阿波の水軍まつり

江戸時代から続くだんじり・関船の曳きまわしを紹介します。

四国の東海岸だんじり紀行

2012年08月28日 11時56分26秒 | Weblog
四国の東海岸沿いには「船型だんじり」「関船」を曳きまわす珍しい秋祭り行事がある。
出色の関船、隠された巨大な関船は徳島県海部郡牟岐町の八幡神社に眠っている。
ギネスブックに登録間違いなしの「船型だんじり」だ。

秋祭りのだんじり

2008年12月02日 15時10分46秒 | Weblog
徳島県下には沢山のだんじりがある。100基もそれ以上の数があるかもしれない。船型だんじり以外のこのような四角い形のダンジリは普通に曳き回されている。
写真のだんじりは宍喰の八坂神社の祭礼に曳きまわされるものだが、由緒あるものだ。徳島のだんじりには海岸地帯と山間部のそれとは大変特徴的なものがある。
次第に廃れて行くこれらの行事を一ヶ所に集めて、賑やかな行列をしたいものだ。

伝統行事にとけこむ

2008年12月01日 15時06分17秒 | Weblog
価値観を多様に、そして人生を豊かに考えるのが現代人の生きかたとは思いませんか。秋が来ればふるさとの秋まつりの太鼓の音が聞こえる。伝統行事を無くして近代の生活は無い。
だんじりを曳き回しに来てください。これが日本のふるさとの秋まつりです。

拍子木の音も冴えて

2008年11月28日 22時47分41秒 | Weblog
毎年10月26日~27日の水軍町の秋祭りは、特に今年は見事に晴れ上がった素晴らしい日和だった。
蜂須賀藩の旧水軍役所(古安宅)があった敷地のなかに建っている大学(徳島大学)の学生たちが参加してくれて、過去になかった雰囲気が出ていた。
氏子の地域は広くて、午前10時に出発して午後5時に宮入した。その間、昼食の一時間を除いて歩きとおした。御座船太鼓の係りの女性は1人で太鼓を打ちつづけた。ご苦労様でした。

能島水軍レース

2008年11月27日 20時31分59秒 | Weblog
能島水軍レースに行ってきました。時期遅れの報告で大変失礼します。
愛媛県今治市で毎年開催されている「能島水軍レース」を見学しました。真夏の強い太陽が照る日(7月27日)でしたが、見物人が多く、大盛会でした。
「阿波の水軍まつり」の内『千山丸競漕(鯨船競漕)』は水軍レースとそっくりのものを考えています。徳島大学工学部教授から教えられて能島水軍レースを知りました。今年は念願かなって、素晴らしいレースを見ることができました。

一粒の種-四社神社の秋祭り

2008年11月23日 14時43分52秒 | Weblog
今年の10月27日にも船だんじり「鹿」が曳き回された。水軍の町にある四社神社の秋祭りである。三台ある船だんじりは蜂須賀公が参勤交代に使っていた川御座船を模した船型だんじりで江戸時代から引き継がれた、非常に珍しいだんじりである。今年は三台の内の一台がお目見えした。
地元の徳島大学の学生(総合科学部文化人類学)たちが加勢して賑やかなお祭りになった。氏子連も大変喜んで、和気藹々の雰囲気の中で地元の人々との交流に繋がったと思う。
ひょっとすると、これが『阿波の水軍まつり』の記念すべき第一回の催しになるかも知れないと言われた。

祇園まつり・八幡丸を見学

2008年11月22日 13時28分12秒 | Weblog
今年の宍喰の祇園まつりに行きました。遅い報告ですが、お許しください。
7月17日に船型だんじり・関船が引き出されるということで、電車で出発しました。午前中は真夏の陽射しが強く、汗だくの見学でしたが、午後には雨が降り出して、濡れねずみとなり、それでも目的を達しました。
写真の関船・八幡丸はさすがに威風堂々としていて、境内の一角に据えられていました。
「これが有名な関船か」と感激しきりです。
一度祇園さんへお出かけください。阿波の関船は待っています。

もっと歴史を !!

2008年07月12日 19時52分49秒 | Weblog
 昭和20年の終戦を境に、私たちは日本の歴史、いや郷土の歴史さえ捨てさろうとした。人々の生活の歴史を消し去ることは不可能だが、それでも、歴史を否定することで歴史の連続性を失うことを余儀なくされた。今、歴史を冷静に振り返る時が来ていると思う。人間は歴史の中で生きることはあっても、歴史の中で孤立する生活を営むことは難しい。
 まず、身近な郷土の歴史を勉強しよう。江戸時代の260年の間、世界的にも稀と言われる平和な時代の智恵に学ぶことは自然なことだろうし、歴史に立脚してまちづくりを考えることもまた重要なことである。誰もこれを否定することは出来ない。阿波の徳島にも興味津々の歴史がある。
 写真は、蜂須賀家の菩提寺「興源寺」さん。

日本一の石灯篭・阿波藍商の印

2008年07月11日 18時15分59秒 | Weblog
 徳島市二軒屋町にある勢見山の金毘羅さんに、日本一を誇る石灯篭がある。金毘羅さんと言えば、讃岐の金毘羅さんが有名だが、徳島県内にも三大金毘羅さんがある。勢見山の金毘羅さん、徳島市川内町宮島の金毘羅さん、鳴門市木津の金毘羅さん、これである。阿波藍商たちは、海上輸送の安全を祈願して航海に関係する神社、県内の神社を始めとして広島の厳島神社、讃岐の金毘羅さん、大阪の住吉神社に石灯篭や鳥居、玉垣、狛犬などを寄進した。
 天保二年(1831)、大阪の住吉神社に神社中最大の一対の大灯篭が寄進された。勢見山の金毘羅さんの高灯篭はそれに関連するものであるが、この石灯篭は高さ九メートル、天保十年(1839)、藍玉大阪積仲間たちが寄進したものである。。

波乱万丈の阿波藍商 「大串龍太郎」

2008年07月10日 20時40分31秒 | Weblog
 阿波藍商は大小にかかわらず郷土に貢献した。中でも、東京の澁澤栄一、大阪の五代友厚が多くの企業設立に参画したように、徳島にあっては、大串龍太郎ほど企業の設立を企てた人物は少ないだろう。
 例えば、明治二十七年(1894)徳島電燈会社の設立。東京、京都、大阪、名古屋、横浜などの大都市に次いで7年後に電燈を灯したのである。又、徳島鉄道会社がある。明治二十九年(1896)、発起人18名と共に会社を設立し、自ら社長に就任した。この会社は鉄道国有化法によって、明治四十年(1907)に国有化された。設立時の開通区間は徳島~蔵本、府中~西麻植であった。金融機関としては、徳島銀行があったが、徳島県では第八十九国立銀行、久次米銀行につぎ明治十五年(1882)第三番目の銀行として設立され、大串龍太郎が頭取となった。この銀行は昭和初期の金融大恐慌の荒波に呑まれ、日本銀行総裁と徳島県知事の立会いのもと阿波商業銀行と合併することとなった。
 いづれにしても、藍商・大串龍太郎は企業家として徳島県に抜群の貢献をした人物と言える。
 写真は、阿波藍商の盛衰について熱弁をふるわれる泉康弘先生(波乱万丈の阿波藍商・講演会にて)