コジタン-故事譚-

役に立つ故事や春秋戦国、三国志アーンド日常生活についてあつーく語るブログ

咲き乱れる悪の華 李儒

2004年12月30日 | 三国志
字 不明

生没年 ?~192


概略
「演義」のみに登場する、董卓の知恵袋。
董卓の娘婿であり、その信任を得て、
智謀を存分に奮う。やや粗暴短慮な董卓に計を授け、
董卓の暴政に油を注いだ。
少帝廃立、弑殺を始めとし、数々の悪辣な計略を立案するだけではなく
自ら実行するさまは流石に一介の策士ではない。
董卓もこの参謀の言葉には耳を傾け、進言にも従った。
だがさしもの李儒も、貂蝉の仕組んだ連環の計だけは破ることが出来なかった。
諌言を聞きいれられなかった李儒は「我らは婦人の手にかかって死ぬのか」と
呟き、董卓が殺されると、自分の奴隷に捕らえられ斬首された。


まとめ

僕は彼は相当な軍師だったのだ思う。
三国志の序盤では一番の軍師だと思う。
あの暴君董卓をコントロールしたその力量は凄い。
善悪は後の歴史が決めることだが、
李儒は董卓の為を思って、献策していたのだ。
もし董卓が天下をとっていれば、
彼は今の諸葛孔明のような扱いを受けたかも知れない。
奴隷の手にかかって死ぬのはあまりにも象徴的だ

早すぎた皇帝 袁術

2004年12月30日 | 三国志
字 公路

生没年 ?~199

出身 汝南

概略
司徒袁逢の子で袁紹の弟。
曹操の董卓誅滅の檄に応じて、集結した諸侯の一人。
南陽の太守。
洛陽に攻め上り、連合軍の兵糧の監督をするが、
先陣の孫堅が力を増すのを恐れて兵糧を送らなかった。
また、関羽の地位の低さをなじり、その関羽が董卓配下の猛将華雄の首級を
あげたのを喜んだ張飛の言動に怒りを表した。
後に袁術は物資の豊かな淮南にあって、帝位を僭称した。
しかし、そのあまりの贅沢振りに人心は離れる。
そこで伝国の玉璽をもって袁紹を訪ね、援助を引き出そうとするが、
途中劉備に襲われる。
兵にも見捨てられ、兵糧も尽きた袁術は病を発し吐血して死んだ。



エピソード 「袁術の死」
帝位を僭称し、贅沢を謳歌した袁術。
しかし死に方は惨めなものであった。
死の床で、好物である蜜の水をくれと命ずるが、
そんなものは無いと言われ、
袁術は寝床に座ったまま一声叫んで吐血して死ぬ。



まとめ
袁術の後生の評価は極めて低く、嫌われている。
某漫画ではサルになってしまう。
しかし、僕はそこまで袁術は無能な人間だとは思わない。
帝位を僭称したのは評価する。
彼の行動は次代を先駆けたものであるし、
漢王朝の権威を完璧に否定した。
確かに玉璽をもっただけで、皇帝になる言うのは
愚かな行為だが、
周りにもう漢皇帝の権威はなくなったということ示した点は評価できる。

宋襄の仁

2004年12月30日 | 故事
春秋時代のおはなし。

第一の覇者といわれる斉の桓公が死ぬと、
宋の襄公は、桓公に代わって覇者になろうとしました。
襄公は宋国内で、仁政をおこなって、自分の仁道主義に絶対的な自信をもっていました。

あるとき、宋は鄭の国を討とうとしました。
しかし、楚は宋と同盟を結んでいたのに、この鄭を楚が救援したのです。
これに襄公は激怒して、楚と戦おうとしました。

そして、楚と川のほとりで対峙しました。
先に楚軍が河を渡って、攻撃を仕掛けてきました。
参謀は襄公に、
「敵が渡河中に攻撃しましょう」と進言しました。
しかし、襄公は、
「君子は、他人の弱みに付け込んだりしないものだ」
と、まったく取り合いませんでした。
そして、楚が河を渡り陣形が整ってから、宋軍は攻撃しました。
しかし、大軍の楚に正面からぶつかっても勝てるはずがなく、
宋は惨敗。襄公もこの戦いで傷を負い、
それがもとでこの世を去りました。

このことから、宋襄の仁は、無益な情け、的外れのあわれみ、。
また、情けをかけるときは時と場合を
考えなければならないという意味になったのです。

しかし、これを見る限りでは襄公は愚かな君主ですが、
儒家から見れば、仁を貫いた君主として評価されていますし、
評価がわかれている人物です。

まぁ、今の世の中には少しは「宋襄の仁」が必要なのでないでしょうか。

天水の麒麟児 姜維

2004年12月29日 | 三国志
字 伯約

出身 天水

生没年202~264

享年 62歳

概略
最初は魏の役人だったが、対戦した諸葛亮がその才能を評価。自分の後継者にと望んだ。諸葛亮の策によりやむを得ず投降し、以後は諸葛亮  の腹心となる。諸葛亮の死後は蜀の軍事を担うことになるが、諸葛亮の遺志を継ぐとして、たびたび魏に出兵したために成都の文官からは反感を買った。艾、鐘会の活躍によって次第に押されぎみとなり、ついに魏軍が蜀に侵攻してきた。姜維は最期の策として鐘会に独立をそそのかし、艾を殺すことに成功した。しかし、既に意図を察知していた司馬昭の命により、鐘会ともども魏兵に討ち取られた。



正史と演義の相違
・演義では専ら武将として活躍するが、蜀史の「姜維伝」によれば、鄭氏の学を好むとある。彼は後漢の大学者鄭玄の系統の儒学者の一面を持つ    人物であった。

・演義では鐘会をそそのかし独立させ、魏の諸将を殺させ、そのあと鐘会を殺して蜀の復興を考えていたが、正史には記述はない。



姜維に対する疑問
 儒学を修めながら、戦争に明け暮れたはなぜ?
 正史の姜維も同じように蜀の復興を目指していたのか?



