みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

少年と傷ついた小鳥  

2021-04-21 | 第3話(傷ついた小鳥)

箕面の森の小さな物語(NO-3)

 <少年と傷ついた小鳥>

  箕面駅近くの山麓に開業する獣医の中里隼人は、一匹の柴犬に予防接種をしていた。  嫌がる犬は大きな声で吠え立てていたので、それに気を取られ、カウンターに一人の少年とお父さんが立っているのが分からなかった。

 少年の両手の中には、ぐったりした小鳥が一羽・・・箕面の昆虫館の裏山で見つけたので・・・ちょっと診てもらいたいんですが・・・」とお父さん。

 昨日の季節外れの大嵐で巣から落ちて傷ついたのかな・・?  隼人は獣医師でも小鳥は専門外で大学で学んだ一般常識しか持ち合わせてなかったが、とにかくレントゲンを撮り傷の状態を調べてみた。  どうやらフショ(足)の部分が折れ、翼角と上尾筒、初列雨覆(上の翼)も傷つき満身創痍といった感じだ。 あと数時間ぐらいしか持たないだろう・・と診断し、隼人はお父さんにそっと伝えた。  足が折れているし、翼もだいぶ痛んでいるので・・と細かく説明したうえで、今はかろうじて息をしているけどもう長くは無いことを伝えた。  それにとうてい家で手当てする状態ではないので「私のほうで引き取りましょうか?」と伝えている時だった。  隣にいた少年が急にお父さんの服を激しく引張りながら猛烈に首を振り「う~ う~ う~」と言いだした。

 お父さんは子供の剣幕に押されてか・・「よしよしお前の気持ちは分かったから先生にどうしたら治るのかもう一度聞いてみるからな・・」と、言いながら隼人に懇願するような目をしたので、隼人もそれなら・・とまた診察室に戻り、昔の鳥の本を引っ張り出したり、友人の鳥に詳しい獣医師に電話で聞いてみたりした。

 そしてとにかく急いで応急手当を施し、当面できるだけの治療は全部やってみた。  丁度 空いていた靴箱があったので、そこにボロ布を布団代わりに敷いて小鳥を そ~ と寝かせた。  隼人は父子を前にし、養生上の注意事項や水や餌のやり方など、一応の飼いかたなどを教えたが、明日まで命が持つとは思えなかった。

 「よっちゃん! よかったな・・・」と、お父さんは手渡された靴箱の中で横になっている小鳥を心配顔に覗き込む子供に見せながら がんばれ!  と精一杯の声をかけ、深々とお礼を言われて出て行かれた。

 しかしその後、何気なく二人の後ろ姿を見たとき・・ 隼人は激しい衝撃をうけた!  その子は松葉杖をつき、片足が包帯で巻かれていた・・ 「オレは何んと言う対応をしてしまったのだろうか・・ 足が折れてるからもう長くは無い・・ なんて・・ 何とむごい事を言ってしまったんだ」 隼人が最初に二人を見た時は、二人ともすでにカウンターの前に立っていたので分からなかったのだが・・ それに両手の中の小鳥に目がいってて、子供の姿をよく見ていなかった。 隼人はドアが閉まり出て行った二人によっぽど走っていって謝ろうと思ったができなかった。 お父さんの服を引っ張って、猛烈に首を振っていた理由がやっと分かった・・ 「決して治療を諦めてないで・・」と、自分の体とあわせ必死に言っていたことが分かり,安易に診断した自分を責め続けた。

  それから一週間がたって、同じ夕暮れ時 何と二人がまたやってきた。二人の顔が少し明るいので、まだ小鳥は生きている・・ と隼人は嬉しくなった。  診察するとしっかり目を開けているし、前とはまるで違う いい状態で推移している事が分かる。  予断を許せないが、ひょっとするともう少し生き延びるかもしれない・・ 隼人が診ている間 心配そうに覗いていたお父さんが話している「息子はあの日から自分のベットの横にあの靴箱を置いて、四六時中 心配そうに覗いては声をかけてます。 夜も余り寝てないようで逆に私はそちらの方が心配になるぐらいです。 でもお陰でここ数日は少しずつ回復しているような気がして、あれだけ沈んでいた息子の顔もすこし明るくなってきました・・」と。 「良かった・・」 まだ喜ぶのは早いが、それでも隼人の心が少し救われた。

 隼人がそう思いながら よっちゃんに話しかけると・・?  よっちゃんは言葉を発せず、お父さんと手話で会話しているではないか・・ 隼人はまた違う衝撃を受け天を仰いだ。  片足が不自由なだけでも大変なのに、言葉が自由に交わせないなんて・・ 言葉の交わせないこの小鳥と同じではないか・・ だからあんなにも・・ 隼人はもう言葉にならず、心の中は涙でいっぱいになってしまった。

 よっちゃんとお父さんはそれから同じ曜日の同じ夕暮れに、少しづつ元気を取り戻している小鳥とともに隼人の獣医院へやってきた。

 5週目になった時、奇跡が現実になった。 もう大丈夫だ!  小さな鳥かごに入れてもらった小鳥は、よっちゃんに向かってさえずるようになるまでに元気になってきた。  後もう少しだ がんばれ!  よっちゃんは小鳥の名前を ” ピヨ ” と紙に書いて隼人に嬉しそうに見せた。

  やがてピヨは、よっちゃんのあふれる愛情をたっぷりともらって、とうとう元気に回復した。 それはまさに奇跡だった。 隼人は開業して今まで、動物や生き物たちから喜びも悲しみもいっぱい貰ってきたが、こんなに嬉しく感動的なことはなかった。 「それにいろんな心の勉強をさせて頂いた・・」と自分の心の未熟さを思い知らされ、それは自分の惰性化していた診察にも心引き締めて、新たな出発ともなった。  あれから隼人は自分の対応のまずさや非礼を、二人に心からお詫びをしたが、二人とも・・ そんなこと・・ と笑って許してくれていた。

 隼人は最近 よっちゃんともお父さんとの手話を通じて会話している。「・・もうすぐボク一人で養護学校へ入るんだ・・ もっと元気になったらピヨは、あの拾った箕面昆虫館の裏山の森に放してあげるんだよ・・  ちょっと淋しいけどピヨのことを、ピヨのお父さんやお母さんがきっと待っているからね・・」と。  なんと 心優しいよっちゃんなのだろうか。

 するとお父さんが・・ 「私の仕事の休みのとき、息子を連れてよく箕面の森をあちこち歩いているんですよ・・ 自然の中で触れ合う事が大好きな息子はこの日をいつも心待ちしているようなんです。 この前も森の樹木に耳を当てて・・  聞こえないだろうに・・ なぜか息子には枝や葉が水を吸い上げる音が聞こえるらしいんですよ」 隼人は不思議に聞いていたが・・ きっと本当なのだろうな・・ と感じた。  よっちゃんはきっと森の精を、心の中で聴いているのだろうな・・・ 

 幾重にもハンデイを持ちながら心優しくて明るく,正義感にも溢れ、人一倍の温かい心をもっている少年・・ もうすぐ元気になったピヨは、箕面の森へ再び羽ばたいていくことだろう・・ そのとき少年もまた、大きく大人へと向かって旅立つ日となるだろう。

  隼人は診察室の窓を開け、裏の箕面の森に向かって両手を広げ、思い切り深呼吸をしながら 大自然の素晴らしさに ”ありがとう・・” とつぶやいた。  (完)


*森の力Go Go !(1)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

箕面の森の小さな物語(NO-22)

 *<森の力 Go Go!>(1)

 

  主婦の松坂 瞳は、今朝も早くから起き、食事の準備を始めていた。 子供と自分の二人分の朝食を作ると、次いでお昼のお弁当二人分をランチボックスにつめ、飲み物を用意した後、ベランダに出て今日の天気を確認する。 TVの予報では、午前中は晴れだけど、午後からは天候が雨模様のようだわね・・ 夏から秋への季節の移り目だから、特に天候には注意せねば・・ 雨合羽も傘も用意しなくちゃ・・

  一通りの準備が終わると、賢治を起こしに寝室に向かう。 「ケンちゃん  おはよう・・!」「アー ウー ウー ウー」 「今日は箕面のお山へ行くのよ・・ 早く起きよう・・」  眠そうにしていた賢治は、山と聞くとすぐに起き上がった。

  瞳は賢治をトイレに連れて行き、次いで洗面所へ、それが終わると朝食を食べさせ、着替えを済ますと、もう賢治は玄関で早く早く・・ という仕草で待っている。  「ケンちゃん もうちょっと待ってね・・」「アー ウー ウー ウー」  今日は週1回の山歩きの日で、賢治は唯一生き生きとした目をする日なのだ。 それだけに瞳も頑張らねばと、気合の入る日でもあった。

  賢治は14歳になったばかりだが、出産時のトラブルに加え、幼い頃から先天性脳機能障害・自閉症に精神障害を抱えていた。 ここ数年は少し落ち着いてきたので支援学校に通っているが、それでも週1回は特別に頼んで、二人で箕面の山歩きをしてきた。 それにはそれなりの理由があり、またその効果も着実にあるのだった。

  瞳が夫の英和と結婚したのは39歳の時だった。 そして41歳の時、初めての子供 賢治を授かった。  瞳は長い間、日本のナショナルフラッグとして世界の空を飛ぶ航空会社のキャビン アテンダントとして活躍してきた。  しかし、会社の厳しいリストラ策もあり、同僚の英和と10年近い交際期間を経て結婚したのだった。 英和は今も国際線の機長として忙しく働いているので、賢治の世話はこの14年間ほどんど瞳一人でしてきていた。

  当初は辛く苦しい思いの毎日だったけど、賢治の成長と共に、自分も一歩一歩と成長してきた感がする。 しかし、もう55歳を過ぎ、小柄な瞳は夫の背丈ほどに大きく成長した賢治を一人では到底抱きかかえる事はできなくなっていた。 それに長年の介護生活で腰痛に悩み、更年期障害もあって、後何年こうやって一緒に山歩きなどできるのかと、不安でいっぱいだった。  しかし、週1回の山歩きだけは何があっても頑張って二人で歩いてきた。 それは息子のいつもとまるで違う、生き生きとした喜ぶ笑顔が見たいが為だった。

  それは10年前、賢治が4歳になった頃、ある日3人で箕面山中勝尾寺園地訪れ、近くの森の中を歩いた事があった。  その時、賢治がそれまでと全く違う表情を見せ、目を輝かせ、嬉々としている姿を発見したことが発端だった。 それ以来、夫の休日に合わせ3人で森の中を歩いたりしてきたが、それがいつしか週1回、家の近くの箕面の森を歩く瞳と賢治の習慣になっていった。 そして賢治は、その日が来るのをいつも心待ちしている様子だった。

  賢治の症状は、脳に起因する認知や対人コミュニケーションの障害も含め、他人からの呼びかけに反応せず、特定の事には強いこだわりを持ったりする。 それに独り言で話したり、奇妙な動作をしたり、時には急にパニック状態になったり、自傷行為をしたりするなど特徴があり、更に精神遅延の知的障害を併発していた。 それだけに一人にすることはできず、常に誰かが目を離さないように見守っていなければならなかった。

 現代の医学でその治療法は、事実上不可能と言われているのだった。 それだけに夫婦は、賢治の将来をどうしようかといつも悩んでいた。 賢治は人々が密集するような街を嫌う傾向があり、対人距離もおかねばならないので、気の休まる時がないのが現状だった。 それだけに森の中を歩き、自然を相手に過ごす事は最適の選択だった。

 「さあケンちゃん そろそろ出発しようか・・ でかけるよ! GО GО!」「ゴー ゴー  ウー  ウー」 これが二人の合言葉だった。 

 二人は箕面駅前から瀧道に入り「一の橋」から左の桜道を上った。  早速 森の中から ツツー ピー ツツー ピー ツーピー  とシジューガラの鳴き声が二人を迎えてくれる・・ 賢治はとたんに森を見上げ、 どこにいるのかな~ と見回すようにしながら元気な笑顔をみせた。 日頃見せないその笑顔に、いつも瞳は涙がでるほど幸せを感じるのだった。 パラ パラパラ バラ・・ と 木の実が落ちてきた・・ 見上げると高い木の上で、数匹の野生猿が枝から枝へ飛び移りながら、木の実を採って口に入れている姿が見えた。 賢治はその姿を飽きることなく眺めている・・

  やがて坂道を上り、桜広場へ向かった。 「ケンちゃん 待って! もっとゆっくり歩いて・・ 最近だんだんと早くなるわねー 」 少し前まで、賢治は瞳と手をつないでゆっくりと歩いていたのに、もう足も早くなり、どんどん先に進むので、瞳は賢治の後をついていくのがやっとだった。

 瞳はこの10年、賢治と一緒に箕面の里山から森の中を随分と歩いてきた。 週1回で年間50余回だから、もう500回位歩いてきた事になるので箕面の森の地理はそれなりに熟知していた。 それでも同じところを何度歩いても、四季折々の季節やその時々の天気、自然界の変化など、全く違う森の様相を体験してきたので、今迄飽きる事は一度もなかった。

 「ケンちゃん 一休みさせて・・」 ずっと先に行く賢治を呼びとめ、桜展望所前で瞳は汗を拭った。 「ケンちゃん お母さん ケンちゃんの速い足についていけないの・・ だから お母さんに合わせてもう少しゆっくりと歩いて頂戴ね・・」 賢治は聞いているのか、聞こえないのか?  上空を飛ぶ鳥をじっと見つめている・・

 瞳が双眼鏡をリュックから取り出しその鳥をみると・・ 「あら珍しい・・ あれはオスプレイね  ほら鷹の一種のミサゴという鳥よ 急降下して池や川の魚を捕らえて食べたりするのよ  米軍が沖縄に配備した飛行機につけた名前と同じね・・ ケンちゃんもお空を飛んでみたいわよね・・」  瞳はいつも反応の無い賢治に、こうやって話しかけていた。 そしてこの10年 鳥の名前や樹木や花、植物、小動物、昆虫の名前まで、賢治と一緒に図鑑などを見ながら自然と覚えていた。

「さあ 出発しましょうか・・ GО GО!」「ゴー ゴー ウー ウー」  桜谷に入り、少し倒木で荒れた谷道を北へ向かって登る。 横手には小さな谷川が流れ、耳に心地いい響きが届く。 杉や檜の高木が林立し、昼なお暗き森が広がっている。

  森の中にはいろんな樹木、植物、小動物や昆虫類、微生物など幾種もの生命体がいるし、地形的な高低変化が多い自然空間がある。 その一つ一つの様相や変化は、医療的なリハビリテーションがまかなえる自然環境なのだ。  森の中へ差し込む木漏れ日の光、森の中を吹き抜ける風、フィトンチッドに代表される森の香り、木々や植物、花々の発する自然の匂い、そして四季折々の変化、春の若芽の息吹から、夏の緑陰、秋の結実、紅葉、落葉、そして雪に覆われた景色、雨もあり、風もあり、森それ自体がバランスのとれた生態系であり、さまざまな生命体の集合であり一つの世界なのだ。 そしてこれらの環境要素をも森林と接する事は、人間が本来持っている内的な生活リズム、つまり内なる自然のメカニズムを取り戻す事ができる・・と、瞳は英和と共に賢治を通して肌で学び実感してきた事だった。

 「ケンちゃん ここで休憩! お母さんに一休みさせてね・・」 賢治は瞳が一休みしている間、その周辺の森の中に入り、いつものようにキョロキョロしたり、何かを手にとって眺めたりしている。 瞳は自分の弾んだ息を整えながら、賢治から目を離さないようにして腰を下ろした。 「ケンちゃんが森の中で迷子にでもなったら大変だもの・・」 そして8年ほど前、親子3人で過ごしたキンダーガーデンのことを思い起こしていた。

 しかし この後 瞳にとって人生最悪の岐路に立とうとしている事を知る由もなかった。

 

(2)へつづく

 


森の力Go Go !(2)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

箕面の森の小さな物語 

<森の力 Go Go!>(2)

 

