美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

足助城(その3)

2010-05-25 19:00:16 | 日記


足助城(その2)の続きです。

いよいよ頂上の本丸まで登ってきました。
本丸の入口にも小さな門があり、
その門から入ると、細長い長屋のような建物があり、
その奥に本丸の建物が再現されています。



何度も言いますが、この足助城の当時の資料は残っていないため、
発掘調査の結果をもとに、この時代の建物を推定して復元したものです。

石垣は無く、瓦屋根もありません。
(シャチホコもありません)

けれどよくよく見ると、
銀閣寺によく似た、武家書院風の建物ですね。

この屋根は、1cmくらいの厚さの杉板を10枚くらい重ねたもので
「こけら葺き」と言います。

「こけら」という字は「柿」に似た字で
この屋根に使われているような細い木片のことを言い、
建設工事の最後に現場の木片を片づけることから、
建物が完成することを「こけら落とし」と言うようになったのです。



本丸は二階建てですが、
二階の間は重要な会議であるとか、来客があった時にしか使わなかったようです。

城主も普段は、一階のこのスペースに座っていたようです。
たった畳2枚のスペースです。
ここに起居するのは戦の時だけだったので、
リラックスできるスペースは必要なかったのかもしれません。

ちなみに、
トイレ(便所)は、この本丸にあった殿様用の厠(かわや)だけで、
他の将兵は野外(山の中?)で用を足していたか、
あるいは桶のようなものに溜めておいて、
身分の低い者が捨てにいったようです。



二階の窓から撮影しました、足助の町並みです。
三河から南信州に至る街道が一望できます。



本丸の下に置かれていた、足助周辺の案内板です。
足助には5つの街道が集まっていた、というのが良く分かります。

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足助城見学・総集編(美里ボランティアガイド会)
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足助屋敷(その2)

2010-05-25 18:32:37 | 日記


足助屋敷(その1)の続きです。

「三州足助屋敷」の特徴は、
単に昔の建物や道具を展示しているだけでなく、
昔の生活を常時実演していることです。

竹細工(ザルや傘を作っていました)、鍛冶屋、機織り、
木地師(木を削ってお椀などを作る)、染物、などです。

上の画像のベージュ色の建物には、
竹細工で昆虫などを作って販売しているおじさんがいました。


 ↑
水車小屋。



大量に積まれた雑木の枝。
この奥に炭焼き小屋があって、実際に炭を焼いています。


 ↑
観光パンフレットでも有名な「待月橋」です。
一番大きな駐車場(市営宮町駐車場)に停めた場合、
巴川沿いに歩いてこの待月橋を渡り、足助屋敷に向かいます。

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足助城見学・総集編(美里ボランティアガイド会)
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足助屋敷(その1)

2010-05-25 18:20:04 | 日記


愛知県豊田市足助町にある、
昔の農村の生活を再現したテーマパーク「三州足助屋敷」です。

入口の大きな門を入ってすぐに「母屋(おもや)」の建物(↑)があります。



「母屋」とは、昔の農家の建物のなかで
家人が寝起きし、生活した中心的な建物です。

この母屋のほかに、納屋、土蔵、牛小屋などが
別棟となって同じ敷地に建っているのが普通でした。



牛です。模型ではなく、本物の牛がいました。
画像には写っていませんが、そばに仔牛もいました。



三州足助屋敷
入場料:大人500円、小中高生200円、
開館時間:午前9時から午後5時まで、
休館日:木曜日と年末年始は休館、
    ゴールデンウィークと11月は無休、
電話0565-62-1188

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足助城(その2)

2010-05-25 16:22:03 | 日記


足助城(その1)の続きです。

西の丸の物見矢倉から、順路に従って歩くと、
本丸のすぐ下に、台所を再現した建物群があります。

この建物は、
戦(いくさ)になってこの城に軍隊が籠った時に、
将兵の食事を作るための施設を再現したものです。



こちらは、屋外の炊事場です。
石を並べただけの竈(かまど)を、質素な屋根で覆っています。


 ↑
こちらは、おそらく貯蔵庫も兼ねた建物だったのでしょう。
かなり大きな建物です。

この建物も、他の建物と同様に平成2年に復元されたものです。
発掘調査で明らかになった柱穴の配置から、
これくらいの大きさの建物が建っていたということは分かったのですが、
当時の建物の形を描いた資料が無いため、
同時期の建築物から推定して再現したそうです。

城跡公園のガイドのおじさんが
「この当時は、基礎(の石)はなくて、
 土に穴を掘って柱を立てた、いわゆる掘立小屋(ほったてごや)だったのだけど、
 そこまで再現すると、柱が早く痛むので、下に基礎の石を置いてある」
と言っていました。



内部には囲炉裏が再現されていました。
10人くらいなら、ここで食事をすることが出来たようです。
身分の高い武士だけは、ここで食事をすることができたのでしょう。

この建物の屋根は板葺きです。
(最初の画像では光って見えますが、瓦ではありません)
1cmくらいの厚さの杉板を10枚以上重ねて葺いてあります。

主要な柱は栗の木を使っています。
こんなに太い真っすぐな栗の木は
なかなか見つからなかったのだそうです。

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