Lia misaki -璃亜 未沙樹- の 「光の世界」への日記  地球-魂- との ~完全な調和へ~

インナーチャイルドワーク・セラピスト、集合意識(アカシックレコード)、薬剤師資格(石油薬の害など)&Vo(音楽)♪

「医者が患者をだますとき」追記

2007-04-14 09:17:14 | 人工合成化学物質の害 ・・・薬害など

http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/iryou103.htm
 
http://homepage3.nifty.com/himaari/c-1.htm#9


「あなた 病院に行くと病気になりますよ」


医者が患者をだますとき/Robert S. Mendelsohn

(原題:Confessions of a Medical Heretic)/弓場隆 訳、草思社


健康とは何かをいちばんわかっていないのが医者だ。
現場の医師が現代医学を厳しく批判して全米ベストセラーとなったのが本書。
診察から各種の検査、薬の処方、手術、入院、医者の習性から医学教育にいたるまで、
患者の知らない、知らされていない問題点が痛烈なユーモアをこめて明かされる。

現在の医療の9割がそもそも不要だ。
健康診断を受けると具合が悪くなる。病気の基準は医者が発明している。
医者が仕事をしないと病人が減る。病院に行くと病気になる‥‥‥
などなど、患者の立場に立った貴重な指摘が満載の一冊。


1)医者のストで死亡率が大幅に減少


医者がストライキをするとどうなるか?

「医療による大量虐殺」という言葉がある。これはクエンティン・ヤング博士が唱えたもので、
医者が組織的に大量の人間破壊を行っているという意味である。

 現代医学教がいかに猛威を振るつているかは、医者の団体がストライキに入ったときにはっきりと現れる。
医者が仕事をやめると世の中が平穏になるのだ。

 1976年、南米コロンビアの首都ボゴタ(現サンタフエデボゴタ)で、医者が52日間のストに突入し、
救急医療以外はいっさいの治療を行わなかった。
現地の新聞は、ストがおよぼした奇妙な「副作用」を報じた。
ストの期間中、死亡率がなんと35%も低下したのである。
国営葬儀協会は「この現象は偶然なのかもしれないが、事実は事実である」とコメントした。

 同じ年、ロサンゼルスでも医者がストライキを決行した。
このときの死亡率の低下は18%だった。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校で医療行政を研究するミルトン・レーマ-教授が、17の主要病院を調査したところ、
ストの期間中、手術の件数が60%も減少していたことが明らかになつた。
そして、ストが終わって医療機器が再び稼働を始めると、死亡率はスト前と同じ水準に戻ったのである。

 1973年にはイスラエルでも似たようなことが起きている。ストが決行され、
診察する患者の数が1日65000人から7000人に減らされた。
ストは1か月間続いたが、エルサレム埋葬協会によると、
イスラエルでもストの期間中、死亡率が半減したという。
イスラエルでこれほど死亡率が減少したのは、
二十年前にやはり医者がストをしたとき以来だったという。

 この現象について説明を求められた医者たちはこう答えた。

「救急患者に限って診察したので、労力を重症患者の治療に集中することができたからだ」

 この発言は、医者が不定愁訴程度の治療の必要のない軽症患者に対し、
不要な治療をしなければ、人命救助に専念できるということを意味している。

 医者が救急医療に専念して、不要な医療行為を慎むのは正しい選択だ。
かねてから私は、医者は永遠にストを続ける必要があると主張してきた。
医者が医療行為の九割をやめて救急医療にだけ取り組めば、人々の健康状態は間違いなく改善されるはずである。


知人の医者からこんな手紙をもらった。

「人々に希望を与え、世の平和に貢献するために、医者だからこそできることとは何だろう」

私は返事を出した。「医者をやめることだね」


2)高齢出産で奇形児が生まれる率が高い原因のひとつは、母親が不用意に浴びた必要もないⅩ線

 