  キンダーガーデン・・ それは賢治が6歳の時、夫の休暇を利用して一ヶ月間 デンマークのコペンハーゲン近郊にあるゾーレドードという小さな村の「森の幼稚園賢治を入れたときのことだった。

  キンダーガーデンとは、ドイツのフリードリッヒ・フレーベルによって1837年創設されたもので、子供達が自然の中で伸びのびと遊び、その遊びを通して子供同士の社会性を学び、創造性や感性を磨いていくという趣旨の「森の幼稚園」だった。  そこには特定の園舎など一切なく、森の中や野山をフィールドとして大自然のなかを教育施設としていた。 当時、デンマークに60余ヶ所、ドイツには220余ヶ所以上あり、増加中と言う事で、現在はもっとポピュラーになっているかもしれない。

 それは毎日、広葉樹林の森の中や牧草地、川のほとりやどこでも自由に遊ぶもので、子供達には自発的な行動と予想外に発生する諸々の自然事象に委ねられ、雨の日も風の日も、雪の日もお構いなしに、夏はパンツ一枚で泥んこになって遊びまわる。  職員は安全対策に専念する姿勢が基本で、子供らが自然の中で五感を生かして遊ぶ事が尊重された。 この自然の中から学び、成長して大人になった時の心の成長、協調性、健康性、優しさや人への思いやりなど社会性を備え、人間性の向上に大きな成果があると実証されていた。

  賢治もその一ヶ月、健常者と一緒になって遊び、森の環境変化に自ら身体を保護することなどを体験的に学んだようだった。 それに自然に働きかけて遊びを形成していくことから認知判断能力が育成された感じがした。 森の中の木の枝、葉、土、石など、自然のものを使って遊ぶ事によって指に細微動作能力も向上したように思う。 それに何より、昼間の遊びから夜の睡眠がグッスリとなり、生活のリズムが安定し、ストレスが解消されるのか山歩きの時にパニックが起きることは一度も無かった。  内的フラストレーションが発散され、意識が外へ向かうからだと感じた。

 「さあ出発しましょうか・・ ケンちゃん行くよ・・ あ れ? どこ? ケンちゃん!」 見ると待ちきれなくなったのか、大分先の方を一人で登っていく・・ 「これは大変! 急がなくちゃ・・ 見失ったら困るわ」 瞳はいつになく息を弾ませながら賢治を追った。 するとしばらくして賢治が戻ってきた。

「よかったわ ありがとう 戻ってくれたのね・・」 すぐ後ろから、賢治の通う支援学校で同じの石田さんが下ってきた。 「こんにちわ 今日はこのコースなのね ケンちゃん速いわね」 「そうなのよ もう私付いていくのが精一杯よ あれ 淳ちゃんわ? ああ来た来た・・ こんにちわ」 子供二人はそれぞれに会話もなく、別々にウロウロしている。

  瞳は賢治の通う支援学校の父兄たちと、時々同じ悩みや苦しみを話し合い共有していたが、この瞳の山歩きを知った石田さんや数人の保護者らも同じように箕面の山歩きを子供と始めていた。 子供の成長と共に父親と歩く人もいた。  そしてそれぞれにそれなりの成果を挙げていた。 しかし瞳は、みんながまだ自分より10歳以上も若く、体力がありそうなので羨ましかった。

「あ! ケンちゃんどこ? もうあんな所まで行ってしまって・・ ごめんね  またゆっくりね  ケンちゃん待ってよ・・ もう・・ 今日はどうしちゃったのかしら?」  瞳は石田さんと別れると、必死になって賢治を追いかけて上っていった。 本当に森の中で賢治を見失って、迷子にでもなったら大変な事になる・・ しかし 先ほどから賢治の姿が見えない・・?  「ケンちゃん 待って! もう本当に待ちなさい!」  怒り声で叫んでみても、何の反応もない。

  やっとの思いで、尾根道の「ささゆりコース」に出たものの、左も右の山ノ神コース」にも、全く人の気配がない・・ 「少し手前の道を左に曲がったのかしら?   そう言えば賢治はあの先にある<望海の丘>から大阪の街を一望するのが好きだったわね・・」 瞳は引き返し、「松騒コース」を西へ向かった。 「どうしよう・・ どこへ行ったのかしら? ケンちゃん ケンちゃん」 瞳の胸は急に高まり、心臓は激しく波打ちながらも、必死になって賢治の名を呼び続けた・・  そして事故は起こった・・

  瞳は突然目の前が真っ暗になったかと思うと激しいめまいがし、胸が急に苦しくなった。  そしていつしか山道から足を踏み外し、南側の谷間へ転げ落ちていった・・ 「ケンちゃん・・ ケンちゃん・・待って・・」

 

  その頃、英和はニューヨークからのフライトを終え、関西国際空港から箕面の自宅へ車を走らせていた。  次のロンドンフライトまで3日休める・・ 瞳はいつもメールで賢治との生活や行動を英和に伝えているので、今日の二人の予定も把握していた。  いつものように「今 帰ったよ・・」の電話を入れる。 「あれ? つながらない・・ なぜ出ないのかな? そうか山の中で電波が届かないのかな?」

  最近は箕面の山の中にも次々と中継基地が設けられ、少しずつ電波状況も改善されつつあるのだが・・ 何度かけでも出ないので息子のケイタイへ・・ と言っても彼は全く操作はできず使用できないので、何かあったときの為にGPS機能を活用すべく、服の内ポケットにいつも入れてあった。  英和が双方に電話しながらGPSをみると・・ 「あれ? 二人の位置が離れている・・ 瞳は一ヶ所に止まったまま、賢治はどんどん離れていく・・ おかしい? 何かあったんだ・・ 」  英和は急に何か嫌な予感をつのらせ、車のアクセルを踏んだ。

  しかし、途中の阪神高速・堺線で大渋滞に巻き込まれてしまった。 高速道では横道にそれることもできず、全く身動きがとれず、気が焦るばかりだった。

 

  その頃、賢治は歩きなれた山道をあちこちと走り回っていた。  山歩きや森の散歩は、賢治にとって最高のレジャーだった。 いつもお母さんと一緒だが、徐々にいつしか自分で自分の世界の中で自由に歩き回りたい気持ちになっていてもおかしくなかった。 しかし 賢治は、自分がいまどこにいるのか全く分からない・・?   ただ目の前の自然の中を、気持ちよく翼をつけたかのように自由に歩きまわっていた。  それは時には道なき道であったり、藪の中であったり、獣道や岩場、枯葉に埋もれる谷間だったりした。 しかし 今 いつも後ろにいて話しかけてくれるお母さんがいない・・ でも賢治の好奇心は、その疑問を通り越して、目の前に広がる自分の興味に没頭していた。

 やがて空が急に暗くなり、雲行きが怪しくなってきた。 突然 ピッカ! ドカン・・ パリ パリパリ バリ・・・ 遠くで、季節の移り目のカミナリ音が響く・・ すぐにでも雨が降りそうな気配・・・

 ピッカ!  ドカン・・ バリ バリバリバリ

 突然 賢治の頭上で、大音響と共にカミナリ音が響き、近くに落ちた。 賢治は ドキン!とし、ビックリした顔つきで振り返った。 いつもいるお母さんがいない・・ 賢治は急にパニックに陥った。

 ワー ワー ワー ワー

 大声をあげながら母親の姿を探し始めた・・ しかし いくら大声で叫んでみてもお母さんは応えてくれない・・ やがて ポツリ ポツリ・・ と大粒の雨が降り始めた・・ そしてそれは、急にバケツをひっくり返したようなものすごい勢いのドシャブリ状態となって、激しく森の木々をたたきつけた。 賢治は初めて聞く突然の大音響と激しい大雨に、そのパニックは頂点を通り越していた。  そして びしょ濡れになりながら大声をあげつつ、森の中を一人さ迷い続けていた・・

  その頃、瞳は激しい大粒の雨に打たれながら胸の痛みに呻いていたが、やがて気を失ってしまった。 そして 山道から6mほど下の谷間に落ちた所で、杉の木の根元に引っかかり止っていた。背負っていたリュックには、二人分のランチボックス、水筒、タオルや薬箱、それに着替えや雨具など、いつもの必需品がぎっしりと詰まっていたが、何一つ使われることなく雨にたたかれていた・・・

 

(3)に続く

 


森の力Go Go!(3)

2021-03-26 | 第22話(森の力Go Go)

 箕面の森の小さな物語

<森の力 Go Go !>(3)

 

  英和は渋滞で動けない高速道上から、次々と電話を入れていた。

やっと石田さんとケイタイがつながり、桜谷で昼前に二人に出会ったことを知った。 しかし その後の事は分からない?  見れば、北の箕面方面は真っ黒い雲に覆われ、時々稲光が見える・・  嵐だ!

 英和は数年前、瞳と相談して箕面北部の止々呂美(とどろみ)の山中に300坪程の土地を購入していた。 賢治の為にも、いずれ山の中で生活する事を望んでいた。 何といっても賢治が周囲に迷惑をかけることなく、本人自身が一番好きな森の中で、あのキンダーガーデンでのように、伸び伸びと遊び暮らせる事が何よりと考えたからだった。

  それにもう一つ、賢治には夢中になれるこだわりのものがあった。 それは5歳の時、障害児の美術指導をしてくれていた絵の先生に個人指導を仰ぎ、その後めきめきと個性を発揮してきた事だった。 そこで家の3帖ほどの物置部屋を改造し、特別の壁紙を貼り、その中で自由に絵を描かせた。 賢治はそれが気に入ったのか、毎日遅くまでその部屋にこもり、あれこれと壁面いっぱいに黙々と絵を描いていた。

  そして8歳の時、絵の先生の薦めもあり、一枚をイタリアの障害者国際美術展に出品したことがあった。 それがユニークな絵として審査員特別賞を受賞したのだ。 箕面の森の中で体験した自分の心のうちを素直に絵に表現したものとして高く評価されたようだ。  それ以来、毎年出品するようになり、いつも何らかの賞を受け、昨年は初めて銅賞を受けた。  これから銀賞、金賞、グランプリと一歩一歩目指す目標があった。 それだけに森の中に家を建てたら、賢治の絵の部屋をちゃんと作ってやろうと夫婦で話し合っていた。

 それに瞳も、そんな賢治の横で一緒になって絵を描いてきたので、今では本格的に道具を揃え描き出していた。 だから新しい家をつくったら、賢治の部屋の横に瞳のアトリエも作ろうと話していた。 英和は退職したら、その新しい家で好きな陶芸をやりたいと思っていた。 その焼き釜を設ける為にも、山の中は適している・・ と 夢を描いていたのだが・・

  やっと前方の車が動き出し、英和はふっと我に返った。 阪神高速・池田線に入ると、アクセルを全開に踏み込んだ。  強い雨がフロントガラスを激しくたたきつける。 「瞳は 賢治は 大丈夫か・・?」 その頃、英和から電話を受けた友達の石田さんらは、支援学校の連絡網を使い、雨の中を箕面駅に集合していた。 「ケンちゃんらに何かあったに違いないわ・・」

 

 嵐のような激しい通り雨が一段落し、薄日がさしてきた頃・・ 滝道の「一の橋」前で、急に若い女性らが悲鳴をあげた。

 キャー  キャー 近くの店の人が頭を上げ、叫び声の方を振り向いた・・ 「あれ!? あれは あの子は それに・・ あああ・・」

  5分後、店の人の119番通報により、近くにある箕面市消防本部救急車が、サイレンを鳴らしながら急いで瀧道を上がってきた。 石田さんら5人の友人達は 「きっとケンちゃんらに何かあったんだわ・・」と、胸を締め付けられる思いで、救急車の後を追った。

 英和は箕面駅前ロータリーに着くと、ロックもせずに車から飛び出した・・ 救急車が目の前を上っていく・・ 「何があったんだ? 瞳は? 賢治は? 大丈夫か?」  胸騒ぎが現実に目の前で起こっていた。  それぞれの思いで「一の橋」前に停まっている救急車にたどり着いた時、皆は目を疑った。

  あのケンちゃんが、ぐったりしたお母さんを背負ったまま、今にも崩れ落ちそうになりながらも必死に立っている・・ 二人とも全身泥だらけの格好で、服からその泥水がしたたり落ちている。

  救急隊員が意識の無い母親を担架に乗せようと、賢治の背中から離そうとしているが、賢治はしっかりと母親をつかんだまま離そうとしない。  3人がかりで「早く 早く 手を離して・・ 早く」と急き立てるが、賢治は益々力強く母親を離そうとしないでいた。 その時・・

「ケン ケン ケンちゃん お父さんだよ ケン まさかお前が・・ ケン お母さんはお父さんが・・ 大丈夫だ ケン すごいぞ!

  賢治は走ってきたお父さんの姿をみるや初めて手を緩めた。 そして涙が次々とあふれるままお父さんにしがみついた・・ 「よし よし よく頑張ったな もう大丈夫だぞ ケン すごいぞ   それにしても すごい・・ ケン ケンちゃん お母さんを ありがとう!」  英和は賢治をしっかり抱いたまま泣き崩れた。  やがて救急車は3人を乗せ箕面市立病院の救命・救急センターへとサイレンを響かせた。

 

  長時間に及ぶ緊急手術の後、医師からは・・ 「後30分も遅かったら、お母さんの命が無かったかもしれません・・ 大変危険な状態でした。 息子さんの大手柄ですよ・・」と言った。

  それにしても どうやって?  どうやってあの広い森の中で母親を探しだしたのか・・?  この奇跡はどうやって成就したのか・・?  それにあのドシャブリの嵐の中で母親を背負い、あの森の長い山道をどうやって下ってくる事ができたのか? どうやって どうやって・・・?

 関係者全員が、ただ首を傾げるばかりだった。しかし 何も喋らない賢治に、周りの皆はただうなづいた。

 森の持つ不思議な力だ! と。

 

  数日後、瞳の意識が回復し、面会を許された賢治は、父親と共に病院を訪ねた。  病室の北側の窓からは、箕面の森が一望できる。 「あのケンちゃんが、私の命を救ってくれたなんて・・」 瞳は、嬉しさと感謝以上に、息子の成長振りにポロポロと涙を流しながら賢治をしっかりと抱きしめた。

「ありがとうね ケンちゃん ありがとう・・」

 英和はこれを機に早期退職を決めていた。 そしてあの止々呂美の森の中に、新しい3人の家を建てる事をすでに瞳と話していた。 何度も何度も母親に抱きしめられるたびに、賢治は誇らしげな顔をして

ゴーゴー ゴー ゴーゴー と 母親との合言葉の声をあげ、周りのみんなを笑わせた。

 病室には、古代ギリシャの医学者 ピポクラテスの言葉があった。

「自然は全ての病を癒す」

 箕面の森が太陽に光り輝いていた。

 

(完)   


*止々呂美の山野に抱かれて(1)

2021-02-24 | 第5話(止々呂美の山野に)

箕面の森の小さな物語(NO-5)

<止々呂美の山野に抱かれて>(1)

  箕面の中学校に通う田中真理は、とにかく<荒れる中学生>の真っ只中にいた。 物静かで内気でおとなしいと言われていた真理は、その中で荒れる彼らの恰好の標的になっていた。

 真理は毎日仕事で忙しい親からは放任され、ろくに話もまともに聞いてもらえず、先生からも あいつは暗いな~ と、これ見よがしに他の生徒に言ったり、男子からは ”もしもしカメよ・・ 暗子さん?“ と、みんなの前で歌われ からかわれたりしていた。  親友と思っていた友人達からも陰で笑われていることを知り、裏切られた気持ちでいっぱいだった。

 誰も私のことなんか分かってくれない・・ と人間不信に陥っていた。 なんで?  わたしだけこうなの?  私が何をしたと言うの?  私はみんなに何も悪い事はしていない・・ なのに なんで・・?  反発もできず, 誰も助けてはくれなかった。 その数々の辛いできごとは毎日次々と起こっていた。 そしてとうとうある日のこと、それは辛い一日の始まりとなった。

  真理が2時間目の休憩時間に机に戻ってきたとき、自分のかばんが無くなっていることに気づいた。 授業が始まっても先生は何も言ってくれないし、みんなも知らん顔をして後ろの方では笑いをこらえている友達もいる。

 またか・・ 真理は教室を抜け出し、かばんを探しに行った。 泣きながらあちこち探し回った。 そしてそれはなんと、男子トイレの便器の中に突っ込まれていた・・ 「汚いものは捨てましょう・・」と、走り書きがあった。 朝 コンビニで買った昼食には、おしっこがかけられていた。 教科書もみんな濡れていた。 トイレの鏡をふと見ると、自分の背中になにか紙が張られている・・ そういえばさっき、男子が「がんばれよな・・」と背中をたたいたが、「なぜ?」と振り返ったとき後ろのみんなが笑ったけど・・ あの時私の背中にこれを張ったんだ・・ 何とか振り向いて紙をはがしたがそこには・・ 「私は、もぐら子です 暗い土の中でミミズが大好きです もぐもぐ」 なによこれ? もう死にたい・・ もう何も抵抗する事もなく、頭は何も考える事もできず、だたぼんやりと歩いていた。

  どのぐらいの時間が経っていたのだろう・・ どこをどのように歩いていたのか分からないけれど・・ 真理はいつしか家の近くの踏み切りに入っていった・・ 冬の夕暮れは早い・・ 先の方に電車の明かりが見えた・・ これで楽になれるわ・・ そのまま体が浮いたような気がしたけど、真理はそのまま意識を失った。

 

  真理が気がついたのは病院のベットの上だった。 頭には包帯をしていたが、特に痛いところもない・・ なぜ私はここにいるの? 思い出してきた・・ 生きていたんだ・・ 嫌だ! 嫌だ! 絶対嫌だ! 生きていたくないのに・・ どうして? そんな・・ 嫌だ!

