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異論・反論・Obsoletion

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「法律を犯さなければ何をやってもいいのか!」

2006-06-23 00:00:00 | マスコミ
最近、この言葉をマスコミを通じて良く聞く。
しかしマスコミの人達は、この言葉の本当に意味する所を理解しているのだろうか。


この言葉を発した人は、あたかも自分が正義の見方であると錯覚しているように思う。
自分がさも水戸黄門や、遠山の金さんであるかのように。。。

しかしこの言葉は、正義の味方の発する物ではない。
それどころか、これこそまさに弱い者苛めをする時の言葉なのである。

なぜかと言えば、この言葉のとおり相手は少なくとも法律を犯してはいない。
しかし、言外にそれを行った事を非難しているのだ。
自分は相手を咎める権限を持たないのにも拘らず、相手を恫喝しているのである。
(ちなみに水戸黄門や遠山の金さんには、その権限がある)

「法律を犯さなければ何をやってもいい」かどうかは、本人の倫理に任されるべき問題だ。


マスコミやそこに登場する『知識人』達は、思い上がっているように思う。
自分の価値観が絶対であり、『悪人』はそれに従うべきだと。。。
確かにあなた方も法律違反をしてはいない。
しかし、あなた達は何を根拠に『悪人』を恫喝しているのか。


マスコミは警察が逮捕すると同時に、待ち構えていたかのように
近所や同級生に悪口を言わせたり、精神分析をしてみせる。

そもそもテレビには、まともな専門家は出たりしない。
例えばプロの精神科医なら、自分の発言に責任を持っているから、
実際に診察もしていない人を分析して見せたりしないのである。


テレビの評論家やコメンテイターが如何に無責任な発言をしているかは自明だろう。
「あの人は嘘吐きだから」等とコメンテイターは平気で言う。
しかし『嘘吐き』との発言は人格を攻撃しているに過ぎない。
『嘘吐き』と云えど常に嘘を言う訳ではないから、
当該の件で嘘を付いたという根拠とはならないのである。
私なら例え内輪話でも、その場に居ない人を『嘘吐き』等とは言わない。
公共の電波でそれを言う人は、恥ずかしくは無いのだろうか。

あなた方は他人を断罪できるほどに偉いのか。
そして皆が問題だと思えば、他人を恫喝しても構わないのか。

これを理解するには、皆が「あいつはいじめられても当然だ」と思っていれば
苛めが許されるのか考えてみると良い。(駄目なんですよ!念のため)


マスコミやそこに出ている三流の評論家などは、
自分の価値観を相手に押し付けているだけだ。
もし、その行為が本当に悪いのなら、問題にすべきは個人ではなく、
やってはならない事を禁止していない現在の法体系なのである。


--
日本テレビは「高校時代の寄せ書きに酷い事が書かれていた」と得意気に報じ、
これを以って容疑者を貶める様な『報道』をしていた。
学校が悪口を書いた寄せ書きを印刷して配るという事自体も信じられないが、
それを報じて悪口を書かれた当人を非難するという日本テレビの神経も信じられない。
日本テレビは公共の電波を使っていじめをしているのである。


--
前にもホリエもんの取材の所で触れたが、テレビ朝日もどうかしているように思う。
耐震偽装の支店長や、近所の子供を殺したとされる主婦が取材方法に怒っている場面を流し、
さも悪人であるかのような印象操作を行っているのだ。

自分で挑発しておいて、相手が怒ると正義感ぶって相手を非難する。
これもいじめのパターンのひとつだ。
他局もきっと同様な取材を行っているのだろうが、少なくとも放送してはいない。
この様な取材方法を明らかにする事が、自分の恥であるとさえ感じないほど
テレビ朝日は狂ってしまっているのか。

マスコミは相手は『悪人』なのだから「正義の為に多少の行き過ぎた取材は許される」
と思ってはいまいか。そもそも取材時に『悪人』と決めつけた根拠はどこにあるのか。


他にもある。報道ステーションでは、VTRの後に古館伊知郎が
「これを見ると、xxの酷さには言葉も出ませんね!」
等と言っている。氏はそのコメントが『やらせ』になる事に気付かないのだろうか。

さも客観的(他人事の様)な言い方ではあるが、そもそもそのVTRはあなた方が作ったのだ。
このためVTR明けには「このVTRで私たちはxxである事をお伝えしたかった」
「このVTRでは取り上げられませんでしたが、xxの様な見方もあります」
等とコメントしなければならないはずだ。

