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異論・反論・Obsoletion

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麗しの『メル友』

2005-12-01 00:00:00 | マスコミ
(惚気話だと思った人は、ごめんなさい。敢えて判りにくくしました。)



貴方の『メル友』が素敵な事は充分に分かった。


でも『男』なら、想像上の美少女を語ることは止めなければならない。
勇気を持って実際に『メル友』に会いに行かなければならないのである。
「メル友』に会うまでは大変だろうが、『男』ならやり遂げなければならない。


そして、『メル友』の現実を知るべきなのだ。メールだけでは判らない事は数多くある。

実際に会ってみたら想像以上の美少女であるかもしれないし、
実は女性では無かったなどと言う事もままあると聞く。
貴方の他にも大勢の『男』がいる可能性についても覚悟しておいた方がいい。


しかしながら、会ってくれない様な『メル友』とは、絶対に恋人にはなれないだろう。



--
貴方はきっと、苦労してやっと返事をもらえる様になったのだろう。
彼女はちょっと声をかけただけで付いて来る様な女とは違う。
不思議なもので、苦労した女性ほど愛しく思えてくるものだ。

何より、彼女は人前で自分の体験を話したがる様な女ではなく、
貴方だけに、こっそり彼女の秘密を話してくれるのである。



メールは、自分にとっての「アドバンテージ」だと考えるかもしれない。

しかし「アドバンテージ」だと思った瞬間に、それば貴方の「弱み」となる。
メールが来なくなったら嫌なので、意識的か無意識的かに係わらず機嫌を取るようになるし、
ついつい話も合わせてしまう。一緒に悪口も言うだろう。

そしてメールを交わしているうちに、愛しさが募ってきて客観的では居られなくなるのだ。
『男』が客観性を失ったらおしまいだ。もう貴方は彼女の術中にはまっている。


# 「族議員と官僚」や「親中派と中国」もこれと同じ理屈である。
# 彼らは別に悪人ではない。むしろ「人の良い」人なのだ。



未だ見ぬ『メル友』が美少女である事を、祈っている。



===
(追伸)

絶対に『メル友』が22日に『父親』に出したメールの写しを送ってもらうべきである。
そして、なぜ『父親』が破って捨てたのかを確認しなければならない。
彼女は、本当は『父親』に『禍』を伝えたくなかったのではないか?
それとも『父親』が判らず屋だったのか?

そして『メル友』に『禍』をもたらした人が誰なのかも、尋ねなければならない。
それは『父親』のお友達ではなかったのか?

『父親』達の訪問を、予め知っていたのかも丹念に聞き出す必要があるだろう。


この事を教えてくれないような『メル友』なら、脈はない。



(女性の美醜について書いているのではない事だけは、御理解頂きたい)

民間検査会社って、本当に『民間』なの?

2005-11-30 00:00:00 | お役人さま
耐震強度偽装問題の参考人質疑を見た。


参考人の『民間』検査会社社長の答弁や思考パターンは、まさに『役人』である。
彼は、みなし公務員だそうだ。


きっと『役人』と言う人達は、自分は『優秀』だと思っているだろう。
学校の成績も良かったし、難しい試験にも合格したのだから。。。

一方民間では、例えば職種を『専門職』と『補助職』とに区分する。
『専門職』は独自の考えで自律的に作業を行うのに対し、
『補助職』は『専門職』に指示された作業を行う仕事である。

『役人』は民間で言えば『補助職』なのだ。
そして『役人』において、指示を下す『専門職』の代わりが『法律』である。
『役人』は『法律』に指示された作業を行うのだ。


ここで一つ問題がある。

『補助職』が何か外れた行動をとれば、『専門職』が注意する。
『補助職』は指示された作業さえしていれば、一切責任を取る必要はない。
『補助職』の責任も、全て『専門職』にあるのだ。
しかし、『役人』が何か外れた行動をしても身近に注意する人はいないのである。

このため『役人』は法律に従っていさえいれば『正しい』と思ってしまうのだ。
そして、得てしてその『法律』は本来の趣旨から外れて
『役人』の都合の良い様に解釈されるのである。

この『民間』検査会社の社長も、この理屈を使っている。
『検査』を行う立場の人間が「信頼に基づいて検査しています」
「結果として偽造を見逃したが、法律に従って適正に審査した」と。


