毎日新聞の社説は酷すぎるので通常は敢えて触れないのだが、
テレビ等でも同様の主張を行っているので今回は取り上げる。
以下「毎日新聞 2006年7月8日 0時19分 『日銀内規見直し 信頼の回復はこれから』」より
# 「世間からいささかなりとも疑念を抱かれること」を、
# 行員の心得でいましめていながら、
# 福井総裁の行為にルール違反はないという日銀の見解に、
# 国民の多くが大きなギャップを感じた。
それはマスコミが大キャンペーンを張ったからだ。
ファンドへの投資と普通預金の利息を比べたり、
(元本保証の預金ではなく、せめて投資信託と比較すべきだ)
果ては国民年金の支払い年齢が上がったことさえ総裁の責任として非難している司会者までいた。
さんざん煽っておいて自ら行った世論調査の結果を基に辞任を迫るなど、自作自演もいい所だ。
--
辛坊治郎氏に至っては「私は総裁は辞任すべきと考えます。
総裁が如何にして金儲けをしたのか後で説明します」
と勿体付けて何度も予告していたので2時間辛抱して見てみると、
# 「私が総裁になったら、まず総裁になる前に株を借りておき、、、
# (内容は忘れたが、わざと株価を暴落させて空売りするとの内容だった)
# そして福井氏はこれと反対の事をしたのです。」
との『説明』を得意気にしていた。(辛坊氏は実名報道主義者らしいので名指ししました)
自分の方が副井氏よりも狡賢い事を誇示したかったのかもしれないが、
なぜ副井氏のしたこと自体を説明しないのか。
実の所説明できなかったのだろう。これらは非難の為の屁理屈なのだ。
(この理屈で言えば、辛坊氏もテレビで特定の会社の噂話でもすれば
ある程度の株価の操作が可能だ。当然の事ながら氏は一切の利殖行為は行っていないのだろう)
悪い事の反対が必ずしも悪いとは限らないのである。
辛坊氏の方法は、賭け試合で相手側に賭けておいて『わざと負ける』方法である。
(相手は勝とうと思っているはずだから)これは簡単かつ確実な方法だ。
ところがこの反対を行うためには『わざと勝つ』必要がある。
(勝とうと思っている相手に対して)『わざと勝つ』事など出来るのか。
試合においては勝つために双方が全力を尽くす事が期待されているのである。
『わざと負ける』事はこれに反するが『わざと勝つ』なら問題は無いはずだ。
(勿論反則してまで勝とうとするなら問題ではあるが、それは別の話だ)
この様に「この反対(の行為)をした」など、全く説明になっていないし、
一見説明らしきその前の部分も、辛坊氏が総裁には相応しくない事は言えても、
(「空売りで儲けられるから、資産の透明性を担保すべき」と、制度の問題提起にはなるだろうが)
そもそも総裁自身はそんな事をしていないのだから「辞任すべき」との説明とは関係無い。
--
辛坊氏の様な主張も『疑念』とするなら、『疑念』を抱かれない事など事実上不可能だ。
このため、例え内規に記されていたとしても、きちんと反論出来れば問題にすべきではない。
ただ、反論するにはその『疑念』が何なのかが判らなければならない。
このため『疑念』が何なのかを「『疑念』を抱いた側」がきちんと説明する必要がある。
それが出来ないのなら、それは「お前が気にくわない!」と言う事でしかないのだ。
果たしてマスコミは『疑念』を示したのだろうか。
「不要であったのにも係わらず、
自身のファンドを吊り上げる為に(ゼロ金利等の?)施策を行った」
と説得力のある説明が出来るのか?
マスコミがしていた事は「気にくわない」との主張で国民を煽っていただけに思う。
人格攻撃をする人に対して、説明して納得させる事など不可能だ。
マスコミが納得するのは「私が間違っていました。辞任します」の言葉だけではないのか。
ジャーナリスト達は、総裁が何をどう説明すれば自身が納得できるのか説明出来るだろうか。
***
説明責任を果たしていないのは、大抵それを言う野党やマスコミの方だ。
この場合「政府の案にはxxという問題があります!」「総裁はxxをしたから辞任すべきだ!」
と主張すれば済むのである。
きちんと問題点を指摘出来るなら、「説明責任」などと言う言葉を使う必要は無い。
そして、その問題点を指摘することこそ、権力の監視をおこなう野党やマスコミの仕事である。
そのため彼らが「説明責任」と言う場合は、自分の無能さを相手に転嫁しているいるだけだ。
野党もジャーナリストもしっかり仕事しろ!
P.S.
