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日常をつらつらと書き綴ります。2023年こそ、目指せ毎日更新!

胃が痛い

2007-01-10 | Diary
 課題テストも終わってやっとゆっくりする時間があるかと思いきや、また仕事がきた。就職先の某社から、提出する書類や持参するものなどを書いた書類。読んで憂鬱になった。テストの前に呼んだものだから、胃がキリキリと痛む中、テストを受けた。これはつらかった。読むと頭が痛くなる。入社までに用意するものの中に…書くと会社がバレそうなので書かないが、まぁらしいなあという感じのものから、何に使うのというものまであった。とにかく大変だ。給与振込みの銀行の口座を作ったり、写真を撮りに行ったりと、まだまだゆっくりさせてくれないようだ。

 それと、母校の中学校の何か良く分からないが先輩と話す会みたいなものをするらしく、各科1名ずつ出なければならないらしい。それに推薦された。私は夏休みに自校を紹介するのをしたかったが、それはできなかった。そして年末(学生にとっては3月まで2006年)の忙しい時期(文芸・卒業式・提出書類・卒業試験・その他ゴタゴタ)になぜ私なのか疑問でならない。本当に疑問なので明日訊いてみようと思う。

 今日、年賀状がまた数枚来た。送った分の約半分は回収できた。その中に、高校になってから長いこと音信不通の友人から返事が来ていた。つい嬉しくて、彼の家に電話をしたが、センター試験で取り込んでるので落ち着いてからと母親様に言われた。工業高校だとセンター試験なんてまったく意識しないので、これはうかつだった。20日過ぎ、気長に電話を待ちたい。

いい加減学習しろよ

2007-01-06 | Diary
 来週火曜から学校が始まるというのに、未だに課題が全然終わっていない。というわけで、課題で忙しいのでこれで終わる。このブログを見たよい子のみんなはこんなふうにならないようにね!(笑えない)

今年の年賀状は…

2007-01-05 | Diary
 私にとって新年で一番重要なことは年賀状である。中学のころは20枚なんてザラに来ていたのが、去年は10枚程度にまで落ち込み、毎年私を落ち込ませている。今年は年賀状に携帯のアドレスを記載していたので、年賀状ならぬ年賀メールが多数来た。返信にはしつこく「紙の年賀送れ」と打って送信している。だがまあ、紙が面倒くさいからメールで済ませているのであって、多分来ないだろうと思う。

 早速発表したいと思う。

 1/1時点での年賀状総数1枚
 
 しかもその1枚は自動車学校から。年賀状欲しくて申込書に住所書いたんじゃないぞ!! 個人情報保護法違反だろ!! 妹は元旦から何枚も来ていて、かなりバカにされた。

 1/3時点での年賀状総数2枚

 やっと友人から来た。と言ってもたったの一枚。彼には本当に感謝したい。

 1/4時点での年賀状総数4枚

 中二時の恩師と担任から。

 まだたったの4枚しか来ていない(15時現在)。これは異常事態だ。このままでは「正月も過ぎたしもう送んなくてもいいか」と考える輩が増える可能性がある。まあ送るかどうかは私がどう頑張ってもしょうがないのだが、いくらなんでもこれは少なすぎる。県内なら28日に出したので、1/1に届いているはずだ。その日に出しても昨日今日には届くだろう。


 ……と、いつものように郵便受けを覗くと…あった! 来ました! 来てました! というわけで、発表。

 1/5時点での年賀状総数8枚

 うおっしゃあぁぁぁぁぁ!!!!(大げさだなぁ) 就職(予定)の会社の人と、友人3人から。しかし、その内1人が自分の名を書いていないという超お間抜けっぷりで、誰なのか分からない。以前、小学校の頃に暑中見舞い(年賀状かも)をある友人に出したところ、送ってきたはがきが裏面白紙だったことがある。それは表面に住所と名前が書いてあったのですぐ分かったが、今回は住所も名前も書いてない。このブログを知っている人もいるかもしれないので、見せしめのために裏面を掲載する。


