1 補強法則を勉強するに当たって
補強法則は、一見分かりやすいようでいて、案外理解の難しい論点である。その理由は、具体的にどのような場面で問題となるのかが容易に思い浮かばないことにある。
補強法則は、任意性も、信用性も十分な自白がある場合であっても、自白のほかに自白を補強する証拠がなければ、被告人を有罪としてはならないとの証拠法則である。勉強するときには、第1に補強法則が憲法38条3項に規定され、それを受けて法319条2項があること、第2に補強法則の根拠として、一般に、自白偏重に伴う自白強要の防止と誤判防止の3点が挙げられているが、学説によって、ニュアンスの相違があることに注意してもらいたい。
2 補強法則の意義・根拠
補強法則とは、たとえ自白だけで有罪の完全な心証が得られるとしても、それを補強する証拠がなければ有罪とすることはできないという証拠法則をいう。補強法則は、憲法38条3項及びそれを受けた法319条2項で規定されており、アメリカ法に由来するもので、アメリカ合衆国では、連邦及び大部分の州で、判例又は制定法によって採用されている。
◇通説的見解
補強法則の根拠として一般的には、自白偏重に伴う自白強要の防止と誤判防止の2点が指摘されている。
(1) 自白強要の防止
自白だけで有罪の認定ができるとすると、捜査機関は自白を偏重して裏づけ捜査を怠り、被疑者、被告人に自白を強要する結果となり、人権蹂躙のおそれが高い。そこで、「自白だけで有罪とされない」とすれば、自白偏重、更にひいては自白強要を防止することができる。
(2) 誤判防止
任意な自白であっても、被告人特有の心理などからして虚偽の白白であることもあり、それにもかかわらず自白は一般にその性質上過度に信用される傾向にある。その結果として、自白だけで認定すると、架空の犯罪が認定され、誤判が生ずるおそれがあるので補強証拠による証明力の補充が必要である。
⇒このような通説的見解によれは、補強法則は、「自白だけで心証をとるのは合理的でない」と法が擬制したものであって、自由心証主義の例外をなすものといえる。
◇平野説
自白は任意性があるものでも、なおその証明力に問題があるからである。任意性の判断に誤りがないとしても、なお、真実でない自白が許容されるのを防ぐことはできない。反対尋問によるテストは、個々の供述の証明力を具体的に明らかにすることができるが、任意性は外形的・類型的なものであるから、任意性のある自白の中に、具体的にみれば、証明力のない自白が混入してくることは、当然に予想されるからである。他方、自白は、その性質上、安易にかつ過度に信用される危険がある。そこで、法は、補強証拠による証明力の補充を必要としたのである。
⇒この説は、通説の第1の点についての配慮は前面に出ておらず、専ら第二の点についての配慮から説明している。更に、反対尋問によれば、個々の供述の証明力を具体的に明らかにできることを、その出発点としている。この観点から、平野説では、共犯者への十分な反対尋問を条件に、共犯者の自白には補強法則の適用がないとの結論に達している。
◇渥美説
補強証拠がない場合は自白のみで事実認定がされる。他の証拠とは異なって、自白は事件の全過程を物語る。情況証拠による認定は、多くの証拠を多くの合理的な推論で結びつけることによって可能となる。そこで、その場合には一部に推論の誤りがあっても、事実の認定に誤りをもたらさない保障を伴う。しかし、自白のみによる認定にあってはかかる保障はなく、逆に誤りの場合には、全体の認定が全くの誤りと化することが生ずる。この自白の性質に着目するならば、大量観察的にみて自白が信用がおけるとの仮定から出発したとしても、当該自白が誤っているときの誤判の危険は極めて大きい。しかも、被告人が自白をしていれば、裁判官に種々の点で安堵感、心理の弛緩をもたらすであろう。この自白の性質と裁判官による自白依存の心理の存在が自白に補強を求める。
⇒この説も平野説同様、第二の点についての配慮から説明しているが、自白が多くは信用できることを前提とした上で、その危険性を強調する点が特徴的である。また渥美説は、共犯者への反対尋問は無力だとの認識から、通説とは別の根拠で共犯者の自白についても補強証拠を要求している。
