1 問題の所在
328条は、現行法の伝聞証拠についての規定の上でどのような性格を持つものなのか。次の二点で問題となる。
(1) この規定で、証明力を争うための証拠として使うことのできるのはどのような証拠か。
(2) この規定で、「証明力を争う」というのは、ただ供述の証明力を弱める(減殺する)ことだけをいうのか、更に、その証明力を強める(増強する)ことも含むのか。
2 証明力を争うための証拠として認められる証拠の範囲
(1) 限定説
この規定で証明力を争うための証拠として使うことのできるのは、自己矛盾の供述だけである。
理由:①同じ人が前の供述と違ったことを言ったと主張して(その人の自己矛盾を突くことによって)その供述の証明力を弱めようとする場合と、他の人が違うことを言っていると主張してある供述の証明力を弱めようとする場合とでは、その構造が質的に異なる。前者の場合が、同じ人間が相前後して矛盾した供述をしているという事実をもって、その人の供述の証明力を弱めようとしているのに対し、後者の場合は、他人の供述が本当だということを前提にして、ある供述の証明力を弱めようとしているのである。
②現行法は、英米法の強い影響の下に生まれたものだが、英米法では自己矛盾の供述に限られている。
★ある供述の証明力を争うために、自己矛盾の供述が使われる場合、この自己矛盾の供述は、同じ人が違う供述をしたという事実そのものを証明するために使われるのであり、その内容が本当だということを証明するために使われるのではない。当該自己矛盾の供述は、321条1項1号後段、2号後段の場合と違ってもともと伝聞証拠ではない。したがって、この説は、328条を、もともと伝聞法則が適用されない場合を注意的に規定したものだと解することになる。
批判:①明らかに文言に反する限定解釈である。
②英米法の伝聞法則にこのように広い例外はないというが、陪審制を採ってない我が国と同一には論じられない。
(2) 非限定説
証明力を争うための証拠としてならば、自己矛盾の供述ばかりでなく、広く一般に伝聞証拠を使うことができる。
理由:①328条の文言は、この規定で出せる証拠を特に制限していない。
②憲法37条2項の被告人の反対尋問権は、犯罪事実を認定する証拠についてのものであって、供述の証明力を争うための証拠についてまで保障されているわけではない。
③我が国では陪審員ではなく、職業裁判官が証明力を判断するので広く証拠を使うことを認めてもかまわない。
★この説では、328条は文字通り、320条の例外規定と解することになる。
批判:この説は、328条の文言上は、最も素直な解釈であるが、弾劾証拠という名目で犯罪事実に関する伝聞証拠が無制限に許容されることになる。その証拠が裁判官の心証に実質的に影響を与えることは不可避であり、憲法の保障する反対尋問権の保障を骨抜きにするおそれがある。
(3) 中間説の1
証人の能力、性格、当事者に対する偏見、利害関係といった、証人の信用性にだけ関係のある事実を証明するためには広く伝聞証拠を使ってもよいが、それ以外の場合には、自己矛盾の供述に限る。
理由:①我が国では陪審制度を採っていないので、陪審裁判ほど厳しい証拠法を適用する必要はない。
②供述の証明力を争うための証拠は、犯罪事実を直接に証明するものではなく、証人の信用性についての事実を証明することによって間接的に犯罪事実の証明に影響を与えるだけである。
批判:①実際の訴訟では、この説のいうような証人の信用性だけについての補助事実とそれ以外の事実とは必ずしもはっきり区別しえないので、あいまいさが残る。
②この説は、補助事実については自由な証明でもよいとする考えをその前提としているが、補助事実も結局は犯罪事実についての裁判官の心証に影響を与えるものなので、厳格な証明を必要と考えるべきであり、この考えの前提そのものに疑問がある。
(4) 中間説の2
検察官側からは、自己矛盾の供述しか出せないが、被告人側からは一般に伝聞証拠も出せる。
理由:①328条フ文言上からは(2)説が最も素直な解釈であるが、その難点は、弾劾証拠という名目で、犯罪事実に関する伝聞証拠が無制限に許容される危険がある。その証拠が裁判官の心証に有形無形の影響を及ぼすことは不可避であり、それは結局、憲法の反対尋問権の保障を骨抜きにするおそれがある。したがって、328条は、憲法が被告人の反対尋問権を保障した限度で無効の規定と解すべきである。
②検察側が犯罪捜査の強大な組織と権限を持つのに対し、被告人側の立場の弱さは歴然としており、片面的構成を採って被告人の訴訟上の地位・権能を押し上げる必要がある。
批判:①現行法は、321条1項3号で「犯罪事実の存否の証明」という文言を使い、また、323条1項本文で被告人の自己に有利な供述についても特信情況を必要としている。現行法の解釈として、被告人に有利な証拠なら弾劾証拠として伝聞証拠も使えると解することができるか疑問がある。
