最近、この言葉をマスコミを通じて良く聞く。
しかしマスコミの人達は、この言葉の本当に意味する所を理解しているのだろうか。
この言葉を発した人は、あたかも自分が正義の見方であると錯覚しているように思う。
自分がさも水戸黄門や、遠山の金さんであるかのように。。。
しかしこの言葉は、正義の味方の発する物ではない。
それどころか、これこそまさに弱い者苛めをする時の言葉なのである。
なぜかと言えば、この言葉のとおり相手は少なくとも法律を犯してはいない。
しかし、言外にそれを行った事を非難しているのだ。
自分は相手を咎める権限を持たないのにも拘らず、相手を恫喝しているのである。
(ちなみに水戸黄門や遠山の金さんには、その権限がある)
「法律を犯さなければ何をやってもいい」かどうかは、本人の倫理に任されるべき問題だ。
マスコミやそこに登場する『知識人』達は、思い上がっているように思う。
自分の価値観が絶対であり、『悪人』はそれに従うべきだと。。。
確かにあなた方も法律違反をしてはいない。
しかし、あなた達は何を根拠に『悪人』を恫喝しているのか。
マスコミは警察が逮捕すると同時に、待ち構えていたかのように
近所や同級生に悪口を言わせたり、精神分析をしてみせる。
そもそもテレビには、まともな専門家は出たりしない。
例えばプロの精神科医なら、自分の発言に責任を持っているから、
実際に診察もしていない人を分析して見せたりしないのである。
テレビの評論家やコメンテイターが如何に無責任な発言をしているかは自明だろう。
「あの人は嘘吐きだから」等とコメンテイターは平気で言う。
しかし『嘘吐き』との発言は人格を攻撃しているに過ぎない。
『嘘吐き』と云えど常に嘘を言う訳ではないから、
当該の件で嘘を付いたという根拠とはならないのである。
私なら例え内輪話でも、その場に居ない人を『嘘吐き』等とは言わない。
公共の電波でそれを言う人は、恥ずかしくは無いのだろうか。
あなた方は他人を断罪できるほどに偉いのか。
そして皆が問題だと思えば、他人を恫喝しても構わないのか。
これを理解するには、皆が「あいつはいじめられても当然だ」と思っていれば
苛めが許されるのか考えてみると良い。(駄目なんですよ!念のため)
マスコミやそこに出ている三流の評論家などは、
自分の価値観を相手に押し付けているだけだ。
もし、その行為が本当に悪いのなら、問題にすべきは個人ではなく、
やってはならない事を禁止していない現在の法体系なのである。
--
日本テレビは「高校時代の寄せ書きに酷い事が書かれていた」と得意気に報じ、
これを以って容疑者を貶める様な『報道』をしていた。
学校が悪口を書いた寄せ書きを印刷して配るという事自体も信じられないが、
それを報じて悪口を書かれた当人を非難するという日本テレビの神経も信じられない。
日本テレビは公共の電波を使っていじめをしているのである。
--
前にもホリエもんの取材の所で触れたが、テレビ朝日もどうかしているように思う。
耐震偽装の支店長や、近所の子供を殺したとされる主婦が取材方法に怒っている場面を流し、
さも悪人であるかのような印象操作を行っているのだ。
自分で挑発しておいて、相手が怒ると正義感ぶって相手を非難する。
これもいじめのパターンのひとつだ。
他局もきっと同様な取材を行っているのだろうが、少なくとも放送してはいない。
この様な取材方法を明らかにする事が、自分の恥であるとさえ感じないほど
テレビ朝日は狂ってしまっているのか。
マスコミは相手は『悪人』なのだから「正義の為に多少の行き過ぎた取材は許される」
と思ってはいまいか。そもそも取材時に『悪人』と決めつけた根拠はどこにあるのか。
他にもある。報道ステーションでは、VTRの後に古館伊知郎が
「これを見ると、xxの酷さには言葉も出ませんね!」
等と言っている。氏はそのコメントが『やらせ』になる事に気付かないのだろうか。
さも客観的(他人事の様)な言い方ではあるが、そもそもそのVTRはあなた方が作ったのだ。
このためVTR明けには「このVTRで私たちはxxである事をお伝えしたかった」
「このVTRでは取り上げられませんでしたが、xxの様な見方もあります」
等とコメントしなければならないはずだ。
果たして古館氏は、
「このVTRで私たちは『xxの酷さ』をお伝えしたかった」と言えるだろうか?