 その時だった・・ 「お~お~ よかった よかった やっと気が付いたようだな~」 大粒の涙をいっぱいため、今にもこぼれ落ちそうな目で真理の頭をなでていたのは、箕面北部の止々呂美(とどろみ)に住む真理の祖父母だった。 「よく眠ったね・・」 二人は真理の顔に両手を当てて~ ウン ウン とうなずいている。

 真理はおじいちゃんに聞いた・・ 「どうしておじいちゃんやおばあちゃんがここにいるの? 何があったの? どうしてなの?」 まだ頭はもうろうとしていた・・ 二人は顔を見合わせると交互にゆっくり、ゆっくりと話し始めた。

  それによるとあの時、真理が踏み切りから線路の中に入っていった時、丁度夕刊を配達していた同じ中学の3年生が真理を見ていて・・ おかしいな・・? と その時、急に線路上で倒れ, 前からは電車が激しく警笛を鳴らし始めたので、あわてて自転車を投げ出して助けに入り、間一髪で間に合ったのだとか・・ 近所の人たちの協力で二人とも病院に運ばれたが、男子生徒は軽い擦り傷ですみ、その日の内にすぐに帰ったとか・・ 真理は気を失ったようだが、その時に線路に頭をぶつけたが幸い骨に異常もなく、ヒビも入ってなかったようで 3日もすれば退院してもいい・・ とのこと。 薬の影響もあってか心身の疲れからか、丸二日間眠っていた事。 父母はさっきまでここにいたけど、それぞれに仕事が忙しく店に戻ったところだとか・・

 学校の先生も見舞いに来ていたけど・・ (これを聞いたとき真理の全身に虫唾が走ったが・・) 祖父母は父からの電話で飛んできたが、すでにバス便がなく近所の人の軽トラックで送ってきてもらったとか・・ 真理はそんなことをぼんやりと天井を見ながら聞いていた・・ これでよかったんだろうか? 分からない? あの学校の事を考えたら・・ また始まるんだ・・ やっぱり死にたい・・ そう思うだけで別の涙が出てきた。

  夜遅く、やっと父と母がやってきた・・ そして 真理の顔を見るなり「どうしてこんなことすんの・・」と、母は涙でいっぱいになるし、父も「なんでやねん?」とつぶやいている。 「二人とも 仕事が忙しかったからな・・ かまってやれなかったしな~ 悪かったな、何があったんや! お金も渡してたしな~ なんでや?」  やっぱり私のことなんか何も分かってくれてない・・ 真理は心の中でつぶやいた。

  真理は結局両親には何も話さず無言で通した。 何も分かってくれようとしない心に更に失望したからだが、どうせ何を言っても分かってくれそうもない・・ それは確信に近かった。 何も以前と変わらない・・ もういやや! 嫌だ! なんで私を助けたりしたんや! 

  二日後、真理は早くも退院し自宅に戻った。 学校の担任と校長が来たが、会いたくなかったので頑なに断った。 助けてくれたあの3年生も見舞いに来てくれたけど、真理は会いたくなかった。

  真理はその夜、父母が祖父母と話していて、なぜかいつも静かで寡黙なおじいちゃんが大声で息子の父をすごく怒っているのが二階まで聞こえてきたので不思議に思っていた。

 やがて少し静かになったかと思ったら、祖父母が二人して真理好きなイチゴを山盛りにして部屋に入ってきた。  真理が後で聞いた話では、祖父母は見舞いに来る学校関係者や警察、また真理は会わなかったけど友達と名乗る同級生たちから話を聞いて、いじめを受けていた孫娘の状況を大体把握し、それで両親を問い詰め話していたようだ。 学校や教育委員会にも厳重に抗議したのも、祖父母だった。 真理の両親は仕事を理由に、そんな大事な事まで知ろうとしなかったし、担任や校長の弁解を鵜呑みにしていたとのこと・・ 事情がわかってビックリしている様子だった・・ と。

  部屋に入ってきた祖父母は真理の前にきちんと座って・・ 「まりちゃん! もう何も心配しなくていいよ・・ おじいちゃんとおばあちゃんのところへ来たらいい・・」 「えっ! どうして? 学校は?・・」 「おばあちゃんの出た止々呂美の中学校があるさ・・」と微笑む。 「えっ! あんな田舎の学校へ?」と言ったものの、とっさに今の中学から離れられる・・ それだけで何よりの魅力だった。  おばあちゃんから大きなイチゴを口に入れてもらいながら、真理は大きくうなずいた・・「よし決まったな 後はおじいちゃんに任せておきな・・」 おじいちゃんが優しく頭をなでてくれた・・

 

  真理は二週間後に転校する事が決まった。

 この間、いろんな人が来たけれど、結局 真理は誰とも会わなかった。特に学級代表なんて、かつての級友が来たときなど、急に体が硬直し吐いてしまったほどだ。 相変わらず仕事、仕事の父母に代わり、祖父母がずっと真理の傍にいていろんな話をただ黙って いつまでも聞いてくれたので真理の心もやっと落ち着いてきていた。

  すでに真理の荷物は運んだ後だけど、転校の朝 車で送ってくれると言う父母が真理の知らない人と話している・・・ ペコペコしているけど、どうやら制服姿から真理を助けてくれた人かもしれない・・ と真理は思ってみていた。 彼は紙袋を父に渡し、真理に向かって会釈をしたので、真理もつられるようにお辞儀をしたが、まだお礼が言えなかった・・ まだその気分でもなかった。

 次の中学で上手くいくとは限らないし、不安は消えなかったからだが・・ 袋の中にはCDが一枚入っていた。「元気でな・・!」というメッセージと共に・・ 

 真理は新天地に向けて出発した。 

(2)へ続く。


止々呂美の山野に抱かれて(2)

2021-02-24 | 第5話(止々呂美の山野に)

 箕面の森の小さな物語

  <止々呂美の山野に抱かれて>(2)

  真理は父親の運転する車の後ろに乗り、去っていく自宅を見つめていた。 いい思い出なんか何もなかった・・

  箕面の自宅から池田を回り40分位で止々呂美(とどろみ)に着いた。 同じ箕面なのに、久しぶりにみる祖父母の家はいかにも古く、田舎の家だったが・・ それがなぜか余計に嬉しかった。 国道から少し入っていった所に見える 二人の住まいは父親の生まれた家だった。

 2日前、いったん帰った祖父母の姿が見えた・・ まだ2日前なのになぜか懐かしいな・・ 二人とも満面の笑みを浮かべ、両手を広げて迎えてくれた。 真理はそれだけでとても嬉しかった。 私を見ていてくれる人がいる・・ それだけで安心だった。

  両親は祖父母と少し話していたが、近いからまた来ると言ってすぐに帰っていった。 いよいよ新しい生活が始まるんだわ・・

 おじいちゃんもおばあちゃんもちゃんと準備をして待っていてくれた。 すでに送っておいた勉強机や本やCDなんかもきれいに棚に置いてあったし服も揃ってる。  部屋はかつて父が使っていたという、見晴らしのいい8畳ほどの畳部屋だが、窓には付けたばかりという真新しい花柄のカーテンがかかっていてきれいだった。  

「さあ さあ こっちへ来てゆっくりしな!」 もうコタツが入っている・・ 「そんなに寒くもないが、朝夕がかなり冷えるからね・・」 自宅にはなかった温かさを改めて感じながら、真理はおばあちゃんの入れてくれた渋いお茶を飲んだ・・ 「苦い!」「そうか そうか! おじいちゃんの好みとは違うもんね・・」 そう言って今度はうすいお茶を入れてくれながら3人で笑いあった。 田舎饅頭のあんこが甘くて美味しかった。

 次の朝 真理は ”コケコッコー” の鶏のけたたましい鳴き声でビックリして飛び起きた。 窓から下を眺めると、余野川の流れの中を、白い見たこともない鳥が飛んでいったり・・ 前方の山並みに朝陽が当たってそれはきれいな光景があった。  私はここにいていいんだわ・・ まさに別の世界に来ていた。  祖母の作る朝食は、ご飯とお味噌汁、野菜の煮物に漬物が主だった。 いつもありあわせのパンをかじって、学校に走っていたのとは大違いだった。 夕食もコンビニで買って、一人で食べる事も多かったのに・・ と真理は嬉しかった。  面白いおじいちゃんの昔話を聞いたり・・ おばあちゃんの料理自慢を聞いたりしながら、和やかにしかも手作りの食事で食べられる事に真理は初めて味わう安心を感じていた。

  朝食が終わると、家の周りを二人が案内してくれた。 幼い頃に何度か来たことがあるもののもうすっかりと忘れていた。 家の前には野菜畑があり、スーパーでもよく見る野菜が植えられていた。 鳥小屋には5羽の鶏がいて4個の卵を産んでいた。 ゆずの木やいろんな果物の木もあった。 二人でそれぞれ分担して手入れしているようだ。 

 真理には犬の世話を任せてくれた。 雑種らしく、半年前に近所の人から貰ったという子犬で「トト」と名前を付けたとのこと・・ 「ひょっとしてとどろみの トト・・・」「そうさ !」と返ってきた・・ なんとも単純だがおもしろい!  トトはもう1日で真理と仲良しになった。

  祖父母は孫娘をゆっくりと環境になじませようと思ったらしく、ご近所に挨拶もさせず、人と無理して会わせようともしなかったから、真理は楽だった・・ でも、新中学には来週の月曜日から行く事になっている・・ 後3日あるけど 少し不安 憂鬱・・

  真理は翌日 トトをつれて一人で村を探検する事にした。 本当は狭い集落だから、真理のことはみんな知っていたようだが、祖父母が事情を話していて、静かに見守っていてくれた事を後で知った。 両手を広げて深呼吸してみる・・ こんなに思い切って呼吸をしたのは初めてだわ・・ 気持ちいい  空気がおいしい 今まで気にした事なかったけど ここにはいろんな鳥が飛んでるぎゃー ぎゃーとけたたましく泣く鳥には最初びっくりしたわ  でもなんて言う名前だろうか?  耳を清ますと、いろんなトリの鳴き声が聞こえてきてそれはきれいな鳴き声から、さっきのうるさい鳴き声まで いろいろ・・ でも楽しそう!  真理は心からそう思えた。

 田んぼに出た・・ あぜ道を歩いていると、赤い花がいっぱい咲いている・・ あとでおばあちゃんに「彼岸花」(ひがんばな)と教えてもらったが・・ きれいにいっぱい咲いている・・ きれいだわ・・

 少し先に <北大阪生協箕面病院> の看板を掲げた建物が見えるし、さっき歩いたところに<大阪音楽大学 箕面セミナーハウス>の看板が道の入り口に掲げてあった。 真理はゆっくりと散歩しながら、自分の心が穏やかになっていく事を感じていた。

  真理が散歩からそろそろ家に戻ろうか・・ と思い「幼稚園」の横を通りしばらくしたら・・ トトが吠え出した・・ どこかで女の子の泣く声が聞こえる? あれ? どこ? 泣き声のする方に近づくと3歳位の女の子か? 水の少ない小川の中でずぶ濡れになって泣いていた。 心配するような川ではないが、とにかく服が濡れている・・ 寒いだろうに・・

 真理は早速 川からその女の子を抱っこして土手に出し、持っていたハンカチで濡れた顔を拭いてあげた。 すると ものの2~3分で、遠くからお母さんらしき人と、小学生の男の子がこっちへ走ってくる・・ 「ともみ・・ ともみ・・」 「どうもすみません・・ この子が妹の服が濡れて泣いてるから・・ と家に走って帰ってきたので 今、飛んできたんですが・・ どうもすみません それにきれいに拭いてもらって・・」 ともみちゃんはお母さんの持ってきた服を着替えさせてもらいながら、もう泣き止んでニコニコしている。 お兄ちゃんの遊びに付いて来たものの、転んで 服が濡れ・・ お兄ちゃんはビックリしてお母さんを呼びに行ったのだった。

 「この辺で見慣れない方だね・・」「はい、あのもみの木のある家に引っ越してきたんです 」「じゃあ・・・ 貴方が真理ちゃんね? 」「えっ! 私を知ってるんですか?」 「ええ~ トトを連れていたし・・ それにちゃんとおばあさんから聞いていますから・・ いいとこでしょ・・ ここ!」 「ええ~ まあ・・」「今度遊びに来てね・・ きょうはありがとうね・・」 「ばいばい! ともみちゃん またね・・」

 そうして3日間はあっという間に過ぎていった。 いよいよ学校へ行く日がやってきた。 歩いて10分足らずだが緊張する。 祖父母の母校とあって、おばあちゃんが付き添ってきてくれた。

  職員室で担任を紹介されたとき真理は・・ どこかで見たような・・?  そうだあの金八先生をもう少しおしつぶしたような感じで、田舎臭いが味のありそうな先生・・ それで少し安心した。

 真理が初めて教室に入り挨拶したときなど頭が真っ白、何を言ったのか思い出せないぐらい緊張していた。 

 一番前の机だったが座ったとたん隣の女の子が「私 里美よろしくね」と、それだけでもう真理は嬉しくなっていた。 初めての休憩時間が来た・・ 真理の不安は高まったが、里美が後ろの亜希を・・ 右隣の紀子を・・ と次々と紹介してくれた。

お昼休みになった・・ さっきの3人に更に3人が加わって、一緒にお弁当を食べた・・ こんな事って少し前まで考えられなかった・・ 真理はもう嬉しくて、飛び上がるくらいに嬉しかった。

  放課後になった・・ 隣のクラスから「私、幸代・・ 昨日妹が助けてもらって・・」「えっ! じゃあ・・ あのともみちゃんのお姉さんなの?」 「そうよ ありがとう! これからよろしくね」 それを見ていたクラスのみんなは・・「サチ・・ いったいなんでこの子しってるの? ともみちゃん助けてもらったって? なんなの?」と。 しばしサチはあの日の出来事を話していたが、それを聞いていたクラスの人全員に真理の事が美談として伝わっていき、何にもしてないのにどんどん友達が増えていった。

  帰り道、余野川の川べりでみんなでおしゃべりに花を咲かせた。 今までの辛い事を思い出すこともあるけど、ここの学校ではまるで嘘みたいに、真剣にみんな聞いてくれて、自分の事をよく分かってくれて安心して過ごせる。 金八似の担任も実におもしろく、それでいてやっぱり熱血で、温かいものをいつも感じるわ・・ ただ一人、あの悪夢を思い出すような、ちょっと突っ張り風の男子がいていつも警戒していた。

  数日後、真理は家が近くでいつも一緒に帰るようになったカエデちゃんが風邪で休み、一人で家路についていたとき・・ 丁度雨が降ってきてかばんを頭に乗せ急いで歩いていた。  すると後ろから走ってきた男子が急に真理に傘を差し出し・・ 「これ使えよ・・」と言うと、自分は雨の中、濡れたまま走っていってしまった。 よく見るとあの突っ張りだった・・ なんだいいやつじゃん!  

