28日付の社説で朝日と産経が警察の『匿名』発表を取り上げている。
# 朝日: 犯罪被害者 安易な匿名化は避けよ
# 産経:【主張】匿名社会 「羹に懲りて膾を吹く」愚
意外だったのは朝日が
# 「犯罪被害者、警察、メディアを対立的にばかりとらえることは誤りだ。」
と、予想に反して現実的な提案をしていた事だ。
一方産経は、
# 「もう一度、政府と報道機関、被害者の代表などを交えて
# 慎重に議論することを提案したい。」
と、さも報道機関に被害者の実名を公表する権利があるとでも思っているようだ。
「報道の自由」は報道機関が持つ『特権』ではない。
これはむしろ国民の「様々な情報を入手する権利」とでも解すべきものである。
報道は目的ではない。手段(の一つ)に過ぎないのだ。
報道機関は、自分達がこの国民の権利を達成するための
『公僕』である事を自覚しなければならない。
マスコミの人達は自分達に『特権』があるとでも思い込んではいないだろうか。
あなたたちに『特権』などない。あなたはただの『おっさん』だ!
--
そもそも報道機関は、事の本質を理解していない様に思う。
問題にしているのは「実名を報道するかどうか」よりむしろ
「報道機関に被害者の個人情報を教えるかどうか」
これこそが問題なのである。
簡単に言ってしまえば「国民は報道機関を信用していない」のだ。
これは、今までに報道機関が自ら行って来た『結果』である以上、
報道機関は謙虚に反省するしかない。
このため報道機関が主張する「警察が不正を隠す事がある」
「一人の貴い人間として扱う為に『名前』が必要だ」等は、見当違いも甚だしい。
前者は「与党が悪い!」としか主張しない野党と同様、
「警察が悪い!」と頓珍漢な主張をしているのである。
私達は、与党が悪い事や警察が不祥事を隠す事を充分すぎる程知っている。
主張しなければいけない事は、野党が与党より多少なりともマシなのか、
報道機関が被害者を傷付けないのか、これに尽きるのだ。
報道機関が最初に主張すべきは「私達は被害者を傷つけたりなどしない」
と言う事である。その上で警察の不正を暴いた『実績』を示すべきだ。
『実績』は果たしてどの程度あるのか。ほとんど思い付かないのだが。
本当に名前を書かないと「一人の貴い人間として」扱えないのだろうか?
それはマスコミの能力の問題ではないのか。
ただ、現在の記事テンプレートどおりに<被害者名>を「被害者A」と書いたら、
『ひとりの人間』が単なる『記号』になる事だけは確かだ。
現在の少年事件の記事を見ても『記号』として扱っているのはむしろ
マスコミの方ではないのか。
一度、記者生命を掛けて被害者名を伏せた記事を書いてみると良い。
記者達は本当に人間の尊厳を守る『工夫』をしているだろうか。
挙げ句に何を血迷ったかマスコミは、
「どうせ裁判で実名が判る。その時にマスコミに騒がれる事の方が被害が大きい」
「被害者捜しの為に、かえって報道被害が増える」など、
開きなおった『脅し』としか思えない主張までしている。
これらは警察の匿名発表ではなく、マスコミの振舞いの問題だ。
この様な主張をすればするほどマスコミの信用は低下するのである。
# このように議論が大きく分かれている段階で政府がなぜ、
# 「警察が判断する」という結論を急ぐのか、疑問を呈せざるを得ない。
# (産経新聞)
そんな事は分かり切っている。それは報道被害が甚大だからだ。
困っている国民がいたら、手当てをするのも国家の仕事だ。
私は、警察の不祥事隠しよりむしろマスコミの報道被害の方が
より深刻な問題を引き起こしていると考える。
こと被害者(人権)の保護に対しては
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」で、丁度良い。
人権を蹂躙してまで報ずべき事項があるだろうか。
この様に自分が何をしているのかさえ理解出来ない産経新聞も、
22日付の社説で「主客転倒もはなはだしい」と自分が『主』であると
主張している毎日新聞の敵ではない。毎日新聞はどうしたものか。
繰り返すが、問題なのは「マスコミが国民に信頼されていない」点にある。
===
新聞社はこの問題で連帯感を持ったのか、別件でも他紙の社説を取り上げて、
「産経新聞以外は皆反対している」等と主張しだしたが、
こと主張においては「皆が言っている」かどうかは関係ない。
他に誰も言っていなくとも『正しい』事もあれば、
皆が言っていても『誤った』事もある。(これは世論調査も同様だ)
「皆が言っている」事に意味があるとするならそれは『政治運動』であろう。
他人の主張で「虎の威を借る」のは恥ずべき行為だ。
きちんと筋を通して自分の言葉で主張する必要がある。
言論機関であるなら、新聞社は群れたりせず孤高でなければならない。
# 朝日: 犯罪被害者 安易な匿名化は避けよ
# 産経:【主張】匿名社会 「羹に懲りて膾を吹く」愚
意外だったのは朝日が
# 「犯罪被害者、警察、メディアを対立的にばかりとらえることは誤りだ。」
と、予想に反して現実的な提案をしていた事だ。
一方産経は、
# 「もう一度、政府と報道機関、被害者の代表などを交えて
# 慎重に議論することを提案したい。」
と、さも報道機関に被害者の実名を公表する権利があるとでも思っているようだ。
「報道の自由」は報道機関が持つ『特権』ではない。
これはむしろ国民の「様々な情報を入手する権利」とでも解すべきものである。
報道は目的ではない。手段(の一つ)に過ぎないのだ。
報道機関は、自分達がこの国民の権利を達成するための
『公僕』である事を自覚しなければならない。
マスコミの人達は自分達に『特権』があるとでも思い込んではいないだろうか。
あなたたちに『特権』などない。あなたはただの『おっさん』だ!