 あけまして おめでとうございます
    今年もよろしくお願いいたします
      二〇〇七年 元旦 正月
  年賀状元日に届いたぞ 部長



 ……誰? 私が「今年も元旦に間に合いませんでした」と書いたので、それが間に合ったそうだから県内の人と推測できる。そして、「部長」というのは私が中学の頃、某部の部長をしていたのを知っている、というかその部に所属していた人だということだ。これに該当する人から、すでに年賀状をもらった人を除外すると5人の該当者がいる。はて、誰だろう…。文章は上の通り、イラストも何もない。5人のうち、3人は年賀メールをもらったので紙の年賀を出した可能性は低い。とすると、残りは2人…。イラストがないところから推理すると、Kと思うが、Tの方が字はキレイだったはず。ううーん、なんだか新年早々推理ブログのようになってしまった。
 一人の方に電話をして、真相を確かめるか…。

帰省しました。

2007-01-02 | Diary
 これを最後にしばらくは帰省できないんじゃないかと思う。
 今年は1/1~2の2日間だった。1日目はキャナルシティー博多でメガネを買い、ウェンディとかいうファーストフード店でフィッシュバーガーを食べ、博多駅近くの某店でCDを買った。帰って、CDラジカセで買ったCDを聴いて楽しんでいた。内容上、途中でつい顔がにやけてしまうので注意が必要だった。

 話が前後するが、自分の家でワンセグが見られることを大晦日に知った。まさかなぁと思いつつワンセグを起動すると、窓際の限られた範囲ではあるが、見られることが分かった。それ以降、自室で紅白をワンセグで見て悦に浸っていた。ド田舎のくせに電波は来ているらしい。とは言えかなり微弱で、アンテナに触れるだけで受信不安定になる。
 しかし福岡はそんなことはない。去年の10月よりも電波塔か何かが増えたのか、家の中でアンテナを引き出しさえすれば3本は立った。佐賀では3局しか映らないのが福岡では7局ぐらいだし、まあ地上波と内容は変わらないのだが、ワンセグの綺麗な画面に見とれていた。通信機能で天気予報やニュースを利用できるのも便利だ。

 話を戻すが、2日目は6時半に起きて、8時ぐらいに太宰府天満宮に行った。妹が今年高校受験なので、一応…ということらしい。私も特にお願いしたいことはないのだが、何故か毎年のように大宰府には足を運んでいるので、今年も行った。
 小雨が降っていることもあり、本殿まではスムーズに行けた。去年は太鼓橋から渋滞で1時間並んだのに、それが嘘のようだった。さっさとお祈りを済ませ、お守りなどを買った。その後、くじを引こうとサイフを開けたがちょうどい小銭がない。そう思っていると、雨で濡れた道に光るものが。拾い上げると、500円玉だった。これはラッキーと思い、景品付きのくじに使った。神社で拾ったお金を自分のものにしたらバチが当たるだろう。さすがに。そう考えた。この場合お金は天満宮のものになったので良いのだ。
 くじは小吉。景品はなんだかよく分からない、ホイッスルとIDカード入れとミニライトとそれを入れる犬の顔の入れ物のセット。正直不必要というか不愉快だ。母は手袋、妹は電卓が当たった。まあ使えるものなので悔しかった。
 その後、くじをリベンジしたいと思い歩いていると、またもやお金を見つけた。今度は100円だった。これでくじを引いたところ、末吉だった。『失物』の欄が「時経たねば見つからず」と書いてあった。

 何故失せ物かと言うと、電車で行く途中、車内に傘を忘れてしまったからだ。乗り換える時、忘れてしまい、乗り換えた先の車掌に言うと、問い合わせると言われた。帰りに福岡天神駅で傘について尋ねたが、まだ届いていないと言われ、連絡先の紙を渡された。無地の緑色で、雨も降っていたし取られている可能性が高い。ああ、何でいつもこうなるのだろう。貸してくれた祖母に申し訳ないと思った。

