?)に私たちが出なくてはならなくなり、その準備に追われている。今日は激励会まであった。
 具体的には、パワーポイントで発表に使うスライドを作り、さらに発表原稿まで私の担当だ。スライドはかなりの長作になることが予想されている。今週末に完成なんて絶対無理だ。木・金は長崎に流刑(違)されるというのに。スライドの作成中に、文芸部の顧問が旅費を持ってやってきた。今確認して、手元にないことに気づいた。やばい、大ピンチだ。

 というわけで、もう本当に大変だ。考えながら憂鬱になってきた。とりあえず、今週はスライドに全力を注ぎ込もう。

携帯のイヤホン紛失中

2006-10-16 | Diary
 よって非常に困っている。今は、約25分の列車の中では教科書を開いているので問題はないが、明後日から困る。普通に本も読むが、これ以上目が悪くなっても困るし、困っている。困るって何回言った?

 それはいいとして、明日でテストは終わりである。テストは終わるが、自動車研究部(来月に大会)に文芸部(今週末、長崎へ)に生徒会執行部(会計&文化祭会議)に工業発表会のスライド作り、まだまだあるぞ。漢字検定の勉強もしなければならない。せっかくこのテスト期間中はモラトリアム人間(使い方間違ってそう)で楽だったのに、いきなりこれだ。自研の顧問には会う度に「部活してるぞ」と言われて、それでもアブない点数を取ると自動車学校に行けない……ああそうだ、来月から自動車学校も始まるんだった。売れっ子芸能人並の忙しさ。学校では勉強するか部活するか生徒会するか寝ているかだ。

説得力

2006-10-14 | Diary
 そういっているオマエはどうなんだ、と思うことがある。
 例えば、「あんまり食いすぎんなよ」といいながらおかわり6杯目のやつ。
 気を付けろよ、と言った直後にどぶ板を踏み抜くやつ(ネタ古い)。


 金曜の帰りもそうだった。学校の敷地沿いの道を1人とぼとぼ歩いていると、グラウンドでなにやらあっていた。良く見てみると、教師達だった。しかも、野球をしているではないか。
 「ちゃんと土・日勉強しろよ」と言っておきながら、自分らはのんきに野球か。説得力のカケラもない。
 まあそんなわけで、そんな教師達の姿を冷ややかな視線で見て、通り過ぎた。


 駅から出て歩いていると、目の前を熟年夫婦が歩いていた。と言っても、奥さんらしき女性が私の前、旦那らしき男性が私の後ろを歩いていた。女性は振り返りもせずにさっさと歩き、男性は「どこ行くの?」と能天気に問いかけ、女性は「お菓子買いに行くんですよ」とそっけなく答える。そのうち、「お父さん、渡りますよ」と言うと、さっと道路を渡った。男性も遅れて渡り、私を追い越して女性の少し後ろに追いついた。背中に背負っていた。小さくて可愛いらしいリュックがおそろいで、思わず心が和んだ。多分、ずっと奥さんが旦那さんを引っ張ってきたんだろう。


 私とはまったく、関係がないのだが、DoCoMoよりこの度903iシリーズ14機種が登場した。それを見て、私は愕然とした。シャープから、私が持っている905SHと同じようなアクオス携帯が出ていたのだ。液晶サイズでは、こちらは2.6型、あちらは3型とかなり水をあけられた。というか後発なのですでに基本性能で負けている。かなり悔しい。最近はあだ名が『アクオス』だったのに、ドコモから出てしまったら、(アクオス携帯なんて)もう珍しくもなんともないではないか。なんかアンニュイな気分になった。かなりジェラシーを感じてしまった。ドコモなんて大っ嫌いだ。

中間テスト中

2006-10-13 | Diary
 木曜から来週の通うまで中間テストが行われる。というか、もう始まっている。なので、ここの更新も毎度のごとく滞るわけだが、まあ最近は不定期更新スタイルを確立してきたので、もうこういうことも書かなくてもいいかと思ってきた。
 実習のレポートを今日やっと出した。面倒くさかった。非常に。
 携帯のイヤホンが紛失している。先日書いた、ロボット大会から帰ってから、行方不明だ。もう少し探してみるつもりだが、どうしても見つからない時は新しいものを買おうと思っている。

