小沢民主党代表の党首討論を見た。
マスコミは小沢氏を絶賛していたが、小沢氏には討論と言う物が分かっていないのではないか。
自分の期待した回答でないからと言って「私が聞きたいのは」と3度も繰り返すなど、
質疑と勘違いしているとしか思えない。
そこで、小沢氏および民主党に提案したい。
問題提起するなら、まず自説を述べるべきだ。
教育基本法についても「これから提出する民主党案には国に責任が持つことになっている」
としか言わなかった。これでは議論など出来ないだろう。
「これから提出する民主党案には国が責任を持つ事を担保するため
『云々』の様なしくみを取り入れている。政府案にはこれに相当する物がない」
と主張すべきなのだ。『云々』を付加してもせいぜい発言が何秒か長くなるだけだろう。
民主党案の内容についてほんの何秒かの説明を付けただけで、
国民に対して民主党案の優位性をアピール出来、まともな討論が行える様になるのである。
国民の民主党に対する根深い不信感は、このたった数秒の説明をしない所にある。
本当は法案について理解していないのは小沢氏の方なのではないのか?
民主党は実のところ、まともな対案を作れていないのではないか?
論破されるのが怖いので民主党案を提示できないのではないかと。
「マニフェスト選挙」の時もそうであった。
選挙演説では与党の悪口と二大政党制の必要性を言うばかりで、
「詳しくはマニフェストを見て下さい」で済ましてしまっていた。
与党に問題があり、二大政党制が望ましい事など分かり切った事だ。
民主党がすべきは「民主党こそが政権を取るべきだ!」との主張である。
自分達のマニフェストが如何に素晴しいものであるかこそ主張しなければならない。
『強行採決』問題についてもそうだ。
小沢氏は「野党がまだ審議すべきことがあると言っている場合は採決すべきない」
と、建前論しか主張しなかった。このため首相も賛成し、
「(強行採決を)したばかりで賛成と言われても困る。」となったのである。
なぜ国民の前で医療制度改革法案の「了解できない」点を具体的にあげ、首相を追及しないのか。
そして「これでも議論を尽くしたと言えますか?」と国民に問い掛ければ良い。
なぜ、これが出来ないのか?問題点をだった一つ挙げさえすれば良かったのに。。。
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私にはマスコミが小沢氏に冠する『剛腕』の根拠が分からない。
少なくともマスコミの人達は小沢氏が『剛腕』であると本当に思っているのだろうか?
私には皆が言っているから意味も分からずに枕詞として言っているだけにしか思えない。
マスコミに対する同様な疑問に『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言うものがある。
一義的には首脳会談が出来ないのは近隣国が会談に応じないからであり、
あくまで相手国が会談を拒否する理由として「首相の靖国参拝」を挙げているに過ぎない。
『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言う日本のマスコミは
本当に首相が靖国参拝をする事が首脳会談を拒否する理由として正当だと考えているのか?
そして、参拝しない事が『アジア外交重視』に繋がるのだろうか?
