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日常をつらつらと書き綴ります。2023年こそ、目指せ毎日更新!

ロボット製作記 その2

2005-03-30 | Diary
 昨日の続き。フレームをリベットというやつで固定する。無事完成し、駆動輪用モーターを取り付けるための部品を付けるとき、致命的なミス。私がしたわけではないが、なんと溶接でくっ付けてしまったのだ。溶接というのは、あの火花をバチバチ出しながら溶かしてくっ付ける方法だ。しかし、ロボットは後で微調整することを考えて、各パーツはリベットかビスで止めなければならないのだ。というわけで、一からやり直し。(泣)
 私は何をしていたのかというと、近くのホームセンターに材料を買いに行った。顧問と先輩一人の計3人。で、その材料でロボットが走るコースというか障害物というか、そういうのを作っていた。その名も「鬼の洗濯板」。文字通りでかい洗濯板のようなもので、ロボットはここを進んでいく。その鬼のなんとかも材料が少し足りなかったが、ある分だけで作った。
 鬼のなんとかの先にメインのものがあるのだが、それはまた次回。 

春は何処に

2005-03-28 | Diary
 窓を閉めたまま自分の部屋で本を読んでいて、ふと窓を開けてみた。すると、さわやかな風が吹き抜けていった。ここのところ寒の戻りとかで肌寒かったり風が強い日があったが、確実に春はすぐそこまで来ているのだなと実感した。まあそのあとしばらくして寒くなり閉めたが。

 明日は部活(自動車研究部)がある。ロボットのアイデアを考えて早速土台部分から作り始めるそうだ。前回はその舞台となるセットを作らされた。ほんとにロボットなんて出来るのかちと心配だ。ロボ研(ロボット研究部)もあるのになんでウチらが…

「知る」と「分かる」

2005-03-27 | Diary
 「知る」ことは人間を変えない。変わったとしてもそれは外面的なものであり、浅いものである。それは変わったとは言わない。対して「分かる」ことは人間を変える。それは深く、大きな変化だ。

 何事も「分からない」人に「分からせる」のは大変だ。しかし、私は教えるほうに分かってほしいという強い気持ちと、教わるほうに分かりたい(知りたい、ではない)という強い気持ちがあれば、いずれ必ず分からせることは可能だと信じる。だが、教わる方が「ちっとも分からない」などと考えていたりすると、分かるものも分からない。何故なら、分からないものが「分からない」からである。分かるものが分かると考えるのは勝手だが、分かるためには分かろうとするための行動が必要だ。考えることである。また、教える方も「教えるのは下手だから」といった気持ちでは到底分かり合えない。言い訳はいい。そんなことを言うなら最初から教えるな。


冒頭からわけの分からない、まどろっこしい文章を書いて申し訳ない。(じゃ書くなよ)

 皆さんはいつ、ブログに投稿しているのだろうか。ブログを「日記」とみるなら、一日の最後に書き込むのが普通だろう。今日一日の始めに今日の日記は書けない。しかし、ブログというものは日記であって日記でないような、似て非なるものだと思う。だから、いつ書いてもいいのだろうか。普通ノートに書く日記は一日に一度書くが、ブログはそういうわけでもない。パソコンが起動してさえいれば、ほんの数分で投稿できてしまうからだ。
 まあ、日記の書き方や書く時間にもとから決まりはないが、少し考えてしまう。私はパソコンを決まった時間に使ってるというわけではないので、更新時刻もまちまちだが、他はどうなのだろうと少し気になった。色々まわってみて、調べてみたい。


