ミリ屋哲の酷いインターネット

上まぁ特段語るような内容はないようだがコメント不可のブログ等に突っ込み入れたいが為のものである訳だろうか(苦笑

あの日から1年

2012-03-11 21:38:32 | 政治・社会

平成23年3月11日、あの日、何が起こったのか改めて言うまでもあるまい。未だに新たな生活へと踏み出せない被災者の方々も多いと聞く。また、そういった方々を甘えと断ずる意見も(2ちゃんのような場所では特に)あるようだが、正直「被災地を実際に見たことがある(画面を通してではなく)」かつ「自活したことがある」人であれば、1年やそこらで全ての人が「あの状態」から生活を立て直せると考える方がどうにかしている。不況の世でもあり、金が絡む話は何かと余裕のない意見が横行するが、もう少し長い目で見る必要があるだろう。

 

さて、今回語りたいのは、上記のような部分が主体ではない。主に、国家中枢の意思決定及びその直下レベルでの動きである。

その1:最近、なんの新聞だったか失念したが、元北部方面総監の酒巻尚生氏が書いた記事を読んだ。手元に当該記事が無いので不正確かもしれないが、印象に残った内容として「内閣総理大臣は、全自衛隊の最高指揮官とされているが、本当にそうだろうか?法的には『内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する』(自衛隊法第7条)とあることから、総理も閣議決定に従う必要がある、すなわち真の意味での最高指揮官とは言えない。」という趣旨のことを書いておられた。確かに、総理の決心よりも閣議決定のほうが優越するとなると、総理の上に意思決定機関が存在するということであり、これでは最高指揮官とは言いがたいだろう。これは、様々な形での「民意がNOを突きつける」のとは意味が全く違うものだ。以前、菅元総理は「総理が自衛隊の最高指揮官だと初めて知った」と語って顰蹙を買った。この発言自体は無知ゆえのものだろうし擁護する気はない。私が問題としたいのは、上記の酒巻氏が語っている事実を承知していて、それを改善すべきと考える者がいたとして、周囲に「皮肉交じりに」現状を説明すると、かなりの確率で菅氏のセリフと同じ事を口にだすのではないだろうか。つまり「総理が自衛隊の最高指揮官だと初めて知った(自分より上位の意思決定機関が存在する「最高」指揮官ってなによ?)」と、括弧内の皮肉を込めた言い方である。

 東日本大震災において、自衛隊は高い評価を得た。だが、規模の上では自衛隊に負けるとは言え、警察・消防・海保と言った組織もしっかりと(十分に、とは言わない。自衛隊すら不十分な部分があった。というより、東日本大震災における活動に関して、量的・質的に完全に満足させ得る組織は地球上に存在しまい)機能し、高く評価された。そして、震災対処において高い評価を受けた組織をつぶさに観察すると、それらは大なり小なり「トップダウンによる行動」を許容しうる文化を有する組織であることが多いことに気づく。

 ここまで書けば、何が言いたいのか概ね分かると思うが、非常時に際してはボトムアップ型組織よりもトップダウン型組織のほうが迅速な行動ができる事が多いし、すべてを「一番上のトップ」が決めるよりも、適切なレベルに権限を委譲して自主裁量の余地を持たせる方が良い結果を生みやすい。つまり、ボトムアップでやる場合でも、その「ボトム」の部分がやや小さなトップダウン型組織である、という構造だ。端的に言うと、軍隊の組織構造そのものである。菅元首相の震災対処における指揮を見ていると、トップダウン型組織ではない故の問題と、それにもかかわらずトップダウン的にやったがために「本来移譲すべき権限まで握ってしまっている」問題という、いわば「悪いとこ取り」になってしまっている感が強い。国家指導組織レベルの改革に資する教訓として、「非常時(大規模災害時、ではない。武力紛争も視野に入れた上での話である)には、総理に強力な権限を集中させる(閣議決定に優越する各方面に対する指揮監督権)」こと、また、そのための組織づくり(具体的には、各方面の実務者レベルの意見を直結しうるスタッフ組織の構築。ただし、総理が「直接的に」実務レベルの指示を与えるという意味ではない。あくまで、実務レベルの意見が段階を経て上に上がるうちに変質しないようにするための処置である)を考えるべきだろう。

 

