難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

額田姫王を探して 飛鳥をウロウロ −1日目

2018年03月21日 | 歴史紀行
平成30年 正月
額田姫王を探して、飛鳥をウロウロ −1日目−


平成30年1月 5日(ミゾレ、寒いさむい 飛鳥)

 まず、去年の夏に、勉強不足で、探索できなかった、
中大兄皇子と、中臣鎌足らが、蘇我入鹿、暗殺の、
謀議を企んだ、相談の場所を調べに、
談山神社(たんざんじんじゃ)へ。

 談山神社の、名前の由来は、大化の改新 乙巳の変(いっしのへん)の
謀議をメグラした山に在る神社だから、明治の神仏分離令に
より、お寺さんから、神社に変更した際に名前を、
談山神社に決められたそうです。
でも、矢張り又、何かが私を、遠ざけようとします。
 そう、天気予報を聞いて心配していた通り、
談山神社の駐車場に到着した時は、雪が降り注いでいて、
路面にも、薄っすらと積もり始めていました。

 謀議を巡らせた場所は、談山神社から、徒歩で20分以上
しかも、坂道が急との情報。
「今日は中止にして、明日にするか。」


 次の予定場所の、今回のメイン、額田姫王(ぬかたのひめ)
晩年を過ごした、粟原寺(おうはらでら)跡へ。
ナビに導かれて、談山神社から、約15分、
山際の、村落に到着しました。
まだ雪は降り止まず、細くて急カーブの道が、
右左二手に分かれている交差点で、ナビが、
目的地付近に到着しました。案内を終わります。」
突然終了し、矢印で、粟原寺跡の方向を指し示すのみ。
つまり後は、自己責任で。ということらしいです。
 道には、ハイカーのための、粟原寺跡の案内矢印が在り、
村の住民のための細い村道、雪が薄っすらと降り積もった、
上り坂で離合するのがとても怖そうな道。
上から、村民の車が降りてきた時の、言い訳は?
「今日は中止にして、明日にするか。」


 今日の3番目の目的地へ。
 桜井市 長谷寺(はせでら)へ向かいました。

 大和の国 長谷寺
 西国三十三所 観音霊場第八番
 真言宗豊山派総本山


「此処ここ!」とオバチャンに案内されて、
民間の駐車場に車(ホンダLIFE)を止め、正門からお参り。
三ツ折で続く階段を登ってゆきました。


「土佐日記」の紀貫之が読んだ、古今集の梅の花がありました。

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」

 階段の両脇に、わら笠をさしてもらった大きな花が。


小雪に揺れて、咲いていました。

参拝を終え、受付で花の名前を聞いてみました。
「大きな美しい花を見せて貰ったんですが。
お花の名前は何なのでしょう?」

「牡丹です。冬牡丹と言っています。」
「この寒い冬に 牡丹ですか?」
「ええ、温室で育てて、花が咲いた牡丹を持ってきて、
参道の階段に生けています。」

「とてもお手を、おかけなんですね。」




 段差は低いのですが、かなりの段数を登った所に、ご本堂が
ございました。
 ご本堂には、十一面観世音菩薩がおられ、とても大きく
お参るする人々を、とても優しく見守って貰っていました。

  (案内パンフから)

隣で手を合わせれおられた方に、
「とてもお優しくて、心が癒やされるようですね。」と、
ため息と一緒にお話しをしましたら、
「そうでしょ、このお顔に見惚れてしまいまして、
檀家になってしまいました。」
「檀家になったおかげで、御本尊様にはもっと近づいて、
お祈りすることができるんですよ。」

とても満足げに、お話しされておられました。

 奈良や飛鳥が好きで、定年後、奈良に移り住む人が多いと
聞きます。私の義理の兄も、定年後、奈良に移り住み、
飛鳥探索に明け暮れ、とうとう、自分だけ先に、奈良で
人生を全うしたと、無理矢理に奈良に連れてこられた、
義理の姉が、葬儀の時にボヤイテいました。
そういえば、飛鳥の近くに新興住宅街が沢山有るなと
思ったのですが、やはり古代史ファンの需要が在るようです。
私にも、少し願望が在るようですが。でも私の 鬼嫁 では??
 閑話(寒い話)休題!!