 予防措置を名目に、女性に対して行われているキャンペーンがもうひとつある。
それは「一定の年齢を超えたら子供を産むのは危険だ」というもので、
医学界の広報活動によって、そう思い込んでいる人は世間に大勢いる。

 私が医学生だったころは、「45歳を超えたら子供を産むべきではない」と言われていた。
それが、研修医のころになると40歳となり、
さらに専門医学実習生だったころには38歳というように、
その年齢はだんだんと下げられてきた。

 出産年齢の上限に制限を加える理由について、医者は「年齢とともに卵子が疲労する」と説明する。

「疲労卵子症候群」が奇形児の原因になるとでも言いたいのだろう。
では、男性に「疲労精子症候群」がないのはどうしてなのか。

 母親の年齢と奇形児の出産に、実は因果関係など認められないのである。
それどころかジョンズ・ホプキンス大学医学部の研究で、
レントゲン検査で医療被爆を経験した女性は、レントゲン未経験の同年齢の女性に比べると、
ダウン症児が生まれる確率が七倍も高いことが明らかになっている。
この報告の正確さはこれ以外の研究によっても裏付けられている。

 高齢出産で奇形児が生まれた場合、その原因のひとつは、
出産するまでに母親が何度も不用意に浴びてきた必要もないⅩ線にあったのである。

 

レントゲンによる被曝の儀式

 医者があつかうさまざまな医療機器のなかでも、いちばん普及していて、
しかも危険度においてこれに勝るものがないものといえば、レントゲン装置である。
だが、危険とは知りつつも、レントゲンがもつ宗教的な意義は大きい。
医者にとってレントゲン装置と縁を切ることほどつらい別れはないだろう。

 何しろ自分では見られない体のなかを透視でさるのだ。
そのレントゲン装置を自在にあやつる医者に、患者が畏怖の念を抱くのも無理はない。
医者は患者のこの心理を見抜いている。
それに陶酔した医者は、ニキビが発生するからくりから胎児の成長の神秘まで、ありとあらゆる検査にレントゲン装置を使いまくるのである。


3)小児白血病は、胎児のときの医療被爆つまりレントゲンと深い関連がある


小児白血病が胎児のときの医療被爆つまりレントゲンと深い関連があることは
すでに実証されていることだが、医者はそれには無頓着を決め込む。
二、三十年前に頭部、首、胸の上部に放射線を浴びた人たちの間で、
甲状腺機能低下症が何千、何万という単位で発症しているし、
甲状腺がんは、歯科医のレントゲン検査10回で浴びる放射線量を下回る線量の被曝でも発症することがある。

 すでに何人もの科学者がアメリカ議会でこう警告している。

「たとえ低線量の放射線でも、人体に照射すると遺伝子を損傷して、
現世代だけでなくそれ以降の数世代にわたって大きな影響をおよぼす恐れがある。
Ⅹ線は糖尿病、心臓病、脳卒中、高血圧、白内障といった、いずれも加齢に伴う病気の原因になる」

 がんや血液の異常、中枢神経系の腫瘍の原因が放射線にあると指摘する研究はほかにいくらでもある。
病院や診療所、歯医者で受けた医療被曝が直接の死因だと見られる死亡者は、
毎年4000人以上にものぼると堆定されている。

 こうした死亡と病気による苦痛は、避けることが十分にできたはずだと私は考えている。
私が医学生だった1950年代においても、すでに胸部レントゲン検査は実際の治療には意味がないと教わった。
比較的最近の調査でもこれは変わらない。
マンモグラフイー(乳房レントゲン撮影法)という乳がん検査の診断が正確さを欠くことは、
実習を受けた医者も何も受けていない医者も同じである。

 放射線技師による重症患者の胸部レントゲン写真の読影について、ある調査はこんな報告をしている。
技師の24%の読影がほかの技師の読影と食い違い、
そして、同じ写真を再度読影すると、技師の31%が以前とは異なる結論を出したというのだ。