果たして古館氏は、
「このVTRで私たちは『xxの酷さ』をお伝えしたかった」と言えるだろうか?
私なら恥ずかしくて言えない。恥ずかしくて言えない様な事を尤もらしく
言っている点が問題なのである。この『恥ずかしさ』こそ情報操作だ。


『テレビ朝日コメンテイター』なるものも酷い。
この名称からすると、彼らの発言はテレビ朝日の公式見解と思って良いのだろうか。
他局であれば彼らの代わりに『論説委員』等があたり、
コメンテイターなる素人代表の意見をまとめたり、
彼らの疑問に答えたり、素人達が気付かなかった他の見方や
取り上げられなかった主張を紹介したりする役割を果たしている。
ところが「テレビ朝日コメンテイター』なる人は、
「もっと言えば、、、」と、一方的な見解を捲し立てるのだ。

テレビ朝日の情報操作は目に余る。



--
マスコミの人達は誤解していると思う。
きっと彼らは『犯罪者』『悪人』を言葉のとおり、人が悪いと考えているのだろう。
犯罪とは、人に対する属性ではない。人の行った行為に対するものだ。
報道の目的は『悪人』を断罪する事ではなく、あくまで『犯罪行為』を報じる事である。

『行為』を問題にすることと『きちんとした根拠』を挙げるという事は同義だ。
批判された側は『根拠』に対して反論出来るため人格攻撃とはならないのである。
逆に言えば、正当な『根拠』を示せない叱責は人格攻撃である。
(「皆が問題だと思っているから」というだけでは、数に任せたいじめだ)


人はみな平等だ。
そのため如何に清廉潔白な人でも、他人を断罪する事など出来ない。
それが出来るのは『神(人を越えた存在)』だけだ。
私たちが憎むべきは『(悪)人』ではなく、『(犯罪)行為』なのである。
例え犯罪者と言えども、彼らの人生や人格を貶める事は厳に謹まなければならない。




わたしもマスコミに問わずにはいられない。
「法律を犯さなければ何をやってもいいのか?」と。
(これはマスコミというシステムに対する問題提起です。念のため)

『殺人』エレベータ

2006-06-17 00:00:00 | マスコミ
今や『シンドラー社』が「『殺人』エレベータ」の代名詞となってしまった。

これはひとえにマスコミの影響によるものが大きい。
どうしてマスコミは製造会社である「『シンドラー社の』エレベータ」と『報じる』のか。
なぜ、事故が起きた「『XXマンション』のエレベータ」や「『XX保守会社の』エレベータ」、
「『XX管理会社の』エレベータ」ではないのか。

その上マスコミは住民に「シンドラー社」に対して不満を言わせてもいるのである。
住民が安全に快適に暮らせるように気を配る仕事をしているのは管理会社である「住宅公社」だ。
このため住民の安全に対する全ての責任は「住宅公社」にある。
住民が文句や不安をぶつける対象は「住宅公社」であるはずなのだ。

マスコミはシンドラー社に対して会見が遅れた事を非難するが、
記者会見すべきも「住宅公社」だったのではないか。
事故後管理会社である「住宅公社」は早急にメーカなり保守会社なりに調査を依頼し、
適宜説明を行って利用者に不安を与えないようにする責任があったはずだ。
メーカや保守会社の説明責任は契約先である管理会社に対するものである。


また、マスコミは保守会社の
「前の会社からの引き継ぎもなく、メーカからの資料の提供もない」
との言い分をそのまま伝え、あまつさえ同調さえもしているが、
この会社は利用者の命に対する責任を自覚しているのか。

この会社は、引き継ぎがなされなかったのは前の会社の責任で、
資料が提供されなかったのはメーカの責任だと主張しているのである。
この保守会社が少しでも利用者の安全に対する責任を自覚していたのなら、
安全確保のため保守会社自らが必要な情報を得る努力をするのは当然だ。
もし必要な情報が得られなかったのに、
漫然と保守業務を続けていたのなら無責任の謗りを免れないだろう。
それに、少なくとも引き継ぎは管理会社の責任で行われるべきものではないのか。

