阿波の水軍まつり

江戸時代から続くだんじり・関船の曳きまわしを紹介します。

堂の浦の船だんじり・その1

2008年06月30日 15時55分44秒 | Weblog
 鳴門市にある阿波井神社の例祭には2台の船だんじりが曳き出される。この船だんじりは新しく造ったものだが、元々この地域には数台の船だんじりがあったと言う。
 船だんじり曳きまわしの数日前に、今では珍しくなった船渡御が向かいの阿波井神社から堂の浦をめざして行われる。青く澄み渡った急流の海峡を渡る姿が美しく清々しい。
 写真の船だんじりと同型のものがもう一台ある。

阿波水軍の総師

2008年06月29日 00時18分51秒 | Weblog
 阿波の水軍を語るには、森水軍の森甚太夫と森甚五兵衛の両家を措くことはできない。阿波の水軍は森水軍を主軸としていたからである。
 森水軍は遠く室町、戦国の時代から阿波周辺の海域を取り締まっていた。本拠地は鳴門を中心として土佐泊にあったと言われているが、阿波藩主の蜂須賀家は阿波国の南方海域を重要視し、二千石の中老として椿泊へ給地を与えた。それ以来、森水軍の本拠地は椿泊となった。
 阿波の国衆が微禄でしか登用されなかった中、高禄で抱えられたのには、紀伊水道から瀬戸内の海域を熟知する海の名門として、他に抜きん出ていたことが挙げられよう。
 徳島市新蔵町の下屋敷には、数十艘の船を泊めた船だまりがあった。松の植わった土手にその面影を窺うことができる。
(写真は福島橋南側・新蔵町の森家船だまり)

福島橋まで

2008年06月28日 09時50分38秒 | Weblog
 参勤交代の一行は、鷲のご門を出ると水軍町の入り口にある福島橋へと向う。しかし、すんなりと一直線に進むわけではない。四所神社のご祈祷やお告げをたよりに、日時や方向を慎重に選んで、それに従った。
 福島橋のたもとで、いよいよ船に乗りかえるのだが、津田沖に停泊する海御座船「至徳丸」に乗り移るまでには相当な時間がかかったと言う。
 ところで、この福島橋には、恐ろしい人柱伝説がある。最近、橋が新調されたが、橋桁を取り除くことが出来なかった。いや、祟りをおそれて手を出す者がいなかったのである。何故か。この橋桁の中には人柱となった修業中の山伏が埋められているからである。
 自らが犠牲となって福島橋を護っている山伏の志に、畏怖と感謝の念を示し続けようとする人々の、純な気持ちが素晴らしい。

海の参勤交代は危険がいっぱい

2008年06月27日 17時25分57秒 | Weblog
 船での参勤交代は西国の大小名にのみ許されていたが、特に、阿波藩の水軍には戦功によって、船中で太鼓を打ち鳴らすことが幕府によって認められていた。御座船太鼓がそれであると伝えられている。徳島市の水軍町にある四所神社の秋の例祭に曳き出される船だんじりはこの御座船太鼓を受け継いでいる。
 海の参勤交代には危険が潜んでいる。何時、海が荒れるかわからない。土佐藩では「土佐の海は恐ろしい」と言って、四国縦断の陸路に変更したという。
 阿波の水軍はそれでも、難所として知られる紀伊水道や鳴門海峡の潮流を押し渡って大坂まで航海したが、参勤交代が廃止されるまで一回の事故もなく続け通している。
 参勤交代の出立は徳島城「鷲のご門」よりはじまる。

東由岐の関船「神篤丸」

2008年06月26日 13時19分13秒 | Weblog
海部郡美波町東由岐にある天神社のお祭りには、関船「神篤丸」が曳き出される。船の全長は約7メートルで、朱色に塗られた船は御座船を模したものだ。
水軍を構成する船の中で御座船を見分けるのは簡単だ。朱色に塗られた関船が御座船だからである。
天神社のお祭りは、7月24、25、26日で、その間には飾り付けられた「神篤丸」を見ることができる。

眉の如 雲井に見ゆる 阿波の山

2008年06月25日 00時59分42秒 | Weblog
『眉の如 雲井に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ舟 泊まり知らずも』(舟王 万葉集巻6-998)と詠われたように、阿波の眉山(まゆやま)は優しく美しい。
参勤交代の帰路に、藩主蜂須賀様や水軍を支えた御船頭、加子たちも遥か海上からこの山の姿が見えはじめると、無事に故郷へ帰り着いたと安堵したと言う。
紀伊水道からの眉山の眺めは、阿波に生まれた人たちにとって格別な感慨をもたらすものである。
写真は、松茂町長原港から見た眉山の姿で、古くからの姿そのままである。やはり、眉山は遠くから眺めるほど美しく輝く。