その2:本震災に関して、自衛隊は最大で10万人超の兵力を投入した。これは、当初5万人>7万人>10万人と、菅氏の鶴の一声で逐次増加していったものだと認識している。さて、これに関する話をする前に思考を整理しなければならないのだが、これは果たして「兵力の逐次投入」と言えるのだろうか?自衛隊OBも含めて、「兵力の逐次投入である」と批判するものが多かったが、この批判には私は反対だ。そもそも、兵力の逐次投入とはなんであろうか?各部隊の戦闘加入時期に時間差があると逐次投入なのか?そうではない。「兵力の逐次投入」ではなく「逐次戦闘加入」だって戦闘加入時期に時間差が生ずる。しかし、後者は「兵力の逐次投入」では決して無い。そもそも、両者が別物であるからこそ、混同を避けるために「兵力の逐次投入」はより厳密に「兵力の逐次『使用』」という用語で表されるようになったのだ。つまり、先に投入された部隊の戦果を活用し得ない状況になってからの投入である。今回の事例は、「投入兵力の朝令暮改」という問題ではあっても、「兵力の逐次投入、より厳密に言うと逐次使用」ではない、と言うべきなのだ。この朝令暮改で、当初段階で移動しようとしていた部隊に致命的な遅れを出したとは思えないし、投入される予定ではなかった部隊が急遽投入されることになって慌てたというなら、これだけの災害で「当面行く予定はない」からといって物心両面の準備を怠るのは無能者である。実際のところとしては、追加で投入されることになった部隊も十分にそれを予期して行動していた、と言うのが、私の知る限りの範囲での実情である。(具体名を明かせないので証拠とも言えないが、知人の自衛官が所属する部隊は、当初投入される予定ではなかったが全隊員に出動準備と1時間以内に出動可能な態勢での待機を命じていたと聞く)命令指示の朝令暮改は当然責められるべき事項ではあるが、明らかに軍事的整合性を歪曲して批判するのは(つまり「兵力の逐次投入だった」と批判するのは)慎むべきである。

 何故、こんな事を最初にグダグダ説明するのか。理由は、「事の良し悪し・成果の良否を超えて、10万人の兵力とした根拠は何であったかを明確にするべき」である、と考えるからだ。識者は「兵力投入の最大数は、部隊交代や防衛警備の継続も含めると1/3が限度」と言う。妥当な考え方だと私も思う。が、同時にこれは「ある程度軍事的知識を有する者」にしか通用しない考えでもある。一方、菅氏の10万人にはなんらかの妥当性がある考え方とは思えない。が、逆を返せば「素人は10万人が妥当な数字と考える」可能性を示唆するものでもある。つまり、素人的考えでは「10万人=大規模部隊による救援=安心」という思考も有りうる、と言う訳だ。災害時に民心の安定が必要なのは論をまたない。民心の安定に寄与するという考えで行けば、敢えて「10万人」という数字を打ち出すのもそれなりの整合性があるのではないか。むしろ問題がある態度は、10万人には何の妥当性もない適当な数字だと断じたり、逆に「軍事的に妥当な数字」だと強弁したりすることではないか。10万人という数字はいかなる思考のもとに出てきたのか、その点において偽らざる事実を提示すること。それが「今後の災害対処」に重要な意味を持つのではないか。そこを明確にしないで10万人に意味が「ある」「ない」という無意味な論が独り歩きすることこそ危険な状況だと考える。そうでなければ、今後の災害対処において全く何の根拠もなく「前例に則って10万人」と決定されたり、逆に平時の防衛警備を放り出してでも全力を投入すべき事態であっても「軍事的整合性のもとに全力の1/3」などと決定されかねない。また、10万人という数字が出てくるに至った思考過程の解明なしには、「大規模災害と平時の防衛警備の同時進行」を視野に入れた部隊規模の決定にも資することができない。

上記理由からも、菅氏はお遍路などやる時間があるなら「当時の自らの決心を、自己弁護のためではなく純然たる事実の提示として語る」必要があるのではないか。

 

 東日本大震災において犠牲になられた方々のご冥福、被災地の一日も早い復興を祈念するとともに、未曾有の災害に立ち向かったすべての方々の勇気と献身に感謝の言葉を捧げます。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
関係ないが (管理人)
2012-03-11 21:58:36
前記事から2年以上経ってからの新記事ということに気づいて愕然とした。
返信する
上まあ生存報告乙 (名無し三等兵)
2012-03-21 22:32:39
宇都宮や練馬の車両が北に向かうのを見かけたのを覚えているが、
正直申し訳ないが、自衛官10万人が東北に派遣されたっていう実感が無いんだよなぁ…。
自分のアンテナ感度が悪いのか、どっかに10万人の痕跡?みたいなものはないのだろうか
返信する
Unknown (Unknown)
2012-03-24 21:39:18
10万人っても東京ドームの収容人数の2倍弱でしかないからな。それが日本の面積の3割程度の地域に割り振られたんだから、見た目にはぽつぽつ感があってもしょうがあるめぇ。
返信する

コメントを投稿