 来週の某教科の試験で「生きがい」について400字の作文を書かされることになっている。で、考えてみたが、今の私に生きがいといえるほどのことはない。だいたい、400字も書けるか。別の題で600字、一つのテストで1000字も書かされる。憂鬱だ…。

いかん、またサボりぐせが…

2006-10-09 | Diary
 うっかりしているとあっという間に数日経ってしまう。
 土曜、長崎県の島原で行われた全国高等学校ロボットアイディアコンテスト(だったっけ?)に行ってきた。目的は、S県(ほぼバれてる)代表として、他県へ視察に行った。
 スタートしてから台を下りるのに一苦労するようなレベルの低いものの混じっていたが、O工業(?)のロボットがかなり早かった。「ヴィクトリーゲームでした」とか言われていた。一同はまざまざとレベルの差を見せ付けられ、意気消沈して学校へ戻った。
 この話は、大会について知っていないと説明が難しいので、これくらいにしておく。

 金曜、部活が終わった後、図書準備室へ行った。漢字検定を受けるために、申し込みをしにいったのだ。
 まだ教師がいたので「漢検間に合いますか」と訊くと「あ~っ、うんうんいいよ」と言われた。なんでも、受験申込書を集計していたところ、ちょうど私を入れて40枚になるそうだ。初めて受けるのだが、準2級を受けることにした。4000円は高すぎる。いや、そういう問題ではないけど、いきなり(2級)受けてもなあ…と思ったのだ。
 そうこうしているうちに、文芸部の顧問がやって来た。そして、私にあいづちを打つ暇も与えず、今回の"命令"を言い渡した。長崎県で行われる総合文化祭? かなんかの文芸部門に文芸誌部門で出ろ、と言われた。これまた2日間。もちろん宿泊。さらに平日。拒否権なし。ああ~う。
 そりゃ就職は決まったけど、一応フリーダムだけど…。今まで宮崎にシーガイアの呪いで飛ばされたり、愚作を滅多打ちにされたり、散々な目にあってきた。そして今回、長崎行きが強制決定。今回は…何の呪いにしよう。シーボルトの呪いにしよう。語感的にピンときた。
 ……ああ、そんなこと言っている場合ではないのだ。レポートはぐずぐずしていて完成してないし、今週木曜から中間だし、部活もヤバイし、ああもう忙しい。生徒会もあるし、学校では常に何かに追われている……。

礼状にレポートに中間テスト…

2006-10-04 | Diary
 やることが多すぎて自由な時間が全然持てない。最近は部活も遅くまでしていて、8時過ぎに家に着いている。夕食を食べて少しのんびりして風呂に入ったらもう寝てしまう。もちろん予習もしなければならないこと全てをすっぽかして、である。
 部活のことは明日書くとして、先週の土曜の記事にしようと思っていた文章を記載しておく。