◇田宮説
補強法則は、訴追側(捜査機関)に被疑者の取調べ(供述の採取)だけに力を集中せず、自白以外の証拠を探させようというポリシーの要求からくるものであり、しかもそれは自白強要の防止をねらいとするものではなく、できれば自白を(それが任意のものであっても)可及的に刑事訴訟における証拠として締め出すのがよいという思想に立脚する取調べ規則にほかならず、したがって、補強証拠は実質的な心証の要件ではなく、自白が証拠として許容される前提ないし手続上の要件であって有罪言渡の要件である。
⇒この説は、補強法則を訴追側に対する取調べ規則と捉える点で通説とは根本的な違いがあり、かつ、補強法則を自由心証主義の例外という通説的理解とは全く異なる点から捉えている。自白強要の防止という点を根拠として挙げていないという点については、平野説、渥美説と共通しているが、この説では、強要を防止するには、他の証拠を集めさせる必要はなく、強要の結果得られた証拠だけ排除すればよい、と言い切っている。
3 公判廷の自白
319条2項は「公判廷における自白であると否とを問わず」と規定し、公判廷の自白に対しても補強法則が適用されることを明文で規定しているが、憲法38条3項がこれと同趣旨であるかについて、判例、学説で争いがある。
裏から言えば、公判廷の自白以外に証拠がないにもかかわらず、有罪の判決が下された場合に、憲法違反として上告理由になるか、それとも単なる公訴理由にとどまるかという問題である。公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらないと解する説(判例)は、法319条2項を憲法の規定を一歩進めたものと解することになる。
◇判例
公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらない。
理由:①公判廷の自白は完全な任意性を有する。公判廷における被告人の自白は、身体の拘束を受けず、また強制、拷問、脅迫その他不当な干渉を受けることなく、自由の状態において供述されるものである。
②裁判所はその自白の真実性を十分に判断できる。公判廷では、弁護人が虚偽の自白を訂正させることができるし、裁判官は被告人の態度を直接観察することができ、その態度から真偽の判断が可能である。更に裁判所は、心証が得られるまで根掘り葉掘り尋問することもできる。
◇団藤説
公判廷の自白といえども憲法38条3項の「本人の自白」である。
理由:①公判廷の自白には常に任意性があるとは限らない。
②そもそも任意性の有無は補強証拠の要否とは無関係である、
③自白の真実性を裁判所が判断できるとするにも疑問がある。
弁護人が常に必ず選任され又は出頭するとは限らないし、被告人の態度から真偽が分かるというが、これは余りにも勇敢である。それに「根掘り葉掘り」聞くというが、そういう糺問的尋問は現行法のむしろ許さないところである。
④判例の見解は憲法の規定を制限的に解釈することになるが、それにしては理由が薄弱である。
◇田宮説
公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらない。
理由:①憲法38条3項の母法であるアメリカ法では、自白とは裁判外の自白だけを指している。
②補強証拠を要求する趣旨は、自白採取にだけ勢力を集中させないようにという捜査(訴追方法)への規制にあり、したがって、捜査機関に対する制約であって、公判の規制ではない。
・判例の見解は、団藤説のいうように、憲法を制限的に解釈するにしては理由が薄弱である面が否めない。田宮説は、判例とは全く異なる観点から出発して判例と同じ結論に達しているが、難しい考え方である。
4 憲法38条は、アレインメントの制度を採ることを許容しているか
◇肯定説(平野)
理由:憲法は自白が「不利益な証拠」であることを前提に規定されているこれは被告人が争っている場合であり、争っていない時は利益・不利益の問題も起きず、証拠の必要もなく、この場合は憲法38条は関知しない。法319条3項は、訴訟法が特に政策的に採用したものである。
◇否定説(団藤)