……そろそろ宿題を本格的に取り組(略

比較対照してみる。

2005-03-25 | Diary
 買った教科書を撮ってみた。
 専門科目が半数を占める。














 例によって比較のため十円玉を一緒に撮影(見えにくいが左下)。

比較してみる。


その1


……。


その2


…………。



……………負けた(いろんな意味で)。



…いやだって、工業高校だから(泣)
校内全4科の中ではぶっちぎり冊数トップだから…


普通高校の人は「これだけ?」と思っているだろう。そう、これだけだ。
以上。

掛け持ちは辛いよ

2005-03-24 | Diary
 今日は終業式があった。その前に表彰関係があった。私の学校には基礎力テストというものがあり、その成績優秀者が表彰されていた。他人事のように言うが、実は私も表彰された。まあ、あくまで「基礎」だし、30分も勉強すれば9割取れるような小テストなので、格段嬉しいわけでもなかった。ただ、賞状と一緒についてきた図書カードは嬉しかった。その後、皆勤者の表彰があった。ウチの学校は1年間皆勤をした生徒を表彰するのだ。私も運良く皆勤できた。全体で見ると、ウチのクラスが一番優秀だったが、遅刻であるにもかかわらず普通にチェックされていたりしていたので(遅刻すると皆勤賞はもらえない)、本当はもっと少なかった。図書カードを見ながらにやけていると、自動車研究部の顧問から「今日集まるからな」と言われ、はぁと返事をすると、しばらくして文芸部の顧問から、「今日集まるから」と言われてしまった。ダブルブッキングだ。
 自動車研究部では、何やらロボコンに出すロボットを考えて来いとかなんとか。すでにロボット研究部の範疇である。しかもウチはソーラーボートも作っているので、もう「自動車」研究部から逸脱している。顧問の話の後、図書室へ走る。文芸部では、今日付けで退任する顧問の一人に挨拶した。とりあえず始業式までは何もないと聞き、すぐ下校。帰り、駅までは強風と雪で災難だった。
 帰ると愛知万博の開会式がテレビで放送されていた。ロボットが出ていた。時代を感じた。

一期一会

2005-03-23 | Diary
 終わった。始まったものは、いつか終わるのだ。まあ何が終わったかと言われても困るが、とにかく終わったのだ。最初は我が耳を疑った。本当なのか。信じたくなかった。ずっと夢を見ていたかった。夢から覚めたくなかった。覚めるのが怖かった。見たくなかった。見ないようにしていた。出会いが遅すぎた。夢の時間は駆け足で通り過ぎ、残ったものは…美化された思い出だけ。
 『一期一会』という言葉がある。茶会の際の心得からきたことわざだ。茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ、転じて、出会いを大切にしろ、ということだ。私は今まで生きてきて、たくさんの人に出会った。たくさんのことがあった。そのひとつひとつが私を成長させてくれた。「会うは別れの始め」とか、「会者定離」とはよく言ったものだが、私もそんな出会いをもっと大切にすべきだと思った。出会いの先には、いつか必ず別れが来る。"ずっと"なんてものは無い。だからこそ今の出会いはすべてかけがえの無い貴重なものだと思うし、逆に別れがあるから出会いもある。出会いと別れはつながっているのだ。3月といえば別れの季節。悲しくはあるが、切なくなったりもしたが、また一回り成長できたかな、と思った。湿っぽいこと書いて申し訳ない。ただ、こういう気持ちも大切なんじゃないかと思い、記録の意味で書いてみた。

 今日はクラスマッチが一日中あった。「クラスマッチ」というのは、学年ごとにスポ-ツで戦い学年全体、そしてクラスの親睦を深めようという目的の行事で、年に2回程行われている。今日はバスケとサッカーの試合が予定されていたが、サッカーは当日の雨でグラウンドが使えないので一日中応援、サッカーに出る予定だった私は見ているだけでよかったので楽だった。ウチのクラスはそこそこ強かったが、優勝はできなかった。最後は2年生男子の優勝チームと先生チームが試合をしていた。先生方は生徒相手に本気だった。かなりいい勝負だったが、結果3対2で先生チームの勝利、負けた生徒達は延長戦で決着をつけようと騒いでいたが、先生方のスタミナがもうもたないという理由で却下された。
 明日は終業式、高校1年がじきに終わる。機械科は他の科と違って2クラスあるため、2年進級時にクラス替えがある。半分が入れ替わるだけだが、私はこのままでいい。