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そもそも報道機関は、事の本質を理解していない様に思う。
問題にしているのは「実名を報道するかどうか」よりむしろ
「報道機関に被害者の個人情報を教えるかどうか」
これこそが問題なのである。
簡単に言ってしまえば「国民は報道機関を信用していない」のだ。
これは、今までに報道機関が自ら行って来た『結果』である以上、
報道機関は謙虚に反省するしかない。
このため報道機関が主張する「警察が不正を隠す事がある」
「一人の貴い人間として扱う為に『名前』が必要だ」等は、見当違いも甚だしい。
前者は「与党が悪い!」としか主張しない野党と同様、
「警察が悪い!」と頓珍漢な主張をしているのである。
私達は、与党が悪い事や警察が不祥事を隠す事を充分すぎる程知っている。
主張しなければいけない事は、野党が与党より多少なりともマシなのか、
報道機関が被害者を傷付けないのか、これに尽きるのだ。
報道機関が最初に主張すべきは「私達は被害者を傷つけたりなどしない」
と言う事である。その上で警察の不正を暴いた『実績』を示すべきだ。
『実績』は果たしてどの程度あるのか。ほとんど思い付かないのだが。
本当に名前を書かないと「一人の貴い人間として」扱えないのだろうか?
それはマスコミの能力の問題ではないのか。
ただ、現在の記事テンプレートどおりに<被害者名>を「被害者A」と書いたら、
『ひとりの人間』が単なる『記号』になる事だけは確かだ。
現在の少年事件の記事を見ても『記号』として扱っているのはむしろ
マスコミの方ではないのか。
一度、記者生命を掛けて被害者名を伏せた記事を書いてみると良い。
記者達は本当に人間の尊厳を守る『工夫』をしているだろうか。
挙げ句に何を血迷ったかマスコミは、
「どうせ裁判で実名が判る。その時にマスコミに騒がれる事の方が被害が大きい」
「被害者捜しの為に、かえって報道被害が増える」など、
開きなおった『脅し』としか思えない主張までしている。
これらは警察の匿名発表ではなく、マスコミの振舞いの問題だ。
この様な主張をすればするほどマスコミの信用は低下するのである。
# このように議論が大きく分かれている段階で政府がなぜ、
# 「警察が判断する」という結論を急ぐのか、疑問を呈せざるを得ない。
# (産経新聞)
そんな事は分かり切っている。それは報道被害が甚大だからだ。
困っている国民がいたら、手当てをするのも国家の仕事だ。
私は、警察の不祥事隠しよりむしろマスコミの報道被害の方が
より深刻な問題を引き起こしていると考える。
こと被害者(人権)の保護に対しては
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」で、丁度良い。
人権を蹂躙してまで報ずべき事項があるだろうか。
この様に自分が何をしているのかさえ理解出来ない産経新聞も、
22日付の社説で「主客転倒もはなはだしい」と自分が『主』であると
主張している毎日新聞の敵ではない。毎日新聞はどうしたものか。
繰り返すが、問題なのは「マスコミが国民に信頼されていない」点にある。
===
新聞社はこの問題で連帯感を持ったのか、別件でも他紙の社説を取り上げて、
「産経新聞以外は皆反対している」等と主張しだしたが、
こと主張においては「皆が言っている」かどうかは関係ない。
他に誰も言っていなくとも『正しい』事もあれば、
皆が言っていても『誤った』事もある。(これは世論調査も同様だ)
「皆が言っている」事に意味があるとするならそれは『政治運動』であろう。
他人の主張で「虎の威を借る」のは恥ずべき行為だ。
きちんと筋を通して自分の言葉で主張する必要がある。
言論機関であるなら、新聞社は群れたりせず孤高でなければならない。