 その夜、真理はあの突っ張りの傘をたたみながら・・ 明日どうやって返そうかな? そう悩みながらも嬉しくなってしまった・・ もう大丈夫だわ! 

  真理は翌日 止々呂美の朝陽を浴びた森や飛び交う鳥たち、家の野菜やコケコッコーやトトにも、そして何より祖父母と温かい村のみんなに心から・・ みんなありがとう! と心の中で大きな声で何度も叫びながら登校した・・ 生きていてよかった・・

  真理はあの時 自分を命がけで救ってくれたあの時の中学の先輩に、初めてお礼の手紙を書き始めた。 あの転校の日 紙袋に入れ ”元気でな!” とのメッセージと共に贈ってくれたCDを聴きながら・・

 ”明日がある・・・明日がある・・・明日があるう~さ・・・” 

箕面の止々呂美の森にウグイスが鳴いた・・

 (完) 


*トンネルを抜けると白い雪(1)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)
 箕面の森の小さな物語(NO-15)  
 
<トンネルを抜けると白い雪>(1)

  「トンネルを抜けるとそこは雪国だった・・ か」 太田垣 祐樹はボソッとつぶやきながら我に返った。 なぜそんな言葉が口をついて出たのだろう・・ か?

 箕面グリーンロードトンネルを抜けて止々呂美(とどろみ)の出口にでると、真っ暗闇の中に車のライトに照らされた白く輝く銀世界が広がっていた。 トンネルを入るまでは全く雪がなかったので一瞬ビックリしたもののすぐにまた自分の世界へと入っていった。

  三ヶ月ぶりに自宅に帰る・・ と言っても誰もいない家に帰るのは何とも気が重いものだ。

ほんの40分ほど前まで、祐樹は梅田の新ビジネス街に建つ高層ビルの一室で、苦手な外人バイヤーとの厳しい商談を終えたばかりだった。 その直後、弁護士から「離婚が成立しました・・」との電話があった。

 ・・そうか終わったのか・・ 祐樹は26階のオフィスから眼下に広がる光り輝く大都会の街の明かりをぼんやりと眺めていた。 やっぱりここはボクの住む街じゃないな・・ と一人つぶやいた。 そして急にこの連休は一人静かに過ごしたい・・ との思いから同僚との飲み会を断り、いつしか車はかつての自宅へと向かっていたのだった。

 先日、祐樹は会社の上司からニューヨーク支店への転勤内示があったが、何度も自分の心と対峙し熟考のうえ辞退を申し入れていた。  同僚や後輩はその早い栄転を羨ましい言葉で賛辞しながらもやっかみ半分のところがあった。 そのやっかみは祐樹が入社してすぐに感じていたことだった。

  「あいつの入社は俺たちと違ってきっとコネだからな・・ 何しろ親父は国会議員だし、上の兄貴は地方議員でいずれ親父さんの後をつぐんだろうしな。 母親はその道の家元で全国に教室があるとか聞いたし、下の兄さんは大学病院の精神科医でTVにもよく出ているし、フランスにいる姉さんはたまに週刊誌にもでてる有名なファッションデザイナーなんだろう・・ あいつの一族はまさに<華麗なる一族>といったところだからな・・ しかし どうもあいつだけはちょっと異色で変わってるよな・・ エリートコースのニューヨークを断るなんてバカじゃないの・・?」

 同輩や後輩らと飲みに行くと必ず家のことを何かと聞かれるので祐樹はほとほと嫌気がさしていた・・ ボクはボクなのにな・・ みんなボク自身のことより、家族やその背景のことばかり気になるようだな・・ といつも自嘲気味に笑っていたが心は憂鬱だった。

  あんなビジネスの激戦地みたいな所へ行ったらもう自分が自分でなくなってしまう・・ 自分らしく生きたい・・ 小さな自分の夢を追ってみたい・・ やっかみ半分の同僚たちの思いと祐樹の思いとは、全く別の次元のものだったが、それは会社の誰もが知る由もなかった。

  梅田の会社駐車場から出て新御堂筋に入ると、祐樹のイタリア製最高級スポーツカーはすべるように江坂、千里中央を経て箕面グリーンロードトンネルに入った。 この車も自分の好みと全く違ったが妻が選んだ車だった。 そこを5分ほどで抜けるとあの梅田の街の喧騒から30分ほどで全くの別世界に入っていった。 そしてそこには白銀の世界が広がっていた。

  これが幸せと言うものなのか・・ と思えた1年ほど前の日々を想う・・ どこかいつも 違う 違う と思いつつも、祐樹は子供の頃から自分の気持ちを抑え、心をごまかしながら両親や兄姉の指示やその言葉に従順に生きてきていた。 30歳をいくつか過ぎ、やっと祐樹は自分の歩んできた今までの道を省みていた。

  祐樹は母親が41歳のときに予定外で生まれた子供だった。 もうすでに上の兄は19歳、次兄は17歳で姉とは15歳と年の差があったので、それが為にそれぞれにみんなが可愛がってくれた。 それは一方で過保護となり、過干渉であったりして自我に目覚めると随分とそのことに悩んだりしたこともあった。  しかし、元来素直で従順で優しい性格の祐樹は、そんな周りの保護の中で強く自己主張することもなく、常に争いごとを避けて暮らす習慣が身についていた。

  だが一度だけ大きく家族に反発したことがあった。 それは高校生になった頃、両親や兄姉らがこぞって 「お前は弁護士になれ・・ 医者を目指せ・・」 と次々に干渉され、その必要性を懇々と説かれたことだった。 「人生の競争に勝つためには・・ 人の上に立たねば・・ 権力、名誉、金、力を持てば人はついてくる・・  幸せもついてくる・・ 自分に合った仕事なんて無い・・ 自分を合わせるんだ! お前の祖先も両親も俺たちもみんなそうやって成功をつかんできたんだ・・」 「もういい加減にしてくれ・・ ボクはボクの人生を生きるんだ!」と はじめてみんなの前で反抗し叫んだときだった。

  しかし、次の日からまた何事も無かったかのように祐樹の訴えは無視され、再び過干渉が始まった。 そして祐樹はいつしか・・ まあいいか!? とそれまでの習慣どおり、みんなの意見に自分を従わせようとしていた。 そしてそれはやがて自分の夢や希望や感情までも抑え、家の重圧に押され毎日現実的な対応を余儀なくされていた。

  塾に通い、習い事に明け暮れ、競争社会には全く合わない自分を知りながらも、いつしかそんな嫌いな社会の渦の中に巻き込まれていった。 しかし いざとなると自分は人との争いごとの間に立つ弁護士など天敵とも思えるぐらい全く向かない職業だと思った。 それに医師の次兄の薦めで医学部を目指そうと思ったものの、本来血を見ただけで怖くて卒倒しそうになるのに、人の死と向き合う医師など全く存外で自分には向かないと確信して断念した。

 「じゃあ 何になりたいんだ・・」 と問われるので、祐樹は漠然とだが「ボクは植物や動物が好きだから・・ 山も好きだし・・ 絵も・・」「そんなもの勉強したって食っていけるわけ無いだろう・・ まじめに考えろ!」と怒られていた。 なぜそんな言葉が口をついてでたのか・・ そこには祐樹に一つ思い出に残る印象があった。

  それはまだ祐樹が小学生の頃、家族みんなが仕事で多忙な頃に家族に代わって周りの取り巻きの人たちが東京のデズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオ、映画や遊園地などにもよく連れて行ってくれた。 しかし、祐樹がもっとも印象に残ったのは、ある日小学校の遠足で行った箕面の滝への道だった。 近くの山麓に住んでいながらこんな所があるとは全く知らなかった。

  箕面川の渓流が岩にぶつかり、白い水しぶきを上げてダイナミックに流れている・・ その岩の上に一羽のアオサギがじっと置物のように身動きせず水面を見つめて狩りをしている姿・・ 美しいコバルトブルー色したカワセミがあっという間に水にもぐり小魚をくわえて小枝に戻ってきた姿に、祐樹は初めての感動を覚え興奮した。  山麓に咲く小さなイチリンソウ、ニリンソウ、スミレなどの野花は、街中では見られない素朴で清楚な姿をしていて祐樹の心をとりこにした。 野花をみて「きれいだな・・」と初めて子供心に感動した。 それに野生のサルが群れで木々の上を動き回って木の実を食べている姿は動物園で見たサルと違って興奮した。  見るもの一つ一つが祐樹の子供心を刺激し琴線に触れるものがあった。 見上げれば美しく紅葉した森が広がっている・・ 祐樹は落葉したそんなもみじの葉を数枚拾い、持ち帰って本にはさみ押し葉にした。 でもその押し葉を見るたびに、その時の感動を様々と思い出すのだった。

  祐樹は近くの山麓に住んでいながら今まで家の高台から見る視線はいつも南側に広がる大阪平野であり、その先に林立する大都会の近代的ビル群だった。 それが初めて反対側の裏山の箕面の森の中へ行ったとき、祐樹の心を動かすほどのものがあったのだった。

 いつか次兄にその感動を話したとき・・ 「お前の生まれる前にもう亡くなっていたけど、祖父は大学教授だったが旧帝大出の有名な植物学者だったそうだ。 それで親父は子供の頃よく束ねた新聞紙を持たされて爺さんと裏山を歩いた・・ とか言ってたな・・ なんでも箕面の山には日本の羊歯(シダ)類の相当数の種類が自生しているとかで、その採集の手伝いをさせられたんだろうな・・ お前はそんな爺さんの遺伝子を引き継いでいるのかも知れんな・・」と笑われた。

  「もう勝手にしろ!」と言う家族の声に これ幸い! とばかりに祐樹は初めて自分の意思で大学を選んだ。 それはみんなが全く想像外の<植物学>を専攻し、大学院では<農学、園芸・森林療法と人と自然環境学分野との融合>を研究した。 この6年間は祐樹にとって実に充実した日々を過ごした。 しかし、祐樹は卒業を前にして再び両親や兄姉からの強い過干渉が始まった。 そしていつの間にか<特別推薦枠>とかで、考えても見なかった総合商社へすんなりと採用されたのだった。 それは国際社会を舞台に、ビジネスでの激しい競争を繰り広げる会社だった。

  祐樹は相変わらずどこかで 違う・・ 違う・・ と思いつつも仕事に没頭し6年が経っていた。 この間に名門家系の御曹司で末っ子ということもあり、次々と縁談が持ち込まれ、親の薦めに反対できず何度も見合いをしてみたが、祐樹の心に触れる女性は一人もいなかった。

  ある日、祐樹は会社の重役の誘いで、ある財界のパーテーに招待された。 そしてそこである女性を紹介された。 祐樹は本来最も苦手なそんな所で酔うことなど無いのだが、仕事のストレスもあり、勧められるままにしこたま飲んで酔っ払ってしまった。 そしていつしかその女性から介抱される始末になり、気がつけば彼女の赤い車の横に乗って家まで送ってもらうことになった・・ そこまでは覚えているのだが・・?  ふっと気がついて目を覚ますと、祐樹はホテルのベットに裸で寝ていた。 横には見慣れない女性が寝ている・・ 祐樹は あっ! と声をあげそうになった。 後日知ったことだが、この女性は中々結婚しない末息子を心配した父親が、自分の政治後援会長に相談したら、なんとその会長は自分の人娘を連れて来ていたのだとか・・ しかし、その後の展開と行為は予想外だったらしい。

 祐樹は自分の愚かさと女性へのすまなさとで自責の念にかられ、恐縮の日々を過ごしていた。  そしてそれはやがて祐樹の世界を一変させていった。

 2)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(2)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(2)

   祐樹は両親や兄姉の薦めと良心の呵責もあり、さらに積極的なアプローチをかけてくるその女性との間で、まもなく婚約がととのった。 何も知らなかったが、その女性はアメリカの大学院を出、一時 国連の国際機関で働いていたキャリアウーマンだとか・・ いずれ女性国会議員を目指すと言う野望をもっていた。  それを聞いたとき・・ この人も結局ボクよりもその背景を利用しようとしているんだろうか・・? と一瞬考えたが、自責の念もあってこれも人生か・・ とそれまでの家に対する従順な生き方に自分を合わせ過ごしていた。

  結婚式はそれは豪華なもので、父親の関係で大臣や財界の大物たち、母親の関係でその道のそうそうたる顔ぶれ、兄や姉の関係からいわゆる偉い人から有名な芸能人まで多彩におよんだ。 新妻はここぞとばかりにそれらの人々の間をこまめに回り、交わりをもち積極的に話していたので、祐樹は少し困惑と違和感を否めなかった。

  新居は千里中央駅前にできた50階建ての高級マンションを両親が用意しようとしていたが、「せめて住む所ぐらい自分で決めさせてくれ!」と頼み、やっとの思いで断った。

  祐樹は学生時代からの愛読書に、ソローの「森の生活」(講談社)があった。 それはヘンリー・ソローが今から170年以上前の1845年3月、28歳のときにアメリカ・ボストン郊外の森、ウオールデン池畔に小さな山小屋を建て、2年2ヶ月この森の中で生活し、思想し、著述活動をした時の記録であり、今なお世界中に多くの人々に共感を与えている本だ。 そしていつしか自分も森の中でそんな生活をしてみたい・・ と憧れを抱きながら夢見ていた。

 しかし、現実に結婚して生活するとなるとそうもいかず、ましてそんな話をするとあからさまに嫌な顔をする彼女に遠慮して諦めようとした・・ が、せめて森の中に開発された新しい街「箕面森町」(みのお・しんまち)に住みたい・・ と何とか説得していた。  やがて祐樹は4区画200坪ほどの土地を買い、その一区画に知人の建築家に頼んみ、ひときわモダンで瀟洒な家を建てた。 将来子供が大きくなったら真ん中を庭にし、もう一方に家を建てられるし・・ 祐樹はそれまでの間、好きな農園や花畑にしようと、周囲に果樹木を植えたり小さな作業部屋まで建てていた。 しかし、妻となる彼女はそんな事に全く興味を示さなかった。 そして結婚式前にその新居は完成した。

 <* この箕面森町(みのおしんまち)は・・ 大阪府が箕面市止々呂美地区に広がる313.5haの森を開発し「水と緑の健康都市」とした街づくりで、計画はオオタカなどの生息地だった事や、世情の変化などから二転三転しながらも次々と造成し完成しつつある。 計画では人口一万人、3000戸だが、現在はまだ1000余世帯 約3000人ほどの街だが、自然と調和した緑豊かな住宅地景観を作り出している。 箕面グリーンロード・トンネルも開通し、大阪梅田まで車で50分、千里中央まで15分、バスで25分とのこと。 更に平成30年この近くに箕面インターチェンジができて、第二名神高速道路とつながりとても便利な森の街なのだ>

  祐樹の新生活がスタートした。 新妻はしばらくの間は専業主婦として家庭にこもったが、しばらくして・・ 周囲には山ばかりで何もないわ・・ と不満を言うようになった。 祐樹はそんな自然の中での生活に満足していたが、この二人の感性の違いはどうしようもなかった。

  やがて妻は一人で自分のスポーツカーに乗って都心に出かけ、友人との会食や観劇、ショッピングを楽しみ、帰りに百貨店の惣菜売り場で夕食を調達してくるような毎日となった そして・・ 「わたし掃除、洗濯、料理なんか苦手だし、お手伝いさんを雇いましょうよ・・」と言いだし涼しい顔をしている。 祐樹は呆気にとられてしまった・・