皆勤までの日々

2005-03-22 | Diary
 もうすぐ高校1年が終わる。今年は、一度も休まなかった。あと2日、なんとしても登校し皆勤賞をものにしたい。クラスの中には虫の息で授業を受けている生徒もいたほどだ。まあ、ここまでがんばっておいて最後の最後で皆勤を逃すなんて悲しすぎる。就職が大半の工業高校では、3年間で3日以上休むと会社は採ってくれないとまで言われている。ちなみにウチの高校からトヨタに行った人は、3年での欠席日数が平均1.2日だった(と思う)。
 今日も余震があった。震度3らしい。地震に遭って以来、揺れというものに敏感になってしまった。しばらくは余震が続くそうだから、安心できない。
 

地球が動いた日

2005-03-20 | Diary
 午前10時53分頃、九州北部を中心に震度6弱を観測した強い地震があった。地震の規模としては大きかったのでニュース等ですでに知っている、もしくは実際に揺れを感じた方もいるだろう。私もその一人だ。
 地震発生直後、2階の自室にいた私は、最初何が起こったのか分からなかった。家は古いのできしんでいるのかと思ったら、どうやらそうではないらしいと気付いた。立っているのも精一杯のような強い揺れではなかったが、横方向の揺れが30秒ぐらいだろうか、しばらく続いた。パニックにはならなかったが、揺れが収まるまでそのままじっとしていた。揺れが収まり、生まれて初めて地震というものを体験し、こういうことに対しては人間というのは無力なんだな、と感じた。その後も余震が数度続いた。後で私のいる所は震度5強だと知った。
 実際地震に遭遇して、私達は立っている地面が揺れる、このことはすごいことだと思った。地面はしっかりとした土台で、しっかりと家を支えていて、なんて信頼を根底からひっくり返す。立っている場所を揺らされただけでとてつもない不安を感じてしまう。怖い、と思った。
 地震で被害にあわれた方々の一刻も早い復旧を願ってやまない。私も何か出来ることがあれば手伝いたいと思う。本当にそう思った。

SF小説の代名詞

2005-03-18 | Book Memo
 今、『夏への扉』を読んでいる。ロバート・A・ハインラインのSFの超大作、もとい名作だ。私はSFはたまに読むのだが、『夏への扉』はまだ読んだことが無かった。たまたま図書館で見つけて読み出し、すぐにハマってしまった。面白い。「名作」というだけはある。もっと早く読めばよかったと後悔した。今年の夏の読書感想文の本にしようかと本気で考えているくらいだ。
 読み終えてから感想を書きたい。いやホント面白い。

まだ早い…

2005-03-18 | Diary
 今日は地元の町のことを知ろうということで、地域学習とかう名目で町をぶらぶらした。全学年。暇人だなあと思うが、私の学校がある辺りは焼き物で少しは名の知れた所で、好きな人には一日楽しめる町なのだ。もっとも、焼き物など見せられてもどこがどうすごいとかそういうことが分からない高校生に一日回らせても意味ないのではないのかと思ったが。
 9:00出発。焼き物を売る店(窯元)が密集している町のメインストリートと呼ぶべき通りを歩く。もともと田舎で高層マンションなんてものはないのだが、路地の古い木造建築に懐かしさをふと覚えながら、歩く。途中、休憩の神社では他の科の生徒も後から到着し、賑やか、というか騒がしかった。ウチのクラスは休憩が長かったが、町の美術館や歴史民族資料館などは他のクラスも見学するので、ダブらないように調整しているのだ。他の科の生徒が出発してしばらくして出発。次は焼き物を展示している陶磁美術館という所に行った。初めて行ったが、外見はこぢんまりとしていた。中はとても狭く、天井も低かった。
 一番記憶に残ったのは、その後の鉱山跡に行ったことだ。岩が崩れて切り立った崖出来ていて、その下には大きな穴が2つ、まるで戦隊もののセットのようだった。ウチのクラスの連中はカバンをほっぽり出してその穴にダッシュ。みんな、岩に登ったり坂を上ったり美術館見学の時よりイキイキしていた。
 その後歴史民族資料館を見学し、その上の相撲場で昼食。晴れて天気は良かったが風が吹き、ポカポカしてちょうどいいと思ったら寒くなったり、気温が上下した。その後、学校に戻った。全体で6キロ程、結構歩いた。学校では感想文を書かされた。
 いい運動になったし、なんとなく町のことが分かったのでまあ良かった。でももう行きたくない。