 ゴキ研活動記
 ――それは、人間とゴキブリ、相容れないもの同士の、宿命の戦い。

 ……とかっこつけては見たが、結局ゴキ退治である。ある日の部活で、私と2年の部員が実習棟の1階で旋盤を使って部品作りに精を出している間、2階では壮絶な戦いが繰り広げられていた。
 出来上がった部品を持って2階の部屋に行くと、兵士(2人の部員)が駆け寄ってきた。1人が白い棚を指差し、深刻な顔をして状況を報告した。
 「あの戸棚を開けると、5,6匹のゴキブリが出てきた。こちらに見つかるや否や、すぐに棚の奥へと逃げていった。1匹だけ潤滑/洗浄スプレーを使用し倒した。」
部屋の隅に、その死んだゴキブリがひっくり返っていた。これを倒したスプレーは人間の皮膚に対しても有害なもので、それをゴキブリは全身に浴びたのだから、ひとたまりもないだろう。ただし、敵の生命力は我々の予想をはるかに上回る。決して侮ってはならない。
 兵士(しつこいが部員)たちと合流した我々ゴキ研(注・正しくは自動車研究部)は、ゴキを討伐し殲滅するため、新たな棚の取っ手に手をかけた。
 ガンタイプのコンプレッサーによる圧縮エアー噴射装置と、件のゴキ退治用特製スプレーを手に、先陣を切って1人が棚を開けた。そこにはおそらく計測装置であろうものの箱が数個入っており、一見したところ、敵はいそうにない。だが、我々はこのどこかに敵が潜んでいることを確信した。ゴマのような、奴らの糞が散乱していたのだ。
部員A 「ひでぇ。糞だらけだ」
部員B 「汚ねえなぁ。しかし、ここにはいないようだな」
私  「油断するな。エアー用意」
部員A 「了解。残圧は?」
部員C 「問題ない。今チャージしたばかりだ」
箱の下のわずかな隙間や、上の方からエアーを噴射し、敵を出す作戦に出たが、あちらにとってこの棚は勝手知ったる自分達の家。アウェーで戦う我々には不利な状況だった。しばらく試したが、まったく反応がない。この棚はあきらめて、隣の棚に移った。
 そこには、奴らがいた。開けた瞬間、我々は凍りついた。奴らがこちらを見た。そのまなざしに、我々は宣戦布告の意思を受け取った。「俺達を倒してみろ。できるものならな」ふんと鼻を鳴らして(我々にはそう聞こえた)、ゴキは隠れようとした。逃がすわけにはいかない。私は声を張り上げた。
私  「いたぞ、スプレー噴射! 奴らを残らず倒せ!!」
部員A 「了解! スプレー噴射!」
部員C 「エアーでこっちに出せ!」
部員B 「棚から出たぞ! スプレー! スプレー!」
私   「3時の方向に1匹逃げたぞ! 隅に追い込んで倒せ!」
我々は、無我夢中でゴキと戦った。しかし、この戦闘では、残念ながら1匹のゴキしか倒せなかった。その後、我々は棚をひとつ、またひとつ開けては絶叫し、スプレーとエアーを振りかざして果敢に戦った。どの棚にも糞(=奴の存在を知らせるもの)があり、いつ我々の前に飛び出すか分からない状態であり、我々は最後まで気を抜くことが許されなかった。棚の上の引き出しにもゴキは潜んでいた。薄い茶色のまだ若い奴もいたが、我々は躊躇なく思い切りスプレーを噴射した。中にはスプレーに耐性を持っているものもいて、それらの退治は困難を極めた。
 また、後で引き出しを開けた時にできるわずかな空間を使って引き出し間を自由に移動できることが分かった。この据付収納棚自体が、巨大なゴキの要塞と化していたのだ。引出しの中からは不気味な光沢を放つ、まるでカプセルのような奴らの卵も発見されたが、それはすでに殻だった。1人の兵士が唇を噛み、また1人は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 結果、計4匹のゴキを退治することに成功した。だが、ゴキという奴は1匹見つかった時点で、あと100匹はいるものだ。それを想像して、怖気がした。しかし、誰かがやらなければならない。ここでさじを投げては創部数十分のゴキ研(注・繰り返すが、正しくは自動車研究部)の名折れ、末代までの恥。勇気を奮い起こし、次の引き出しを開けた。


 と私たちが奮闘しているうちに、顧問が戻ってきた。顧問は前々から棚の中に潜む彼らの存在に気付いていたが、特に気にしていなかったようだ。というか、棚を開けて偶然見つけたゴキをウェス(乾いた布)で掴もうとした。顧問は大分ゴキと戦い慣れしていると思った。普通、人間はゴキに触れることを極端に嫌う。奴らは骨の髄まで(注・ゴキは外骨格生物)汚染されているからだ。
 我々ゴキ研(注・しつこいが自動車研究部)はひとまず休戦し、今後の対策を立てて、解散した。戦いが長期戦になることは誰もが容易に予測できた。ならば、万全の体制で望まなければならない。
 我々の戦いは終わらない。そう、ゴキとの戦いは今始まったばかりなのだ。ゴキ研の運命は如何に。続く(注・たぶん続かない)


(注・本校にはゴキ研なる部活は存在しません。念のため。)