 祐樹は「休日には夫婦二人で近くの山や森を歩こうよ・・」と誘ってみたが「とんでもないわ!」と言う顔でいつも断られていた。 近くの森にはエドヒガン、ヤマザクラが咲き、 タニウツギやヤブデマリの花々が咲いている。 祐樹の好きな野花もあちこちに咲いていて、穏やかで美しい山里の光景が広がっている。 「それよりも今晩は都心のホテルでデイナーにしない?」 「友人のパーテーに招待されてるから一緒に行きましょうよ」とか 祐樹の苦手なところばかり連れ出されていた。  それでも・・ これが幸せというものか・・ と祐樹は結婚した事を少なからず喜んていた。  しかしそんな順調に見えた歯車が、徐々に逆回転をし始めた。

  祐樹が結婚して半年も経たない頃、母親の経営するその道の家元教室が、本人の全く関知しない出来事から、まさかの巨額詐欺事件に巻き込まれた。  新聞で散々報道され叩かれたこともあり、全国にある教室が影響を受けてあえなく閉鎖してしまったのだ。 次いで次兄の妻が、こともあろうに兄の同僚医師と駆け落ち騒ぎを起こした。 それはやがて離婚となり、傷心の兄は大学病院をやめた。 

 極め付きは、父親が国政選挙であれだけ再選確実の勢いだったのに次点でまさかの落選をしてしまった。 さらに同時に行われていた地方選挙で、長兄もあえなく落選の憂き目にあった。 そして悪いことは重なるもので、少し前に姉がパリから一人で帰国していた。 何でもフランス人の夫と経営していた会社が乗っ取られたとか? --夫の愛人との確執か?--とか 週刊誌には面白可笑しく書かれていた

  祐樹を除き家族全員がその後の半年の間に立て続けに次々と不幸なできごとが起こり、あっという間に失脚し、失業状態になり、地位も名誉も誇りまでもが一気に崩れ去ってしまった。

  祐樹はそんな中、みんなを励ますつもりで父の誕生会をしようと久しぶりに実家を訪れた。 家を出るまで妻は一緒に行くことを拒んだが、何とか渋々ついてきていた。 事前に兄姉の知人、友人、今までの親しいみんなに知らせておいたのだが、その日集まったのは10数人だけだった。 それまでは数百人の人々が、家のパーテールームやそれに続く広い庭園にも人が溢れるばかりでそれは賑やかだったのだが・・ その凋落振りは目に余るものがあった。 箕面山麓の高台で100年以上続いたこの実家も、このままでは数ヵ月後には人手に渡りそうな事も聞いた。

  祐樹は何かの小説で読んだ一説を思い出していた「・・そして男が死ぬとそれまで体の血を吸っていたノミやシラミなどの生き物が ゾロゾロゾロと這い出し畳の隅に消えていった・・」とあったが、まさにその通りだと思った。

  両親に兄姉たちもどん底に落ち、初めてそれまでの自分たちの生き方や驕り高慢さを自省し、各々がうめくように猛省している姿が痛々しかった。 人がそれまでの権力から落ち、地位、名誉、金力を失ったとき、それまでその傘の下で威勢を誇り、権益をむさぼってきたような人々が真っ先に去っていった。 それはまさにあの寄生していたノミやダニが死体から一斉に出て行く姿だった。 そして一族はその悲哀を嫌と言うほどに味わう一日となった。

  ささやかな食事会が終わること、それぞれが心に誓ったことがあった。それは父が言ったつぶやきだった。 「今日から裸になって本当に一から出直し頑張ろう・・ そしてこれからは 謙虚に質素に真面目に生きていこう。 お互いに切磋琢磨して協力し この難局を乗り切ろう。 そしてこれからは身も心も常に清潔にして清貧を心がけ、決して再びノミの巣にしないようにしよう・・」 家族みんながしっかりとうなずき肝に銘じた言葉だった。 しかし、祐樹の妻だけは呆然とした顔をしてそんな父の言葉を聞いていた。

 帰り道、妻は「こんな事ってあるかしら・・ 私はどうしたらいいの?」と激しく動揺しヒステリックな声をあげた。  しかし、実家のほうは大変だけど、祐樹はサラリーマンで給与が減るわけでもなく、家が無くなるわけでもなく、今までと生活が何ら変わらないのでいつも通りの生活をしていればよかったのだが・・

 

  数日後、祐樹は香港へ出張した。  一週間の仕事を終えて帰国し、空港からタクシーで家に直帰したが、途中何度か妻のケイタイに電話を入れたが一向につながらないのだ。 「おかしいな? どこかへ出かけているのかな? それとも何かあったのかな?」 出かける前、妻の顔色が悪く元気が無かったので少し気にはなっていたのだが・・

  家は真っ暗だった。 家に入ると中は閑散としていて、妻の持ち物は何一つ見当たらなかった。 机上に一通の封筒があった。 祐樹は呆然としながらその封を切って中を取り出した。 そこには祐樹宛の手紙があり、捺印された離婚届け用紙が入っていた。 祐樹はその手紙を夢遊病者のように目で追いながら部屋の中をさ迷っていた。 「・・もう夢も希望もなくなりました。 お家のゴタゴタはもう沢山です。 こんな事になるとは・・ 貴方に対する愛情はもうありませんので・・」と、恨みつらみが延々と綴られていた。  祐樹はいま現実に起きていることを認識できないでいた。

  あの日から三ヶ月が経った・・ 祐樹はとうとう一度も妻と顔を合わせることなく、弁護士同士の話し合いで離婚が成立したのだった。

 

 季節はあの衝撃を味わった初秋からもうとっくに冬が来ていた。 あっという間に正月が過ぎ、二月の厳冬期になっていたが、祐樹の心も氷のごとく凍りついたままだった。 祐樹はあの日からなんとなく乗ってきたスポーツカーだったが、明日には業者に引き取ってもらうので今日が最後のドライブだった。 つかの間の幸せ感も、この家も、この街も、この森とも、すべて終わりなんだ・・

  祐樹の車はうっすらと雪の積もる箕面森町への道を上り家に着いた・・ 3ケ月ぶりか・・ 懐かしさよりも空しさのこみ上げる玄関を開け、雨戸を開けて冷たい外気を家に入れた。 外はあの日、あの時に一人で家を後にした寂しい光景が広がっていた。 一面の雪景色に月の光が優しく降り注ぎ、氷魂をキラキラと輝かせている・・ 祐樹はしばしそんな光景に見とれていた・・ 「きれいだな~ 」

(3)へ続く

 

 


 トンネルを抜けると白い雪(3)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(3)

  翌朝、祐樹は家の窓を全開し、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ・・

 気持ちいい~  ヒヨドリが2羽、元気に頭上を飛んでいった。 北側の森の樹林が真っ白い雪に覆われ、まるでおとぎ話しの中の妖精がいる森のように見えた。  庭に下りると野うさぎか? テンか? 小さな動物の足跡も見られて嬉しくなった 南側の鉢伏山の方をみると、朝陽にキラキラと輝くダイヤモンドダストが見られる・・ きれいだな~ 祐樹はしばし家の周辺の景色に見とれながら、何度も同じ言葉を呟いていた。

 「そうだ! 久しぶりに箕面の山を歩いてみよう・・」 祐樹はこの3連休を何して過ごそうかと思っていたので我ながらいい考えに喜んだ。 そうと決めると裏に建てていた作業小屋から、以前から置いている山靴とリュックサック、ストックなどを取り出した・・ 結局 前の妻とは一度も山を歩かなかったな・・ 学生時代からあちこちの山歩きを楽しんだけど、サラリーマンになってからは家の近くの箕面の山を歩いては自然の営みに感動していた・・ 何年ぶりぐらいかな・・ 祐樹は久しぶりのワクワク感でいっぱいになった。

 

  箕面森町から府道423号線を東へ歩き、高山口から山道を登る。 ひとつ山越えをして豊能郡能勢に入り、もう一つ山を越えここから箕面市とある表示を過ぎ後ろを振り返った。

  きれいだな~ ここは雪国か? と錯覚するような美しい雪景色が広がっている。 雪国の人々の雪害の苦労は大変なものがあるけれど、この大阪・北摂では年に数回ぐらいしか積もらない雪は珍しい部類に入るのだ。 そう言えばあの小説「雪国」を書いたノーベル賞作家、川端康成は子供の頃、ここ箕面の山や森でよく遊んだと言うから、どこかで少しでもこの雪の光景が脳裏にあったのかな? と祐樹はそんな想像をしながら登った。

  やがて再び豊能郡高山に入った。 登りばかりが続く・・ 息を弾ませながら祐樹は白い息をハーハーとリズムよく吐きながら、なぜか体も心も軽くなっていくのが心地よかった。 それまでの心の内に溜まっていた暗く重たく黒い汚い塊を、思いっきり吐き出すかのように意識して息をはきだした。 そして胸いっぱいに新鮮で気持ちのいい森の空気を精一杯吸い込んでいたら、いつしか身も心も入れ替えられたような新鮮な気分になっていた。

  やがて高山の村落が見えてきた。 ここはかの戦国大名・キリシタン大名 高山右近の生誕地だ。 近くには「マリアの墓」とか「マリアの泉」とかも残っている。 村落の人口はもう100人足らずで高山小学校はもう何年も前に廃校になり、箕面森町にできた止々呂美小学校に統合されたようだ。 祐樹は都市近郊にあってこの田舎の自然が満喫できる高山の村落が以前から大好きだった。 学生時代は箕面駅前から山々を越え、ここまで3時間足らずでよく歩いたものだった。 そして昔懐かしい田舎の風情をもつこの貴重な村落で一日を過ごすのが何よりの楽しみだった。

  祐樹は隠れキリシタンゆかりの「西方寺」前から「高山右近生誕地石碑」裏山を回り、明ケ田尾山への登山道へ入った。 ここは谷道だが雪はそんなになく、いつもの山道が判断できるので登りやすかった。

  やがて山頂に到着した。 明ケ田尾山箕面最高峰で619.9mと聞いた。 祐樹はここで一休みをすると、持ってきた水筒の水を一気に飲みノドを潤した。 登りが続いたので汗で下着がぬれている・・ そう言えば腹が減ったな~  3ケ月ぶりの森町の家には食料の買い置きは無かったし、途中で買うつもりが国道沿いに店は無く、高山にも一軒の店も無いので仕方ない。

  これから尾根づたいに歩き、梅ケ谷から鉢伏山を経由し、expo‘90みのお記念の森>から天上ケ岳を下り、2号路から箕面瀧道出るか、ようらく台から前鬼谷を下り落合谷に出てもいいし・・ と漠然とこれからのコースを考えていた・・ それまで水も食料もなしか・・ しょうがないな・・ まあなんとかなるさ!  祐樹はそれ以上にこうして久しぶりに自分を取り戻し、自然との会話を楽しめる事に満足し嬉しさでいっぱいだった。

ハックション! ハックション! 祐樹は大きなくしゃみをして我に返った 寒い! 寒気がしてきたので祐樹は再び歩き出した。 

  梅ヶ谷へ下り、再び鉢伏山へ向けて登った後、しばらく気持ちのいい下りの山道を歩いているときだった。  南斜面なのでここまで来ると雪はないものの、逆に山道は凍りつき、歩くたびに バリ バリ という霜柱が壊れる音が響いた。 そして事故は起こった・・ それは祐樹の第二の人生の幕開けとなった。

 

  尾根道には冷たい風が吹き、山道は硬く凍っていた。 それまでの雪道とは違ってまだ歩きやすく、祐樹はバリバリと霜柱を壊す音を立てながら黙々と山を下っていた。 その時だった・・・

  ツルン~ ガクン バリ  

 あっという間に左足が滑り、鈍い音がしたかと思うと祐樹はドンデン返しにひっくり返り、腰を嫌と言うほど打ちつけ、左足首に激痛が走った・・ 「痛い! これは何だ!?」 何が起きたのか判断するのに時間がかかった・・ しばらくしてそれは山道に転がっていた太い木の枝に足をとられ滑ったようだ・・ とんでもないひねり方をしたようだな? これは大変な事になってしまった・・ と祐樹は焦った。

 滑った左足は痛みもあるが痺れたような別感覚になっている・・ このままでは一人で歩けない・・ 助けを呼ぼうにも山の中では 電波が届かずケイタイが使えない・・ 案の上<圏外>表示が出ている。  それにまだ一人のハイカーにも出会っていないような今日の状況だ・・ どうしよう?・・ 祐樹は激痛に体を横たえたまま頭は思案でいっぱいだった。

 ・・冬の夕暮れは早い・・ ひょっとするとここで一晩を過ごさねばならないかもしれない・・ 祐樹は横たわりながらリュックを引き寄せ中を見たが、こんな時に役に立つような物は何も入っていない。 水も食料もないし、防寒具といっても何もなく、この寒風吹きすさぶ尾根道で夜を過ごすことなど到底無理なことは分かっていた。 左足はどうやら骨折しているようだ。

 ・・後10数分も下れば<みのお記念の森>に着く距離だ・・ そこに常駐の人はいないけれど、いつも4時の森の駐車場の開閉に箕面ビジターセンターの職員が来るはずだ・・ 何とかしてそこまでいかねば・・ 時計はもう3時を回っていた。 祐樹は焦った・・ 何とか這ってでも下に下りねば 命が危ない・・ 少し足を動かしてみるが、そのつど激痛が走り到底動かせない。

 祐樹は天を仰いだ・・ 家族全員が今最悪の危機の中にあるけど、どうとうボクにも死神がやって来たようだな・・ ボクの人生もここで終わりかもしれないな・・ まあいいか・・ 人間はいつかは死ぬんだ・・ それにボクはこの好きな森の中で死ぬのならそれも本望か・・ そう自分の運命を受け入れると、祐樹の心も少し落ちつき穏やかになってきた。

 祐樹はそのままゴロリと大の字になって空を見上げた。 冬枯れの森・・ 葉を落とし、枝ばかりのコナラの大木が寒風に揺れ、枝と枝のすれる音がリズミカルな音色のように聞こえる・・ 空には ヒュ~ン ヒュ~ン と冷たい風が吹き雲が激しく動いている。 寒い・・ 痛い・・  そしていつしか祐樹は意識が遠のいていくようにゆっくりと目を閉じた。 頭上を冬鳥が一羽 飛んでいった・・

(4)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(4)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)
箕面の森の小さな物語
 
<トンネルを抜けると白い雪>(4)

  「大丈夫ですか? もしもし大丈夫ですか? どうしよう・・」 

祐樹は薄れゆく意識を懸命に元に戻しながら、そんな声を耳にした。

  「あっ! 気がつきましたか・・」 「ああ どうも・・どうもありが・・ 足を滑らせ・・ 動かせないんで・・ 痛!」 祐樹は薄れていた意識を取り戻した。 「私が肩を貸しますので立てますか・・?」  気がつけば麻痺しているのか、少し足の痛みが和らいでいる・・ 祐樹はゆっくり女性の肩を借り、やっとの思いで立ち上がった。 「これなら何とかこの下までは下りられそうかな・・?」 それから何度も休み休みしながら10余分の道を30分以上かかってやっと芝生広場までたどり着いた。

 「ありがとうございました・・ もうここで・・ すいませんがケイタイが繋がる所から救急車を呼んで・・ あれ!?」  祐樹がボソボソとお願い事を言う前に、彼女はもう一人で走っていった。 15分ほどして一台の軽自動車が前に止まり、先ほどの人が急いで下りてきた。 「丁度駐車場の門を閉めていた係りの人に事情を話して、車を中に入れさせてもらいました さあ早く病院へ行きましょう・・」 そう言うが早いか祐樹を抱きかかえるようにして助手席に乗せると園内を通り抜け市道を下った。

  「あの~ この下の箕面ビジターセンターまでお願いできますか?  あそこで電話を借りて救急車を呼んでもらいますので・・」 「大丈夫ですよ! 救急車がこの山を登ってくるのにどれだけ時間がかかると思います? それに公共のものはもっと緊急の方の為に残しておきましょう・・ あっ 貴方が緊急だってことは分かっていますよ・・ でも今は私が何とかできますから・・」と笑いながら車を走らせる。