やばい

2005-03-16 | Diary
 素で「いい国つくろう鎌倉幕府」をド忘れした。いろんな意味でヤバイ。
 明日は学校だが授業の変わりに町を散策するらしい。以上。

旋盤講習会レポ

2005-03-14 | Diary
 三寒四温とでも言うのだろうか、暖かくなってきて春は近いなと思ったらまた寒くなったりする今日この頃。三寒四温とは意味違うか。これは。
 旋盤講習会に参加した。講習会は旋盤技能検定試験2級の受講者(2名)が対象で、講師として実際仕事で旋盤をしていらっしゃるプロ(2名)に来ていただいてご指導承るというものだ。私が受けるのは3級なのであくまでも参考ということだが、机に座って講義を聞くとかそんなものはなく、開始時刻になると早速作業を始めだした。
 ここで、「旋盤」って何? という方がいるかと思う。というか、殆どの人がサッパリ分かっていないと思う。「旋盤」とは「せんばん」と読み、こんな形をした機械だ。なんだかレバーやハンドルがたくさん付いていて、いかにもといった感じの機械だ。この機械に、円柱形の材料を取り付け、バイトと呼ばれる刃物を当て切削し、部品なんかを作ることが出来る。
 加工する材料を旋盤にセットし、いざ始めようと図面と説明文を読む。意味不明。超硬バイトって何? テーパって何? 送り量って何? もう分からないことだらけだった。一応旋盤は3度程触る機会はあったのだが、今回はただ作ればいいというものではない。ある程度の精度がなければいけないのだ。その精度は、「±.05」。分かりやすく言うと、規定の寸法よりプラスマイナス0.05mm以下で作れ、ということだ。普通の人は1ミリメートル以下は意識せずとも暮らしていけるが、旋盤の世界ではそうはいかないのだ。ノギスとかダイヤルゲージとか道具を使えば0.01mm単位で測れるのだから恐ろしい。そんな訳で何も分からない状態から始めたが、見かねたプロの方のご指導の結果、何とか形にはなった。旋盤は基本的に削って加工する機械なので、削りすぎるともう元には戻らないから困る。実際0.1~8(ミリ)程削りすぎてしまった。旋盤技能検定試験3級は私の他にあと3人受けるのだが、今日は私だけだった。
 

『甘』なのに『苦』い

2005-03-13 | Diary
 宿題が全然消化しきれていないのでそろそろ本腰入れて取り組もうと思う今日この頃。
 『甘夏ゼリー』というのを食べた。そこらで売っているものではなく、半分にした甘夏をくりぬいて、そこに甘夏を絞って作ったゼリーを入れてあるという凝った作りのものだ。早速一口食べてみて、一言。「苦い」。おかしいと思いもう一口。やっぱり「苦い」。『甘夏』なのに『苦い』とは、詐欺じゃないかと思ったが、一般的には甘夏は苦いものらしい。しかし朝食べたそこらへんのオレンジゼリーの方が甘くて美味しかったと思ってしまった。
 今さっきも聞こえたのだが、今日はよく救急車のサイレンをよく聞く。3、4回は聞いた。家のすぐ前の道路を右へ左へ走ってゆく。なにかあったのだろうか。


参考:甘夏ゼリー

文芸部山登りレポ

2005-03-12 | Diary
 昨日のことだが、記録をいうことで一応書いておく。
 文芸部で、山に登った。普通、文化部の文芸部と山は無縁のものだが、何故か、その山に登ることになった。ハイキング程度だろうと考えていたら、実際は、本格的な山登りだった