②この説は、現行法は職権による証拠調べを許しており、その場合には、被告人に有利に判断するときには伝聞証拠も使える、としているが、職権による証拠調べの場合には、実際にはある人の供述を聞いてみないことには、それが被告人に有利なものか、不利なものか分からないこともあり、この点、この説はどのように考えているのか疑問がある。
(5) 検討
現段階において、どの見解が判例通説ともいえないが、限定説が有力である。もっとも、理由付けがしっかりしていれば、どの見解に立って答案を書いてもよい。
条文に忠実で、理論的に一番分かりやすいのは非限定説であるが、反対尋問権を実質的に骨抜きにするとの批判に対する反論は説得的ではない。
3 「証明力を争う」ことの意味
(1) 相手方の供述の証明力を弱めることだけをいうとする説
理由:①証明力を「争う」という文言の普通の使い方に従えば証明力を強める場合は含まれない。
②証明力を強めることが許されるということは、証明力の弱い証拠を、同じ趣旨の証明力の強い証拠で補強しようとすることであるから、これは、裁判官に証拠能力のない証拠によって、その内容である事実を認めさせようということであり、正に伝聞法則に反することになる。
③自分の方の供述の証明力が相手方によって弱められた場合に、元の供述の証明力を取り戻そうとすることも、実質的にはその供述の証明力を強めようとすることである。
(2) 相手方の供述の証明力を弱めることばかりでなく、相手方か争ったことによって自分の方の供述の証明力が弱められた場合に、別の証拠を出して元の供述の証明力を取り戻す(回復させる)ことも含まれるとする説。
理由:①(1)説の理由①、②と同じ。
②上記2で限定説に立つことを前提にして、自分の方の供述に対して、相手方が自己矛盾の供述を出して争ってきた場合には、元の供述と同じ趣旨の供述(一致供述)を出すことができるが、この場合、一致供述は、元の供述と同じ趣旨の供述があるという事実を示すだけのもので、伝聞証拠ではない。
③相手方が争った結果、自分の方の証明力が弱められた場合に、別の証拠を出して元の供述の証明力を取り戻そうとすることも「争う」ということである。
(3) 相手方の供述の証明力を弱めることや、自分の方の供述の証明力を取り戻すことばかりではなく、更に自分の方の供述の証明力を強める(増強ないし支持する)ことも含まれるとする説。
理由:①「争う」という文言から証明力を強める場合を除く理由はない。
②この規定による証拠は、証拠能力が認められるのではなく、ただ証明力を争うために使われるだけであるから伝聞法則には反しない。
③我が国の刑訴法は、英米法よりも職権主義が強いので、相手方がある供述について争っていなくても、裁判官が疑いを持っている場合には、検察官も弁護人もその証明力を強める証拠を出すことができる。
④証明力を弱める、あるいは強めるといっても、その区別はデリケートであり、証明力を弱めるということで、証明力を強める証拠が出されることを防ぐことは実際上困難である。
(4) 検討
この問題について、まだ最高裁の判決はない。ただし、東京高判S54.27は、回復証拠としてなら許容できるとの判断を示している。通説及び実務の大勢は、(2)説に立っている。
328条は、現行法の伝聞証拠についての規定の上でどのような性格を持つものなのか。次の二点で問題となる。
(1) この規定で、証明力を争うための証拠として使うことのできるのはどのような証拠か。
(2) この規定で、「証明力を争う」というのは、ただ供述の証明力を弱める(減殺する)ことだけをいうのか、更に、その証明力を強める(増強する)ことも含むのか。
2 証明力を争うための証拠として認められる証拠の範囲
(1) 限定説
この規定で証明力を争うための証拠として使うことのできるのは、自己矛盾の供述だけである。
理由:①同じ人が前の供述と違ったことを言ったと主張して(その人の自己矛盾を突くことによって)その供述の証明力を弱めようとする場合と、他の人が違うことを言っていると主張してある供述の証明力を弱めようとする場合とでは、その構造が質的に異なる。前者の場合が、同じ人間が相前後して矛盾した供述をしているという事実をもって、その人の供述の証明力を弱めようとしているのに対し、後者の場合は、他人の供述が本当だということを前提にして、ある供述の証明力を弱めようとしているのである。
②現行法は、英米法の強い影響の下に生まれたものだが、英米法では自己矛盾の供述に限られている。
★ある供述の証明力を争うために、自己矛盾の供述が使われる場合、この自己矛盾の供述は、同じ人が違う供述をしたという事実そのものを証明するために使われるのであり、その内容が本当だということを証明するために使われるのではない。当該自己矛盾の供述は、321条1項1号後段、2号後段の場合と違ってもともと伝聞証拠ではない。したがって、この説は、328条を、もともと伝聞法則が適用されない場合を注意的に規定したものだと解することになる。
批判:①明らかに文言に反する限定解釈である。
②英米法の伝聞法則にこのように広い例外はないというが、陪審制を採ってない我が国と同一には論じられない。
(2) 非限定説