 天神から別行動で、INCUBE(雑貨屋)の文具コーナー(ワンフロア使うくらい広い)でペンケースやらメモ帳やらを買い込み、昨日の博多にある某店でCDをまた購入。その後帰った。
 1時半頃に着き、昼食を食べ、近所の本屋へ。妹に頼まれていたCDと雑誌を購入した。
 しばらくしてナフコから祖母と母が帰ってきた。それから5時くらいまで昼寝した。
 5時過ぎに買ってきた寿司を食べ、暗くならないうちに(既にもう暗くなっていたが)と早めに帰った。

 私の華やかな正月はこんな感じだ。今からは課題をさっさと終わらせていかなくてはならない。なんせまだ何も終わっていない状態なのだ。

A HAPPY NEW YEAR!

2007-01-01 | Diary
 あけましておめでとうございます。

 …実はこの文章を書くのは2度目である。うっかり投稿してしまい、再編集しようとしたらエントリー消えてるし。さすが大宰府で小吉と末吉を引いただけのことはある

 というわけで、世のブログブームに乗って始めたこのブログも2周年を迎えた。ブログを書き続けられるということは、日記をつけるという習慣ができたということだ。飽きっぽくて紙の日記は早々に挫折した私としては、これは驚くべきことである。この調子でだらだらと続けていきたい。

 今年は、4月から社会人になるので、まあ不安が大きいが、同じくらい期待もしている。今は皆「先が見えない」と嘆くが、予知能力でもない限り誰にでも未来は分からない。そして、その未来に夢や希望を託せるからこそ、人は生きていけるのだ。まだ何も分からない未来。明るい未来を願うばかりではなく、自分から行動(アクション)を起こしていく、という姿勢(スタンス)でいたいと思う。なんかかっこよく書いてみた。あ、そうですかかっこよくないですか。

 ともあれ、今年もこのブログを見ているな方(いるのか?)、生暖かい目で見守って欲しい。ま、コメントなんてもう期待してないけどね(泣)。

 P.S.この記事は1/2に投稿しました。帰省していて間に合いませんでしたので。

2006年最後の投稿

2006-12-31 | Diary
ついに、06年が終わる。個人的には、今までで1番忙しく、慌ただしく過ぎ去って行った年だった。
07年、ついに私は社会人になる。不安なことだらけだが、今までがそうであったように、どんなことが起こってもなんとかなってきた。あまり緊張し過ぎずに過ごしたい。
皆さんも、どうぞ良いお年を。

遅っ!

2006-12-31 | Diary
 冬休みの課題をやり始めた。遅い。毎度のコトながら、遅すぎる。去年も「年内中に終わらせるぞ」と意気込んでいたのに。今までの不名誉な実績から、1日で課題を終わらせるのは物理的に難しい。

 部屋の掃除をした。モノの割にそれを収納するスペースのない部屋なので、相変わらす掃除しても雑然とした印象は変わらない。まあ、前より大分ましになったと思う。

 今年も本当にあとわずかになった。このブログもだらだらと惰性でよくもまあ続いたものだと思う。この調子でだらだらと続けていきたい。

卒験(本免試験)終わる

2006-12-28 | Diary
 この日、自動車学校で卒業試験があった。この試験は路上を走る実技試験のみ行われ、合格すると自動車学校を卒業できる。高校卒業後、佐賀の免許試験場(?)で筆記試験だ行われ、これに合格すると晴れて免許をもらえるというわけだ。この試験のことを、私はその前日に知らされた。12月に入ったあたりで「28日に卒験があるから」と担当教官に言われていたのだが、それをすっかり忘れていて、前日に言われて「明日ですか」とオウムのようにくり返していた。

