コジタン-故事譚-

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宋襄の仁

2004年12月30日 | 故事
春秋時代のおはなし。

第一の覇者といわれる斉の桓公が死ぬと、
宋の襄公は、桓公に代わって覇者になろうとしました。
襄公は宋国内で、仁政をおこなって、自分の仁道主義に絶対的な自信をもっていました。

あるとき、宋は鄭の国を討とうとしました。
しかし、楚は宋と同盟を結んでいたのに、この鄭を楚が救援したのです。
これに襄公は激怒して、楚と戦おうとしました。

そして、楚と川のほとりで対峙しました。
先に楚軍が河を渡って、攻撃を仕掛けてきました。
参謀は襄公に、
「敵が渡河中に攻撃しましょう」と進言しました。
しかし、襄公は、
「君子は、他人の弱みに付け込んだりしないものだ」
と、まったく取り合いませんでした。
そして、楚が河を渡り陣形が整ってから、宋軍は攻撃しました。
しかし、大軍の楚に正面からぶつかっても勝てるはずがなく、
宋は惨敗。襄公もこの戦いで傷を負い、
それがもとでこの世を去りました。

このことから、宋襄の仁は、無益な情け、的外れのあわれみ、。
また、情けをかけるときは時と場合を
考えなければならないという意味になったのです。

しかし、これを見る限りでは襄公は愚かな君主ですが、
儒家から見れば、仁を貫いた君主として評価されていますし、
評価がわかれている人物です。

まぁ、今の世の中には少しは「宋襄の仁」が必要なのでないでしょうか。