  車は箕面ドライブウエイをゆっくりと下りながら、30分足らずで箕面市立病院の救急外来に到着した。 早速レントゲンを撮ると、やはり左足靭帯破断で足首の骨折で全治3ヶ月の重症だった。

 「どこのどなたか知らないけれど・・ あっ! あの方のお名前も聞いていなかった・・ しまった! ろくにお礼も言わないままに・・ どうしようか? でも本当にありがとうございました」 ベットの上で治療を受けている間、祐樹は心の中で感謝の言葉を何度も呟きながら安堵感でいっぱいだった。

  治療が終わるまで3時間近くかかった。 祐樹は手続きなどを済まし、支払いも終え、処方された薬を飲むと慣れない松葉杖を腕の両脇に挟みながら下の兄のケイタイを鳴らした。 何となく兄が医師だからというだけの事だったが、医者の有難さをしみじみと実感したからでもあった。 久しぶりに兄と会話し、自分の状況を説明しておいた。 「・・でもよかったじゃないか・・ その方にはお世話になったんだな  しっかりお礼を言うんだぞ  命の恩人だからな・・」 祐樹はその時初めて本当に命を助けられたんだ・・ と認識した。 お礼を言う前に自分のことで精一杯で名前も聞かなかったことを心底後悔した。

 「それはそうと兄さんは今どこで何してるの?」 「オレか・・ 今な 福島にいるんだ  あの忌まわしい出来事から逃れるようにしてここに来たんだがな・・・以前 大学病院にいる時に派遣されて、大震災直後の被災地に来た事があるんだ  余りにも非日常的なことばかりで過酷だけどやりがいがあったんで、それでフリーになったんで再びここへ来てみたんだ  今はボランテイアだけど、やっぱりここに骨を埋めてもいい覚悟でこれから診察活動をしようと思ってるんだ・・」 「そうか・・ それはよかったね」 医師として厳しい任地だろうが、兄は兄なりにやりがいと共にやっと自分の居場所見つけたようだった。

  祐樹は他の家族にはこれ以上心配事を増やさないために自分のことは黙っておこうと思い連絡はしなかった。 そして会社の上司にだけは電話で事情を話し、しばらく休暇をもらう事にして病院を出た。

 

  外はもう真っ暗だった。 冷たい風が吹いている・・ 寒い! 北の箕面の山々の峰がうっすらと見て取れる・・ 山の中腹にある<風の杜 みのお山荘>の灯かりだけがボンヤリと見える。 そして目の前のタクシー乗り場の明かりだけがひときは明るかった。

  「大丈夫ですか?」 どこかで聞いた事のある声だ・・ 祐樹が振り返ると・・ 「あっ! 貴方は・・ まさかここで私を・・ 待っていて・・」 祐樹はビックリすると共に感謝と感動が入り混じって言葉にならなぜかポロポロと大粒の涙が溢れ出した。

「帰りもお困りだろうと思いまして・・ それにこの荷物も・・」 「あっ ボクのリュックとストック・・ すっかり忘れていました 預かってもらっていたんですね・・ ありがとうご・・」祐樹が言葉をつまらせ感激の涙を拭いていると・・ 「さあどうぞ! 」 彼女は軽自動車の扉を開け、助手席に祐樹を座らせると松葉杖を運転席との間に置いた。 「さあ出発です! お客様どちらへ参りましょうか・・?」 彼女がタクシー運転手のしぐさをしたので二人で大笑いした。

  祐樹は朝までいた箕面森町の家へは向かわなかった。 上の兄が所有する箕面駅近くの集合マンションの一室を、祐樹は大学入学と同時に兄から借りて使っていた部屋がある。 それまでは両親と一緒に住んでいたが、広い家とはいうものの常に父の秘書や書生やお手伝いさんや10数人の人たちが寝起きを共にする中で心に窮屈な思いをしていたから大喜びだった。 しかし たまに上の兄が訪ねて来た時はあわてて掃除をするものの・・ 「なんと汚い部屋に住んでるんだ・・ もっときれいにしろ! そんなことしてたらまた嫁に逃げられるぞ!」とからかわれていた。 勿論 結婚前に妻となる人をここへ連れてくることは一度も無かった。 結婚をするまではここが祐樹の城であり居場所だったのだ。 そしてあの妻が家を出て行った次の日から、ここが再び祐樹の家だった。 病院から10余分で祐樹のマンション前に着いた。

  「遅くなりましたけどお礼を言えなくて・・ 本当にありがとうございました。」「いいえ! たまたまですわ・・ お役に立てて嬉しいです」「ボクは太田垣 祐樹と言います ここに住んでいます」 「私は吉永美雪と申します この東の間谷の団地に住んでます」 「そうだ! よろしかったらお食事をご一緒していただけませんか?  ボク朝から何も食べていなくてお腹ぺこぺこなんですが、ご迷惑でなければ・・」

  美雪はすこし戸惑っていたが・・「よろしいんですか・・?」「よかった うれしいです! ありがとうございます!」 祐樹はそのまま美雪の車を案内した。 学生時代からなじみのイタリアレストランはすぐ近くだった。

 

 「美味しかったわ! こんなに美味しいイタリアンは初めてだわ・・ ご馳走様でした  でもマスターが祐樹さんの痛々しい姿をみてどしたん!? とビックリしていた姿やその顔が可笑しくて・・と思い出しては大笑いしている。 祐樹もつられて二人で笑った。 美雪は祐樹の部屋の前まで送ってくれて・・ 「では失礼します! ご馳走様でした・・ お大事にして下さい!」と手を振りながら帰っていった。

  長い一日だった。 祐樹は慣れない不自由な格好でベットに横になりながら朝からのまさに激動の一日を振り返っていた。  そして・・「いい一日だったんだな~」とため息をついた直後から薬が効いたのか いつしかゆっくりと心地よい眠りに入っていった。

(5)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(5)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(5)

  祐樹はこの2日間迷っていた。 

あの美雪さんのことが頭からも心からも離れないのだ。 もっと彼女の事が知りたいけど、迷惑かな? どうしたらいいのか? こんな思いをするのは生まれて始めての経験だった。 別れ際にケイタイのアドレス交換をしていたので、何かメールでもあるかと期待をしていたのだが・・

  3日目の朝、祐樹は意を決し美雪さんの出勤前に伝えようとメールを送った。  「先日は本当にありがとうございました  おかげで命拾いをしました  もしよろしければ今晩この前のレストランでお食事でもご一緒にいかがでしょうか・・?」  祐樹はこの年になるまで自らデートの申し込みをしたことが無く、何かぎこちないドキドキするような誘い方だった。

  早速返事が来た・・ オーケーだ! 祐樹はなぜか飛び上がって喜んだものの・・ イタ! イタ! 痛い・・!  と足を押さえながらベットに倒れた。  でも嬉しかった・・ そしてまだ文面は続いていた。「・・私は今日仕事が休みなのでお昼でよろしければ・・ それに差し支えなければ歩くのも不自由でしょうから私がこれから美味しい飛び切りの料理を作って持っていきますので、それでご迷惑でなければ祐樹さんのお部屋でランチなどご一緒に・・ なんて言うのは如何でしょうか・・?」  祐樹は勿論すぐに大賛成の返事をした。

 このワクワクする気持ちは何なんだろう・・?  祐樹はつかの間の心躍る余韻を楽しんだ後 ふっと え~ この部屋で・・!  あわてて部屋を見回すと汚い!  何とも汚れた男部屋だ・・ 何とかしなくちゃ! 痛い! イタイタイタ・・ ダメだこりゃ! とても自分ひとりで掃除できる状態じゃないので諦めた。  すると何だか心が落ち着き、裸のまま素の自分を美雪さんには見てもらうしかないと思った。

  お昼までの時間が待ち遠しかった。  やがて12時半を回った時、ピンポン・・ とチャイムが鳴った。  美雪さんだ!  マンション入り口のドアロックを解除すると、やがて部屋のベルが鳴り祐樹ははやる気持ちを抑えてドアを開いた

「こんにちわ! おじゃまします・・」  そこには先日の山歩きの格好とは違う花柄のワンピースに身をつつんだ美しい女性がニコニコしながら立っていた。  両手にいっぱいの紙袋を提げている・・ 男の汚れた部屋に入った美雪は一瞬にこっと笑った。

 「こんな汚いところですいません・・」と言った祐樹の言葉に首をふりつつ・・ 「足のほうは如何ですか? 大変でしたね・・ 痛みますか? お腹すいたでしょう・・ 遅くなってごめんなさいね。 あれから懸命に作ったんですけどお口にあうかしら・・?」  そう言いながら、テーブルいっぱいに持ってきた料理を並べた。

 「すごい・・ 美味しそう・・ これみんな貴方が作ったの?」 「そうですよ! 私ね門真にある会社の社員食堂で働いているの・・ だから料理を作るの大好きなんだけど、食べ物はみんな好みがありますからね・・ ちょっと心配ですわ」

「美味しい!」祐樹は心底美味しいと思った。 こんな美味しい家庭料理など本当に食べた事が無かったからだ。

 

 それから二時間ほど、二人は笑いを交えながら食事を楽しんだ。 「私ね 祐樹さんにはきっといい人がいそうな気がして、足のことも気になってたけれどお伺いのメールもしなかったの・・ でもこのお部屋の様子から見て大丈夫のようだわね・・」と大笑いしている。  祐樹も頭をかきながらつられて大笑いしてしまった。

  「実はボク離婚したんです  妻が家を出て行ってしまって・・ だから・・」と祐樹は唐突に話題を変えて頭をかいた。  すると・・ 「私も10年前だけど、二十歳の時に短かったけど結婚してたのよ  母を早く安心させたかったの・・ でも夫の暴力に耐えられなくてすぐに別れて大阪に来たのよ  逃げられた人と逃げた人なのね・・ ハハハハハハ!」  お互いにこれで気が楽になった。

 「私ね・・ 北海道の十勝出身で母子家庭なの・・ 母は町で唯一の病院食堂で必死に働いて私を育ててくれたのね  だから私は早く自立して今度は私が母を支えようと決めてたの・・ でもね 町にはいい就職口がないからと東京の専門学校に行かせてもらってね  それで栄養士の資格を取ったのよ  早く自立して母を支えたかったの・・ いづれは母と暮らしたいんだけど、今は年に一回ぐらい大阪に呼んでるの・・ でも母は私の住んでる団地で過ごしてても一週間ももたないのよ  大地がない、畑がない、自然がない、預けてきた犬が心配だ 人との付き合いがない・・ なんて言うのよ 広大な十勝とは違うものね・・ それで私の出勤後一人で孤独になっていつの間にか北海道へ帰ってしまうのよ・・」

  そんな話を明るく可笑しく話す美雪の言葉を、祐樹はしっかりと聞いていた。  しかし祐樹は自分の家族の話は少ししかしなかった。 「ボクの父母も兄姉もいろいろあって、今はみんな失業中なんだ(実際そうなんだ)下の兄はあの大震災後の福島で今ボランテイアをしているようだし・・ ボクだけサラリーマンだけど、本当はやりたいことが別にあってね・・ 今までどうしようか悶々としてきたけど、今回の生死を感じたできごとがあってそれで決心したんだ  だからもうすぐボクも失業となるかもしれないんだけどね・・ ハハハハハハ・・」

  「まあ~ それは大変ね! でも貴方は夢や希望がいっぱいあるのね・・ 素敵だわ! そうだわ! 私夕方までにこのお部屋お掃除して片付けてあげるわ いいかしら!」 と突然 美雪が言い出した。  そしてそう言うが早いか美雪は早速食事の後片付けをするとテキパキと掃除を始め、片づけをしだした。 「さあ 祐樹さんはこのイスに座っていてくださいね。 口だけ動かして指示してくださいね・・」  祐樹はそんな彼女の動き回る姿を、まるで幻でも見てるかのように ボ~っ としながら見つめていた。

  祐樹と美雪はそれからも時々会ったが、なにしろ祐樹の足の硬い石膏は3ヶ月は取れず、松葉杖も離せず、仕方なく祐樹の部屋でデートすることが多かった。  そして美雪は動けない祐樹に代わって部屋の掃除や美味しい料理を作ったりしてお互いの心は徐々に近づいていった。 そしてこの温かい交わりがこれからも続くものと、二人とも信じて疑わなかった。

 

  祐樹の足の石膏がやっと外せる日がやってきた。 晴れて不自由な足と松葉杖から開放されるのだ。 祐樹は勿論だが美雪も自分のことのように喜んでいた。 祐樹はこの間、会社の配慮でデスクワークをしていたけれど、どうしても仕事への情熱が別の所へと移っていた。 そして熟考の上、会社にやっとの思いで辞表を提出していた。  いろいろ引きとめ工作もあったけど、何とか受理してもらった日でもあった。 祐樹は美雪さんに自分の夢を語り、自分の思いを告白する決意を固めていた。 ところが・・

 ・・・美雪さんのケイタイがつながらない・・?  なぜ連絡がつかないんだろう?  事故でもあったのかな?  もっと自宅を詳しく聞いておけばよかった。 いったいどうしてしまったんだろう・・ 祐樹の不安がピークに達していた時、美雪からの電話が入った。

  「無事だったんだ・・ よかった!」「ごめんなさいね! 母が倒れたの! 飛行機に乗っていたりして ケイタイが使えなかったの! 今から最終の汽車に乗るので明日にでもまた電話するね・・」

 次の日の昼前、やっと待っていた電話が美雪から入った。 「今~ 母と病院にいます 大事には至らなかったけど脳梗塞があって・・ それに軽い認知症状もあってね・・ それで・・ 私~ 母一人子一人だからしばらく十勝にいなければならない・・ 会社には事情を話して長期の休暇をもらったの・・ 突然でいろいろ大変だけど母を一人にしておけないの・・」 そう一気に話すと・・ 「あっ! 先生が呼んでいるからまた後でね・・」と急いで電話を切った。 

  祐樹は呆然とケイタイを耳に当てたまま動かなかった・・ 「もうこのまま会えないんだろうか・・?」

(6)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(6)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(6)

   あれから祐樹はいろいろ悩み迷った。 けれど会社を退職したばかりなので、自分の選んだ仕事の準備作業に没頭しょうとしていた。 しかしその悶々とした気持ちをそれで紛らわせることは難しかった。

  そんな時だった。 5ヶ月ほど前に申請していたドイツの大学から<クナイプ研究>ОK! 返事が来たのだ。  自分の新事業立ち上げにはどうしても勉強しておきたかった事だったのだが・・ あの頃はまだ美雪さんを知らなかった。  しかし このままの心の状態で無為な時を過ごすこともできない。 美雪さんの事が頭から離れない・・

  祐樹は何日も熟考のうえ決心し、美雪には半年間勉強してくるから・・ と詳しく内容を伝え、帰国したら一度十勝を訪問したい旨を伝えた。

  数日後 祐樹はルフトハンザ・ドイツ航空の機内で回想していた・・ あれは自分が10年前に会社に入社して間もない頃だったな~ 商社マンとしての新人研修が始まり、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン駐在員事務所に一年間配属されたが、それは厳しい毎日だった。

 慣れない語学と仕事の内容にいつも月末にはクタクタになり、心身ともにボロボロ状態になっていた。 そんな頃合を見計らったかのように会社の先輩は自分を外へ連れ出し、汽車で一時間程の郊外の森の施設へと連れて行ってくれた。 大体2泊3日の短い週末を利用しての事だった。 しかし、そこで過ごす日々は自分にとって芯から身も心も癒され、翌月はまた頑張れるという不思議な空間だった。 <クナイプ療法>と言う言葉は、箕面の山歩きのときに勝尾寺山門前の階段脇の看板ではじめて見た。 <・・森林浴・・ ドイツではクナイプ療法と言う・・> その変わった名称だけが心に残っていたが、まさかそのドイツで自分が体験できるとは夢にも思っていなかった~