 残念ながら、ご本堂内は撮影禁止の立て札が、たくさんあり、
撮影は、遠慮させていただきました。
 境内全体に、落ち着いた長い歴史を感じさせていただける
とても好きになれたお寺です。

 遅い昼食を、参道街の土産物やさんで、名物のそば定食(笠そば)を
頂き、暖かく美味しいそばに大満足しました。

長谷寺 奈良県桜井市初瀬731−1
    TEL;0744−47−7001
    駐車場代;500円(平成30年1月5日現在)


寒さに負けて、今日は早めに、ホテルに直行
泊まりは、いつもの{サンホテル大和郡山}に
チェックイン。
 このホテルは、奈良観光には地理的に、中央部に在り、
交通の便がいいのと、車の騒音も気にならない程度で
熟睡できるのが、毎回使う理由です。
欠点は、モーニングサービスの内容が少し、寂しいのが!
まっダイエットを、強く 鬼嫁 から言われている身には
向いているのかも。
 それに、そのおかげでしょうか、海外からのツアー客が
少なく、予約が取りやすいと思えます。

 ホテルで少し仮眠して、夕食を取りに、ホテルから
少しのところ(徒歩約3分)にある、何時もの
居酒屋{おねえ}へ。
母娘の親子でやっておられる、とても気楽なお店です。
年に一二度の客なのですが、顔を覚えていただいており、
気さくに応対していただいております。
今日は新年ということで、金箔入りの日本酒を
お屠蘇代わりに、一杯振る舞っていただけました。
常連さんが次々に、来店され、和やかに楽しく、夕食を
過ごすことが出来ました。
 ちなみに、この日は、ビールと日本酒大2杯、おつまみに
串カツ6本盛り合わせと、別にあと2点をいただき、
三千円ちょっとでした。(御参考までに)
 話が逸れてしまうのですが、おつまみに注文した
「とん平焼き」なのですが、最近良く、居酒屋の
メニューに載っているのですが、この店の工夫で美味しく
作られており、この名前で無ければ、わだかまりは
無いのですが、私のような、大阪でサラリーマンを
経験したものからしたら、
「これは、とん平焼きとはちゃうやろー。」
と言うと思います。
私が「とん平焼き」と、舌と脳裏にに焼き付けているのは、
大阪梅田 曽根崎商店街のお初天神へゆく途中の、
曽根崎小学校の前(都市部若年層減少のため、現在廃校に
なっています。)にあった、とん平焼き専門店の
将に「とん平焼き」です。
 私が就職し、先輩に連れて行ってもらえた、飲み屋街。
ハシゴで、二軒目に行く途中で。
「アッ! この店が、大阪北の名物や。」と言って、
連れて入らせていただいたのが、この店でした。
 とん平焼きは、暑さが5mm以上ある豚のステーキを、
軽く焼き、お好みの下地のメリケン粉汁を引いて、
その上にステーキを乗せ、その隣に、卵を割って、
黄身を潰して伸ばし、その上に、隣のメリケン粉汁が付いた
ステーキを手前に乗せ、卵でくるみ、ソースとマヨネーズを
塗り、4つほどに切り離して、客の手前の鉄板に移してもらえる、
とても暖かくて、美味しい料理でした。
以前、コンビニの弁当コーナーで、「とん平焼き」を見つけ、
懐かしくて買って食べたのですが、「なにこれ、薄い豚肉を
2枚ほど重ね、卵で巻き上げて、ソースとマヨネーズを
大量に掛けただけやんか!」

そういえば、10年ほど前、現役時代 九州に出張した時、
いつもの居酒屋で、とん平焼きのメニュウが加えられていたのを
見つけ、注文したのを思い出しました。その時も、
「えっこれ何?」と思い、九州ではこれが「とん平焼き」
何だと、呆れ果てたのを思い出しました。
コンビニも、「おねえ」も同じ料理法でした。
一度、曽根崎商店街に行って、「とん平焼き」を
確認してこようと思っています。乞うご期待!

  (平成30年3月21日 校閲)



 1月 6日(曇り、時々ミゾレ 寒い)
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 1月 7日(晴れ (^O^))
額田姫王を求めてウロウロ 3日目へ 飛ぶ。




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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。



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