私なら恥ずかしくて言えない。恥ずかしくて言えない様な事を尤もらしく
言っている点が問題なのである。この『恥ずかしさ』こそ情報操作だ。
『テレビ朝日コメンテイター』なるものも酷い。
この名称からすると、彼らの発言はテレビ朝日の公式見解と思って良いのだろうか。
他局であれば彼らの代わりに『論説委員』等があたり、
コメンテイターなる素人代表の意見をまとめたり、
彼らの疑問に答えたり、素人達が気付かなかった他の見方や
取り上げられなかった主張を紹介したりする役割を果たしている。
ところが「テレビ朝日コメンテイター』なる人は、
「もっと言えば、、、」と、一方的な見解を捲し立てるのだ。
テレビ朝日の情報操作は目に余る。
--
マスコミの人達は誤解していると思う。
きっと彼らは『犯罪者』『悪人』を言葉のとおり、人が悪いと考えているのだろう。
犯罪とは、人に対する属性ではない。人の行った行為に対するものだ。
報道の目的は『悪人』を断罪する事ではなく、あくまで『犯罪行為』を報じる事である。
『行為』を問題にすることと『きちんとした根拠』を挙げるという事は同義だ。
批判された側は『根拠』に対して反論出来るため人格攻撃とはならないのである。
逆に言えば、正当な『根拠』を示せない叱責は人格攻撃である。
(「皆が問題だと思っているから」というだけでは、数に任せたいじめだ)
人はみな平等だ。
そのため如何に清廉潔白な人でも、他人を断罪する事など出来ない。
それが出来るのは『神(人を越えた存在)』だけだ。
私たちが憎むべきは『(悪)人』ではなく、『(犯罪)行為』なのである。
例え犯罪者と言えども、彼らの人生や人格を貶める事は厳に謹まなければならない。
わたしもマスコミに問わずにはいられない。
「法律を犯さなければ何をやってもいいのか?」と。
(これはマスコミというシステムに対する問題提起です。念のため)
しかしマスコミの人達は、この言葉の本当に意味する所を理解しているのだろうか。
この言葉を発した人は、あたかも自分が正義の見方であると錯覚しているように思う。
自分がさも水戸黄門や、遠山の金さんであるかのように。。。
しかしこの言葉は、正義の味方の発する物ではない。
それどころか、これこそまさに弱い者苛めをする時の言葉なのである。
なぜかと言えば、この言葉のとおり相手は少なくとも法律を犯してはいない。
しかし、言外にそれを行った事を非難しているのだ。
自分は相手を咎める権限を持たないのにも拘らず、相手を恫喝しているのである。
(ちなみに水戸黄門や遠山の金さんには、その権限がある)
「法律を犯さなければ何をやってもいい」かどうかは、本人の倫理に任されるべき問題だ。
マスコミやそこに登場する『知識人』達は、思い上がっているように思う。
自分の価値観が絶対であり、『悪人』はそれに従うべきだと。。。
確かにあなた方も法律違反をしてはいない。
しかし、あなた達は何を根拠に『悪人』を恫喝しているのか。
マスコミは警察が逮捕すると同時に、待ち構えていたかのように
近所や同級生に悪口を言わせたり、精神分析をしてみせる。
そもそもテレビには、まともな専門家は出たりしない。
例えばプロの精神科医なら、自分の発言に責任を持っているから、
実際に診察もしていない人を分析して見せたりしないのである。
テレビの評論家やコメンテイターが如何に無責任な発言をしているかは自明だろう。
「あの人は嘘吐きだから」等とコメンテイターは平気で言う。
しかし『嘘吐き』との発言は人格を攻撃しているに過ぎない。
『嘘吐き』と云えど常に嘘を言う訳ではないから、
当該の件で嘘を付いたという根拠とはならないのである。
私なら例え内輪話でも、その場に居ない人を『嘘吐き』等とは言わない。
公共の電波でそれを言う人は、恥ずかしくは無いのだろうか。
あなた方は他人を断罪できるほどに偉いのか。
そして皆が問題だと思えば、他人を恫喝しても構わないのか。
これを理解するには、皆が「あいつはいじめられても当然だ」と思っていれば
苛めが許されるのか考えてみると良い。(駄目なんですよ!念のため)
マスコミやそこに出ている三流の評論家などは、