  それはバート・ウエーリスホーフェンという人口1.5万人程の小さなの町にある「森林保養所」だった。 クナイプ療法というこの自然療法はドイツでは健康保険が適用される公的な医療機関で各地の森に点在している・・ 例えば沢山の散策コースが用意され、森林浴のできるコース、温水冷水浴法、森を散策してからの運動法、栄養バランスを取り入れた食事法、アロマセラピーの植物法、心身と体の内外の自然との調和を図る調和法などの治療から成り立っている総合的な森林医療施設なのだ。 

 それは専門の医師会や国の森林局が連携し、広大な森の中で活動している。 その周辺には専用の提携ホテルや民宿が数多くあり、ドイツ国内はもとより世界中から年間100数十万人が訪れる人々を受け入れているのだ。 その中には心理的に問題を抱えている子供たち、ストレスの多い仕事人、心身を病む人々、認知症の人々など様々な人々がいて何度もリピーターとして訪れる森の施設でもあった。 自分が実体験をしてきただけに、これからの日本の社会にも必要不可欠な施設だと確信していた。

 それだけにドイツ駐在から帰国後、時々箕面の森の中を散策しながら・・ ここならいいな・・! とか あちこち勝手に想像していたが、日本の行政や諸々の制度や法律に阻まれて動けない・・ それで父や兄にも相談していたが、それは遠い国のよくできた制度だぐらいでいつも終わっていた。  政治とは何なんだ・・ 誰の為にあるのか・・ そんな政治家の父と上兄の対応には不満だった。 しかし自分の夢はいつしかさらに膨らんでいった。 こんな森の施設を箕面の森に造りたい・・ と。

  季節はあの冬から夏を過ぎて秋を迎えていた。 祐樹は半年間のドイツでの研修を終え、帰国の途についた。 成田空港に着いた祐樹はその足で札幌に飛び、十勝の美雪の家を訪れた。

 「お帰りなさい!」 美雪は祐樹に飛びつかんばかりに満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。 久しぶりに見る美雪さんは少しやつれていたが、笑顔の元気な様子に祐樹は安心した。 母親はその後大きな後遺症もなく元気を取り戻したようで、大歓迎で迎えてくれた。

  祐樹は広大な十勝平野を望む美雪の家で一週間を過ごした。 小さな家だけど温もりがあった。 横を小川が流れ、家の周りにはいろんな果物の樹が植えられ、野草がいっぱい花を咲かせている。 祐樹と美雪はそんな野草の名前を交互に当てっこして遊んだ。

 ワン ワン ワン 「ミユキこっちへいらっしゃい! この犬は母の飼ってる犬でミユキっていうのよ 雑種だけど私が東京へ出た頃、家の近くの森に捨てられていた子犬を母が拾ってきてね  それで私がいなくて寂しいものだからミユキって私と同じ名をつけて母と一緒に暮らしてきたのよ  もう10年以上だからもうおばあさんのミユキだわね・・」とミユキを抱きしめている。

 祐樹は滞在中、よくこのミユキと散歩し野山を一緒に駆けた。 丘の上に立つと遠方に万年雪を抱いた十勝連峰が見える。 新鮮で気持ちのいい空気・・ 祐樹が箕面森町で望んでいた生活の想いがここには詰まっていた。

  それから一ヶ月ほどして美雪は大阪に戻り職場に復帰した。 「母が早く大阪へ戻りなさいって毎日のように言うのよ  それに先生ももう大丈夫でしょうから・・ と言ってくれたの・・」 でも美雪は母親の事がいつも心配で仕方ない様子だった。

  祐樹は箕面市内に事務所を構え、新しい自分の事業に生きがいを感じつつ、夢と希望をもって活動を始めていた。 それに大学時代の指導教授からの推薦で、ある大学の講師にとの誘いもあってその準備も進めていた。  しかしそれ以上にもう一つ、自分の人生をかけ、どうしてもやらねばならない最重要な大切な事があった。 それは祐樹の人生で初めて、自らの意思で決断する日でもあった。

  街中はクリスマスソングが流れ、華やかなイルミネーションに飾られ キラ キラ キラ と輝いていた。 そして今日はクリスマスイヴだ。 夕暮れ時・・ 美雪は一段とお洒落な服装をし、美味しそうな手作り料理を両手に持って祐樹の部屋にやってきた。

  キャンドルを立て、ワインを傾けながらいつものように大笑いの内に美味しいデイナーを終えた。 そして美雪がデザートを取りにいこうとしたのを静かに制して・・ 祐樹はおもむろに美雪の前に正座した。 そして祐樹は美雪の目をしっかりと見ながらしっかりした声で・・

 「美雪さん 今日はボクから大切なお話があります  ボクは美雪さんを心から愛しています  ボクは生涯をかけて美雪さんを、愛し守りたいです どうかボクと結婚していただけませんか・・」 祐樹はもっと格好良く告白したかったけれど、いざとなると練習のようにはいかず、もう心の内から湧き出るそのままの気持ちを素直に伝えた。 美雪は目にいっぱい涙をためながら・・ やがて笑顔で大きくうなずいた・・ 「よかった・・!」 祐樹は世界に向けてこの喜びを叫びたい気持ちだった。

  祐樹は美雪を静かに抱きしめながら、長い間そうしてお互いの温もりを感じていた。  やがて祐樹はポケットから用意していた指輪を取り出した。 ビックリする美雪の顔を見つめつつ、美雪の手を取りその左の薬指にゆっくりとそれをはめた。 それは小さなダイヤモンドが入った、美しい婚約指輪だった。 再び美雪の目から大粒の涙があふれた・・

  やがて二人は美雪の作ってきたデザートを食べながら、その喜びのうちにこれからの事を語り合った。 入籍は美雪の誕生日の3月1日に、二人で箕面市役所に行き届出をする事にした。

 そんな話をしているときだった・・ 祐樹のケイタイが鳴った。 上の兄からだった・・

(7)へ続く


 トンネルを抜けると白い雪(7)

2020-12-28 | 第15話(トンネルを抜けると白い雪)

箕面の森の小さな物語

 <トンネルを抜けると白い雪>(7)

  祐樹は上の兄からのケイタイをとった。 大きな明るい声で兄が話し始めた・・

 「やあ~元気か? オレ来月から東京行きだよ  聞いてるかも知れんが前回の国政選挙で当選した霞さんだけどな、重大な公職選挙法違反で失職する事になってな・・ それで次点だった親父が繰り上げ当選になるんだよ  オレも次のこともあるんで親父の公設秘書として国会で仕事することにしたんだ・・」

 政治や選挙に余り関心のない祐樹は「そうか それはよかったな!」とだけうなずいた。

 「それに淳子も週刊誌で見てるかもしれんがな、日本で自分のファッションブランドを立ち上げることになって、春には銀座に店を開くと言うしな・・ そうそう お袋もな 有力な支援者が後押ししてくれて全国の教室も再開したしな・・ それにこの家も手放さなくてよくなりそうだし・・ やっと何とか先行きが少しづつ明るくなってきたな・・」

 「そりゃあ よかった! よかったよ・・ おめでとう~ だな ところでこの前 話したけどボクの大切な人を今度連れて行くからよろしく頼むよ」 「それは分かった大歓迎だよ! お前の命の恩人だからな! その日は家族みんな揃って楽しみに待ってるからな・・」

 祐樹は少し前実家に帰り、父母や兄姉らに今までのいろんないきさつを話しながら、美雪さんと結婚したい旨 しっかりと話していた。 そしてみんなから おめでとう! との快諾を得ていた。

  祐樹は安堵のため息をつきながら美雪の顔を見た。 「なにか良いことがあったみたいね・・」 「そうなんだよ 両親も兄姉も一気に仕事が決まりそうなんだ」 「本当に! それはすごいわね! この厳しい時代によかったわね  私の会社なんか業績悪化とかで社員のリストラが始まったわ  ストレスでうつ状態になる人なんかもいてね  だからせめて社員食堂に来てくれた時だけは美味しい食事をして貰いたいと思って心をこめて作っているのよ  そう言えば下のお兄さんは福島でボランテイアなさっていると言ってたわね・・ 本当にすごい事だわ・・ 私も短期間だったけど会社から派遣されて被災地に入ったけど、それはすごい大変なものだったわ  でも私被災者の皆さんに逆に力を頂いて励まされたわ・・」

  「下の兄はあのものすごい惨状の中で働いていて人の心の温かさを感じたり、仕事のやりがいを感じたりして、パラダイムの転換というか、大きなショックを受けて人生観が変わったみたいだよ  それでどうやらそこに住みつく覚悟のようだよ」 祐樹にとって兄が医師である前に、その地に人間としての生きがいを見つけたことに大きな意義があった。

 「そうだ! それからね うちの家族の揃う来月下旬に君をみんなに引き合わせたいんだ。」 「私、少し怖いわ! 大丈夫かしら・・」 「両親や兄姉など もうみんなには話してあるからね  大歓迎で待ってるからって今も兄が言ってたからね・・」  聖夜 二人だけのクリスマスイブが静かに幸せの中でふけていった。

 

  次の日、二人はあのお気に入りのイタリアンレストランで乾杯した。 直前に結婚の聞いたマスターは・・ 「あっ あのときの方と!」と大喜びし、急いで店を貸し切りにするとバンド仲間らを呼び、近くの花屋さんからきれいな花をいっぱい買い込んで店に飾り、みんなで大いに歌い食べて飲んでお祝いの宴をしてくれた。  祐樹も美雪もそんな友人らの温かいもてなしに心から感謝した。

  数日後、年末だけど祐樹は仕事納めが終わった美雪を山歩きに誘った。 祐樹はこの正月休みを利用して、二人で十勝の美雪さん宅を訪ね、お母さんに結婚の申し入れをし、改めてご挨拶をすることにしている。 その前にもう一度、あの二人が出会った運命の山道を訪れたかった。

 小雪がパラつく寒い中を、美雪はいつもの古い軽自動車で祐樹を迎えにやってきた。 あの日以来 祐樹は車を所有せず、いつも休日にはもっぱら美雪の車に乗せてもらっていた。 祐樹が助手席に乗ると・・ 「出発で~す! お客様どちらまで参りましょうか?」 なんておどけて笑っている。

 二人は一年ぶりにあの <Expo‘90 みのお記念の森> へ向かった。

 「結婚したら次はエコカーを買おうよ・・」 「嬉しいわ! 私この車ね 中古で買って10年目なの・・ 無理しないでね  安くて小さくて燃費のいい車がいいわね」 祐樹は一年前、イタリア製の高級スポーツカーを処分したが、美雪の望む車なら10数台買えそうだ・・ と思った。

 

 「まあ~ ここへ来るのは一年ぶりだわね・・ ものすごく遠い昔の事のように思えるわ・・」 二人は山靴に履き替え、リュックを担いで鉢伏山への山道に入った。 細い道はバリバリに凍っている。 冷たい風が音をたてて吹きすさぶ・・ 寒い! しばらくそんな道を登ると・・ 「あっ ここだったわね・・ 貴方が倒れていたところ・・」 

 祐樹はあらためて美雪に心からの感謝とお礼を伝えた。 そしてふっと北側を見ると・・ 「あれ!? そうかこの尾根から見えるんだ・・」 冬枯れの森で、枝葉を全部落とした樹木の間から視界が広がり眼下に箕面森町が一望できた。

  「そうだ! 美雪さん ボクはあそこの遠くに見える町に小さな小屋を持っているんです」 祐樹は自宅の庭の角に建てた作業小屋のことを笑いながら説明した。 「六畳ぐらいの小さな部屋だけど、君さえよければ二人の新居にしたいと思っているんだけど・・ ハハハハハ  「わ~ 素敵! 早く見たいわ! あそこにあるのね・・ わあ・・ 嬉しいわ! 私 貴方と二人ならどんな所でも幸せよ・・」  そう言うと二人は予定を変更して引き返し、再び車に乗った。

 祐樹は箕面森町の家へあれから何度か一人で行ってみた。 全てを処分するつもりでいたけれど、美雪と出会いひょっとして~ との思いがあり、車を処分した以外はそのままにしておいたのだ。 そして里中央駅から直通バスで25分程なので、庭に植える果樹の木や花、野菜の種などを持って行き少しづつ整えていた。 それはあのドイツからの帰りに十勝を訪れ、美雪の母親と三人で過ごした一週間の間に考えていた事だった。

  この箕面森町なら山々に囲まれた緑の中にあるし、十勝での生活環境が造れるかもしれない・・ 今まで一人で暮らしてきたお母さんもここなら一緒に生活できるかもしれないし・・ それに花壇や菜園を作り、お母さんの得意な料理にも生かしてもらえるし、何よりあの大切なミユキ犬がここなら存分に一緒に遊べる・・ このお正月に十勝へご挨拶に行ったときに二人に話してみよう・・

  「祐樹さんはなにをニコニコしているのかな・・?」 「いやいや 何でもありませんよ・・ 後二日で新しい年だね  新しい人生が始まると思うと嬉しくて幸せだな~ と思ってね」 「私もよ・・ 祐樹さんありがとう・・」

 少し涙ぐみながら美雪の運転する車はトコトコと<坊島>の入り口から箕面グリーンロード>に入った。 そして全長6.8kmのトンネルを8分程で走り抜けると下止々呂美>の出口に出た。

 「まあ~ 大阪でお正月前に珍しいわね・・ 見てみて真っ白よ! とってもきれいな雪だわ・・」

 祐樹は箕面の山々を装う美しい雪と、妻となる美雪の笑顔に魅入っていた。

(完)

 

 関連写真)

  ‘16-2月 撮る

鉢伏山の尾根道から見る 箕面森町(みのおしんまち)

            

         

          

 

           

         

 

箕面森町の風景

      

      

  

府道から高山への道

         

  

高山の村落から

           

          

 

高山から明ヶ田尾山への山道

         

          


*愛の花束  

2020-11-28 | 第2話(愛の花束)

箕面の森の小さな物語(NO-2)

<愛の花束> 

 それは11月の終わる頃の事でした。  5時ともなるとすっかりあたりが暗くなり、箕面の森のホテルレストランのテーブルにもキャンドルの明かりが灯り、それは温かい雰囲気に包まれるのでした。

  この落ち着いた広く開いたレストランの窓辺から、東方に高槻、茨木方面、南方には大都市 大阪の百万ドルの夜景が、そして西方に西宮、神戸方面まで見渡せる視界180度のそれは素晴らしい眺めが堪能できる所です。  ゆったりとした20卓ほどのテーブルには、季節のきれいなお花がいつも一輪さりげなく活けてあります。

 支配人の新庄譲二は、いつものように一卓づつ丁寧に卓上を点検した後、レストランの入り口扉を開いた。  新庄譲二がこの山上のホテルレストランに勤めるようになって12年が経っていた。 それは専門学校を卒業してすぐにこの店に就職し、見習いウエーターからスタートしていろんな部署の経験を経、半年前に認められこの店の支配人となったばかりなので、毎日緊張の連続だった。

 18時、窓辺の特等席をご予約されていた最初のお客様がおみえになりました。 若い男性のお客様で、胸にはきれいな花束を抱いておられます。 ご予約はお二人でしたので、ウエイターは2つのウオーターカップを持って席に伺いました。 「ご予約はお二人でよろしかったでしょうか?」 「はい、そうです!」と、男性は言われました。 そしてまもなく、最も評判の高いフランス料理のフルコースを2つご注文され、さわやかなお味のする赤ワインも注文されました。

 男性の前の席にはあのお持ちになった花束が丁寧に置かれ、キャンドルの灯りがより美しく花々を照らしています。 めずらしく澄み切った大阪の夜空に100万ドルの夜景が美しく、まるで宝石の輝きのようにキラキラと瞬いています。 丁度、空のラッシュアワーなのか?  伊丹の大阪国際空港への着陸待機の飛行機が南方の金剛山付近から明るいヘッドライトをつけて、3機も連なるように飛んでいるのが目にとまり、山上からの眺めは壮観です。

  やがてこのホテルレストランも徐々に予約席が埋まっていきます。 ご夫婦で、恋人どうしで、お友達と、家族で・・ と、それぞれ楽しいデイナータイムが過ぎていきます。 支配人はなじみのお客様にご挨拶をしたり、サービスに落ち度が無いように万全の目配り心配りをしています。

