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異論・反論・Obsoletion

「異論・反論・多事争論」は
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テレビと言う『見せ物』

2005-11-25 00:00:00 | マスコミ
今日もまた昼のテレビに『殺人マンション』の社長が出ていた。

昨日、あれだけ言われたのに懲りなかったのだろうか。
私はこの社長が、ただの気の良いおっさんなのか善人ぶった悪徳社長なのか分からない。
ただ、今現在この社長を『犯罪者』と断定している人はいないはずである。


相も変わらずこの社長は酷い目に遭っていた。

出演者全員でVTRを見た後の社長の反応が気に入らないと、非難もされていた。
社長が住民への想いではなく、信頼していた建築会社のずさんな工事を問題にした事が、
気に入らなかったらしい。

人間、別に悪人でなくとも突然の場合に『適切に』反応するとは限らないだろう。

「住民の皆様、ごめんなさい」ではなく、
「ブルータス、お前もか?」と言ったって良いではないか。

この番組に出ている人達はみな、人の心の在り方を批判出来る程偉いのか。
こんなくだらない事を問題にするより、この社長が住民に対して
『実際に』何をするかについて見張って居れば良いのである。

この社長の人格に問題があろうが、やる事をやっていれば問題にすべきではない。



--
最大はこれだろう。きっと、番組の『メインイベント』だ。

突然、司会者が「xx君、(例の?)ニュースを読んでくれ!」とか言いだして、


# データの偽装に気付いたとされる検査会社がこの事を件の社長に伝えると、
# 「(公表は)待ってくれ。(これだけ大規模であれば)住人に補償などできない。」
# 件の社長が検査会社の社長に言ったとの事だ。

突然、社長に「これは本当なのか?」と聞いたのである。
少なくとも「本当です」とだけ言ったのなら、一方的に非難される事は目に見えている。
この社長が善人でも悪人でも何等かの説明をする必要があるだろう。


この発言自体、悪徳社長が知らぬ振りを決め込もうとした様にも取れるが、
少なくとも欠陥が発覚する事を予期していたにしては対応が悪すぎる。

それに別に悪人でなくともこの程度の言葉は出る様に思う。
少なくとも私なら言いそうだ。
公表する前に、確認しておかなければならない事は沢山ある。

o 本当なのか?
o なぜ、今なのか?
o 検査会社の意図は?
o どの程度の偽装なのか?
o 安全性はどうなのか?
o 改修か立て替えの規模はどの程度になるのか?
o 費用はどの程度になるのか?
o 金策は可能か?

住民に説明するにしても少なくともこれだけの事は知っておく必要があるだろう。
「待ってくれ!」や「金が無い!」と口走る事は当然あり得る。

何も準備していない状態で、取る物も取り敢えず、
住民に「あなたの家は、耐震上問題がある可能性があります」
とだけ告げれば良いとでも言うのか?これでは住民も納得しないだろう。
これが誠意ある対応であるかどうかは、議論の余地があるのではないか。
少なくとも「とにかく避難してください」と続ける為にはお金の工面も必要だ。
番組の人は、批判する以上、どうしていればよかったのかを示してほしい。
私には模範解答を挙げる事が出来ない。


それにこの検査会社の社長がどの様な意図でわざわざこの様な話をしたのかも問題だ。
悪徳販売会社の社長を告発しようとしたのだろうか。
それともマスコミの矛先を自分から外そうとしたのか。


--
少なくともこの番組は、社長を出し抜こうとしたのだろう。

口先だけでは「言いたい事を何でも言ってくれ」とは言っていたが、これでは
信頼関係を築ける訳もないし、言いたい事を充分に伝える事など出来ないだろう。

こうせずに、予めこうする事を話しておいても良かったのではないだろうか。
マスコミの人達は、浅ましいのだ。
予め知らせてしまうと、言い訳を準備されてしまうとか、
出演をキャンセルされるかもしれないと考えたのではないだろうか。

悪人であれ善人であれ『言い訳』は、充分に準備させておくべきだ。
奇襲を掛けるなど、始めから悪人だと決めつけている証拠だろう。
マスコミには『話して頂く』という謙虚さが無いのである。