自分の価値観を相手に押し付けているだけだ。
もし、その行為が本当に悪いのなら、問題にすべきは個人ではなく、
やってはならない事を禁止していない現在の法体系なのである。
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日本テレビは「高校時代の寄せ書きに酷い事が書かれていた」と得意気に報じ、
これを以って容疑者を貶める様な『報道』をしていた。
学校が悪口を書いた寄せ書きを印刷して配るという事自体も信じられないが、
それを報じて悪口を書かれた当人を非難するという日本テレビの神経も信じられない。
日本テレビは公共の電波を使っていじめをしているのである。
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前にもホリエもんの取材の所で触れたが、テレビ朝日もどうかしているように思う。
耐震偽装の支店長や、近所の子供を殺したとされる主婦が取材方法に怒っている場面を流し、
さも悪人であるかのような印象操作を行っているのだ。
自分で挑発しておいて、相手が怒ると正義感ぶって相手を非難する。
これもいじめのパターンのひとつだ。
他局もきっと同様な取材を行っているのだろうが、少なくとも放送してはいない。
この様な取材方法を明らかにする事が、自分の恥であるとさえ感じないほど
テレビ朝日は狂ってしまっているのか。
マスコミは相手は『悪人』なのだから「正義の為に多少の行き過ぎた取材は許される」
と思ってはいまいか。そもそも取材時に『悪人』と決めつけた根拠はどこにあるのか。
他にもある。報道ステーションでは、VTRの後に古館伊知郎が
「これを見ると、xxの酷さには言葉も出ませんね!」
等と言っている。氏はそのコメントが『やらせ』になる事に気付かないのだろうか。
さも客観的(他人事の様)な言い方ではあるが、そもそもそのVTRはあなた方が作ったのだ。
このためVTR明けには「このVTRで私たちはxxである事をお伝えしたかった」
「このVTRでは取り上げられませんでしたが、xxの様な見方もあります」
等とコメントしなければならないはずだ。
果たして古館氏は、
「このVTRで私たちは『xxの酷さ』をお伝えしたかった」と言えるだろうか?
私なら恥ずかしくて言えない。恥ずかしくて言えない様な事を尤もらしく
言っている点が問題なのである。この『恥ずかしさ』こそ情報操作だ。
『テレビ朝日コメンテイター』なるものも酷い。
この名称からすると、彼らの発言はテレビ朝日の公式見解と思って良いのだろうか。
他局であれば彼らの代わりに『論説委員』等があたり、
コメンテイターなる素人代表の意見をまとめたり、
彼らの疑問に答えたり、素人達が気付かなかった他の見方や
取り上げられなかった主張を紹介したりする役割を果たしている。
ところが「テレビ朝日コメンテイター』なる人は、
「もっと言えば、、、」と、一方的な見解を捲し立てるのだ。
テレビ朝日の情報操作は目に余る。
--
マスコミの人達は誤解していると思う。
きっと彼らは『犯罪者』『悪人』を言葉のとおり、人が悪いと考えているのだろう。
犯罪とは、人に対する属性ではない。人の行った行為に対するものだ。
報道の目的は『悪人』を断罪する事ではなく、あくまで『犯罪行為』を報じる事である。
『行為』を問題にすることと『きちんとした根拠』を挙げるという事は同義だ。
批判された側は『根拠』に対して反論出来るため人格攻撃とはならないのである。
逆に言えば、正当な『根拠』を示せない叱責は人格攻撃である。
(「皆が問題だと思っているから」というだけでは、数に任せたいじめだ)
人はみな平等だ。
そのため如何に清廉潔白な人でも、他人を断罪する事など出来ない。
それが出来るのは『神(人を越えた存在)』だけだ。
私たちが憎むべきは『(悪)人』ではなく、『(犯罪)行為』なのである。
例え犯罪者と言えども、彼らの人生や人格を貶める事は厳に謹まなければならない。
わたしもマスコミに問わずにはいられない。
「法律を犯さなければ何をやってもいいのか?」と。
(これはマスコミというシステムに対する問題提起です。念のため)