さて、米国産牛肉の話題もだいぶ落ち着いた感がある昨今。とりあえず全頭検査の科学的根拠云々はおいておく。軍事的観点から、米国の基本的態度に関して考察してみたい。
表題の2つの型について、聞いたことがない人のために説明を加える。あることを為そうとする際には、当然ながら「前提条件」というものが存在する。スポーツならルールであり敵味方の戦力である。ビジネスなら市場のルールや消費者の特質、我の商品や競合他社の商品である。その中には、当然自分に有利な物もあれば不利な物もある。前者はその前提条件そのものを「自分に有利なように変えてしまう」タイプであり、後者は逆に「自分のやり方を前提条件に合わせる」タイプである。
アメリカが日本にビジネス参入する際の態度全般をみて、こんな事を思ったことはないだろうか。「何故日本のやり方に会わせようとしないのか」「商品に魅力がないのが売れない理由なのに、何故あたかも日本の市場構造そのものに問題があるかのような態度を取るのか」この辺は、アメリカと日本の根本的なメンタリティの違いにあるのではないかと考える。要するに、アメリカは典型的な「状況作為型」なのだ。一方、日本は典型的な「状況対応型」といえる。
外交政策や軍事政策において、この違いは特に顕著に表れる。日本は「自分は『こうしたい』のだが周囲の状況が許さない(特に国際世論)」という観点を重視することが非常に多い。アメリカは逆である。「自分が『こうしたい』ので反対派を賛成(すくなくとも中立)にするために工作する」のである。どちらにも一長一短あるだろうが、やはり基本的には「状況作為型」に軍配が上がるであろう。戦いの本質は「我が意志の強要」にあるからだ。
スポーツなどで、日本が良い成績を収めるたびに国際ルールが改定されて日本に不利になる、ということがしばしばあり、それに対してアンフェアだという意識を持っている人も少なくないだろう。が、それをアンフェアだと捉えること自体が実は国際標準からずれているとも言える。世界的に見れば、自分に不利な前提条件を変えてしまうということは(変更そのものにアンフェアな手段を用いない限りは)当然のことなのだ。勝利=正義であるなら、そもそも「状況作為」こそが正義とも言える。この辺、憲法等に対する態度から見ても日本の方がむしろ少数派なのではないだろうか。
以上を頭に入れてみると、日本の政策、特に外交・軍事方面の弱さが見えてくると思う。前提条件を絶対の物と決めつけてしまい、そこから脱却するような努力に欠けることだ。軍事の場合だと、専守防衛などという空理空論を絶対の物として防衛政策を決定している部分だ。これではいつまでたっても有効な軍事力を整備することは出来まい。日本もそろそろ「極端な状況対応型」から脱却するときが来ているのではないだろうか。
表題の2つの型について、聞いたことがない人のために説明を加える。あることを為そうとする際には、当然ながら「前提条件」というものが存在する。スポーツならルールであり敵味方の戦力である。ビジネスなら市場のルールや消費者の特質、我の商品や競合他社の商品である。その中には、当然自分に有利な物もあれば不利な物もある。前者はその前提条件そのものを「自分に有利なように変えてしまう」タイプであり、後者は逆に「自分のやり方を前提条件に合わせる」タイプである。
アメリカが日本にビジネス参入する際の態度全般をみて、こんな事を思ったことはないだろうか。「何故日本のやり方に会わせようとしないのか」「商品に魅力がないのが売れない理由なのに、何故あたかも日本の市場構造そのものに問題があるかのような態度を取るのか」この辺は、アメリカと日本の根本的なメンタリティの違いにあるのではないかと考える。要するに、アメリカは典型的な「状況作為型」なのだ。一方、日本は典型的な「状況対応型」といえる。
外交政策や軍事政策において、この違いは特に顕著に表れる。日本は「自分は『こうしたい』のだが周囲の状況が許さない(特に国際世論)」という観点を重視することが非常に多い。アメリカは逆である。「自分が『こうしたい』ので反対派を賛成(すくなくとも中立)にするために工作する」のである。どちらにも一長一短あるだろうが、やはり基本的には「状況作為型」に軍配が上がるであろう。戦いの本質は「我が意志の強要」にあるからだ。
スポーツなどで、日本が良い成績を収めるたびに国際ルールが改定されて日本に不利になる、ということがしばしばあり、それに対してアンフェアだという意識を持っている人も少なくないだろう。が、それをアンフェアだと捉えること自体が実は国際標準からずれているとも言える。世界的に見れば、自分に不利な前提条件を変えてしまうということは(変更そのものにアンフェアな手段を用いない限りは)当然のことなのだ。勝利=正義であるなら、そもそも「状況作為」こそが正義とも言える。この辺、憲法等に対する態度から見ても日本の方がむしろ少数派なのではないだろうか。
以上を頭に入れてみると、日本の政策、特に外交・軍事方面の弱さが見えてくると思う。前提条件を絶対の物と決めつけてしまい、そこから脱却するような努力に欠けることだ。軍事の場合だと、専守防衛などという空理空論を絶対の物として防衛政策を決定している部分だ。これではいつまでたっても有効な軍事力を整備することは出来まい。日本もそろそろ「極端な状況対応型」から脱却するときが来ているのではないだろうか。
さて、
>どちらにも一長一短あるだろうが、やはり基本的には
>「状況対応型」に軍配が上がるであろう。
ここ、誤記されてませんでしょうか?
まあ世の中には某半島国家みたいに「結果が出た後で前提にケチつけて無効にしようとする」型もあるし、「次のために前提変える」のはまだ良心的か。
~
>日本もそろそろ「極端な状況対応型」から脱却するときが来ているのではないだろうか。
その前に人種的な偏見が立ちはだかるだろうね・・・。
つまり、
「欧米諸国」がルールを変える→当たり前
「日本」がルールを変える→ジャップ卑怯!!
といった、反応が出てくることは容易に想像できる。
日本が、状況作為型に変化していくには、
まず、そのこと自体を、欧米(最近では、中韓露もか?)に納得させる段階が必要だろうね。
胸糞悪い話だが・・・。
そろそろ更新きぼんぬで御座いますm(__)m
日本の強みは、その状況対応型にあると思いますが。
どんな状況にも対応しようと知恵を絞るからこそ今の日本があるかと。
ただ、理不尽に対して我慢して何も言わないのは直した方がいいですね。大戦前みたいに我慢した挙句どっかんじゃ無くて、我慢はしても理不尽であることを訴え続ける事は大事だと思います。工作までは無理にしなくてもいいかと思いますが、広報はしっかり充実して欲しいと思います。