箕面の森の小さな物語(NO-3)
<少年と傷ついた小鳥>
箕面駅近くの山麓に開業する獣医の中里隼人は、一匹の柴犬に予防接種をしていた。 嫌がる犬は大きな声で吠え立てていたので、それに気を取られ、カウンターに一人の少年とお父さんが立っているのが分からなかった。
少年の両手の中には、ぐったりした小鳥が一羽・・・「箕面の昆虫館の裏山で見つけたので・・・ちょっと診てもらいたいんですが・・・」とお父さん。
昨日の季節外れの大嵐で巣から落ちて傷ついたのかな・・? 隼人は獣医師でも小鳥は専門外で大学で学んだ一般常識しか持ち合わせてなかったが、とにかくレントゲンを撮り傷の状態を調べてみた。 どうやらフショ(足)の部分が折れ、翼角と上尾筒、初列雨覆(上の翼)も傷つき満身創痍といった感じだ。 あと数時間ぐらいしか持たないだろう・・と診断し、隼人はお父さんにそっと伝えた。 足が折れているし、翼もだいぶ痛んでいるので・・と細かく説明したうえで、今はかろうじて息をしているけどもう長くは無いことを伝えた。 それにとうてい家で手当てする状態ではないので「私のほうで引き取りましょうか?」と伝えている時だった。 隣にいた少年が急にお父さんの服を激しく引張りながら猛烈に首を振り「う~ う~ う~」と言いだした。
お父さんは子供の剣幕に押されてか・・「よしよしお前の気持ちは分かったから先生にどうしたら治るのかもう一度聞いてみるからな・・」と、言いながら隼人に懇願するような目をしたので、隼人もそれなら・・とまた診察室に戻り、昔の鳥の本を引っ張り出したり、友人の鳥に詳しい獣医師に電話で聞いてみたりした。
そしてとにかく急いで応急手当を施し、当面できるだけの治療は全部やってみた。 丁度 空いていた靴箱があったので、そこにボロ布を布団代わりに敷いて小鳥を そ~ と寝かせた。 隼人は父子を前にし、養生上の注意事項や水や餌のやり方など、一応の飼いかたなどを教えたが、明日まで命が持つとは思えなかった。
「よっちゃん! よかったな・・・」と、お父さんは手渡された靴箱の中で横になっている小鳥を心配顔に覗き込む子供に見せながら がんばれ! と精一杯の声をかけ、深々とお礼を言われて出て行かれた。
しかしその後、何気なく二人の後ろ姿を見たとき・・ 隼人は激しい衝撃をうけた! その子は松葉杖をつき、片足が包帯で巻かれていた・・ 「オレは何んと言う対応をしてしまったのだろうか・・ 足が折れてるからもう長くは無い・・ なんて・・ 何とむごい事を言ってしまったんだ」 隼人が最初に二人を見た時は、二人ともすでにカウンターの前に立っていたので分からなかったのだが・・ それに両手の中の小鳥に目がいってて、子供の姿をよく見ていなかった。 隼人はドアが閉まり出て行った二人によっぽど走っていって謝ろうと思ったができなかった。 お父さんの服を引っ張って、猛烈に首を振っていた理由がやっと分かった・・ 「決して治療を諦めてないで・・」と、自分の体とあわせ必死に言っていたことが分かり,安易に診断した自分を責め続けた。
それから一週間がたって、同じ夕暮れ時 何と二人がまたやってきた。二人の顔が少し明るいので、まだ小鳥は生きている・・ と隼人は嬉しくなった。 診察するとしっかり目を開けているし、前とはまるで違う いい状態で推移している事が分かる。 予断を許せないが、ひょっとするともう少し生き延びるかもしれない・・ 隼人が診ている間 心配そうに覗いていたお父さんが話している「息子はあの日から自分のベットの横にあの靴箱を置いて、四六時中 心配そうに覗いては声をかけてます。 夜も余り寝てないようで逆に私はそちらの方が心配になるぐらいです。 でもお陰でここ数日は少しずつ回復しているような気がして、あれだけ沈んでいた息子の顔もすこし明るくなってきました・・」と。 「良かった・・」 まだ喜ぶのは早いが、それでも隼人の心が少し救われた。
隼人がそう思いながら よっちゃんに話しかけると・・? よっちゃんは言葉を発せず、お父さんと手話で会話しているではないか・・ 隼人はまた違う衝撃を受け天を仰いだ。 片足が不自由なだけでも大変なのに、言葉が自由に交わせないなんて・・ 言葉の交わせないこの小鳥と同じではないか・・ だからあんなにも・・ 隼人はもう言葉にならず、心の中は涙でいっぱいになってしまった。
よっちゃんとお父さんはそれから同じ曜日の同じ夕暮れに、少しづつ元気を取り戻している小鳥とともに隼人の獣医院へやってきた。
5週目になった時、奇跡が現実になった。 もう大丈夫だ! 小さな鳥かごに入れてもらった小鳥は、よっちゃんに向かってさえずるようになるまでに元気になってきた。 後もう少しだ がんばれ! よっちゃんは小鳥の名前を ” ピヨ ” と紙に書いて隼人に嬉しそうに見せた。
やがてピヨは、よっちゃんのあふれる愛情をたっぷりともらって、とうとう元気に回復した。 それはまさに奇跡だった。 隼人は開業して今まで、動物や生き物たちから喜びも悲しみもいっぱい貰ってきたが、こんなに嬉しく感動的なことはなかった。 「それにいろんな心の勉強をさせて頂いた・・」と自分の心の未熟さを思い知らされ、それは自分の惰性化していた診察にも心引き締めて、新たな出発ともなった。 あれから隼人は自分の対応のまずさや非礼を、二人に心からお詫びをしたが、二人とも・・ そんなこと・・ と笑って許してくれていた。
隼人は最近 よっちゃんともお父さんとの手話を通じて会話している。「・・もうすぐボク一人で養護学校へ入るんだ・・ もっと元気になったらピヨは、あの拾った箕面昆虫館の裏山の森に放してあげるんだよ・・ ちょっと淋しいけどピヨのことを、ピヨのお父さんやお母さんがきっと待っているからね・・」と。 なんと 心優しいよっちゃんなのだろうか。
するとお父さんが・・ 「私の仕事の休みのとき、息子を連れてよく箕面の森をあちこち歩いているんですよ・・ 自然の中で触れ合う事が大好きな息子はこの日をいつも心待ちしているようなんです。 この前も森の樹木に耳を当てて・・ 聞こえないだろうに・・ なぜか息子には枝や葉が水を吸い上げる音が聞こえるらしいんですよ」 隼人は不思議に聞いていたが・・ きっと本当なのだろうな・・ と感じた。 よっちゃんはきっと森の精を、心の中で聴いているのだろうな・・・
幾重にもハンデイを持ちながら心優しくて明るく,正義感にも溢れ、人一倍の温かい心をもっている少年・・ もうすぐ元気になったピヨは、箕面の森へ再び羽ばたいていくことだろう・・ そのとき少年もまた、大きく大人へと向かって旅立つ日となるだろう。
隼人は診察室の窓を開け、裏の箕面の森に向かって両手を広げ、思い切り深呼吸をしながら 大自然の素晴らしさに ”ありがとう・・” とつぶやいた。 (完)