 朝9時過ぎに自動車学校に行き、待合室に行くと、まだ誰も来ていなかった。9時30分を過ぎたあたりで放送があり、受け付けを済ませて教室に入る。
 試験官からコースやその他説明を受ける。コースはA-1からC-2までの計6コースあるが、受付でCコースと言われ、くじ引きで2コースと決まった。Cコースは発着点が曖昧だったのでできるなら避けたかったコースだった。
 10時20分、運転席に同じ高校のI、その後ろに私、助手席に試験官を乗せて、自動車学校を出発した。I君はC-1コース、市街地の比較的人が多いコースで、複数回の左折を行う。左折の時は、ルームミラー・ドアミラー・左後方目視で左に寄り、曲がる前にルームミラー・ドアミラー・巻き込み確認(左後方目視)で曲がる。慣れるとそう難しくないが、クセをつけないとつい忘れてしまう手順を踏まねばならないのだ。ちなみにI君はこれを結構忘れていた。
 C-1の終了後、試験官がC-2の出発地点へ移動させ、私が運転席に座る。思い返してもあまり記憶がないから、特に緊張もしていなかったのだろう。私の走ったコースは交通量の多いバイパスやあまり交通量のない道路を走るコースだ。まずは一般課題といって、試験官が途中まで指示を出して走る。その後、特別課題といって自分で目的地までの経路を考えて走る。とは言え、コースはあらかじめ教えられており、その通りに走っても良し、走らなくても良しなのだ。だが、教えられたコースが一番易しいものなので、その通りに走った。
 自動車学校に帰ってくると、次は場内コースでの試験がある。Cコースは右バックの方向転換。右にハンドルを一杯に切って後退し、方向転換をする。脱輪するとやり直し、周囲のポールに接触すると試験中止。この時は少し緊張した。最後に道を出る時も、脱輪すると元も子もないので、慎重にした。
 試験が全て終わり、しばらくたってから教室で合格発表。その結果、合格した。I君は残念ながら不合格だった。合格証書や仮免許証、学科試験受験票などは封筒に入れて、卒業式の日まで保管される。私は隣の席にいた中学時代の同級生と「(もらった)若葉マークなんかいらないからあの封筒が欲しい」と話していた。

 学科試験は卒業するまで受けられないので、ちょくちょく自動車学校に顔を出して模擬を受け、本番にそなえたい。それにしても、私は11/1の入校から2ヶ月、一応補習なしの最短で卒業したわけだが、もうちょっと車に乗っていたかったというのが正直な感想だ。特にマニュアル車は今後乗る機会がなさそうなので……。自校に行っても、人が運転する車しか見られないのは少しつらい。

 待合室のポスターどおり、“一番短い学校”だった。高校卒業後、筆記試験に合格して、“一生役に立つ”資格を早く手に入れたいと思った。

初東京記

2006-12-27 | Diary
 色々とバタバタしていて書く時間がなかったが、やっと落ち着いたので過日の東京旅行の記録を書きたい。


・1日目

 朝5時に起床し、母に車で某駅まで送ってもらう。着いてしばらく待っていると、今回の苦楽をともにするS君(以下、S)が来た。駅舎にいる客は、私とSの二人だけだ。

 私「おはようございまーす」
 S 「あれ、来たんだ」
 私「……帰ろうか
 S 「うんそれがいい」

 最初からやる気なしの状態だった。その後、まだ暗いホームで電車が来るのを待った。
 6時発の電車(特急の始発)に乗り込み、車中でも私達はまだ帰ることばかり話していた。

 私「博多でさぁ、折り返すじゃん、この電車」
 S 「ああ、それいいな」

 こんな会話ばかりしていた。
 途中の駅で顧問が乗り込み、電車は8時過ぎに博多へ到着。地下鉄で空港まで行く。
 この空港でまず事件が起こった。飛行機に乗るのは修学旅行以来だが、まあ2度目だし…と油断していたところ、やってしまった。
 空港の手荷物検査で、出てきた荷物を持った係りの人が「このお荷物、もう一度通してもよろしいですか」と訊くので、ええどうぞと答えた。この時まだ、私は検査に引っかかるものを入れてきていたことに気付いていなかった。
 2度目に通した後、係りの人が「お荷物の中にはさみやカッターなどありませんでしょうか」と言われた。その時やっと、筆箱をそのまま持ってきていたことに気付き、慌てて取り出した。言うまでもなく、はさみもカッターも機内持ち込み禁止の品である。ということで、一時預かり品として手続きをしてもらい、何とか検査を終えた。写真は面白いので撮った、手荷物一時預かりの紙である。