そもそも保守マニュアルも無しに、まともな保守点検が行えるのか?
それともこの保守会社にはリバースエンジニアリングのエキスパートでもいるのだろうか。
(それなら設計資料など不要だろう)


マスコミは第一報から「シンドラー社」の責任に決めつけていたとしか思えない。
後に「シンドラー社」の責任が明らかになるかもしれないが、
現時点では「シンドラー社」に原因があるとする根拠は示されてはいない。

根拠を示せないうちに決めつけていたのなら、
これはマスコミの誤報体質の発露と言っても良いだろう。
マスコミは予断を持って『報道』しているか、無自覚に言葉を使っているのである。


ジャーナリストは「言葉を信じて」いるだけでは、駄目だ。
言葉は夢や希望や翼などでは無い。ジャーナリストにとっての『道具』だ。

職人にとって『道具』は命だと言われる。
鑿は、素晴らしい仏像を作る道具であると同時に人殺しの道具とも成りうる。
同様に、言葉はそれを使う人間(ジャーナリスト)の研鑚によってのみ
その真価を発揮するのである。

もし、どこぞの新聞社が本当に「ジャーナリスト宣言。」をしたいのなら、
それはジャーナリスト自らの心意気を表明したものでなければならない。
「信じる」などと言葉に責任を押し付けておいて何が「ジャーナリスト」なのか。


---
マスコミは申し合わせたように「『シンドラー社の』エレベータ」と報じている。
これはなぜなのだろうか。マスコミ関係者はその理由を検証すべきだ。
警察や関係者がどう言ったのかに係わらず、
報道した以上、全ての責任は報じた側にある。

エレベータとは違って、報道によって直接人が死ぬ事はめったに無いだろうが、
たった一言で人ひとりの人生を台無しにすることは充分にあり得る。

マスコミの人達は、自分の仕事を自覚すべきだ。

『朝まで生テレビ』での「モラルハラスメント」

2006-05-28 00:00:00 | しあわせって?
ずっと気になっていた人がいる。一流大学の教授でニヒルな二枚目、
しかも聞き惚れるような美声。もし私が女だったらイチコロだろう。



以前から気にはなっていたのだが、特に昨夜の『朝(まで)生(テレビ)』は酷かった。

# 「人の話を良く聞きなさい!」
# 「条約をきちんと読みなさい!」


天下の東京大学の教授様からすれば、きっと酷い意見だったのだろう。
しかし、討論の場面に於いてはどんな相手であっても対等な人間として尊重すべきだ。

相手が自分の話を誤解したのなら、より相手が理解できる様に言い直して再度説明すべきだし、
もし相手が条約を理解していないと感じたのなら、自分の理解した内容を述べるべきだ。



実はこれらの発言は討論の内容ではなく、相手の人格を一方的に攻撃するものだ。
なぜならこれらの原因は理解出来なかった相手にだけあるとは限らない。
自分の説明が不十分だった可能性だってあるし、
条約の解釈を誤っているのは相手ではなく自分であるかもしれないのである。

むしろ今回この様に一方的に相手を非難したのは、この教授の自信の無さにあるのでは
ないかと考える。この教授は『朝生』の準レギュラーとでも言える程の常連なのだが、
今回の話題はこの人の専門分野だったのか?(私にはそうは思えなかった)


そもそも私は『朝生』で、この人が建設的な意見を言っているのを見た事が無い。
大抵この教授は、何かごにょごにょ言って、さも重要な問題提起であるかの様に
相手に質問を返すのである。これにより相手側の意見には何か問題がある様な
『印象』を受けるので、相手は懸命に回答しようとする。
これの繰り返しが一般的なパターンだ。


私は先の発言を含め、これらの行為はモラルハラスメントであると考える。
そして私が以前から気になっていたと言うのは、
この東大教授が、相手を鼻で笑っているかのように話す事だ。

当人はきっと『鼻で笑ってなどいない』と主張するだろうし、
おそらく意識しての事ではないとは思うが、
このような振舞いが視聴者にどう映るかと言えば、討論の相手は
第三者には「天下の東大教授に鼻で笑われた」との印象を与えるだろう。

折角の意見が、周りの人達に取るに足らない意見と印象付けられて
検討さえしてもらえなくなるのだ。
そして、言った本人は自分の意見とあまり関係の無い質問の回答をしているうちに、
折角述べた意見がどこかに行ってしまうのである。