予めこれを知らせて出演をキャンセルする事も許容すべきだ。
彼らはあくまで『厚意』で出演して下さっているのだから。


番組の当初から女性のアナウンサーの見下したような眼つきが気になっていたのだが、
これが原因だったようだ。
女の人は、この様な場面には向かないのではないだろうか。
他の女性達も明らかに感情的な発言をしていた。

普通にテレビを見ている人は、放っておいても感情的な反応をするのである。
わざわざテレビでそれを見せて煽る必要があるだろうか?
私はテレビでは、理性的に対応する所を示すべきだと考える。
ところが女性がいると、得てして魔女狩りの様相になってしまうのである。
この社長は魔女なのか?

女性は『疑わしい人』に対し、普通に接する事が苦手な気がする。


--
彼らがやっているのは『報道』などではない。
単なる視聴率稼ぎのショーだ。

彼らは、自分の番組の事しか考えていないのではないだろうか。
目の前に居る人を1人の尊敬に足る人間としてではなく、
視聴率を取るための道具としか見ていない。

そして、その見せ物は番組が始まった時点で決まっているのだ。
たまたま今日の出し物は悪徳社長の集団リンチで、
その趣向の一つに「待ってくれ!」発言があったのだろう。

彼らは悪人には丁寧に接してはいけないとでも、思っているようだ。
悪人に礼を尽くした所で問題は無いし、
そもそも悪人かどうかさえ今の時点では分からないのである。


確かにこの社長には責任がある。
しかし責任を負った人が必ずしも悪人だとは言えない。
欠陥を知って隠していたり、わざと殺人マンションを作ったのなら間違いなく悪人だが、
欠陥を見抜けなかった点だけなら悪人とまでは言えない。
この事は区別すべきだ。

現時点ではこの社長が欠陥を隠していた事は立証されていない。
住民の事を本当に考えるなら、この社長に責任を全うしてもらう事を第一に
考えるべきだ。本当の悪人であるならしょうがないが、それほど悪くないのに
マスコミが悪人のレッテルを貼ってしまったがために社会的信用を落として
住民に充分な補償が出来なくなることだって考えられる。


この社長も、テレビに出さえしなければもっと適切に対処できただろう。

聖人でもない限り、どんなに挑発されてもテレビで釈明などすべきではない。
あなたが善人でも悪人でもだ。『普通の』人なら尚更である。




それにしても「xx君、例のあれを」とか言うのは、恰好悪いぞ!

『報道』と言う名の病

2005-11-24 00:00:00 | マスコミ
朝から みのもんた が怒り狂っていた。


相手は、耐震データを偽造したマンションの販売会社の社長であった。

道義的責任を持ち出すまでもなく、日本の法律では瑕疵担保責任と言うものが
販売会社にあるそうだ。このため、住民に対する全ての責任は販売会社にあり、
この社長もこれを明言している。

ここまでみの氏を怒らせたのは、この社長の対応が悪かったせいでは無いように思う。
むしろ、この社長の対応が適切であった為ではないかと思えるのである。

この番組においてみの氏は、社長に話もさせず一方的に捲くし立てていた。
氏は様々に糾弾したが、そのほとんどは既に社長が対応しているか、
みの氏の誤解に基づいた物であった。

おそらくCM中に指摘されたのだろうが、CM開けにみの氏は
「私が言っているのは、そんな説明では視聴者が誤解すると言う事だ」
「そんな事を主張してはならない」等と怒っていた。

正しく伝える事こそマスコミの使命である。
「(譲り渡し確認書?に)判を押した以上、全て社長の責任だ!」と主張するなら、
放送した以上、放送による全ての誤解はみの氏側にある事を自覚しなければならない。

テレビの素人である社長の説明が不十分であると叱責する事は間違いである。
素人の発言を正しく伝える事もマスコミの仕事だからだ。
それに、説明が不十分であるなら、叱責するのではなくみの氏が補足すれば良いだろう。
単にみの氏本人が誤解していただけではないのか。


みの氏の「主張してはならない」との『主張』も誤解に基づいているように思う。
この社長は「現に役員も住んでいるのだから欠陥マンションとは知らなかったのだ」
と主張したに過ぎない。
少なくともこの『釈明』は「知らなかった」事の説明にはなっているだろう。