これは、通常の民間会社にとっては到底受け入れられない主張であろう。
ただ、彼らは『補助職』なのだ。『法律』に指示された作業を行ったのだから
何等問題などないのである。

検査業務が『自治体』から『民間』になった事が問題だと主張する人がいるが、
私はむしろ『本当の民間』になっていれば、この様な見逃しはなかったと考える。


民間には自律的に行動し、結果責任が取れる『専門職』がいるのである。
『専門職』においては「法律に従ったから適正な審査だ」との『理屈』は通用しない。
「偽造を見逃した」という『結果』に責任を負うのである。


「官から民へ」とは、本来この様な意味を持つ。



--
さて、件の検査会社の主張は「正当」で、本当に「適正な審査」だったのだろうか。


彼は主張する。「法律がそもそも無理な検査を要求しているのだ」と。

質疑においては、もっと突っ込んで欲しかった。
「あなたの会社では、一件あたりどのくらい検査に時間をかけているのですか?」と。
(報道では1人一日3件をこなしていると言う。本当だろうか?)

法律上では21日(?)以内に検査を完了する必要があるらしい。
仮に21日間目一杯掛けているとしても、民間ではそんな事は理由にならない。

1人で無理なら2人で作業すれば良いし、それでも無理なら10人でも100人ででも
決められた期間に必要な作業をすべて完了させなければならないのである。
「時間がないから、充分な審査が出来なかった」など、言い訳にならない。

一方『役人』は、『法律』なるマニュアルに従って作業していれば、
結果がどうあれ「適正」なのである。
こんな人達が『検査』しても、チェックが洩れることは目に見えている。


ルーチンワーク以外の作業を『役人』にやらせてはならない。





===
以下、この『質疑』で気になった事を書く。(記憶で書いているので不正確です)


最初に謝罪しなかったからと言って、罵倒するのは間違えている。
始めて国会に出席した人が、普通でいられる訳は無い。
それより質問前に、関係無い話を長々とする国会議員の方が見苦しい。

質問者がうっかり参考人を「部長」と言っていたが、知り合いだったのではないか?
身内に質問するのは適切ではない。

質問者が「圧力」と言う言葉を使った事。
「圧力」と言うあいまいな言葉は、印象操作や誘導に使われるものである。
質問や報道では使ってはならない。
この様な言葉を使っている人がいたら、注意すべきだ。

質問者が「それでは相手が嘘を言っているのか?」と執拗に質問していたが、
「相手の事は分からないが、自分は正しい事を言っている」との回答は正しい。
自身が正しい事は言える、相手が嘘を言っているかどうかは言えないのである。
「自分は正しい」と質問者に伝えた時点で、相手が嘘をついているかどうかは
自分も質問者も知識を共有している。なのに、なぜ自分に言わせるのだろう。
質問者の意図は分からないが、何等かの誘導を画策していたとしか考えられない。
事実関係を確認する事が目的であるはずの質疑で、誘導してどうするつもりなのか?

今回に限らないが「質疑」において質問者が感想や意見や見解を一方的に表明して、
回答させないのはルール違反だ。それは回答者が質問出来ない事と同様である。
少なくとも表明した後に「どう思いますか?」と質問しなければならない。

販売会社の住民に対する補償方法が二転三転する事は、あたりまえだ。
被害状況の調査が終了するまで、解決策など出せる訳がない。
状況を全て認識出来るまで、具体的な話はすべきではない。

検査会社社長が質問に対し「既に放送局にメールしたのだが」と言ってしばらく絶句
していたが、メールの内容を思い出していたのだろう。この場合二つの事が考えられる。
一つはメールの内容が事実ではなく「作文」であった場合で、
もう一つが、メールの内容と齟齬が起きない様に、
自身の経験ではなくメールの内容から回答しようとした場合だ。
この人は、のこのこテレビに出たりせず、局との対応にメールを使うなど、
メディアの扱いが巧みなのでどちらかは判断出来ない。

検査会社自身は発覚から公表まで一週間程期間があるのに、
販売会社には『直ちに』公表することが『正義』であると主張している。不公平だ。

販売会社が検査会社を『脅迫』したそうだが、実際には検査会社は『正義』に則り、
脅しに屈しなかったので「実害は無かった」はずである。
『脅迫』行為自体は問題にすべきだが、
国会議員もメディアもブービトラップに掛かっている。

--
販売会社の『脅迫』も他の検査機関による『隠蔽』も事実関係を調べるべきだが、
これら発言の目的は「『正義』の第一通報者」との物語りを強調するための
エピソードであろう。

穿った見方をすれば、偽造が分かった時に『たまたま』監査があったので、
見付かる前に「『正義』の第一通報者」になった方が良いと思ったとのでは?と
言うのは、考えすぎか?

