七夕の夕べ、二胡の七夕コンサートに誘われ、切なく激しい二胡の音色を堪能してきました。
楊興新(ヤンシンシン)氏は来日30年の二胡奏者であり優れた作曲家でコンサートの中でも何曲かご自分の曲を演奏されました。永六輔さんを兄のように慕い、以前は永さんがコンサートに協力してくれていたそうです。7月7日は、永さんの命日。
以前、テレビの追悼番組で放映されて知った永さんの詩。
『・・・寂しさ、悲しさ、苦しさには耐えてきた。でも耐えられないのは虚しさ。・・・』そのような内容の詩だった。
あの子は虚しさに耐えられなくて、あの日遠くに旅立ったのだろうか?
私があの子を亡くしてから翻弄されたのも虚しさ。
虚しさに襲われると生きようとするエネルギーが消えていく。
虚しさを振り払い振り払い、生きてきたのがあれからの日々だった。
二胡の音色はとても美しく心が揺さぶられ、コンサート中、音色の切なさが息子への切ない思いと共鳴し、胸が少し苦しくなりました。
何年経っても、やはり、本音は寂しく、悲しい。
「そうだよね。まだ切ないんだよね」30年以上前に幼子を亡くした友は子を亡くした母親の抱えるどうにもならない痛みに共感してくれました。
そうは言ってもシニアの私たちにはちょっと場違いな元気な若者が溢れる賑やかな店でメキシカンランチを美味しくいただき、白と黒で統一したモダンなインテリアの静かなケーキ屋さんで6種類のフランス風のケーキの味わいの違いを楽しんで一休みするくらいのプチリフレッシュはできるのです。出来るようにはなりました。
虚しさも悲しみも、うきうき感も味わいながら生きる日々を「善きかな」と開き直るまでにはならないけれど、これが私の人生。
今日もそんな一日を過ごしました。
「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味は分からない。」
苦しみ抜いて十余年、この頃はこんな心境になってきました。
その間にどれほど多くの遺族の方と出会ったことでしょう。
ゲーテのこの言葉を教えて下さったのもそんな遺族の方です。

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『虚しさ』
先立った娘の遺書には、まさにその言葉が連ねてありました。
どうしてその虚しい気持ちを、そうなった理由を、まわりの友人や家族に、一度も生前は話してくれることもなく、手紙にしたため遺し、自己完結の如く逝ってしまったのか、そこが本当に悔やまれてなりません。
今現在は娘を無くした虚しさをふりはらいながら、私も日々生きていますが……悲しみと寂しさとはなんとか付き合いながら生きていく覚悟をせねばなと、自身に言い聞かせてみてはいます。
今日も足元を見るのが精一杯ですが、生きています。
一緒に生き続けている家族に感謝しながら。
さりげない優しさ、言葉をかけてくれるまわりの人々に感謝しながら。
先立った娘を思いながら。
コメントありがとうございます。
お嬢様を思い、ご家族やまわりの人への感謝とともに、生きておられるですね。
どうか、お体お大事にお過ごしくださいね。
私も悲しみ、寂しさと付き合いながら、これからも生きていきたいと思っています。
これまでじっくり目を通せていなかった娘の日誌ファイル(学校クラス担任とのやりとり)も、最近読めるようになりました。
今さらのように……気づくことがあります。
日誌の中では早くから『死』について、雑談の延長のように発信していた箇所がけっこうあるようです。本当に雑談の延長程度なのですが……。
今だから思う、それが彼女の本心だったのですね……。
だれも気づかなかった。気づけなかった本心。
「亡き人は、こんな風に思っていたのかもしれない」となぞっていくのは辛いものですね。
それでもそうしたい。そうするしかない日々。
会えなくなったからこそむしろ、亡き子への思い、絆は深まっていく気もします。
お嬢様が今は穏やかにあちらの世界でお過ごしでおられますように、心からご冥福お祈りいたします。
モノクロさんもご体調、くれぐれも気をつけてくださいね。
会えなくなったからこその絆……その通りだと思います。もちろん生前も楽しく、そして切ない思い出、何気ない日常の中で絆を紡いではいたと自負していますが、
やはり娘の遺書にあった『虚しくなった』という言葉が突き刺さるのです。
娘を虚しさから救ってあげることはできず、かといいせめてもの助言をする機会にも恵まれなかった……いや、私が気づいてあげられなかった……。
悔しい気持ちで苦しい時があります。
寄り添ってくださり、ありがとうございます。
スタッフさんの大切な大切な故人様のご冥福もお祈りさせてください。
分かち合いの会でも、ありがとうございます。
安心して弱音や行き場のない辛い気持ちを話せる場があることに、感謝し申し上げます。
また。