  やがてあの男性の前にもワインと前菜が運ばれてきました。 お連れのお客様がまだなようなので、担当のウエイターもどうしようか?  と迷っていました。 「お連れのお客様がまだのようですが、お料理はどうさせていただきましょうか?」と。 支配人がそれを伺いにお席に出向いたとき・・ 男性は我に帰ったように恐縮されて・・ 「うっかりすみまん・・ どうぞ二人に料理を運んでください。 ワインも二人にお願いします・・」と。 かしこまりました・・」 何か事情がおありなのだろう・・ と、下がった支配人はフロアーマネージャーに厨房に、担当ウエイターにそれぞれ指示をだしました。 

  やがて2つのグラスに赤いワインが注がれると、男性は前の花束の前にあるグラスに、ご自分のグラスを合わせて乾杯のしぐさをされ、何かを語りかけておられます・・

 やがてスープが・・ メインデッシュのお肉料理が、お魚料理が運ばれ・・ そして とうとうデザートとなりました・・ ウエイターが配膳するたびに、男性は自分の空き皿と共に、空席の料理も一緒に下げてもらっていました。  厨房に手のつけられていない料理がもどってくるので、料理長は首を傾げています・・ お気に召さなかったのかな? と、何度も味見をしてそのわけを探ろうと試みたものの理由がわからず、途方にくれたり・・ そのうち心の中では怒りさえ出てきました。 シェフにとって一所懸命に作った自分の料理が、全く手もつけられずに戻ってくるほど悲しい事はありません。

  この一部始終を見ていた新庄は、コーヒーサービスが終わったところで男性に声をかけました。 「お料理のお味の方はいかがでしたでしょうか? お気に召していただけましたでしょうか? ところでお連れ様はいかがなさいましたか・・?  失礼ですがよろしかったらお話いただけませんか・・」と。  このようなプライベートな事をお客様にお聞きするのは、初めてのことでしたが自然と言葉に出てしまいました。

 

  男性は支配人の言葉に恐縮しながらも、静かに語り始めました・・ 「実はこの花束は私の妻なのです。 私たちは今日、3回目の結婚記念日です。 昨年の今日は、ここで二人で楽しく過ごしました・・ 今日は天国にいる妻と来ました・・」 そこまで言うと男性の目から涙が頬をつたい、しばし声が出ず窓の外に目を向けておられましたが・・ やがて花束の妻に語りかけるように、再び話を続けられました。

 「半年前、妻は急性のガンで天国へ召されました・・ あっという間の出来事でした  なぜ神様は私から愛する妻をこんなにも早く召されたのか・・ 天を恨みました  今でもまだ信じられないほどです  どうか夢であって欲しい・・ 朝起きるといつもこの現実に打ちのめされてしまいます  でも、やがてこんな事をしていては天国から見ている妻に心配させるばかりだ・・ と思うようになりました  最近は妻がいつも心の中にいて私を励ましてくれるようで、少しづつですが立ち直ってきました  そして今日の3回目の結婚記念日には、どうしても二人で祝いたくて、去年と同じ席を予約したのです・・

  ここは去年、二人して幸せの嬉し涙を流したところなのです  二人が交際していた3年間は、よくこの箕面の森を歩きました  春は新緑の滝道から、花いっぱいの勝尾寺まで歩き、途中見た満開のエドヒガン桜はとても見事でしたし・・  夏は地獄谷の近くで「修行の古場」というんでしょうか? その上の滝道に丁度休憩場があるところ・・ あの谷川の水辺で裸足になって二人で将来の事をよく話しました  秋には紅葉ですが、人ごみを避けて教学の森や静かな落合谷などを歩きました 清水谷では渓流の水を飲んでいる鹿に始めて出会えて、二人とも感激でした  冬になると彼女は温かいスープをポットにいれて持ってきてくれました  それを静かな寒い森の中で二人で頂くんです・・ あったかい~! と 本当に幸せでした・・ そんなとき、あれはこもれびの森でしたか・・ 目の前の木の枝に二羽の小鳥がやってきて・・ なんと、くちばしをくっつけてキス? をしているんですよ・・ こっちの方が顔を赤らめたりして・・ そんな幸せをいつもこの森の中から与えてもらいました  彼女が森のお猿さんと握手しているような写真もあるんですよ・・」と。

  新庄は店の支配人という立場を離れ、そんなお二人の幸せだったお話を静かにうなずきながら伺いました。

 しばらくして男性は続けて・・ 「いま妻は天国でこう言っているはずです・・ ”今日は本当においしいお料理をご馳走様でした  とても美味しくてみんなきれいに残さず頂きましたよ  ダイエットどうしようかしら?” なんて言って、きっと笑っていますよ・・ よく言ってましたから・・ お店のシェフの方には本当に失礼をいたしましたが、妻は本当に美味しく頂きました・・ と言っていると思いますので、どうかお許しください  お陰さまで二人とも美味しいお料理を堪能し、楽しい一時を過ごす事ができました・・ 本当にありがとうございました・・」と。

  話を聞いていた新庄も、担当のウエイターも涙をいっぱいためて聞いていました。 素晴らしいご夫婦愛です。  後でその話を支配人から聞いたシェフは、厨房の端に行って大粒の涙を流していました。 天国の奥さまに、そんなに美味しかった~ と言っていただき・・ 光栄です・・と。

 静かで穏やかな夜です・・ 真っ暗な森のなかで、夜の海に浮かぶ船上レストランのように、その場所だけが煌々と光り輝いています・・ そして夜空を見上げると・・ そこには・・ ひときわ輝くきれいな星がひとつ・・ 一人の男性の上に瞬き、温かい光を放っていました。

 箕面の森が静かに深けていきます・・ 

(完)


*綾とボンの絆  

2020-11-28 | 第10話(綾とボンの絆)

箕面の森の小さな物語(NO-10) 

<綾とボンの絆>

  箕面山麓坊島(ぼうのしま)に住む89歳になる綾(あや)さんが、1月の寒い朝、自宅でボヤ騒ぎを起こした。  愛犬のボンが激しく吼えてなければ近所の人も気づかず、全焼するところだった。 それで綾さんは視力も体力も衰え、もう一人で生活する事が難しくなったので、市や福祉の担当者に勧められ、森の中の老人ホームへ入る事になった。

  綾さんの夫 雄一郎はすでに他界し子供もなく、近い親族もいないので、住んでいた自宅は後見人の弁護士から依頼された業者が買い取っていた。  綾さんが一番気がかりだった老犬ボンは、その業者が「大切に面倒みますから・・ それに、たまにホームに連れて行きますから・・」とのことで、やっと自宅を手放す事に同意した経緯があった。  しかし、業者はその後 家屋の解体のさい面倒になり、箕面の山にボンを連れて行き放置してしまった。

  ボンは16年前、まだ元気だった夫の雄一郎が山歩きの帰り道、清水谷園地に立ち寄ったとき、その東屋に置かれていたダンボールの中で クンクン と泣いていた捨て犬だった。 「あんまり可愛くて、可哀想だったから連れてきたよ・・」と嬉しそうに綾に見せたが、綾はその黒いブチの子犬が可愛いとは思えず、正直困ったな~ と思っていた。 子供を育てた事もないので、躾なども不安だった。 しかし、部屋の中を元気にはしゃぐ姿を見ていると、戻すわけにも行かず、それに足元にじゃれつき嬉しそうに遊ぶ子犬にだんだんと情が移り、やがてもう離れられない大切な存在へと代わっていった。

  名前は雄一郎が ボン と名づけた。 雑種でちょっとボンクラなところがあり、それを親しみをこめて名づけたものだった。 ボンはよくヘマをするので、雄一郎はよく「コラ このボンクラめ!」と頭をコツンとする すると、その都度 ボンがおどけた顔と仕草をして二人を笑わせた。 やがて雄一郎は、自分の山歩きに、ボンを連れて出かけるようになった。 ボンも一緒に山を歩ける日がくると、尻尾を大きく振りながら喜んだ。  それから10数年、雄一郎とボンは毎週のように、一緒に箕面の山々を歩いてきた。 

 ところがある日のこと、歩きなれた東海自然歩道最勝ケ峰の付近で、雄一郎が突然発作を起こして倒れた。 その時 ボンは、人気のない山道を人を探して走り回り、その姿を察知したハイカーが気づいて雄一郎にたどり着いたのだ。 しかし救急隊が山を登り駆けつけたとき、もう二度と戻らない体となっていた。 けれどボンは最後まで雄一郎のそばを離れなかった。

  雄一郎の死を信じられないボンは、綾に何度も山へ行きたい仕草をしたり、コツン としてもらいたいのか?  わざとヘマをしたり、おどけたりして涙を誘った。 毎日のように催促するボンをつれ、綾は何度か近くの散歩に出かけていたがある日、いつになく強く引っ張るボンを止めようとして転倒し動けなくなった。

 足を骨折した綾は、それ以降 ボンと外へ出歩くこともできなくなり、一日中一緒に家の中で過ごす事が多くなった。 毎日 独り言で昔話をする綾の話しを、ボンは玄関口の座布団の上に寝ながら、いつまでも聞き耳を立てていた。 そして ときどき ウー ウー と、綾に返事をしてくれるかのように声を発するので、綾もボンと話すことを毎日の生きがいに過ごしていた。

 季節は春になり、暑い夏がすぎると秋になり、そしてまた厳しい冬がきた。 綾とボンの毎日は、ゆっくり ゆっくり と時が刻まれていった。 そして お互いに老体を支えあって生きていた。 それが一変したのが、一ヶ月前のボヤ騒ぎだ。目が見辛くなっていた綾が、牛乳を鍋に入れ火にかけたとき、鍋に張り付いていた紙片に火が燃え移り、危うく大火事になるところだった。 ボンが激しく吼えて危険を知らせてくれたので、隣家の人が気づき、間一髪惨事にならず済み、綾もボンも無事だった。

  あれからすぐに福祉の人に付き添われ、森の中の老人ホームに入ったものの、綾は離れ離れになったボンのことが心残りでならなかった。 唯一、寒い日の時のためにと編んで着せていたボンの背あての一つを持ってきたので、綾はいつもそれをさわってはボンを想っていた。

「いつか犬を連れて行ってあげますから・・」と、あの業者は言っていたのに・・ 思い余って綾は後見人を通し、あの業者に問い合わせしてもらったら・・ 「どこかへ逃げていってしもうた・・」との返事だったと。 ガックリと肩を落とした綾は、その日から生きる望みを失い、食もノドを通らなくなり、日毎 身も心も急激に衰えていった。 思い出すのは愛犬ボンのことばかり・・ 子供を失った母親のごとく、綾は放心状態だった。

  見かねた施設の介護士が、時折り綾を車椅子にのせ、近くの森へ散歩に出かけていた。 小雪の降るような寒い日でも、散歩に出る日の綾は、少し表情が穏やかになるので、介護士もマフラー、手袋、帽子にひざ掛けなど、いつもより温かくして出かけた。 散歩に出ると綾は、いつもキョロキョロと森を見て、何かを探すような仕草をしていた。

 ボンが山の中に捨てられたのはこれで二度目だ。 生まれて間もない頃、雄一郎に拾われなければ、ボンの命はすぐに終わっていたかもしれない・・ その後の生涯を、温かい家族の中で過ごしてきた。  そして16年を経、老体となった今、再び・・ 「じゃまや!」と、心ないあの業者によって森の中へ捨てられた。

  ボンが業者の車から下ろされ、リードをはずされたのは五月山林道沿いだった。 ボンは雄一郎と共に、箕面の山の中を毎週のように歩いたので、地理はよく分かっていた。 ボンはリードを外されたことに これ幸い! とばかり雄一郎を探して森を走り続けた。 

 猟師谷から三国岳、箕面山から唐人戻岩へ下り、風呂ケ谷からこもれびの森才ケ原池から三ッ石山医王谷と下りながら、何日も何日も探し続けた。 谷川で水を飲み、ハイカーが食べ残したもので飢えをしのぎながら。 ボンはどんどんやせ細り、もう余命いくばくもなかった。

 やがて疲れ果て、谷道から里の薬師寺前に下り、大宮寺池の横から家路についた・・ のだが?  懐かしい家がなくなっている? すでに家屋は全て解体され、何一つ無い更地になっていた。 ボンが毎日飲んでいた水受けが一つ、庭跡に転がっていた・・ 家族の匂いがする・・ 綾さんの匂いがする・・ ワンワン ワンワン ボンは我に返ったかのように、ついこの間まで共に過ごしていた綾さんを探し始めた。 

 どこへいったんだろう?  どこにいるんだろう ワンワン ワンワン ボンは必死に叫び続けた・・ ボンは再び箕面の山々から里を歩き、綾さんを探し続けた・・ しかし 綾さんの姿はなく、ボンの体力ももう限界にきていた。 そして 小雪舞い散る寒い日の夕暮れ・・ 奇跡が起こった。

 

 この日も里道をフラフラになりながら探し続けていたボンが・・ うん? と、耳を立て鼻をピクピクさせた。 あの懐かしい綾さんの匂いがする・・ 少し先に、綾さんが車椅子で散歩に連れて行ってもらったときに無くした片方の手袋が落ちていたのだ・・ 懐かしい綾さんの匂いがする・・ どこにいるの?  ワンワン ワンワン ボンは嬉しくなり、思いっきり声の限りに叫んだが、その叫び声は強い木枯らしにかき消されていった。

 この近くに綾さんがいるに違いない・・ ボンは気持ちを奮い立たせ、必死になって探し始めた。 やがて大きな建物の前に出た。 綾さんに似た老人達がいることを察知したボンは、外から必死にその姿を追ったが見つからなかった。 やがて疲れ果て、建物が見える山裾に倒れるようにして体を横たえた。

 

  夜も更け、今夜も眠れぬ綾は、ベットの脇の窓から見えづらくなった目でボンヤリと外を眺めていた・・ 「今夜は満月のようね・・」 もう食もほとんどノドを通らず、気力、体力共に無くなっていた。  その時だった・・

 ワン! 遠くで一言だけど、犬のなく声が聞こえた・・ そんな気がした。 「あれは? ひっとしてボンの声かしら?  きっとそうだわ きっとボンに違いないわ・・」  綾はそれまで一人では起き上がれなくなっていたベットから、自力で窓辺に立ち、やっとの思いで外の小さなベランダにでた。  ボンはいつも自分を励まし、雄一郎や綾さんを探すために、寝ながらも無意識のうちに一言だけ ワン!  と発していたのだが・・

  目の前の建物のベランダに、満月の明かりに照らされて一人の老人が立ち上がったことにボンは耳をそば立てた。 綾はかすれたノドを振り絞るように、か細い声で叫んだ・・ 「ボンちゃ~ん  ボン ボン ボンちゃ~ん・・」

  小さな叫び声が、北風にのってボンの耳に届いた。  綾さんだ!  ワンワン  ワン ワン  ワンワン  「やっぱりボンちゃんだわ  ボンちゃ~ん  ボンちゃ~ん どこにいるの  どこに?  あのあたりね・・ 近くだわ  嬉しいわ  そこにいてくれるのね  ありがとう  ありがとうね 元気そうだわ  嬉しい  うれしい  よかったわ  ボンちゃ~ん  ありがとう・・」

  谷間を挟んで、綾とボンはお互いに声の限りに叫び続けた。 「今夜はようノラ犬が鳴くな~」と、施設の当直が話していた。  綾とボンは、心通わせつつ温かい幸せの世界に浸っていた。 やがてその声も叫びも、いつしか小さくなり、途切れとぎれになっていった。

 

 森の夜がしらじらと明けてきた頃・・ ベランダの下で、小さなボンの背あて編み物を手に,永遠の眠りについた綾さんを職員が発見した。  そして向かいの山裾では、ボンもまた片方の手袋を口にくわえたまま死んでいた。

  箕面の森に明るい朝陽がさしこんできた。 その輝く光の上を、綾とボンは仲良く並びつつ、天国で待つ雄一郎の元へと登っていった。

 (完)