 別の研究では、
肺に明らかな異常を示す胸部レントゲン写真を正常と誤読した者が32%いたことが判明している。
専門家の30%が読影について見解が一致せず、
20%が一度目と二度目の読影で判定が違っていたことを報告する別の研究もある。
ハーバード大学の研究は、放射線技師によって読影結果が一致しない割合は20%以上だと報告している。


4)乳ガン検診のマンモグラフィーが、発見する以上に乳がんを引き起こすとの科学的証拠は数多くある


 レントゲン検査はその危険性と不正確さがいくら指摘されても、
多くの医者と歯医者の診察室で聖なる検査としていまだにあがめられている。
毎年数十万人の女性が胸部レントゲン検査を受けるために順番待ちをしているのは皮肉な状況だ。
マンモグラフィーが乳がんを発見する以上に乳がんを引き起こしているという科学的な証拠は、
活字となつていくらでも出版されているというのに。

 

健康診断は患者の 〝青田買い〟

 この数十年間、医学界も”目玉商品”と同じ原理で客を集めてきた。

定期健康診断がそれである。

 健康診断とは、体のどこにも異常のない健康な人を引き寄せて検査をし、病気と診断して顧客を獲得するために医者が使う常套手段なのだ。

 このやり方が功を奏してきたことは間違いない。高圧的な売り込みに毅然として断ることのできる人でないかぎり、ほとんどの人が健康診断は健康維持のために必要だと信じ込んでいる。

 

 当然だろう。医学界はこの考え方を世間の人びとに広めるために、アメリカがん学会などの組織の協力を得てあらゆる手をつくしてきたのだ。

その典型的な例が「がん検診を繰り返し受けて、がんと闘いましょう」というスローガンである。

 

 わたしは定期の健康診断と検診が無効であることをずっと以前から主張し、非難を浴びてきた。

しかし、アメリカ医師会とアメリカがん学会は最近になってようやく、無症状の受診者にとって健康診断と検診は不利益が利益を上回るおそれがあることを認めるようになった。

 

とはいえ、これらの組織がこの心変わりを大々的に公表することを期待してはいけない。


 しかしながら、アメリカ医師会は定期健康診断の受診を勧めなくなったし、アメリカがん学会も毎年のマンモグラフィー、子宮頚部の細胞診、胸部レントゲン検査といった定期検診を推進しなくなった。遅きに失したといった感があるが、医学界がついに折れざるをえなくなったのだ。その理由は明らかである。

これらの検査はたんに無効であるというだけでなく、実際に危険であるという確証がいくらでもあるのだ。


 定期健康診断が時間と経費の無駄づかいであることは、この十数年来、多くの研究によって立証されている。

 もっとも詳細な研究の一つは、カリフォルニアのカイザー健康保険が十年間にわたっておこなった研究である。
保険に加入している三十五歳から五十四歳までの経済的・社会的に似通った地位にある人びとを対象に、定期健康診断を半年ごとに受ける群とまったく受けない群に分けて七年間調査した。

それによると、健康診断を受ける受けないに関係なく、両群の人びとの死亡率と有病率を含めて全般的な健康状況は同じだったことが判明した。

 

 わたしががん検診とそれに付随するさまざまな検査に疑念を抱くのは、それがほとんど無意味であるというだけでなく、受診者に肉体サメージを負わせ、死に至らしめることがあまりにも多いからである。

 その典型は子宮頚部の細胞診である。この検査はその有効性を証明する十分な研究がおこなわれていないにもかかわらず、子宮頸がんの画期的な検査法として医学界でもてはやされている。ある研究では、アメリカの十人歳以上の女性の半分以上が前年にこの検査を受けたと報告されている。

 

 *訳注
 日本では、旧厚生省が健康政策を推進し始めた一九六五年から健康診断と人間ドックが急速に普及した。さらに八二年に老人保健法が成立して以来、全国の市町村が実施する検診(一般検診とがん検診)が盛んになり、アメリカがん学会が提唱した「早期発見」という考え方をもとにした「病気の早期発見・早期治療」というスローガンが国民の間に定着した。

 
 