理由:有罪の答弁も公判廷の自白であり、憲法38条3項の適用を受けるから、補強証拠なしに有罪を認めるアレインメントは違憲である。
5 補強証拠能力(いかなる証拠が補強証拠となりうるか)
(1) 証拠能力のある証拠でなければならない。
(2) 被告人の供述以外の証拠でなければならない。したがって、公判廷の自白を公判廷外の自白で補強すること、又はその逆は許されない。
理由:いかに機会を異にしてなされたものであっても、本人の供述は本人の供述であって、独立性をもたないから。
・最高裁は、被告人本人の公判廷の供述を公判廷外の自白の補強証拠とすることは憲法38条3項に違反しないとする見解を採っている。しかし、公判廷外の自白を公判廷外の供述で補強することは認めていない(最判S25.7.12)。
捜査開始前の自白について、被告人が備忘のため取引関係を記入した書面は323条2号で証拠能力を有し、かつ自白の補強証拠となるとしている(最決S32.11.2)
(3) 共犯者の自白→説が分かれる。詳しくは「共犯者たる共同被告人の供述の証拠能力及び証明力」の項参照。「共犯者の自白」が「本人の自白」に該当すると考えるか否かにより異なる。
◇該当しないと解する説(判例)→当然に共犯者の自白に補強証拠能力を認める。
◇該当すると解する説→多くの説は、共犯者の自白の補強証拠能力を認める。
6 補強を要する範囲
(1) 罪体説(多数説)
罪体の全部又は少なくともその重要な部分について補強証拠を要する。
3種の罪体概念
1 当該犯罪行為による客観的な侵害・損害の惹起である。
2 上の損害惹起が何人かの犯罪行為によるものであることも含む。
3 この犯罪の実行者が被告人であることまでも含む。
(2) 実質説(判例、平野説)
補強証拠は自白の真実性を担保すれば足りる。どの範囲に補強が必要かは、個々の犯罪について実質的に判断すればよい。
(3) 検討
罪体説と実質説との根本的な違いは、罪体説が補強を要する範囲を定める基準を罪体概念に求め、ともかくも一般的な基準を定めようとするのに対し、実質説は、一般的な基準を求めることを放棄し、個々具体的な犯罪について、「自白の真実性の担保」という観点から実質的に判断しようとするにある。罪体説は、範囲が明確である点で優れているが、実質説から批判されるように、罪体の一部についてたまたま補強証拠がないため無罪となってしまう弊害が考えられる。しかも罪体概念には種々のものがあり(アメリカにおける罪体概念には三種のものがあるとされる)、必ずしも明確なものでもない上、罪体説では、罪体の重要な部分とは何かについても問題を残すことになる。
(4) その他の個別的問題点
・犯罪の主観的要素
犯意、盗品の知情、目的犯における目的など、犯罪の主観的要素については、補強証拠を要しないとする点で、罪体説か実質説かにかかわりなく、学説、判例ともほぼ一致している。
理由:主観的要素についてまで補強証拠を要求することは、事実上しばしば困難であり、有罪か無罪かが偶然の事情に左右される。
・犯人と被告人との同一性
◇実質説
主観的要素の場合と同様に、この点にまで形式的に補強証拠を要求すると余りに有罪判決を困難にし、有罪・無罪が偶然によって左右される弊害を生ずるから、一般的にはこの点についてまで補強証拠は必要でない。
◇罪体説のうち、第1及び第2の罪体概念を採る説
不要(多数説)
◇罪体説のうち、第3の罪体概念を採る説
必要
理由:誤判の危険の防止という観点からすると、単に犯罪事実そのものの存在の立証だけを強調するのは片手落ちであって、被告人と行為者との同一性についても補強証拠を必要とすると解するのが妥当である
・何人かの犯罪行為によるという事実
◇実質説
補強証拠を必要とする目的論的見地からみて、補強証拠が必要。
◇罪体説のうち、第1の罪体概念を採る説
不要(1少数説)
◇罪体説のうち、第2及び第3の罪体概念を採る説→
必要(多数説)
7 補強の程度
(1) 補強証拠は、それだけで事実を合理的な疑いをいれない程度に立証しうるものである必要はなく、その事実の存在を一応証明する程度の証拠で足りるとする説。
(2) 補強証拠の持つ証明力は自白とあいまって罪体を証明することができる程度のものであれば十分であるとする説(判例)。