ところがみの氏は「役員も住んでいるのだから住民も我慢しろ」と受け取った様である。
相手の意図を理解せずに一方的に糾弾することは、止めなければならない。


--
みの氏は自分の『手柄』を自慢気に総括していたが、
唯一みの氏がした事は「緊急避難のためのホテル代一人一日7千円」という限度を
執拗に恫喝して撤回させた点だけである。

確かに7千円という金額に議論の余地はあるだろう。
しかし、上限を撤廃することは必ずしも被害者の為にはならない。


人間は弱いのである。確かに住人は被害者だ。
しかし被害者なら何を要求しても許されるものではない。
もしかすると中には一泊何十万円もするホテルに泊り、ルームサービスの代金まで
『被害者』であると言う理由で要求する人もいるかもしれない。

そうなると、ビジネスホテルに泊まった被害者は不公平に感じるだろう。
さしあたりの安全を確保するなら、ビジネスホテルで充分だ。
(7千円なら月極めでビジネスホテルに泊まれる)
安全を損なわない範囲で公平性を担保する必要もある。
この為には、目処なり上限を設ける事は必要なのである。

みの氏の金銭感覚では7千円など論外だろうが、
批判するならいくらが適切であるかについて適切な値を提示しなければならない。
それさえ検討する事もせずに義憤のままに非難するから撤廃しろとの主張になるのだ。

正義とは中庸である。
被害者であれば、いくらでも要求して構わないと言う事にはならない。
『悪者』の主張が誤っているのであるなら、適切な値を示す事こそ正義なのである。
みの氏は、被害者を救済するというよりむしろ正義の味方を気取って
悪者を糾弾することに酔っていたのではないだろうか。

『悪人』を罰する事も、当事者間を執り成して問題を解決することも
『報道』の仕事を逸脱している。みの氏の自慢する『手柄』は筋違いなのだ。


この番組でみの氏は弁護士まで呼んで『悪者』を追及している。
日本人の中には、弁護士は公平で公正な人であるという印象を持っている人がいるが、
公平や公正と言うのは、きっと弁護士ではなく裁判に対する印象だろう。
そして、そこで働いている弁護士にその印象を重ねているのではないだろうか。

これは全く違う。弁護士とは依頼人の完全なる味方なのだ。
弁護士は、相手の言い分など聞かずに依頼人の見解を一方的に主張することが仕事だ。
弁護士個々人の人柄はさておき、弁護士と言う仕事は公平とは真逆の仕事なのである。
そして、それを聞いた裁判官が公正で公平に(?)判断するのである。


『報道』と言うプロセスは裁判に似ているかもしれない。
『報道』の役割は、取材対象の完全なる味方として話を聞き、取材対象の主張を
誤解の無いように大衆に伝えることにある。
これは可哀想な被害者の主張であっても、極悪非道な犯罪者の到底受け入れられない
ような主張であっても同様だ。

このため、片方の主張のみを伝える事をしてはならない。
双方の完全なる主張を理解した上でなければ何も判断など出来ないのだ。
そして善悪の判断は『報道』を受けた大衆が個々人で行うのである。


『報道』に携わる人は、時として『悪者』と対面する。
『悪者』を目の前にすると、人は安っぽい正義感が芽生えるものだ。

「悪者をのさばらせてはいけない」「悪者は罰しなければならない」
「悪者は反省すべきだ」「自分がやらずに誰がやるのだ」と。
そして、自分が正義のヒーローであるかの如く錯覚するのである。

あなた方は当事者でも何でもない単なる第三者なのだ。ヒーローなんてとんでもない。
いま初めてあった『悪人』を懲らしめる義務も権利もないのである。



『報道』にあっては感情を排除しなければならない。
どんな悪人であっても、その主張を正確に伝える事が『報道』である。
善悪を云々するのはその後だ。


ジャーナリストといえども人間なのだから、個人的な主義や主張を持っているだろう。
しかし、プロフェッショナルとして『報道』をするなら、客観性に徹するべきだ。

このため『報道』においては「戦争反対」と言う誰もが賛同するであろう主張
でさえも有害になる。事実の断片を示して戦争を煽る事も、
事実の断片を示して反戦を主張することも、どちらも情報テロなのだ。