5)意味のない手術は現実に多数行われている(米の例:切除体の検査委員会設置→虫垂手術激減)

 

 意味のない手術


 二十世紀後半の医学が後世に語り継がれるとき、次の二つのことが必ず話題にされるだろう。

 ひとつは薬禍である。奇跡とまで称賛されたペニシリンやコルチゾンが薬漬け医療を生んだ。
そして、もうひとつが手術禍である。
生身の体を刃物で切り裂く蛮行が毎年数百万例も年中行事のように行われているのである。

 かつてアメリカ議会小委員会が提出した資料には、国内で行われた手術の実態が次のように報告されている。

 毎年240万例以上もの必要のない手術が行われ、そのために40億ドル以上が浪費されている。
術中・術後に死亡する年間25万人にものぼる患者のうち、
その5%にあたる12000人以上がこうした不必要な手術の犠牲者である。 
健康調査グループという独立機関の調査では、
必要が認められない手術は年間300万例以上とされ、
さらに複数の調査が、その数は全手術の11~30%を占めていると伝えた。
私は、手術の九割前後が時間・労力・費用ともに無駄であるばかりか、
なにより手術そのものが尊い人命を奪う結果になつていると考えている。

 手術を勧められた患者を調査した研究によれば、
そのほとんどのケースに手術の必要が認められなかったばかりか、
調査対象となつた全患者の半数が、そもそも医療処置そのものが不要だったことが判明している。

 手術で切除された体組織を調べる委員会が結成され、その結果が驚くべき統計となつて発表されている。

 ある病院では、委員会が結成された年の前年に262例の虫垂摘出術(盲腸の手術)が行われていたが、
翌年には178例に減少した。そればかりか、その後数年間で62例にまで激減した。
その結果、「正常な虫垂」が摘出される割合も55%と半減している。
同様の現象はほかの病院でも見られ、
委員会の結成を契機に、この摘出手術が三分の二も減少した病院のこともあわせて報告されている。

 ただ、委員会を構成するメンバーは、いずれも現代医学教を信奉する医者たちである。
したがって、彼らが効果があると信じて疑わず、しかも頻繁に行われている
がん手術、冠動脈バイパス手術、子宮摘出術などといった何十種類にもおよぶ手術については、
この調査の対象にはなっていない。

 

6)効果と副作用が全く同じという得体の知れない薬が処方されている

 

薬の作用、副作用!?

 現代では、一度に複数の薬を飲む多剤併用療法があたりまえとなった。
飲み合わせによる危険性(薬物相互作用)については、次の二つの面からしっかりと理解しておかなければいけない。

 ある薬は一回の服用で、
臓器Aに三、四パーセント、臓器Bに二パーセント、臓器Cに六パーセントの確率で副作用を生じる可能性があり、
そして、その薬と一緒に飲む薬には、
臓器Dに三パーセント、臓器Eに一〇パーセントの確率で副作用が認められるとしよう。
そうすると、この二つの薬を何回か併用すれば、
副作用を起こす可能性はすべての臓器で一〇〇パーセントを超えてしまい、
患者は確実に副作用で苦しむことになってしまう。

 もうひとつ、さらに危険なのが、薬の「負の相乗効果」である。
薬ひとつの副作用が五パーセントの危険性にすぎなくても、
飲み合わせによってそれが二倍、三倍、四倍、五倍と増幅されていくのだ。

しかも、その危険性は発症率にとどまらず、強度においても増幅されている。
服用中の薬を医者に知らせておくことはもちろん大切なことだが、
多剤併用療法で起こりうる薬害については医者の知識に頼ってはいけない。

 適応症と副作用が同じ、つまりその薬で効くはずの症状とその薬で起こる副作用の症状が同じという薬がある。
この種の薬は珍しくはない。
そのひとつがアメリカで記録的な売り上げを示しているジアゼパムという精神安定剤(抗不安剤)である。
この薬の医師向け添付文書を見ると、適応症と副作用がほとんど同じであることが一目瞭然である。