補強法則は、一見分かりやすいようでいて、案外理解の難しい論点である。その理由は、具体的にどのような場面で問題となるのかが容易に思い浮かばないことにある。
補強法則は、任意性も、信用性も十分な自白がある場合であっても、自白のほかに自白を補強する証拠がなければ、被告人を有罪としてはならないとの証拠法則である。勉強するときには、第1に補強法則が憲法38条3項に規定され、それを受けて法319条2項があること、第2に補強法則の根拠として、一般に、自白偏重に伴う自白強要の防止と誤判防止の3点が挙げられているが、学説によって、ニュアンスの相違があることに注意してもらいたい。
2 補強法則の意義・根拠
補強法則とは、たとえ自白だけで有罪の完全な心証が得られるとしても、それを補強する証拠がなければ有罪とすることはできないという証拠法則をいう。補強法則は、憲法38条3項及びそれを受けた法319条2項で規定されており、アメリカ法に由来するもので、アメリカ合衆国では、連邦及び大部分の州で、判例又は制定法によって採用されている。
◇通説的見解
補強法則の根拠として一般的には、自白偏重に伴う自白強要の防止と誤判防止の2点が指摘されている。
(1) 自白強要の防止
自白だけで有罪の認定ができるとすると、捜査機関は自白を偏重して裏づけ捜査を怠り、被疑者、被告人に自白を強要する結果となり、人権蹂躙のおそれが高い。そこで、「自白だけで有罪とされない」とすれば、自白偏重、更にひいては自白強要を防止することができる。
(2) 誤判防止
任意な自白であっても、被告人特有の心理などからして虚偽の白白であることもあり、それにもかかわらず自白は一般にその性質上過度に信用される傾向にある。その結果として、自白だけで認定すると、架空の犯罪が認定され、誤判が生ずるおそれがあるので補強証拠による証明力の補充が必要である。
⇒このような通説的見解によれは、補強法則は、「自白だけで心証をとるのは合理的でない」と法が擬制したものであって、自由心証主義の例外をなすものといえる。
◇平野説
自白は任意性があるものでも、なおその証明力に問題があるからである。任意性の判断に誤りがないとしても、なお、真実でない自白が許容されるのを防ぐことはできない。反対尋問によるテストは、個々の供述の証明力を具体的に明らかにすることができるが、任意性は外形的・類型的なものであるから、任意性のある自白の中に、具体的にみれば、証明力のない自白が混入してくることは、当然に予想されるからである。他方、自白は、その性質上、安易にかつ過度に信用される危険がある。そこで、法は、補強証拠による証明力の補充を必要としたのである。
⇒この説は、通説の第1の点についての配慮は前面に出ておらず、専ら第二の点についての配慮から説明している。更に、反対尋問によれば、個々の供述の証明力を具体的に明らかにできることを、その出発点としている。この観点から、平野説では、共犯者への十分な反対尋問を条件に、共犯者の自白には補強法則の適用がないとの結論に達している。
◇渥美説
補強証拠がない場合は自白のみで事実認定がされる。他の証拠とは異なって、自白は事件の全過程を物語る。情況証拠による認定は、多くの証拠を多くの合理的な推論で結びつけることによって可能となる。そこで、その場合には一部に推論の誤りがあっても、事実の認定に誤りをもたらさない保障を伴う。しかし、自白のみによる認定にあってはかかる保障はなく、逆に誤りの場合には、全体の認定が全くの誤りと化することが生ずる。この自白の性質に着目するならば、大量観察的にみて自白が信用がおけるとの仮定から出発したとしても、当該自白が誤っているときの誤判の危険は極めて大きい。しかも、被告人が自白をしていれば、裁判官に種々の点で安堵感、心理の弛緩をもたらすであろう。この自白の性質と裁判官による自白依存の心理の存在が自白に補強を求める。
⇒この説も平野説同様、第二の点についての配慮から説明しているが、自白が多くは信用できることを前提とした上で、その危険性を強調する点が特徴的である。また渥美説は、共犯者への反対尋問は無力だとの認識から、通説とは別の根拠で共犯者の自白についても補強証拠を要求している。