 客のトラブルとか、荷物の中に電源が入った携帯電話があったとかで、福岡空港発の飛行機は30分ほど遅れて出発した。修学旅行の時ほど揺れず、いったん飛び立ってしまえばかなり静かだった。しかし離陸時のあの揺れというか音と言うか、あれを体験するたびに私の飛行機に対するイメージが壊れていく。もっと優雅に飛び立てないのか。
 携帯に入れた音楽を聴こうと思ったが、イヤホンを上の棚に入れてしまったので、仕方なく機内の放送を聴いていた。どうでもいいが、このとき乗ったのはB747-300だった。

 2時間弱で羽田空港に到着。予定ではモノレールで浜松町まで行き、山手線に乗り換えることになっていたが、私がどうしても京急で行きたいという希望に顧問が折れ、京急で行くことになった。京急蒲田で快特に乗り換え、品川まで。車内はそこそこ込んでいた。
 品川から山手線外回りで新宿まで。11時を回っていたので座れはしなかったが空いていた。新宿から小田急の各停で参宮橋まで。国立オリンピック記念青少年総合センターを目指す。12時を過ぎていたので、昼食を採ることにした。
 参宮橋から国立オリンピック記念青少年総合センターまでの道で店を探していると、顧問は以前にも来たことがあるらしく、「この辺にラーメン屋があるはずなんだけど…」と言ってラーメン屋を探していた。そして件のラーメン屋は程なくして見つかり、狭い店内に私達は入った。
 店は2人の店員で切り盛りしているようだった。1人が中国かどこかの訛りがあった。私はたまごレタス炒飯を頼んだ。Sも何かご飯系のメニューだった。
 私のが1番に来た。味は今まで18年間生きてきた中で食べた炒飯の中でもベスト3に入るぐらい、美味しかった。スープもついて本当に満足した。今度参宮橋に行く機会があったら(あるのか?)是非またここで食べたいと思った。残念だが店の名前を失念した。"豚"が店名に入っていたと思う。

 今更、という感じがするが、私達が何故佐賀の田舎からわざわざ東京まで来たのか、それを書いていなかった。今回は『第8回高校生文芸道場総合大会』で来たのだ。まあこの催しは研修会みたいなもので、私は九州大会にも出たことがあるが、総合大会、つまり全国大会は初めてだった。文芸誌部門で出たが、私の役は誰でも良かったらしいので、他のやつを行かせればいいじゃないか、と思った。まあ今思えば、東京観光もできて満足しているが。

 昼食後、国立オリンピック(以下略)に入り、カルチャー棟小ホールへ。まず始めに全生徒が集い、講演会があった。講演をしたのは、小説家の浅田次郎氏。私は『鉄道員』などを読んだことがあるが、この本の中の『うらぼんえ』は泣ける話だ。音読して泣かなかったことはないというくらい泣ける。まあ、それは私の中の祖父の記憶がダブるせいだと思う。あとがきでも書かれているが、『鉄道員』はリトマス試験紙のような本なのだ。
 話が脱線したが、氏に「読むこと 書くこと 生きること」という題で話を聞いた。内容は自身の経験などから、小説家になるために重要なこと、そして小説の書き方など。筋道立っていた話ではなかったが、とても面白く、また興味深く、最後まで飽きずに聞かせていただいた。
 その後、科ごとに分かれ、分科会があった。流されて座ったところは結構正面から近いとことろだった。全員座ったところで、自己紹介と部誌の紹介をした。私は1人で、部誌も持参していなかったのでつらかった。他の学校ま皆B5判のデカい部誌で、「本かよそれ」と言わんばかりだった。私のところはA5のブックレットみたいな薄っぺらいものだが、やっぱり自分のところの部誌が一番だと思った。講演でも浅田氏が、「パソコンで文章は書いちゃいけない。文に無駄な部分が増える」と言っていたが、最近の部誌は皆パソコンで文章を打って書いているので、厚くてデカい文芸誌が増えているのだと思った。
 長崎で行われた文芸道場の時、講師の印刷会社の人がB5判とA5判を見比べて、「A5の方がいいですね。こう、さっと取って読める気軽さがあります」と話していた。全くそのとおりだと思った。B5はでか過ぎる。ま、B5で部誌を出しているところがA5にしたら広辞苑みたいな厚さになってしまうと思うが。