少なくとも、問題を提起した人が、検査機関にではなくマスコミに通報していたら
この検査機関の扱いは全く違っていただろう。

現在彼は、マスコミからすると「真実を明らかにする」ヒーローらしいのである。


==
住民保護と言う観点からは瑕疵担保責任という制度は有効だろうが、
『専門家』であるはずの検査機関さえ分からないと主張する偽造の責任を
販売会社が全て負うと言う現在の制度にも問題があるだろう。
他の業者にも応分の結果責任を負わせるべきなのではないだろうか?
『抑止』と『補償』という観点では消費者の保護にも叶うだろう。

ただ、検査機関が悪びれもせず「『正義』の第一通報者」となり得たのは、
結果責任を負わないからだとは思う。


しつこく『殺人マンション』社長について

2005-11-28 00:00:00 | マスコミ
『殺人マンション』社長のどこが問題なのだろうか?

あるblogでは、「にやにや話していた」ので怪しいと主張していたが、
まさか報道機関がこの様な根拠で犯人扱いしている訳ではないだろう。

テレビでも司会者が「(件の社長も含めて)関係者全員が悪い!」と断言していた。
もしかするとマスコミは公表していない『何か』を知っているのかもしれない。
結果として有罪だったとしても、根拠もなくこの様な事を言ったとしたら問題だ。


私にはマスコミが件の社長の主張を全く無視して人民裁判をしている様に見えるのだ。
もしかすると、無視というより社長の主張を理解出来ていないのかもしれない。
マスコミは理解出来る数少ない『言葉』にだけ反応しているとしか思えないのである。


例えば「公的資金を要請」と言えば、「自分の会社の事ばかり考えている!」と
非難するが、すこし考えてみて欲しい。


まず、この社長が善人であった場合は、以下の様に解釈すべきだろう。

100億以上もの負債を負って信用も失墜した資本金2億で年商10億(?)の
会社を存続させて、何の意味があるのだろうか?
瑕疵担保責任は、社長個人ではなく『会社』にある。
『会社』を存続させると言う事は、『責任』も続くと言う事なのである。

むしろ、このまま会社を倒産させて負債をリセットしてから、
別の会社を作り直した方が、ずっと社長本人にとって楽だろう。

公的資金を要請すると言う事は、この社長が「働いて返す」事を意味するのだ。

これが本当なら、褒められるとは言えないだろうが、
少なくともこの心意気は非難されるものではない。


一方で政治家の「公的資金は、会社ではなく住民に対して検討する」との発言は、
「住民は自己責任を取れ!(住宅ローンは住民が払え!)」との意味なのだ。
マスコミの人は、分かっているの?
国がマンションを立て替えてくれると考えるのは甘いと思う。


--
さて、この『社長』が悪人であった場合だが、
おそらく公的資金の融資を受けたとたんに計画倒産を図るだろう。

こうなると、私達の血税が失われる事になる。
しかし、少なくとも住民の資産は戻るのだ。

この場合でも、この社長が当初より主張していた
「住民の資産を第一に考える」との言葉は守られるだろう。


--
この『社長』がこれより遥かに悪人で、一連のポーズにより
社長自身の刑事や民事の責任を減免する事が出来るのかもしれないが、
この辺については、良く判らない。

誰か、説明して欲しい。


仮にこの社長が何も悪くなくとも、瑕疵担保(住民への補償)責任はこの会社にある。
社長が無実を主張することは、少なくとも住民に対する補償額を減額する目的ではない。

この社長が検査会社や国等の責任を非難している事も自己弁護からなのかもしれないが、
『悪者』が多くなれば、結果として住民への補償をすべき人が増える事になる。

住民への補償の全責任はこの会社にあるが、他にも悪い人がいれば、
そこからも応分の補償をしてもらう事になるだけなのである。
この会社の弁済能力に疑問があるなら、悪人が多ければ多い程住民の安心は増すのである。