反戦を訴えたいのであれば、『報道』と言う形態をとるべきではない。


客観的な事実を積み上げた所に真実がある。真実を伝える事こそ『報道』なのだ。
例え誤解を与えたにしろ「事実の『一部』を伝えた(言ったまま伝えた)のだから、
自分には責任が無い」と開き直る現在のマスコミには危惧を抱かざるを得ない。
これでは子供の使いと同じではないか。


--
この番組においてみの氏の『手柄』よりも、社長はずっと重大な事を言っていた。

「受注金額は構造確認以前に決まっており、当該物件は取り立てて安い訳ではない。
データの捏造は(販売会社である)自分達の利益にはならない」と。

『報道』ならば、この発言の重要性をこそ掘り下げるべきだろう。
勿論これを無条件に信じるべきではないが、早急に確認しなければならない。


--
別の番組では、この社長が週末にゴルフをやっていたかどうかを問題にしていた。


当事者である被害者の立場からすれば心情的に許せない事であろうが、
これを第三者であるマスコミが非難する事なのか?

マスコミはゴルフをしてはならない理由を感情を排してきちんと説明できるのだろうか?
感情論を持ち出す事は、物事を混乱させるだけだ。
これは正義の味方どころか、悪の手先のすることである。
『報道』とは、込み入った事実から真実を導き出すプロセスなのだから。

ゴルフをしたかどうかは、(強いて言えば)人格の問題であり、
人格が劣っていたからと言って不具合のあるマンションを作った理由にはならない。
『報道』を謳うなら、真実の追及に係わる内容に留めるべきだ。
いくら人格を攻撃したところで、問題の解決にはならない。

人格攻撃はいけないと子供に教えておきながら、マスコミが率先して人格攻撃を
している現状は、どうしたものか。。。


「ゴルフ」がスクープになる様な、マスコミの価値観にこそ問題がある。



--
P.S. 朝日新聞2005年11月24日付社説『実名・匿名 警察の判断でいいのか』について

# しばしば厳しい判断を迫られるが、メディアは、
# 自らの責任において決断しなければならないと思う。

「自らの責任において決断」出来るのは、自己責任が取れる場合だけである。
朝日新聞は報道被害者に対して、今までどう『責任』を取って来たのか?
そもそも『責任』など取れるのか?


問題の核心はここにある。

誰が決定すべきかは、誰が責任を取れるかに掛かっている。
実際に報道被害を受ける人以外、警察も含めて誰も責任を取れないのではないか。


私は、警察は一切被害者を特定するような情報を出すべきではないと考えるが、
マスコミの人達は被害者の実名を公表した警察は免責されると言えるのか?

そうでないなら、警察も実名発表における責任を負う事になる。
このため、警察も「自らの責任において決断しなければならない」だろう。

この社説も、身勝手な理屈を並べているだけである。


警察の不正を暴くことよりも、被害者の保護の方を優先すべきではないだろうか。
不正を暴くかどうかは自己責任が取れる被害者が判断することだ。


マスコミは『正義』の名の基に儀牲者を作ってはならない。

朝日新聞問題: 殺人事件被害者の父が請願書

2005-11-19 00:00:00 | マスコミ
これもマスコミの世論誘導だろう。


以下、朝日新聞『「被害者は実名発表を」 殺人事件被害者の父が請願書』より
(http://www.asahi.com/national/update/1118/TKY200511180216.html)


「殺人被害者の父」が犯罪被害者の実名発表を求めて請願書を出したそうだ。
報道被害を予防するという観点から警察発表で被害者の氏名の
匿名発表が広がりつつあると言うことだ。これにマスコミは反発している。
(加害者ではなく『被害者』である事に注意)

朝日新聞は、『当事者』でさえ実名での発表を望んでいると言いたいようだ。
「殺人被害者の父」と言うからには、被害者の遺族と言う意味では当事者に見えるが、
実名発表を求めるという点においてはそうとは限らない。