 分科会を終え、私達は再び合流し、小田急で新宿まで帰った。夕食は高島屋の中のにんにく料理の店で食べた。私はトマトソースのパスタを食べた。美味しかったが、ふんだんに乗せられていたにんにくのせいでにんにく臭くなった。Sと私は帰りに「ブレスケア」を買おうと意気投合した。
 夕食を取った後、ベスト電器に行き、顧問が息子さんにプレゼントするとかでiPodを買った。予算が15000円で、「とにかく曲が聴ければいいのよ!」と言っていたので、shuffleを買った。

 顧問とは夕食後に分かれて別行動を取っていた。shuffle購入後、東急ハンズで携帯ストラップを買い、紀伊国屋でマンガを買い、近くのコンビニでブレスケアを買った。そのあとしばらくはさ迷い歩き、地下道を歩いて都庁近くのビジネスホテルへ帰った。ちなみに、普通なら国立オリンピック(以下略)の宿泊棟で寝る予定だったが、「そんなのやってられっか(顧問談)」ということでキャンセルしたらしかった。

 顧問は先にホテルへ着いていたらしく、夜10時までのジュースのタダ券を使おうと誘っわれた。荷物を置いて、レストランに行った。
 そこで私達3人は文芸誌や小説について熱い議論を交わした。私とSはリンゴジュースを頼んだのに、出されたのはオレンジジュースで、「だからビジホはさぁ…」と私はビジホをバカにした。ビジホに泊まるのは4度目だが、その中で1番部屋が広かったのが余計ムカついた。その余裕でユニットバスをでかくしろ。
 前回の投稿でイヤホンが無いと書いたが、実はあった。私のバッグの一方のポケットが開いていて、てっきりそこから落としたものとばかり思っていたのだが、本当はその反対側にちゃんと入っていた。その夜は「イヤホンがない!」と絶叫し、Sの何気ない一言で見つかり「あった~!」とまた絶叫し、かなり浮き沈みの激しい夜だった。本気でアキバに行って買いなおそうと思っていたので危なかった。