===
マスコミがどの様に理解しているのかは判らないが、
私が現在知っている範囲(といってもテレビで見ただけだが)では、
少なくともこの社長が『偽装』の中心人物であるとは思えない。以下に理由を挙げる。


瑕疵担保責任を負っているのに、資産価値を0どころが解体費用分マイナスにしてまで、
高々1%(?)の建築費を減らすだろうか。

同じ偽装するにしても、証拠の残る『設計書』の段階で行うだろうか?
むしろ正規の設計書で審査を通しておき施工段階だけ別の設計書に差し替える方が合理的だ。
目に見えないマンションの鉄骨とは違って偽造の設計書が閲覧可能な状態で保管されていては
いつ誰が見るかも判らないのである。心配で堪らないだろう。

検査機関がグルでは無いのなら、同じ所に続けて同様の手口で偽造データを出すだろうか?
一つでも見付かれば、当然遡って確認されるだろう。そんなリスクを負うだろうか?


私には、マスコミがこの社長を犯人扱いする根拠が『今の所』判らない。


--
マスコミは得意気に「補償の方法の問題」を非難するが、
どうすれば住民に補償できるというのか?

「無い金を払え!」と無責任に主張することは住民の為にはならない。
住民が可哀想と言うなら、批判だけではなく現実的な提案をすべきだ。


マスコミは他人の不幸を種に、楽しんでいるようにしか見えない。






***
(追記)

テレビでは、発覚直後の会議のメモが出て来たみたいだが、
報道機関は区別をしてプライオリティー付けをしなければならない。
もしメモの通りであるなら、脅迫罪か強要罪あたりになるのかもしれないが、
「マンション偽装」問題とは切り離すべきだ。
無理に結びつけようとすると、人格攻撃にしかならない。

ところで、メモを書いた人物は特定出来ているのだろうか?
誰が書いたのか分からなければ、怪文書でしかない。

報道機関は、『情報』に踊らされないように。


--
個人的には、検査会社の社長が逆怨みしているように思える。
会議での振舞いだけで「極悪人!(だか犯罪者だ!)」と断言出来るとすれば、
「脅迫罪」としてだけだろう。(共謀して偽装した場合はこの限りではない)
「偽装」したかどうかは、検査会社の社長の印象でしかないはずなのである。
あそこまでムキになって「犯罪者だ!」と騒ぐのは、おかしいのではないか。


『検査』というものは、何もつくり出したりはしない。
『検査』部門が不具合を検出できないと言う事は、
『製造』部門が何も作らないことと、同じなのである。
簡単に言えば、仕事をしていないと言う事だ。

例え悪意を持って偽造データを提出したにしろ、見つけ出せなければ全て
『検査』部門(「検査機関」)の責任だ。


『理系』の価値観では、製品の品質の最終的な責任は『検査』部門にある。
電機でも機械でもいいから、複数のメーカの人に聞いてみると良い。
この『制度』の最大の不備は「検査機関」が全く責任を負わない所にある。

瑕疵の責任とは別に、認証が取り消された場合には
「検査機関」に一定の責任を負わせるようにすべきだ。

『理系』と『文系』

2005-11-27 00:00:00 | しあわせって?
このblogで使う『理系』と『文系』という言葉をまとめておこうと思う。


私の使う『理系』『文系』と言う言葉は出身学部や現在の仕事とは関係無い。

『文系』は「自分を表現すること」に特化した人の事で、
『理系』は「問題を解決すること」に特化した人だ。


『文系』は自己表現を『成果』に見出し、
『理系』は自己表現を『解決策』に込めるのだ。

『文系』は「素晴しい『結果』だろう!」と自慢し、
『理系』は「スマートに『解決』しただろう!」と自慢するのである。


--
耐震データを偽造した建築士はおそらく『文系』だ。


テレビに出てコメントをするような第一線に居ない建築士も『文系』が多そうである。
彼らは『理系』に毒されていないので『判りやすい』事を言うが、
一方で『理系』の価値観を理解していない様に感じる。
彼らが適人者であるかは、良く考える必要があるだろう。