◇田宮説
補強法則は、訴追側(捜査機関)に被疑者の取調べ(供述の採取)だけに力を集中せず、自白以外の証拠を探させようというポリシーの要求からくるものであり、しかもそれは自白強要の防止をねらいとするものではなく、できれば自白を(それが任意のものであっても)可及的に刑事訴訟における証拠として締め出すのがよいという思想に立脚する取調べ規則にほかならず、したがって、補強証拠は実質的な心証の要件ではなく、自白が証拠として許容される前提ないし手続上の要件であって有罪言渡の要件である。
⇒この説は、補強法則を訴追側に対する取調べ規則と捉える点で通説とは根本的な違いがあり、かつ、補強法則を自由心証主義の例外という通説的理解とは全く異なる点から捉えている。自白強要の防止という点を根拠として挙げていないという点については、平野説、渥美説と共通しているが、この説では、強要を防止するには、他の証拠を集めさせる必要はなく、強要の結果得られた証拠だけ排除すればよい、と言い切っている。
3 公判廷の自白
319条2項は「公判廷における自白であると否とを問わず」と規定し、公判廷の自白に対しても補強法則が適用されることを明文で規定しているが、憲法38条3項がこれと同趣旨であるかについて、判例、学説で争いがある。
裏から言えば、公判廷の自白以外に証拠がないにもかかわらず、有罪の判決が下された場合に、憲法違反として上告理由になるか、それとも単なる公訴理由にとどまるかという問題である。公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらないと解する説(判例)は、法319条2項を憲法の規定を一歩進めたものと解することになる。
◇判例
公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらない。
理由:①公判廷の自白は完全な任意性を有する。公判廷における被告人の自白は、身体の拘束を受けず、また強制、拷問、脅迫その他不当な干渉を受けることなく、自由の状態において供述されるものである。
②裁判所はその自白の真実性を十分に判断できる。公判廷では、弁護人が虚偽の自白を訂正させることができるし、裁判官は被告人の態度を直接観察することができ、その態度から真偽の判断が可能である。更に裁判所は、心証が得られるまで根掘り葉掘り尋問することもできる。
◇団藤説
公判廷の自白といえども憲法38条3項の「本人の自白」である。
理由:①公判廷の自白には常に任意性があるとは限らない。
②そもそも任意性の有無は補強証拠の要否とは無関係である、
③自白の真実性を裁判所が判断できるとするにも疑問がある。
弁護人が常に必ず選任され又は出頭するとは限らないし、被告人の態度から真偽が分かるというが、これは余りにも勇敢である。それに「根掘り葉掘り」聞くというが、そういう糺問的尋問は現行法のむしろ許さないところである。
④判例の見解は憲法の規定を制限的に解釈することになるが、それにしては理由が薄弱である。
◇田宮説
公判廷の自白は憲法38条3項の「本人の自白」には当たらない。
理由:①憲法38条3項の母法であるアメリカ法では、自白とは裁判外の自白だけを指している。
②補強証拠を要求する趣旨は、自白採取にだけ勢力を集中させないようにという捜査(訴追方法)への規制にあり、したがって、捜査機関に対する制約であって、公判の規制ではない。
・判例の見解は、団藤説のいうように、憲法を制限的に解釈するにしては理由が薄弱である面が否めない。田宮説は、判例とは全く異なる観点から出発して判例と同じ結論に達しているが、難しい考え方である。
4 憲法38条は、アレインメントの制度を採ることを許容しているか
◇肯定説(平野)
理由:憲法は自白が「不利益な証拠」であることを前提に規定されているこれは被告人が争っている場合であり、争っていない時は利益・不利益の問題も起きず、証拠の必要もなく、この場合は憲法38条は関知しない。法319条3項は、訴訟法が特に政策的に採用したものである。
◇否定説(団藤)
理由:有罪の答弁も公判廷の自白であり、憲法38条3項の適用を受けるから、補強証拠なしに有罪を認めるアレインメントは違憲である。