当事者と成り得るのは「実名発表により被害を受けた」か
「実名発表をしない事によって被害を受けた」「実名発表により恩恵を受けた」
「実名発表をしない事により恩恵を受けた」人だけである。

この人の場合は、実名発表されていて、なおかつ実名発表を求めているのだから、
「実名発表により恩恵を受けた」場合に当てはまる必要がある。
しかし残念な事に、未だに犯人が見つかっていないようなので、
実名発表の恩恵を受けたと言う訳でもない様に思う。

ただ単に一人の国民として請願書を出したと見るべきではないだろうか?
朝日新聞は「当事者でさえ請願書を出した」と思わせたいようだが、これは違う。


一方で、匿名を希望する請願書を出した人はいなかったのだろうか?
双方の請願書があるのに一方だけを取り上げる事を報道とは言わない。
もし誰も匿名を望んでいないのにも係わらず匿名発表にしたのであれば、
むしろその方が問題である。その事を記事にすべきだろう。



--
この記事において、『被害者の父』は実名発表の根拠を二つ挙げている。

# 「加害者の話だけで報道されたり、事実と違うことが公表されて
# 被害者が批判されたりすることこそ報道被害」

# 「取材を断るなら被害者が自分で意思表示し、
# マスコミは同意を得てから取材するのが当然だ」


前者についてはまあそうなのだが、匿名である『被害者』が
現実に報道被害を受けるかどうかは微妙である。
心情的にはやりきれないだろうが、実害は無いのではないだろうか。
逆に実名で「事実と違うことが公表され」た場合の被害こそ甚大であろう。

もし反論したいのであれば、被害者が自ら信頼できる報道機関に申し出れば良い。
そうすれば実名を公表したり、匿名のまま反論する事も出来るだろう。
この様に警察が強制的に実名を発表しなくとも、
被害者が名乗り出れば充分なのではないだろうか。
当然の事ながら報道機関は、その人が本当に被害者なのかどうかを検証する必要がある。


後者の場合も、報道して欲しい場合のみ被害者が
報道機関に申し出る事にすれば良いのではないだろうか?
ただでさえ混乱している時に、仕事に燃えた記者が絶え間なく押しかけて来て
熱心に「同意を要求される」事だけでも相当な負担になるはずだ。


そもそも現状の報道機関において、匿名で報道など出来るのだろうか?
他社が全て実名で報道する中、自分達だけ匿名にする報道機関がどれだけあるだろう。
それに、例え一社でも実名報道すれば、被害者の保護は出来なくなるのである。
自主判断を求める報道機関は、自社だけではなく報道機関全体の振舞いをも
保証出来るのだろうか。

被害者が自ら報道機関に申し出る事によって、
警察が実名で発表しなくとも報道機関により真実の追求は出来る。
国家権力により強制的に実名を公表することには反対だ。
彼らは『被害者』なのである。


公表するかどうかを決めるのは、警察でも報道機関でもなく、
被害者本人であるべきだ。
こうするためには、むしろ一切実名を発表すべきではない。


--
報道機関が反発するのは、旧来のやり方に拘っているせいではないかと思う。

報道機関は、警察から距離を置く必要がある。
そうしない限り、権力の監視など不可能だ。

現在の報道機関は、警察発表を基に事件や事故の取材を始めているようだが、
全ての事件や事故を警察が発表している訳ではない。
当然の事ながら警察が重要だと考えたもののみを発表するのである。穿った見方をすれは
都合の悪い事を故意に発表していないかもしれない可能性だって否定出来ないだろう。

本来報道すべき事が、警察発表が無いために報じられない場合もあるのではないか。
これを回避するためには、警察発表だけではなく、
被害者の申し出により取材を始める様にすべきなのだ。


ところが、もし私が被害者で報道機関に真実を追求してもらいたいと考えたとしても、
どうやったら取り上げてもらえるのかが分からないのである。
きっとこの『被害者の父』も、同じ思いなのではないだろうか。