伊座利の関船

2008年06月24日 13時12分38秒 | Weblog
 海部郡美波町伊座利に新田八幡神社がある。関船の名は「八幡丸」と言う。
秋祭り(10月14~16日)に曳き出される。
子供たちや氏子が総出で準備をするが、笹飾りは特に子供たちの楽しみだ。
断崖絶壁の奥に港があってその奥に集落がある。圧倒される風景は一見するに値する。
関船曳きまわしは長い間途切れていたが、40年ぶりに新調し平成17年秋祭りに復活した。海御座船を模ったものである。

関船「常盤丸」

2008年06月23日 09時07分55秒 | Weblog
西由岐の関船「常盤丸」は豪勢だ。
本体長9.9メートル 水押1.6メートル 高さ2.7メートル 肩幅3.15メートル 台車6.58メートル 六つの車輪を備えている。
八幡神社の秋祭り(9月14~16日)に曳きまわされる。町民総出の行事である。
岸壁から打ち上げられる花火の下で、お練りが始まり、関船の前で「うちわ踊り」が踊られる。「阿波おどり」の元祖かと思われる素朴で飽きない仕草が珍しい。

阿波水軍と常盤丸御船唄

2008年06月22日 12時39分41秒 | Weblog
江戸時代に浦加子を送り出していた海部郡美波町西由岐に関船「常盤丸」がある。
この関船は毎年、秋祭りに曳きだされる。出立に際して船の中で、御船唄が朗唱される。
阿波水軍の御船唄と言われている。
「やいらあー、めでたいな、うれしめでたの、エーそわか・・・・」で始まる歌詞は、阿波の蜂須賀様が参勤交代に立たれる時に唄われたと言われている。他の港町にも同じ様な歌詞が残っているが、節は少々違っている。
常盤丸御船唄保存会はこの貴重な歌を絶やすまいと努力をつづけている。
阿波の水軍まつりシンポジウムで朗唱する会員の皆さんの写真を載せておく。

水軍が残した産業

2008年06月21日 19時41分51秒 | Weblog
明治維新の後には阿波水軍は解体されたが、一大産業を残した。日本に誇る木工業だ。
船大工の子孫たちは営々としてその産業と取り組み、育て上げてきた。
産業隆盛期の水軍町の盛大な秋祭りは資料と船だんじりなどに垣間見ることができる。
写真の船だんじりは「御親筆」の額を乗せた大和町(大工島)のものだ。築地(新南福島の「鹿」「かぶと」と併せて徳島の誇り得る文化だと思う。

阿波に輝く祭りの風流(ふりゅう)

2008年06月20日 09時43分27秒 | Weblog
 祭りに船だんじりを曳きまわすのは、神事とちがって氏子たちが神を喜ばせ自分たちも楽しもうとするものだ。
 江戸時代から続いている、船だんじりや関船を曳きまわす伝統行事は次第に消えようとしている。
 徳島大学総合科学部の高橋晋一教授は各地の神事と風流とについて詳しく調査研究されている。教授は自らも御座船太鼓をたたかれるほど、船だんじりに情熱をそそがれておられる。
 昨年11月のシンポジウムには氏子の人たちもたくさん参加されて「阿波の水軍まつり」に興味を湧かせていただいた。

船だんじり・・・ふるさとの記憶

2008年06月19日 09時08分34秒 | Weblog
 秋祭りにはふるさとの記憶が込められている。
 室町風に仕立られた朱色の船。水押にさがりを付けた海御座船「神力丸」は阿南市出来町の秋祭りに曳きまわされる。
 幼い頃にときめきながら、綱を引いたり、掛け声を力一杯に張り上げたり、友達と船だんじりを追っかけたり、家族や親戚と一緒にご馳走をいただいたりした、数々の思い出が走馬灯のように蘇える。

関船が走る

2008年06月14日 13時34分35秒 | Weblog
大里八幡神社の秋祭りは勇壮華麗だ。今年は10月19日(日曜日)に行われる。
場所は、徳島県海部郡海陽町、徳島県の南部海岸地方にある。関船が曳きまわされる最大の秋祭りだ。
八幡丸、神通丸は船だんじり仕立て、その他だんじりが参道を突っ走る。
阿波水軍の海御座船を彷彿させる見事な関船は一見の価値があるだろう。
歴史的資産の掘り起こしはここにもある。
徳島県の誇る第一の資産は阿波水軍・関船、船だんじり、御座船太鼓、阿波藩御船唄。