涙と笑いのHIV奮闘記Ⅳ

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れと下肢の筋力の衰えとも戦っています。

大阪歴史博物館

2022-01-27 13:04:04 | 博物館・美術館

病院から中大通りをまたぐ陸橋の上から大阪城とTWIN21。

大阪歴史博物館の前の広場にいろいろなツワブキ。

緑の一里塚。

NHK大阪放送会館と大阪歴史博物館をつなぐアトリウム。

そこに「カムカムエヴリバディ」の大きな吊り広告。
そろそろ京都編ですね。

まず8階特集展示室で特集展示「大大坂、その西へ -湾岸・河口地域の変遷史-」を観に行きます。

明治維新後、著しい工業化によって近代都市となった大阪市は、大正14年(1925)、第二次市域拡張を行い、人口約211万人の「大大阪」と呼ばれる巨大都市となりました。大大阪の工業の中心地は都市の周縁部であり、とりわけ市域西部の湾岸・河口地域は港湾や大規模工場が立地するエリアとなりました。これらの地域は、江戸時代の新田開発によって誕生した農地でしたが、明治時代以降、工業地域に変わったものです。現在の区では、おおむね西淀川区、此花区、港区、大正区、住之江区にあたります。

本展示では、大阪市西部の湾岸・河口地域について、写真、絵画、地図、絵葉書などのビジュアル資料を中心に紹介し、その変遷をたどります。

最上階から難波宮跡。

エスカレーターで8階まで降りて会場へ。
ストロボを使わなければ撮影可でしたので数枚撮影。

8階から下をのぞくと、角座新装記念の工業の様子。

そして6階特別展示室で特別企画展「大阪町めぐり 喜連」

現在、大阪市平野区に所在する「喜連」は、近世には大坂三郷周辺に位置する独立した村落で、古代以前から個性豊かな歴史を歩んできた地域です。当館ではこれまで、大阪市内のさまざまな地域を紹介する展示企画「大阪町めぐり」シリーズを開催してきました。本展は、その一環として、地元住民を中心に活動している「喜連村史の会」との共催により、この地域の歴史を紹介します。

「喜連」の名は、「万葉集」にあらわれる「伎人くれひと郷」に由来すると言われ、古代以前から渡来人などが行き交う要地でした。中世にはしばしば戦乱の舞台となり、防御のための環濠が設けられたと伝えられます。近世になると、一つだった村は東喜連・中喜連・西喜連の三か村に分かれ、のちに幕府領と藩領という異なる支配のもとに置かれることになります。複雑な支配関係のもとで、村の人々は、18世紀初めの大和川付け替えを契機とする用水問題など、共通するさまざまな課題に対処していきました。

また、喜連地域には数多くの寺社が存在します。それらの多くは、古代や中世以来の由緒を伝えており、地域の歴史を考える上での大きな手掛かりとなります。本展では、周辺での発掘成果や地域に伝えられた文化財等を通じて、特徴ある地域の歴史に迫ります。

さらに、最近では、新たに判明してきた細かな地名の考証によって、地域の歴史の解明が進められています。そうした地域研究の取り組みと成果についても紹介します。

 

栄養指導の予約時間まで2時間あったので、歴史博物館のレストラン「スターアイル」で遅めのランチ。

ランチメニューのなかでは一番脂質が少なそうな、気まぐれランチ。

「OSAKA MUSEUMS」という雑誌があったので貰ってきました。

来月オープンする「大阪中之島美術館」の特集です。
そもそもこんな雑誌を観たのは初めてです。


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