そのため、この『被害者の父』は警察に自分の名前を公表してもらい、
報道機関に来てもらう必要性を感じた様に思う。


『被害者の父』のこの請願書は、もしかしたら小泉首相ではなく、
報道機関に宛てるべきものだったのかもしれない。

報道機関は、私達一般人の想いを受け止めるしくみを持っているだろうか。
報道機関は、広く市民から情報を得る窓口を作り、周知させる必要がある様に思う。


--
政治家や芸能人などではない『普通の』人を取材する場合には、
ただ漫然と聞いているだけではなく、当人の想いを能動的に聞き出す必要がある。
朝日新聞は実際に本人に取材しているようだが、
『被害者の父』の望みは本当に「警察が実名を発表すること」なのだろうか。

例え発言のとおりに『報道』したとしても、本当に伝えたい事が伝わらずに
社会から誤解を受けたのなら、それは立派な報道被害と言えるだろう。

果たしてこの『被害者の父』は、匿名が良いと考えている人達からの
批判の矢面に立つだけの『覚悟』はあるのだろうか。
(もちろん朝日新聞はこの『被害者の父』を実名で報じている)
私はこの人も、マスコミに利用された報道被害者に思えてならない。

朝日新聞は『都合の良い人』を利用して自らの主張を強化すべきではない。
言論機関であるのなら、自分達の『言論』で世論を説得すべきなのだ。


自らの主張のために被害者や被害諸国をダシにしてはならない。
例え当人が気づいていなくとも、あなた方が一番被害者を傷つけているのである。


少なくともこの
# 「警察はできるだけ被害者を実名で発表して、報道機関の自主判断に委ねてほしい」
との『請願書』は、『誰か』に唆されたりしたものではなく、


本人が自発的に出したのですよね!!!

報道に主観は入っていないか?

2005-11-07 00:00:00 | マスコミ
NHKの職員が放火未遂したそうだ。


そのためにNHKの偉い人が役員報酬を返上すると言う事だ。

会社はここまで社員の責任を負わなければならないのであろうか?
NHKには問題があるだろうが、少なくともこの件に関しては、
役員に責任があるとは思えない。


このNHKの過剰反応は、マスコミの報道のせいではないかと思う。

マスコミは、被疑者が他社の前で先輩に叱責されたり、
スクープを強要されたのが原因であり、NHKの組織の問題であると言わんばかりである。
警察さえ逮捕出来なかったのに、事情聴取された時点で配置転換など出来るのか?
そもそも、そんな根拠で配置転換をして良いのだろうか?
マスコミは無理にでもNHKの責任にしたいように感じる。

組織に問題があったとしても、放火(未遂)をする必然性はなかったはずだ。
仮に同様な事があっても、大抵の人は放火などしないだろう。
組織の問題と放火を結びつける事には疑問を抱かざるを得ない。


マスコミがこの様に強引な主張をするのには、二つの原因が考えられる。


一つは、記者自身の個人的な欝憤をぶつけているのではないかと言う事だ。

NHKの職員は記事を書いている人達と同業者である。
記者自身が日頃自分の組織に対して感じている欝憤を、
NHKに投影しているのではないだろうか。

『報道』している人達は、是非とも自分達の主張が
自分の組織に当てはまるかどうかを考えて見るべきだ。
もし自社にも当てはまると思うなら、それは客観的な報道ではないかもしれない。

そして思い当たる事があるなら、NHKと同様に自社の批判もしなければならない。
組織の問題であるなら、実際に放火が行われなくとも問題にする必要がある。



もう一つは、『NHK』と書いた場合の記事の取り上げられ方の違いである。

NHKは現在受信料の不払いなどが起きる程、悪い意味で注目されている。
そのNHKの職員が事件を起こしたのだから、当然注目されるだろう。
記者としては是非とも『NHK』を見出しにしたいのだ。
しかし放火とNHKは直接は結び付かない。
そのために、NHKの組織の問題であるとの結論を記者が望んでいるのではないだろうか。
先の鉄道事故にて組織の責任追求が成功したから、繰り返したと言うのは考えすぎか。

報道であるなら客観性は重要だ。しかし自覚していなくとも、記者は
自分の記事を少しでも重大だと思わせたいと考えているように思う。


マスコミはこうして『弱い者いじめ』をするのではないだろうか。
不祥事等で注目されている企業に、言い掛りを付けるのは止めるべきだ。


--
この事件に限らないが、記事の書き方で看過出来ない事がある。

毎日新聞は『NHK記者逮捕:「組織に問題がない」強調 橋本会長会見』において
二人の『識者』の見解を載せている。
( http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/tv/news/20051107k0000m040083000c.html)


この記事では、二人の『識者』が共にNHKの組織を問題にしている。
全ての『識者』は、放火の原因がNHKの組織の問題だと主張しているのだろうか?