私は二国間のどの様な問題であれ外交で解決すべきと考える。
問題が重大であればあるほど、対話をする必要がある。
近隣国の行為は、単に駄々を捏ねているだけなのだ。
子供が駄々を捏ねて周りに迷惑を掛けるからと言って、要求に応じる事は子供の為にはならない。
ここで安易に折れる事は相手国の為にもならないのではないのか。
私達は対話に応じるように辛抱強く説得すべきだ。
これはテロにも言える。
不当な手段を使って自分の主張を通そうとする行為をテロと言う。
テロリストの主張が仮に正当であったとしても、不当な手段を用いる限り、
その主張に耳を傾けてはならない。もしそれを受け入れてしまえば、
テロ行為を意義申し立ての正当な方法であると認めてしまう事になるからだ。
テロ行為ではなく正当な方法を行う様に辛抱強く説得しなければならない。
私達は平和と秩序を求めるべきだ。そして平和は相互の信頼があってこそ可能となる。
仮に平和を戦争しないこととするなら、平和を求める事というのは、
問題を戦争以外で解消する事であり、それは話し合いで解決する事に他ならない。
信頼というものは、困難な問題を話し合いを積み重ね
ひとつひとつ解決していく事によってのみ築かれるのである。
大した事ではないからと、自発的に相手に譲る行為は、問題を解決した事にならない。
譲るにしてもお互い充分に誠意を持って話し合った後にすべきだ。
このため、話し合いを拒否する態度に対しては断固とした姿勢が必要だ。
そしてそれは、例えこちらに落度があったとしてもである。
落度があるかどうかは、お互い話合いで明らかにすれば良い。
どんな問題でもお互い話し合いで解決出来るとの確信があれば、
戦争などせず、辛抱強く話し合いを続ける事が出来る。
それには過去に何度も問題を解決してきたとの『実績』が必要だ。
『靖国問題』が近隣諸国の言う様に重大な問題であるなら、
これを話し合いでお互い納得出来るように解決出来れば、
近隣諸国との信頼関係を大きく前進する事となるだろう。
安易な方向に逃げずに辛抱強く話し合いをすべきだ。
小沢氏および民主党の問題は、きちんと討論出来ない事にある。
討論するとは、事案をひとつひとつきちんと取り上げて各論で話すと言う事だ。
「議会制民主主義の上からも、議論すべきは十分議論するという態度に与党がなるべきだ。」
等というキレイゴトは、首相でなくとも誰も反対しない。逆に言えば議論の意味が無いのである。
一方でキレイゴトではなく、持論を主張する事は反論されるリスクを負う。
討論する立場としての当然のリスクを負わない限り、誰もその人(党)を信頼などしない。
国民に信頼されたかったら、民主党は自説を主張すると言うリスクを負うべきだ。
『剛腕』も信頼無くしては、ただの荒くれ者でしかない。
マスコミは小沢氏を絶賛していたが、小沢氏には討論と言う物が分かっていないのではないか。
自分の期待した回答でないからと言って「私が聞きたいのは」と3度も繰り返すなど、
質疑と勘違いしているとしか思えない。
そこで、小沢氏および民主党に提案したい。
問題提起するなら、まず自説を述べるべきだ。
教育基本法についても「これから提出する民主党案には国に責任が持つことになっている」
としか言わなかった。これでは議論など出来ないだろう。
「これから提出する民主党案には国が責任を持つ事を担保するため
『云々』の様なしくみを取り入れている。政府案にはこれに相当する物がない」
と主張すべきなのだ。『云々』を付加してもせいぜい発言が何秒か長くなるだけだろう。
民主党案の内容についてほんの何秒かの説明を付けただけで、
国民に対して民主党案の優位性をアピール出来、まともな討論が行える様になるのである。
国民の民主党に対する根深い不信感は、このたった数秒の説明をしない所にある。
本当は法案について理解していないのは小沢氏の方なのではないのか?
民主党は実のところ、まともな対案を作れていないのではないか?
論破されるのが怖いので民主党案を提示できないのではないかと。
「マニフェスト選挙」の時もそうであった。
選挙演説では与党の悪口と二大政党制の必要性を言うばかりで、
「詳しくはマニフェストを見て下さい」で済ましてしまっていた。
与党に問題があり、二大政党制が望ましい事など分かり切った事だ。
民主党がすべきは「民主党こそが政権を取るべきだ!」との主張である。
自分達のマニフェストが如何に素晴しいものであるかこそ主張しなければならない。
『強行採決』問題についてもそうだ。
小沢氏は「野党がまだ審議すべきことがあると言っている場合は採決すべきない」
と、建前論しか主張しなかった。このため首相も賛成し、
「(強行採決を)したばかりで賛成と言われても困る。」となったのである。
なぜ国民の前で医療制度改革法案の「了解できない」点を具体的にあげ、首相を追及しないのか。
そして「これでも議論を尽くしたと言えますか?」と国民に問い掛ければ良い。
なぜ、これが出来ないのか?問題点をだった一つ挙げさえすれば良かったのに。。。
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私にはマスコミが小沢氏に冠する『剛腕』の根拠が分からない。
少なくともマスコミの人達は小沢氏が『剛腕』であると本当に思っているのだろうか?