・適応症 不安、疲労、うつ状態、激しい感情の動揺、震え、幻覚、骨格筋のけいれん
・副作用 不安、疲労、うつ状態、激しい興奮状態、震え、幻覚、筋肉のけいれん   


 こんな薬をどんな基準で処方すればいいというのか。
この薬を投与して症状が続く場合、いったいどうすればいいのだろう。
副作用を考えて投与を中止すべきか、効能を期待して用量を倍にすべきかどうなのか。
この薬を患者に飲ませる医者は、何を望んでいるのだろうか。理解に苦しむところだが…以下略

 

抗生物質のウソ、抗生物質が細菌を鍛える、医者と薬の危険な関係、副作用で死んだ人々、ステロイドの苦しみ、ピルは病気を呼び寄せる、医者は降圧剤を飲むか?

薬漬けにされる子供たち、医者と患者と製薬会社

子供や動物たち(ペット)はなぜ病院が嫌いか、
原菌だらけの病院、清潔という落とし穴、


インチキな医学研究、自分を治せない医者たち、恐るべき医学部教育、悲しき医学生、なぜ医者は不正を行うのか、「医者は失敗を棺桶のなかに葬る」


病院の倒産を予防する医学、予防接種に警戒せよ、集団接種はひとつのバクチ、乳がんの集団検診の危険、医者は健康とは何かを決して考えない、

 

 


訳者あとがき

 本書は、Confessions of a Medical Heretic,Robert S. Mendelsohn, Contemporary Booksの翻訳です。
著者メンデルソン博士は、小児科のお医者さんで、医学部の教官としては予防医学や地域保健学なども専攻し、
医学と医学教育に多大な貢献をしたとして数々の栄えある賞を受賞したアメリカ医学界の重鎮でした。
医学界においては相当に人望が篤く、
数多くの要職に就いて活躍しただけでなく、国際母乳連盟の医学顧問として多くの父母に育児指導を行うなど、
国民からも広く敬愛されたお医者さんでしたが、残念ながらすでに故人となっています。

 この原著は、アメリカで三〇万部を超えるベストセラーになっていますが、
最初に刊行されたのはもう二十年も前のことです。
医療技術の進歩の著しい現代において、
こんな前に書かれた本にどれだけの妥当性があるのかと疑問に思われる読者もおられることと思います。
この点については訳者としても気になったのですが、
実際に読んでみるとたいへんに興味深い内容で、
いまもアメリカではロングセラーとなって読みつがれている理由がすぐに理解できました。
この本には現代医学が内包している危険性の、
現象的な部分というよりむしろ、さわめて本質的な部分が指摘されているのです。
さらに、医療の本来あるべき姿についての、時代を超えて当てはまる鋭い指摘が次から次へと書かれています。
これは、医療技術がさらに進んだ現在こそ、医療の原点に立ち戻って考え直すという意味で、
より多くの人に読んでいただきたいと確信するに至ったのでした。

 現在では、さらに多くの問題が新たに生まれています。
母乳育児についてはダイオキシン等の環境ホルモンの問題が加わってきました。
また臓器移植や遺伝子治療などの技術が進むにつれ、生命倫理の問題も重大になつてきました。
アメリカにおいては、現在では本書で指摘されているような濃厚・過剰医療から、医療コスト削減が優先された結果、
医療の質の低下が問題になつていると聞きます。
とくに高齢者に対しては、医療放棄ともいうべき事態すら生じているようです。

 ただし本書は、こうした医療問題の全体を網羅することを目的としたものではありません。
こうした医療問題の根底にある、時代を超えた構図の本質を浮き彫りにしたものなのです。
そして、その構図は、じつは現在の日本においてより当てはまるように思われるのです。

 

 

  
 
  
 