私は討論とは、相手を言い負かすのが目的ではなく、
相手の考えの良い点を引き出し、討論で自説以上の結論を導き出す事だと考えている。
討論の内容以外の方法で、相手を貶めるのは問題だ。

田原さんには、せっかくの公共の電波を使うのだから、
言い争いではなく有意義な話し合いとなるよう心掛けて欲しい。

小沢民主党『新』代表に、もの申す

2006-05-19 00:00:00 | 議員のせんせ
小沢民主党代表の党首討論を見た。

マスコミは小沢氏を絶賛していたが、小沢氏には討論と言う物が分かっていないのではないか。
自分の期待した回答でないからと言って「私が聞きたいのは」と3度も繰り返すなど、
質疑と勘違いしているとしか思えない。



そこで、小沢氏および民主党に提案したい。


問題提起するなら、まず自説を述べるべきだ。

教育基本法についても「これから提出する民主党案には国に責任が持つことになっている」
としか言わなかった。これでは議論など出来ないだろう。


「これから提出する民主党案には国が責任を持つ事を担保するため
『云々』の様なしくみを取り入れている。政府案にはこれに相当する物がない」


と主張すべきなのだ。『云々』を付加してもせいぜい発言が何秒か長くなるだけだろう。
民主党案の内容についてほんの何秒かの説明を付けただけで、
国民に対して民主党案の優位性をアピール出来、まともな討論が行える様になるのである。
国民の民主党に対する根深い不信感は、このたった数秒の説明をしない所にある。

本当は法案について理解していないのは小沢氏の方なのではないのか?
民主党は実のところ、まともな対案を作れていないのではないか?
論破されるのが怖いので民主党案を提示できないのではないかと。

「マニフェスト選挙」の時もそうであった。
選挙演説では与党の悪口と二大政党制の必要性を言うばかりで、
「詳しくはマニフェストを見て下さい」で済ましてしまっていた。
与党に問題があり、二大政党制が望ましい事など分かり切った事だ。
民主党がすべきは「民主党こそが政権を取るべきだ!」との主張である。
自分達のマニフェストが如何に素晴しいものであるかこそ主張しなければならない。


『強行採決』問題についてもそうだ。
小沢氏は「野党がまだ審議すべきことがあると言っている場合は採決すべきない」
と、建前論しか主張しなかった。このため首相も賛成し、
「(強行採決を)したばかりで賛成と言われても困る。」となったのである。

なぜ国民の前で医療制度改革法案の「了解できない」点を具体的にあげ、首相を追及しないのか。
そして「これでも議論を尽くしたと言えますか?」と国民に問い掛ければ良い。
なぜ、これが出来ないのか?問題点をだった一つ挙げさえすれば良かったのに。。。


--
私にはマスコミが小沢氏に冠する『剛腕』の根拠が分からない。

少なくともマスコミの人達は小沢氏が『剛腕』であると本当に思っているのだろうか?
私には皆が言っているから意味も分からずに枕詞として言っているだけにしか思えない。


マスコミに対する同様な疑問に『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言うものがある。
一義的には首脳会談が出来ないのは近隣国が会談に応じないからであり、
あくまで相手国が会談を拒否する理由として「首相の靖国参拝」を挙げているに過ぎない。

『首相の靖国参拝により中断している首脳会談』と言う日本のマスコミは
本当に首相が靖国参拝をする事が首脳会談を拒否する理由として正当だと考えているのか?
そして、参拝しない事が『アジア外交重視』に繋がるのだろうか?


私は二国間のどの様な問題であれ外交で解決すべきと考える。
問題が重大であればあるほど、対話をする必要がある。
近隣国の行為は、単に駄々を捏ねているだけなのだ。
子供が駄々を捏ねて周りに迷惑を掛けるからと言って、要求に応じる事は子供の為にはならない。
ここで安易に折れる事は相手国の為にもならないのではないのか。
私達は対話に応じるように辛抱強く説得すべきだ。

これはテロにも言える。
不当な手段を使って自分の主張を通そうとする行為をテロと言う。
テロリストの主張が仮に正当であったとしても、不当な手段を用いる限り、
その主張に耳を傾けてはならない。もしそれを受け入れてしまえば、
テロ行為を意義申し立ての正当な方法であると認めてしまう事になるからだ。
テロ行為ではなく正当な方法を行う様に辛抱強く説得しなければならない。