姜維のゲーム上での能力の変遷

 三国志Ⅶ
  戦闘86 知力89 政治62 魅力80

 三国志Ⅷ
  戦闘89 知力92 政治76 魅力82

  義理13 野望13 冷静7 勇猛5 有名5

  築城 反計 混乱 歩兵 騎兵 弩兵

  突撃4 奇襲5 落石4 乱撃3 槍衾2 斉射3

考察 
能力は上昇傾向にある(コーエーに姜維ファンでもいるのか)もう少し戦闘は少なくていいと思う。知力は90台は高すぎ。政治は酷かもしれないが50台でいいと思う。魅力?個人的には100ですよ(笑)おもしろいのは野望と義理が同じってこと。姜維をうまくあらわしていると思います。

自分の理想の能力
戦闘76 知力84 政治55 魅力100(まだ言うか)
これぐらいのほうが可愛げがあるでしょう。



姜維の評価

・「其胆大如鶏卵」
 その肝の大きさは鶏卵の如し
 もちろん比喩表現でしょうが、こんなに大きかったら病気です

・「為人好立功名、陰養死士、不修布衣之業」
 人と為り功名を立つるを好み、陰かに死士を養い、布衣の業(注)を修めず

注 布衣の業(儒学の徒が無位無官のときにするような読書や人のために本を書き写すこと)


河北の巨人 袁紹

2004年12月29日 | 三国志
字 本初

概略
四代にわたって三公をだした名門の家柄。司徒袁逢の子。189年霊帝が死ぬと宦官誅滅作戦を進めた何進将軍が宦官に殺された。それを機に宮中に兵を入れ、宮中の宦官を皆殺しにした。しかし王権は加勢のために何進が呼び寄せた董卓に移り、袁紹は渤海の太守に任じられた。翌年に董卓討伐の連合軍が催されると推されて盟主となる。その後冀州を本拠に公孫サンと対決。199年に公孫サンを倒し河北に一大勢力を築いた。200年には中原を制覇すべく兵を起こし、官渡で曹操軍と対決する。しかし部下の裏切りもあり敗れ、二年後に病死した。



・袁紹のゲーム上の能力の変遷


三国志Ⅶの袁紹

戦闘80 知力76 政治72 魅力84

相性101 寿命2



三国志Ⅷの袁紹
154~201

武力68 知力75 政冶77 魅力90

義理6 野望13 冷静3 勇猛4 寿命2 相性101 有名5

乱撃3 撹乱4 乱射3 攻城1

袁紹は魅力は見直される傾向にある。Ⅷでは90にもなったが、これはちょっと高すぎだと思う。あと武力の定義は難しいが統率をいれたとしても袁紹の能力はⅧが妥当ではないか。個人的に袁紹の能力はもっとあげてほしい。寿命が短いのは仕方ないか。



・袁紹の評価

陳寿「魏史」袁紹伝の評

 「外寛内忌 好謀無決」

 「有才而不能用、闇善而不能用」

苟「魏史」苟伝の評

 「貌外寛而内忌、任人而疑其心」

范「後漢書」袁紹伝の論

 「初以豪侠得衆、遂懐」

大体の書物での袁紹の評価は外見は立派だが中身は伴わないというものが多数を占めている。しかし袁紹は官渡に負けたからこのような評価を受けるのではないか。袁紹は立派な部分もあったのに、官渡の敗戦が彼の評価を全て決めてしまった。日本史では今川義元と似ているような気がする。

唇滅びて歯寒し

2004年12月29日 | 故事
春秋時代、晋の献公はカクの国を討とうとしていましたが、
そのためには虞の国を通らなければなりませんでした。
そして献公は虞に道を借りたいの頼みました。
 
虞の国では、宮之奇という臣が、虞公(虞の王)を諫めていました。
「カクと虞は一体ですから、
カクが滅びたら虞も滅びるでしょう。
車の両側を挟む木と車とが一緒になって物を運ぶのだし、
唇と歯は二つの物だが切り離すことはできないのです。
虞とカクの関係まさにこのようなものなのです。
晋にわが国を通過させるなど、もってのほかです。」
しかし、いくら諌めても、賄賂に目のくらんだ虞公には無駄でした。
結局、宮之奇は国を去ってしまいました。

果して、晋は虞の領土から攻めこんで、カクを滅ぼしました。
晋は帰途虞に宿営し、不意を襲って虞を滅ぼしてしまいました。

この故事から「唇滅びて歯寒し」は
どちらも欠くことのできない密接な関係をいうことになったのです。

そのような関係にあることは、自分では気づきにくいものです。
失った時、初めて気づくものなのです。
僕たちは、様々な人と知らないうちに
「唇滅びて歯寒し」の関係なっているのではないでしょうか。
みんな支えられてるんですよ、知らないうちにね。

おしまい