・2日目

 この日は4時の飛行機の時間まで自由行動、ということで、私とSは東京観光をすることにした。と言っても、最初から「アキバ(秋葉原)に行こう」と話していたので、そこ以外はなにも見ていない。
 ホテルから無料のシャトルバスに乗り、新宿駅西口へ。そこでお台場に行くという顧問と別れ、山手線へ。新宿から秋葉原なら、総武線と中央線を乗り継げば早く着けるのだろうが、あえて山手線で30分かけて行った。
 秋葉原で降り、電気街口へ。冬休み最初の日曜ということもあり、10時過ぎに私達が着いた頃には人がたくさんいた。そこから、ヨドバシやら石丸電気やらラジオ会館やら、電器屋を一通りハシゴした。昼は秋葉原デパートの食堂街(でいいのかな)で摂った。チーズハンバーグ定食を食べたが、とても美味しかった。また食べに行きたいが、私達が秋葉原を後にする時、おじさんが拡声器で閉店するとか言っていた。残念だ。
 昼食後、マニアックな店を回ったり、SがminiSDを買うとかで色々店を回ったりした(が、結局買わなかった)。帰る時、電気街口にコートを羽織ったメイドがいて、地図を配ったりしていた。
 秋葉原から再び山手線外回りで品川まで。これで、品川→新宿→秋葉原→品川と山手線を制覇した。ま、だから何だと言われても困るが。
 京急の急行羽田空港行に乗って、空港まで。顧問はまたしても先に着いていたようで、Aのゲート前へ急いだ。
 時間には充分余裕があったので、餞別と言ってお金をくれ、私達の食事代を出してくれたI先生へのお土産と、自分の家へのお土産を買った。買った後、もう2人とも出発ロビーにいると電話がかかり、慌てて手荷物検査に行った。もちろん、また手荷物一時預かりの手続きを踏んだ。
 帰りの飛行機は定刻どおりに出発した。携帯で音楽を聴いていたが、しばらくして寝てしまった。起きた後、テーブルの上に置いていた携帯を客室乗務員に見咎められた。別に圏外だから何もできないし、音楽聴くだけなのになんでダメなんだろうと思った。乗務員の人はいつも笑顔の仮面で本心を隠しているから、裏で何を思っているのか考えて背筋が寒くなった。
 午後6時前に福岡空港に到着。地下鉄で博多まで行き、駅のトランドール(母のお気に入りの店らしい)でパンを買う。列車の券は自由席なので、早めにホームへ向かった。
 博多駅に着いた時点で5分くらい前に特急はでており、次のを待った。私達は並んでいる列の最前列だったので座れたが、鳥栖の辺りまで席は満席、デッキに立っている人もいた。
 途中の駅で顧問も降り、その20分後、私とSは寒空のホームへ降り立った。電車はわずかな客を降ろすと、静かに走り去っていった。Sは30分かけて家へ歩いて帰ると言った。
 私は3セクの列車が来るのを待った。駅のホームには私しかいなかった。


 ……とまあ、こんな感じだ。浅田次郎の言う通り、パソコンで書くとこうも長くなってしまう。まあこれは書きたいことを絞らず、時間軸に沿ってだらだら書いているせいなのだろうが。ビジホの狭い風呂には相変わらず辟易したが、秋葉原や新宿の雑踏、とにかく初東京はあまり悪くなかった。私は東京は空が濁ってて水は汚くて飲めやしない、人も車も無駄に多いところだと思っていたが、そうでもなかった。ま、新宿駅で「何か祭りでもあってんの?」と思ったが。今回の東京では整列乗車とエスカレーターで右側を空けることをマスターした。いい社会勉強になった。何か書き忘れている気がするがこれで終わる。

また……

2006-12-23 | Diary
イヤフォンでラジオを聞こうとしたら、

なくなっていた。

悲劇。結構歩いたから、もうどこで落としたか覚えていない。

……アキバで買うか。

明日は東京

2006-12-22 | Diary
 東京に行く日が明日に迫ったが、まだ何も用意していない。今すぐ用意を始めるので、もうこれで終わる。携帯でもブログは更新できるが、そう言って今まで更新したためしがないので全然期待できない。ま、楽しんできたいと思う。

 年賀状……ヤバイ。

『宇宙戦争』って怖くない?

2006-12-19 | Diary
英語の授業で映画『宇宙戦争』を見ている。今、ちょうどラスト30分を切ったところだ。ぶっちゃけあれだけやられておいて人類側が勝つことなんてできるのか疑問だ。すでに見た人の1人は「微妙だった」ともらしていたが、私は続きを楽しみに待っていようと思う。くれぐれも、ラストの結末をコメントに書き込んだりしないで欲しい。

 久しぶりにMT車に乗り、近場の山を登った。教習生は私ともう1人が乗り、途中で交替しながら運転した。サードではきつい急な上り坂(大変な坂、というらしい)ではシフトダウンしセカンドで上ったり、下りではエンジンブレーキを使ってそろそろと下りた。私は乗り心地と安全第一なので十分速度を落として走ったが、もう1人の教習生(他校の女子だった)は結構アグレッシブ…というと語弊があるから、まあ私より飛ばして走っていた。止まるのは私の方がうまいと思ったが、発進は彼女の方が早かった。シフトチェンジは少し私の方が早かった気がする。それにしても、AT車が99%を占める今日び、わざわざ面倒な操作がいるMTの免許をよく取ろうと思ったものだと思った。私はAT車なんて運転していてもまったく面白みを感じないし、自分が運転している、という実感がMT車の方がより強いと思ったのでMT免許を取ることにした。まさか彼女はそんなことを考えているわけではないだろう。みんなMTだから…とか、自宅の車がMT車なのかもしれない。いずれにせよご苦労なことだと思った。

