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奇跡のラグビーマン・村田亙-2

2006年05月17日 | 本の紹介

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 第1章「福岡」よりの抜粋です

 「とにかく小さかった」、亙の少年時代を知る人は全くの異口同音で
振り返る。小学校以来身長は常に学年で一番小さかった。

 草ケ江ヤングラガーズクラブ(KYRC)で亙はFBとしてプレーしていた。
ジャージの袖がダラリと垂れ下がる姿は亙のトレードマークであった。
まくってもまくっても激しいプレーを繰り返すうちに袖はすぐ伸びてしまう。

 デカイヤツには負けたくない。そう考え抜いた亙の足もとに絡みつく
タックルに大柄なランナーはことごとく倒された。

 「まるでハブに食いつくマングース」「カエル跳びタックル」は亙少年の
ニックネームになった。

 小学6年生の時に湯布院で行われた九州ラグビー交歓会に出場した
時に自身の将来を暗示する言葉と出会う。
 「アレは将来、日本代表になるぞ」亙のプレーを見たその人物は呟いた
 「あのバネは凄い。森みたいだ」(ジャパンの名CTBの森さんです)
その人物とは、明大OBで九州ラグビー協会役員の新島清氏であった。

 明大ラグビー部の歴史を築いた北島元監督は生前「至上最強の主将は」
と聞かれた時必ず「昭和14年の新島です」と応えたその人であった。

 誰も注目していない極端に小柄な村田亙の素質をいち早く見抜いていた。
芽はまだ地上に顔を出していない。だが、土の中では太い根が逞しく育って
いた。

 そして、中学を経て高校では強豪東福岡の一員として2年生からレギュラー
となった。東福岡対福岡工の試合の時、選手生活最大の怪我が襲った。
試合終了5分前にFLの頭で、亙の顎が砕けたのだ。それでもノーサイドまで
試合を続けた。村田選手らしいエピソードである