私はそうは思わない。
同じ『識者』と言われる人でも、人により様々な主張をしているはずである。

記者は、自分の主張に沿った二人を選んだのではないだろうか?
もし、客観性を持たせようとする気があるなら、
組織の問題を主張する人と、そうでない人の見解を取り上げるべきだろう。
そして、読者がどちらの主張に説得力があるかを判断すれば良いのである。


『識者』の見解というのは、専門家がどう見るかと言う
別の視点を提示する事が出来るので歓迎すべき事だ。
一方で、『識者』を取り上げる事には危険をはらんでいる。

記者は、自分の主張に都合の良い『識者』を資意的に取り上げる事が出来、
発言を好きなように『編集』する事さえもできるのだ。
そして、その主張の内容は記者ではなく『識者』の責任となるのである。

記者は、記事の内容に責任を持たなければならない。
少なくとも『識者』を選んだのは記者である。
そのため、記者はその『識者』を取り上げた理由を書く義務があるはずだ。

こうしておけば、選出理由がおかしいとか、もっと適人者が居るなど、
読者が記事の内容を評価出来る様になるし、新聞社としても無責任に『識者』を
選ぶ事が出来なくなり、より客観的な記事になるだろう。


報道機関は他人の非難だけでなく、自分自身にも厳しい目を向けなければならない。

『バカチョン』カメラ

2005-11-06 00:00:00 | 中□、南北△鮮
たまたま目にした在日朝鮮人のblogにこう書いてあった。


ある人の講演を聞きに言って、その人はとても為になる事を言っていたのだが
最後に『バカチョンカメラ』と言ったので、全てが台無しになった


彼によると『チョン』は朝鮮人に対する蔑称で、『バカチョン』は「馬鹿な朝鮮人」
との差別用語だと言う。

実は私も若い頃に、何気なく「バカチョン」と言って、気まずい思いをした事がある。
それ以来「バカチョン」は言わない様にしているのであるが、
弁解させて頂ければ、私の発言は朝鮮人を念頭に置いたものではなかった。


この「(バカ)チョン」であるが、今現在差別用語であるかどうかは別にして、
少なくとも私は、元来この言葉は朝鮮人とは関係無いものと理解している。
(是非とも辞書などで調べて欲しい)

私は言語学者ではないので、ここで言葉の語源について論じるつもりは無い。
嫌な思いをする人がいるなら、どうしても使わなければならない場合以外は、
別の言葉に置き換えれば良いと考えている。


--
私は以前から毎日新聞の社説を問題にして来た。
私が毎日新聞の社説を批判するのは、何度も言う様に私の主張と異なるからではない。


毎日新聞は『主張してはいけない事』を主張しているのである。

『主張してはいけない事』の典型的な例は、個人の宗教覩に関するものである。
他人の信じている宗教の教義に対し、他人が口出ししてはならない。
どう見ても奇異な行為で、例えそれを合理的に説明できなくとも、
教義で禁じられている事を強要したり、義務とされている事を禁止してはならないのである。
私が靖国問題を取り上げるのはこの為だ。別に私は靖国神社に思い入れなどない。


靖国参拝を、言葉狩りと同じに論じる人がいる。
嫌な思いをする人がいるなら、行くべきではないと。
彼らが熱心に主張する被害国民が心を痛める理屈も理解出来る。

しかし、嫌な思いをしている当人が「嫌だから止めてくれ!」と言う事は当然であるが、
第三者が「嫌だと言っているから止めろ!」と言う事を言ってはいけないのである。
せいぜい「行かないでくれ!」と依頼するに留めるべきなのだ。
中には「首相の信仰心など大した事はないのだから止められるはずだ」と言う人まで居る。

信仰とは、当人と『絶対者』との関係(契約)だ。
信仰心についてコメント出来るとすれば、それは信仰対象である『絶対者』だけである。
他人の信仰心を評価してはならない。