 当日。私服でいいと言われていたが、制服で行った。列車を1度乗り換えて、集合場所の大町駅へ。場所はそこで正しかった。しかし、時間を間違えた。10:00集合のところ、8:42に着いてしまった。早すぎる。どう考えても。でもまあ、この後ので行くと9:56着となる(田舎なので本数が…)。
 仕方ないと駅からぶらぶらと歩いてみる。大町は、昔炭鉱で栄えた町だったそうだ。学校の規模も全国でも有数、だったらしい。しかしもう炭鉱も閉山、ひなびた町になっていた。駅のすぐ後ろは延々と田園風景が続き、その奥に霞んで山々が見える。結構歩いたが、とくにおもしろいものは無かった。そういえば、「大町」は、「大町」という名前の「町」。つまり、「大町町」ということだ。歩道橋にも「杵島郡 大町町 福母」と書いてあった。もしかしたら、「大町町町内会」なんてものがあるかもしれない。
 駅前の時計が2度目の正時の鐘を鳴らす頃、部員が集まり始めた。集合を確認し、出発。雲行きが怪しいので、車で麓まで行くことに。まず、『聖岳』とかいう山に登るらしい。コンクリート製の丸太の階段が続いている。入り口の右側には「あと 七百九十二段」と書いてある。マジすか。そうしてみんなに続いて登りまじめる。顧問はかなり応えているようだ。顧問ではない教師も飛び入り参加していたが、彼は最後まで疲れてなんて見せなかったが。
 800段の階段を登り終え、なんとか頂上に到着。霧がかかった様で遠くはあまり見えなかったが、眺めは良かった。六角川とかいう川がくねくねと蛇行して流れているのがよく見えた。記念撮影後、一旦車を止めた場所まで戻る。登る時も凄かったが、降りる時はさらに凄かった。
 獣道だ。鬱蒼とした林の中を歩いていて、そう思った。1人でいるととても不安になる。ここはどこ? といった感じだ。途中で棘がある植物が行く手を阻んだりしたが、後ろからきた先輩が悪戦苦闘しているときにすっと通り抜けた。後ろから「ズルッ」という声が。ここで一句。

  山道の 行く手を阻む茨道 それでも進む 枝折って(そのまんま)

もう1つ。

  息切らし 急な坂道 登りつつ 日ごろの生活反省す(字余り)
 
…まあ私は俳句詠みに文芸部入ったわけではないのでよしとしよう。
 途中散り散りになったりしたが、昼過ぎに鬼ヶ鼻頂上へ到着。昼食をとる。1人1人おにぎりをバックに入れ、順番に手探りで取る交換会をした。1つ目はしそ、2つ目は不発(何も入ってない)だった。それと、頂上には鬼の頭の形をした展望台があった。何故か。
 山の天気は変わりやすい。晴れていたと思ったら、雲が出てきて風も吹いてきたので下山。車に乗り込み大町駅へ戻り、解散。私は電車で帰る予定だったが、顧問の車で途中まで乗せてもらい、そこから免許取立ての先輩(数日前に卒業)の車で学校最寄の駅まで送ってもらった。「事故らないようにがんばるから」とか言っていたが、事故なんて言葉を言わないで欲しい。そのあとは「起こる時は起こるからな」とか言ってた。怖い。
 といいつつも運転は慎重で、無事に駅に着くことが出来た。そこから列車に揺られて帰った。顧問は来年もしようとか言ってたが、私はもう行きたくない。

線路は続くよ

2005-03-10 | Diary
 用事で列車に乗った。普段と方面が違うので、なんとなくドキドキした。まあ確実に目的地に行くのだが、なんとなく不安な感じだ。
 ゆっくりと走り出す。田舎のローカル線だけあって、左右が林の中を一本の線路が突っ切っている。そのうちポツポツと集落が見えたり、視界が開けると右側に港が見えたり、変化に富む景色だった。

 それくらいしかない。本当に。宿題するので、今日はこんなところでおしまい。

 早起きの秘策、誰か教えて欲しい。(朝、メッチャ弱いので)