私には皆が言っているから意味も分からずに枕詞として言っているだけにしか思えない。
マスコミに対する同様な疑問に『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言うものがある。
一義的には首脳会談が出来ないのは近隣国が会談に応じないからであり、
あくまで相手国が会談を拒否する理由として「首相の靖国参拝」を挙げているに過ぎない。
『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言う日本のマスコミは
本当に首相が靖国参拝をする事が首脳会談を拒否する理由として正当だと考えているのか?
そして、参拝しない事が『アジア外交重視』に繋がるのだろうか?
私は二国間のどの様な問題であれ外交で解決すべきと考える。
問題が重大であればあるほど、対話をする必要がある。
近隣国の行為は、単に駄々を捏ねているだけなのだ。
子供が駄々を捏ねて周りに迷惑を掛けるからと言って、要求に応じる事は子供の為にはならない。
ここで安易に折れる事は相手国の為にもならないのではないのか。
私達は対話に応じるように辛抱強く説得すべきだ。
これはテロにも言える。
不当な手段を使って自分の主張を通そうとする行為をテロと言う。
テロリストの主張が仮に正当であったとしても、不当な手段を用いる限り、
その主張に耳を傾けてはならない。もしそれを受け入れてしまえば、
テロ行為を意義申し立ての正当な方法であると認めてしまう事になるからだ。
テロ行為ではなく正当な方法を行う様に辛抱強く説得しなければならない。
私達は平和と秩序を求めるべきだ。そして平和は相互の信頼があってこそ可能となる。
仮に平和を戦争しないこととするなら、平和を求める事というのは、
問題を戦争以外で解消する事であり、それは話し合いで解決する事に他ならない。
信頼というものは、困難な問題を話し合いを積み重ね
ひとつひとつ解決していく事によってのみ築かれるのである。
大した事ではないからと、自発的に相手に譲る行為は、問題を解決した事にならない。
譲るにしてもお互い充分に誠意を持って話し合った後にすべきだ。
このため、話し合いを拒否する態度に対しては断固とした姿勢が必要だ。
そしてそれは、例えこちらに落度があったとしてもである。
落度があるかどうかは、お互い話合いで明らかにすれば良い。
どんな問題でもお互い話し合いで解決出来るとの確信があれば、
戦争などせず、辛抱強く話し合いを続ける事が出来る。
それには過去に何度も問題を解決してきたとの『実績』が必要だ。
『靖国問題』が近隣諸国の言う様に重大な問題であるなら、
これを話し合いでお互い納得出来るように解決出来れば、
近隣諸国との信頼関係を大きく前進する事となるだろう。
安易な方向に逃げずに辛抱強く話し合いをすべきだ。
小沢氏および民主党の問題は、きちんと討論出来ない事にある。
討論するとは、事案をひとつひとつきちんと取り上げて各論で話すと言う事だ。
「議会制民主主義の上からも、議論すべきは十分議論するという態度に与党がなるべきだ。」
等というキレイゴトは、首相でなくとも誰も反対しない。逆に言えば議論の意味が無いのである。
一方でキレイゴトではなく、持論を主張する事は反論されるリスクを負う。
討論する立場としての当然のリスクを負わない限り、誰もその人(党)を信頼などしない。
国民に信頼されたかったら、民主党は自説を主張すると言うリスクを負うべきだ。
『剛腕』も信頼無くしては、ただの荒くれ者でしかない。