 木曜の午後2時から高速教習があるギリギリ間に合うので、午前中の授業を受けてから自動車学校へ行くつもりだ。明日、今日高速教習があった人にどんなだったか聞いてみたい。

マラソン終了

2006-12-16 | Diary
 マラソンの練習で疲労し、さらに自動車学校も行き、帰ってからパソコンの前に座る気が起きず、更新をサボっていた。
 というわけで、30kmマラソンは無事に終わった。去年はゴールしてから階段の降り方が分からなくなるというほどヤバイ状態だったのだが、今年はそうでもなかった。去年同様、不幸な文芸部部長と中間点手前から歩いた。ずっと先で私たちに追いついた不幸な電気科の後輩を捕まえて同行させた。1年のころは1人で大部分を走っていた(正確には、歩いた)ので、きついと愚痴りながら歩く仲間がいたのはとても心強かった。確か4時間40分ほどで着いたと思う。おなじみのリンゴをもらったが、食べずに持って帰った。

 年賀状の裏面、まだ手をつけていない。それをいうなら、表面の住所も打ち込んでいない。早いとこ取り掛かって来週中に終わらせたい。

 自動車学校に3時に行き、車に乗ってきた。危険予測ディスカッションということで、生徒3人が乗り、途中で交代してコースを走り、紙によかったところや気になったところなどを書き込み、次の時間発表しあった。私は右折時にショートカット走行していたと言われた。ちなみに、この時間はAT車に乗った。ATは止まる時にカクンとなるのが嫌で乗りたくなかったのだが、やり方次第でそれを和らげることができることが分かって良かった。しかし最初の方はつい左手がチェンジレバーを探していた。

原付ってスゴイ

2006-12-10 | Diary
 月曜が休みなので、日曜も自動車学校があった。今日は原付の実技をした。と言っても、2時間、ただ乗るだけだった。1時間目は本当に2輪コースを走るだけ、2時間目で方向指示器を付けて走る、ただそれだけだった。
 私は自転車には乗れるが、今回がバイク(スクーター)に乗るのが初めてなので、何も知らない状態で乗ったが、何もかも簡単で驚いた。そして、慣れるととても面白い。私を含め3人で教習をしたが、皆思い思いにコースを走っていた。自転車なら減速した後、再加速するのが面倒くさいが、原付はアクセルを回すだけなのでとても楽だ。今更だが、自動二輪の免許も取っておけばよかったと後悔した。車の運転も面白いが、バイク、それも面倒な操作が一切ないスクーターは私のようなズボラな人間によく合う。車の免許でスクーターにも乗れるなんて、得した気分だった。

800mもオーバー?

2006-12-09 | Diary
 ……今、書いた記事が消えたので憂鬱だ。

 マラソンの練習は、雨で1日中止になった。練習3日目、校外コース2回目にして5kmコースを走った。しかも、工事中の箇所を迂回したため、800mも余計に走ってしまった。だが、3kmよりも最後のあたりはきつくなかった。超スロースターターなのだろうか。もしくはランニングハイとか。クラス40人中26位と、結構良い成績だった。この調子で行きたい。

 教習は、検定(実は「検定って何」な状態)に向け、コースを覚える段階に入った。昨日と今日で、車庫入れ、方向転換の練習をした。ポールやら白線やらを目印にハンドルを切るタイミングをつかむのだが、これが難しい。特に、バックしている時にどれぐらい下がるとぶつかるのかが全然分からない。適当に下がって適当に止まっている。次回練習する機会があったらドアを開けて確認してみたい。

 年賀状、祖父母の分も頼まれているが、住所も裏面も全然手をつけていない。早めに取り掛かって、20日前後には完成させたいと思う。