日本では、これらの事が理解されていないように思う。
国会に於いても、野党は与党に「これは公約違反だ!」と非難したりしている。
そもそも「公約」は政党が国民に対してした約束である。野党としたものではない。
公約違反かどうかは、国民が判断すべき事なのだ。
このため野党は公約に絡めず「これは国民の為にならない!」と主張すべきなのだ。

それに、与党に公約を守らせる事が野党の役割ではない。
それどころか、自分達が正しいと思う様に公約を破らせる事こそが野党の仕事だ。
野党のすることには一貫性がない。


--
国会議員は誰しも自分の主張こそ正しいと考えている。
そのためにはあらゆる機会を使って自分の主張を実現すべきだと考えるのも分かる。

しかしながら、政府(与党)の不利益は自分(野党)の利益であるとの考えは有害だ。
同じ政府を困らせるにしても、国民の利益に適わなければならない。


靖国参拝を騒ぎ立てて、首相を追い落すという方法もあるだろう。

悪い首相を辞めさせて、より良い首相にできるのなら靖国批判は理に適う。
しかし、悪い首相を辞めさせる事ができなかった場合には、
いたずらに近隣諸国との関係を害した事の責任を取らなければならない。
悪い首相が悪い状態で外交を行わなければならなくなるからだ。
国民の為に成らない事は明白であろう。

もしそれが出来ないのなら、不本意ではあろうが国益(国民の利益)を考えて、
対外的には靖国参拝は問題が無いと言う主張をすべきなのだ。
そして、外交を損なわない様に国内的に首相に参拝を止めさせなければならない。

外交を損ねる事は、与党の不利益であると同時に国民にとっても不利益となる。
このため首相の行為自体が問題の核心であっても、
国益を考えて敵である首相を庇う事も国会議員の義務である。


靖国問題は反対する人が考える以上に根が深い。
参拝に反対する人は「自分は参拝しない」と言う。だがそれだけでは不十分だ。
彼らは無責任に問題を先送りしているに過ぎない。
きっと貴方は行かないのだろう。しかし貴方の次の首相がまた行くかもしれないのである。

代替施設を作っても、首相が靖国神社に行かないと言う保証にはならない。
代替施設への参拝と靖国参拝は矛盾しないからだ。

問題を先送りしない為には、靖国参拝には被害国民を傷つける意図がなく
軍国主義に繋がらない事を『納得』してもらうか、
「靖国参拝禁止法」を作るなり靖国神社自体を無くしてしまうなど、
将来にわたり問題が起こらない『しくみ』を作らなければならない。

現在の日本の法体系で、靖国神社を潰したり、靖国神社の参拝のみを禁止できるだろうか?
これはおそらく無理だ。
現実的には、首相に対し一切の宗教行為を禁止する法律を作る事位しか出来ないだろう。


靖国参拝を非難する人は、何等解決策を提示できていない。
少なくとも「不戦の誓いのためだ!」と繰り返す事の方が、
被害国民に日本の立場を理解してもらうという戦略に適っていると言える。

国会議員は問題に正面から取組み、根本的な解決をしなければならない。
靖国問題は、本来なら公式参拝などと言って必要以上に問題を大きくした
当時の中曽根首相が解決しておかなければならなかった事である。
「政治的判断で取り止めた」など、詭弁だ。


問題の先送りは、後に大きなツケを残す事を学習しなければならない。



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私にも「バカチョンカメラ」が、朝鮮人の心を傷つける『理屈』は理解出来る。
しかし、朝鮮の人にも発言の『趣旨』を正しく理解して欲しいのだ。


私達は、カメラにかこつけて朝鮮人を馬鹿にしたい訳ではない。



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(11/6 12:00)
橋本元首相が公式参拝したとの記述がありましたが、
中曽根元首相の誤りでした。

このblogはひとつの考えを提示する事が目的ですので、
特に事実関係は話半分と思って下さい。
もし、一般的に知られていない事が書かれていても
私は一次情報を得る立場にはありませんので、
それはきっと私の思い違いです。

読んだ結果に何が起ころうとも、自己責任ですよ!