と書いたら、産経新聞も同様な社説を書いていた。
『倫理』は自らに課す物であって、他人に強制するものではないはずだ。
とりわけ影響力の強いマスコミは、他人を非難する事に関して抑制的でなければならない。
もしそうしないと噂話と誤った正義感を基に罪なき人々を裁いた中世の民衆裁判と同じになってしまう。
裁判員制度に向けて、マスコミは報道の仕方を見直すべきだ。
私はマスコミこそ倫理観が欠如していると思う。
テレビ等でも同様の主張を行っているので今回は取り上げる。
以下「毎日新聞 2006年7月8日 0時19分 『日銀内規見直し 信頼の回復はこれから』」より
# 「世間からいささかなりとも疑念を抱かれること」を、
# 行員の心得でいましめていながら、
# 福井総裁の行為にルール違反はないという日銀の見解に、
# 国民の多くが大きなギャップを感じた。
それはマスコミが大キャンペーンを張ったからだ。
ファンドへの投資と普通預金の利息を比べたり、
(元本保証の預金ではなく、せめて投資信託と比較すべきだ)
果ては国民年金の支払い年齢が上がったことさえ総裁の責任として非難している司会者までいた。
さんざん煽っておいて自ら行った世論調査の結果を基に辞任を迫るなど、自作自演もいい所だ。
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辛坊治郎氏に至っては「私は総裁は辞任すべきと考えます。
総裁が如何にして金儲けをしたのか後で説明します」
と勿体付けて何度も予告していたので2時間辛抱して見てみると、
# 「私が総裁になったら、まず総裁になる前に株を借りておき、、、
# (内容は忘れたが、わざと株価を暴落させて空売りするとの内容だった)
# そして福井氏はこれと反対の事をしたのです。」
との『説明』を得意気にしていた。(辛坊氏は実名報道主義者らしいので名指ししました)
自分の方が副井氏よりも狡賢い事を誇示したかったのかもしれないが、
なぜ副井氏のしたこと自体を説明しないのか。
実の所説明できなかったのだろう。これらは非難の為の屁理屈なのだ。
(この理屈で言えば、辛坊氏もテレビで特定の会社の噂話でもすれば
ある程度の株価の操作が可能だ。当然の事ながら氏は一切の利殖行為は行っていないのだろう)
悪い事の反対が必ずしも悪いとは限らないのである。
辛坊氏の方法は、賭け試合で相手側に賭けておいて『わざと負ける』方法である。
(相手は勝とうと思っているはずだから)これは簡単かつ確実な方法だ。
ところがこの反対を行うためには『わざと勝つ』必要がある。
(勝とうと思っている相手に対して)『わざと勝つ』事など出来るのか。
試合においては勝つために双方が全力を尽くす事が期待されているのである。
『わざと負ける』事はこれに反するが『わざと勝つ』なら問題は無いはずだ。
(勿論反則してまで勝とうとするなら問題ではあるが、それは別の話だ)
この様に「この反対(の行為)をした」など、全く説明になっていないし、
一見説明らしきその前の部分も、辛坊氏が総裁には相応しくない事は言えても、
(「空売りで儲けられるから、資産の透明性を担保すべき」と、制度の問題提起にはなるだろうが)
そもそも総裁自身はそんな事をしていないのだから「辞任すべき」との説明とは関係無い。
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辛坊氏の様な主張も『疑念』とするなら、『疑念』を抱かれない事など事実上不可能だ。
このため、例え内規に記されていたとしても、きちんと反論出来れば問題にすべきではない。
ただ、反論するにはその『疑念』が何なのかが判らなければならない。
このため『疑念』が何なのかを「『疑念』を抱いた側」がきちんと説明する必要がある。
それが出来ないのなら、それは「お前が気にくわない!」と言う事でしかないのだ。
果たしてマスコミは『疑念』を示したのだろうか。
「不要であったのにも係わらず、
自身のファンドを吊り上げる為に(ゼロ金利等の?)施策を行った」
と説得力のある説明が出来るのか?
マスコミがしていた事は「気にくわない」との主張で国民を煽っていただけに思う。
人格攻撃をする人に対して、説明して納得させる事など不可能だ。
マスコミが納得するのは「私が間違っていました。辞任します」の言葉だけではないのか。
ジャーナリスト達は、総裁が何をどう説明すれば自身が納得できるのか説明出来るだろうか。
***
説明責任を果たしていないのは、大抵それを言う野党やマスコミの方だ。
この場合「政府の案にはxxという問題があります!」「総裁はxxをしたから辞任すべきだ!」
と主張すれば済むのである。
きちんと問題点を指摘出来るなら、「説明責任」などと言う言葉を使う必要は無い。
そして、その問題点を指摘することこそ、権力の監視をおこなう野党やマスコミの仕事である。
そのため彼らが「説明責任」と言う場合は、自分の無能さを相手に転嫁しているいるだけだ。
野党もジャーナリストもしっかり仕事しろ!
P.S.
と書いたら、産経新聞も同様な社説を書いていた。
『倫理』は自らに課す物であって、他人に強制するものではないはずだ。
とりわけ影響力の強いマスコミは、他人を非難する事に関して抑制的でなければならない。
もしそうしないと噂話と誤った正義感を基に罪なき人々を裁いた中世の民衆裁判と同じになってしまう。
裁判員制度に向けて、マスコミは報道の仕方を見直すべきだ。
私はマスコミこそ倫理観が欠如していると思う。