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (misaki)
2007-04-14 09:19:14
翻訳にあたっては、原著作権者の了承を得たうえで、
原書の記述のうちすでに状況が変わってしまっているものや日米で事情が異なるものについては、
幾人かの現役の医師と相談して割愛するか訳注として補足することにしました。
ところが実際には、状況の変化によって妥当性を失った記述は少なく、
多くは現在もなお本質的な問題として存在しつづけているということがわかってきました。
なかには、関西のある年配のお医者さんのように、
「著者はキツイ言い方をしとるが、私利私欲に走る悪い医者は日本にもようけおる。
悪貨が良貨を駆逐せんよう真面目にがんばつてる医者のためにも、
このくらいのお灸はすえてやった方がええやろ」という激励(?)の言葉をかけてくださる方もいらっしやいました。

 著者メンデルソン博士は、
本書でアメリカの医療のあり方をまことに厳しい筆致で批判しています。
しかし博士の意図は、他の著作で明言していることですが、
医者の人格を攻撃することにあるのではありません。
患者の立場に立って、問題ある医療から自分の身を守るための情報を提供することなのです。
医者が行っている医療行為に、患者が疑問の目を向けるようになれば、
医者も自分が日ごろ当然のように行っている医療行為について、改めて考え直すようになる- 
これが博士の基本的な考え方です。
もちろん、博士は必要な医療まで否定しているわけではなく、
「救急医療では医者が人命救助に貢献している」とはっきりと評価しています。

 本書の批判の対象となっているのは、
「医療先進国」と呼ばれつづけてきたアメリカの医療現場の実態ですが、
戦後の日本はアメリカの医療技術を生物学的な検証を十分には行わずに礼賛してきましたから、
アメリカの医学の問題はそのまま日本の医学の問題でもある部分が多いと思います。
ただ、医療現場となると、医学の臨床的応用の場というだけでなく、
その国の文化や風土などの影響を強く受けているはずです。

そこで、日米の医療現場の差について、日本での滞在生活の長いアメリカ人の学者にたずねてみました。
すると、「あの本は読んだことがあるが、内容的にはむしろ現在の日本の医療現場により当てはまるように思う。
というのは、日本では医者にバターナリズム(父権的温情主義)の因習が強いし、
患者もおまかせ医療が当然だと思っている。
インフォームド・コンセント(十分な説明と同意)だって、ほとんど普及していない。
第一、十分な説明といっても、その説明が正しいかどうかわからないのに、
日本の患者は、ほかの多くの患者さんもこの治療法を選択していると医者から言われると、素直に同意する。

アメリカ人も以前はそうだったが、
最近では国民の意識がかなり変化して、患者はインフォームド・チョイスできるまで臆せず医者に質問するようになつている。
現状では、日本人は自分の身体への責任を負うのは自分だという意識がまだ希薄なのではないか」 という厳しい意見が返ってきました。

ほかにも何人かのアメリカ人学識経験者に聞いてみましたが、だいたい同じような意見でした。
なかには、「日本人は長幼の序を重んじる礼儀正しい国民だが、
高齢者が自分の孫のような年齢の医者を『お医者さま』と呼んですがっているのは興味深い現象だ。
戦後、日本人の信仰心が薄れたとはよく耳にするが、
ほんとうは、信仰の対象が神仏から『お医者さま』に代わっただけではないのか」 
といううがった見方をする人もいます。

 先端医療については日米の時間的な差はそれほどなく、リアルタイムで情報が伝わっているでしょう。
しかし、現代人はハイテク医療技術に幻惑されて、
医療の本質である病める人間のケアという根本的な課題があとまわしになっているのではないでしょうか。
自然治癒力や家族の絆の大切さを忘れ、
健康な人間ですら病気になつてしまうような危険な医療行弟(過剰投薬、手術の乱発、放射線の多用)を病気の人間に対して行って、
はたして健康をとりもどせるのか- それが、本書の底流にある博士の主張だと訳者は考えます。

 前述のように、現状にそぐわない箇所や日米で事情の違う箇所については、
割愛もしくは訳注による補足を行って、本書の意図するところが日本の読者に伝わるように訳者としては最善を尽くしたつもりです。

 

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。