事実関係は分からないが、現在マスコミが騒いでいる

「鉄筋を減らせ」
「出来なければ他に廻す」

と指示する事の何が問題かが『理系』には理解出来無いと思う。

おそらく『理系』が大多数を占める建築士の中にあっては、
これらの言葉は『普通に』使われているのではないだろうか。


『理系』であれば「鉄筋を減らす(という問題を解決する)」事を依頼されたと解釈し、
疑う事無く「(強度を落とさずに)鉄筋を減らす」方法を考えるだろう。
そのため「(問題を解決)出来なければ他に廻す」事も当然だ。

貴方が家を新築する時だって「もっと窓を大きくできないの?」とか
「安くできないなら、他の会社にします!」と言うだろう。
別に鉄筋を減らしたからと言って、工夫さえすれば直ちに強度が低下すると言う物ではない。


しかし『文系』の文脈では、一度出来た設計書は「『自分』を表現したもの」だから、
「(強度を落とさずに)鉄筋を減らす」事など考えも及ばないだろう。
「鉄筋を減らせ」と言われれば、唯一絶対である設計書から、
「そんなに言うなら、いくらでも減らしてやる!」とやけくそになって
鉄筋を一本おきに間引くかもしれない。

『文系』にとっての成果物は、唯一絶対の(他には考えられない)ものだから、
「(減らす事が)出来なければ他に廻す」と言う言葉も不正を強要する脅し文句としか
聞こえなかったのかも知れない。

これが『建築士』ではなく、画家や小説家だと思えば、理解しやすいのではないだろうか。
例えば、画家に「この色を赤くしろ!」とか
小説家に「この表現は冗長だから消せ!」と、注文出来るだろうか?



いやしくもプロなら、やけくそになる前に職業倫理を思い出して欲しかった。
齟齬があったにしろ、出来ない事は断るべきだ。

彼がした事は、貴方の新居の「窓を大きくして!」との依頼に、
設計を一切変えずに窓の穴を大きくくり抜いて見せたのと同じなのだ。
貴方は、家としての機能(強度など)が損なわれても
窓が大きくなりさえすれば満足するだろうか?


構造設計という仕事は、『文系』には向かない様に思う。

『殺人マンション』社長はなぜ『疑わしい』のか

2005-11-26 00:00:00 | しあわせって?
一連の社長とマスコミとのやりとりを見ていて、思う事がある。


私はこの社長も、その補佐をしている社員?も、聰明だと思う。
しかしながら、彼らがどう頑張ってもマスコミの人には理解されないだろう。

これは『ホリエモンがエライ人に認められない理由』というエントリで書いた
(出身学部などではなく私が再定義した)『文系』と『理系』の違いの様に思う。

社長らはホリエモンより遥かに頭が良く、『理系』度も上回っている。
いくら社長らが『効果的』な説明をしても、マスコミは理解できないだろう。
なぜならマスコミは『理系』にとっての『効果的』な説明を理解できないからだ。
(『効果的』というのは、「『理系』度が高い」事を意味する。)

尤も『効果的』な説明だからといって件の社長が無実であるとは限らないのだが。。。


これは、マスコミや『文系』の頭が悪いというよりは、文化の違いだ。
両者では、おそらく見える物も感じる事も全く違う。
物事を理解するしくみが全く異なっているのである。
そして同じ日本語を全く違う『言葉』として使っているのである。

これは、松本サリン事件で報道被害に遭った人と、
マスコミとのやりとりとも当てはまる。
この人も『理系』からすれば、『効果的』な説明をしていた。

『理系』の人なら、誰も彼に対し疑うべき点を見出せなかっただろう。
しかしマスコミは理解できずに、どんどん疑惑を深めて行ったのである。


人は、自分の理解出来る範囲でしか物事を理解することが出来ない。
世の中には『理系』の人間が存在するのである。

『理系』の人が『理系』の言葉を使うのには理由がある。
『理系』の人が言いたい事を『文系』の言葉で表す事は
英語を日本語に翻訳する様にはいかないのだ。
強いて言えば、文化も思考形態も感覚器官も異なる宇宙人の言葉を
地球語に直す位の困難を伴うのである。


報道が真実を誤解の無いように大衆に伝える事である以上、
『理系』の人に『文系』の言葉を言わせるよりは
報道の人の側が『理系』の言葉を理解し、翻訳すべきだ。

一方の社長も、皆に理解して欲しいのなら、
マスコミ対応の為に『文系』のスポークスマンを置くべきだろう。



現在の報道関係者は、世界の半分しか見ていない。