5 補強証拠能力(いかなる証拠が補強証拠となりうるか)
(1) 証拠能力のある証拠でなければならない。
(2) 被告人の供述以外の証拠でなければならない。したがって、公判廷の自白を公判廷外の自白で補強すること、又はその逆は許されない。
理由:いかに機会を異にしてなされたものであっても、本人の供述は本人の供述であって、独立性をもたないから。
・最高裁は、被告人本人の公判廷の供述を公判廷外の自白の補強証拠とすることは憲法38条3項に違反しないとする見解を採っている。しかし、公判廷外の自白を公判廷外の供述で補強することは認めていない(最判S25.7.12)。
捜査開始前の自白について、被告人が備忘のため取引関係を記入した書面は323条2号で証拠能力を有し、かつ自白の補強証拠となるとしている(最決S32.11.2)
(3) 共犯者の自白→説が分かれる。詳しくは「共犯者たる共同被告人の供述の証拠能力及び証明力」の項参照。「共犯者の自白」が「本人の自白」に該当すると考えるか否かにより異なる。
◇該当しないと解する説(判例)→当然に共犯者の自白に補強証拠能力を認める。
◇該当すると解する説→多くの説は、共犯者の自白の補強証拠能力を認める。
6 補強を要する範囲
(1) 罪体説(多数説)
罪体の全部又は少なくともその重要な部分について補強証拠を要する。
3種の罪体概念
1 当該犯罪行為による客観的な侵害・損害の惹起である。
2 上の損害惹起が何人かの犯罪行為によるものであることも含む。
3 この犯罪の実行者が被告人であることまでも含む。
(2) 実質説(判例、平野説)
補強証拠は自白の真実性を担保すれば足りる。どの範囲に補強が必要かは、個々の犯罪について実質的に判断すればよい。
(3) 検討
罪体説と実質説との根本的な違いは、罪体説が補強を要する範囲を定める基準を罪体概念に求め、ともかくも一般的な基準を定めようとするのに対し、実質説は、一般的な基準を求めることを放棄し、個々具体的な犯罪について、「自白の真実性の担保」という観点から実質的に判断しようとするにある。罪体説は、範囲が明確である点で優れているが、実質説から批判されるように、罪体の一部についてたまたま補強証拠がないため無罪となってしまう弊害が考えられる。しかも罪体概念には種々のものがあり(アメリカにおける罪体概念には三種のものがあるとされる)、必ずしも明確なものでもない上、罪体説では、罪体の重要な部分とは何かについても問題を残すことになる。
(4) その他の個別的問題点
・犯罪の主観的要素
犯意、盗品の知情、目的犯における目的など、犯罪の主観的要素については、補強証拠を要しないとする点で、罪体説か実質説かにかかわりなく、学説、判例ともほぼ一致している。
理由:主観的要素についてまで補強証拠を要求することは、事実上しばしば困難であり、有罪か無罪かが偶然の事情に左右される。
・犯人と被告人との同一性
◇実質説
主観的要素の場合と同様に、この点にまで形式的に補強証拠を要求すると余りに有罪判決を困難にし、有罪・無罪が偶然によって左右される弊害を生ずるから、一般的にはこの点についてまで補強証拠は必要でない。
◇罪体説のうち、第1及び第2の罪体概念を採る説
不要(多数説)
◇罪体説のうち、第3の罪体概念を採る説
必要
理由:誤判の危険の防止という観点からすると、単に犯罪事実そのものの存在の立証だけを強調するのは片手落ちであって、被告人と行為者との同一性についても補強証拠を必要とすると解するのが妥当である
・何人かの犯罪行為によるという事実
◇実質説
補強証拠を必要とする目的論的見地からみて、補強証拠が必要。
◇罪体説のうち、第1の罪体概念を採る説
不要(1少数説)
◇罪体説のうち、第2及び第3の罪体概念を採る説→
必要(多数説)
7 補強の程度
(1) 補強証拠は、それだけで事実を合理的な疑いをいれない程度に立証しうるものである必要はなく、その事実の存在を一応証明する程度の証拠で足りるとする説。
(2) 補強証拠の持つ証明力は自白とあいまって罪体を証明することができる程度のものであれば十分であるとする説(判例)。