私達は平和と秩序を求めるべきだ。そして平和は相互の信頼があってこそ可能となる。
仮に平和を戦争しないこととするなら、平和を求める事というのは、
問題を戦争以外で解消する事であり、それは話し合いで解決する事に他ならない。

信頼というものは、困難な問題を話し合いを積み重ね
ひとつひとつ解決していく事によってのみ築かれるのである。
大した事ではないからと、自発的に相手に譲る行為は、問題を解決した事にならない。
譲るにしてもお互い充分に誠意を持って話し合った後にすべきだ。

このため、話し合いを拒否する態度に対しては断固とした姿勢が必要だ。
そしてそれは、例えこちらに落度があったとしてもである。
落度があるかどうかは、お互い話合いで明らかにすれば良い。

どんな問題でもお互い話し合いで解決出来るとの確信があれば、
戦争などせず、辛抱強く話し合いを続ける事が出来る。
それには過去に何度も問題を解決してきたとの『実績』が必要だ。

『靖国問題』が近隣諸国の言う様に重大な問題であるなら、
これを話し合いでお互い納得出来るように解決出来れば、
近隣諸国との信頼関係を大きく前進する事となるだろう。
安易な方向に逃げずに辛抱強く話し合いをすべきだ。



小沢氏および民主党の問題は、きちんと討論出来ない事にある。
討論するとは、事案をひとつひとつきちんと取り上げて各論で話すと言う事だ。

「議会制民主主義の上からも、議論すべきは十分議論するという態度に与党がなるべきだ。」
等というキレイゴトは、首相でなくとも誰も反対しない。逆に言えば議論の意味が無いのである。

一方でキレイゴトではなく、持論を主張する事は反論されるリスクを負う。
討論する立場としての当然のリスクを負わない限り、誰もその人(党)を信頼などしない。
国民に信頼されたかったら、民主党は自説を主張すると言うリスクを負うべきだ。


『剛腕』も信頼無くしては、ただの荒くれ者でしかない。


報道機関は責任を取れ!

2006-03-19 00:00:00 | マスコミ
先のエントリーで「報道機関には証言拒否特権がある」とする読売新聞の社説を取り上げた。
翌日には他の新聞社も揃って同様な社説を書いている。

その上別の裁判ではこれが認められたらしいが、
敢えて私は「司法は報道機関の証言拒否を無条件で認めてはならない」と主張する。


私も公務員の告発の意義を認める。

ただその場合は、その内容が広く国民の利益に適うのかと言う観点から
厳格な判断が必要だと考える。
そうでなければ、国家機密など無くなってしまうだろう。


特に私が問題にしたいのは、どの新聞社の社説も、
個別の事例(今回の件については公益性から取材源の開示の必要が無い等)として
件の判断を論評するのではなく、「知る権利」やら「報道の自由」等を論拠に
「そもそも報道機関に取材源の開示を求める事が悪い」としている点だ。


もし報道機関が「取材源の秘匿」を破って取材源を明かせば、
取材源自らが裁判で身の潔白(情報漏洩が妥当である)を立証しなければならなくなる。
こんな面倒な事は避けたいだろうから誰も取材に応じなくなり、
結果として「知る権利」や「報道の自由」を侵害する事になるとの理屈である。



でも待って欲しい。

先のエントリーでも述べたが「取材源の秘匿」は報道機関の義務だ。
一方で報道機関は報道内容に『責任』を持たなければならない。
この『責任』とは、単に事実を書いてあれば良いと言う物ではなく、
公益性を持っている必要がある。
これは、報道機関が取材源を明かした時に取材源が立証しなければならない事と同じだ。



『機密情報』の漏洩は犯罪だ。
このため「取材源を明かせ!」と報道機関に要求する必要がある。

それに対して報道機関は、取材源を明かす事無く「取材源を明かす必要など無い」と反論し、
報道の妥当性、および情報漏洩を問題にすべきではない等を主張しなければならない。

ところがどの新聞社も、証言拒否が認められないなら
取材源を明かすという前提で社説を書いているのである。
もし、国民の利益に適わない機密情報を『報道』してしまったのなら、
情報源ではなく報道機関こそが責任を負うべきだ。



報道した以上、報道機関には報道に伴う全ての責任がある。
新聞社の社説は、いずれも悪質な責任のすり替えであると指摘しておく。