証明力を争うための証拠としてならば、自己矛盾の供述ばかりでなく、広く一般に伝聞証拠を使うことができる。
理由:①328条の文言は、この規定で出せる証拠を特に制限していない。
②憲法37条2項の被告人の反対尋問権は、犯罪事実を認定する証拠についてのものであって、供述の証明力を争うための証拠についてまで保障されているわけではない。
③我が国では陪審員ではなく、職業裁判官が証明力を判断するので広く証拠を使うことを認めてもかまわない。
★この説では、328条は文字通り、320条の例外規定と解することになる。
批判:この説は、328条の文言上は、最も素直な解釈であるが、弾劾証拠という名目で犯罪事実に関する伝聞証拠が無制限に許容されることになる。その証拠が裁判官の心証に実質的に影響を与えることは不可避であり、憲法の保障する反対尋問権の保障を骨抜きにするおそれがある。
(3) 中間説の1
証人の能力、性格、当事者に対する偏見、利害関係といった、証人の信用性にだけ関係のある事実を証明するためには広く伝聞証拠を使ってもよいが、それ以外の場合には、自己矛盾の供述に限る。
理由:①我が国では陪審制度を採っていないので、陪審裁判ほど厳しい証拠法を適用する必要はない。
②供述の証明力を争うための証拠は、犯罪事実を直接に証明するものではなく、証人の信用性についての事実を証明することによって間接的に犯罪事実の証明に影響を与えるだけである。
批判:①実際の訴訟では、この説のいうような証人の信用性だけについての補助事実とそれ以外の事実とは必ずしもはっきり区別しえないので、あいまいさが残る。
②この説は、補助事実については自由な証明でもよいとする考えをその前提としているが、補助事実も結局は犯罪事実についての裁判官の心証に影響を与えるものなので、厳格な証明を必要と考えるべきであり、この考えの前提そのものに疑問がある。
(4) 中間説の2
検察官側からは、自己矛盾の供述しか出せないが、被告人側からは一般に伝聞証拠も出せる。
理由:①328条フ文言上からは(2)説が最も素直な解釈であるが、その難点は、弾劾証拠という名目で、犯罪事実に関する伝聞証拠が無制限に許容される危険がある。その証拠が裁判官の心証に有形無形の影響を及ぼすことは不可避であり、それは結局、憲法の反対尋問権の保障を骨抜きにするおそれがある。したがって、328条は、憲法が被告人の反対尋問権を保障した限度で無効の規定と解すべきである。
②検察側が犯罪捜査の強大な組織と権限を持つのに対し、被告人側の立場の弱さは歴然としており、片面的構成を採って被告人の訴訟上の地位・権能を押し上げる必要がある。
批判:①現行法は、321条1項3号で「犯罪事実の存否の証明」という文言を使い、また、323条1項本文で被告人の自己に有利な供述についても特信情況を必要としている。現行法の解釈として、被告人に有利な証拠なら弾劾証拠として伝聞証拠も使えると解することができるか疑問がある。
②この説は、現行法は職権による証拠調べを許しており、その場合には、被告人に有利に判断するときには伝聞証拠も使える、としているが、職権による証拠調べの場合には、実際にはある人の供述を聞いてみないことには、それが被告人に有利なものか、不利なものか分からないこともあり、この点、この説はどのように考えているのか疑問がある。
(5) 検討
現段階において、どの見解が判例通説ともいえないが、限定説が有力である。もっとも、理由付けがしっかりしていれば、どの見解に立って答案を書いてもよい。
条文に忠実で、理論的に一番分かりやすいのは非限定説であるが、反対尋問権を実質的に骨抜きにするとの批判に対する反論は説得的ではない。
3 「証明力を争う」ことの意味
(1) 相手方の供述の証明力を弱めることだけをいうとする説
理由:①証明力を「争う」という文言の普通の使い方に従えば証明力を強める場合は含まれない。
②証明力を強めることが許されるということは、証明力の弱い証拠を、同じ趣旨の証明力の強い証拠で補強しようとすることであるから、これは、裁判官に証拠能力のない証拠によって、その内容である事実を認めさせようということであり、正に伝聞法則に反することになる。
③自分の方の供述の証明力が相手方によって弱められた場合に、元の供述の証明力を取り戻そうとすることも、実質的にはその供述の証明力を強めようとすることである。
(2) 相手方の供述の証明力を弱めることばかりでなく、相手方か争ったことによって自分の方の供述の証明力が弱められた場合に、別の証拠を出して元の供述の証明力を取り戻す(回復させる)ことも含まれるとする説。
理由:①(1)説の理由①、②と同じ。
②上記2で限定説に立つことを前提にして、自分の方の供述に対して、相手方が自己矛盾の供述を出して争ってきた場合には、元の供述と同じ趣旨の供述(一致供述)を出すことができるが、この場合、一致供述は、元の供述と同じ趣旨の供述があるという事実を示すだけのもので、伝聞証拠ではない。
③相手方が争った結果、自分の方の証明力が弱められた場合に、別の証拠を出して元の供述の証明力を取り戻そうとすることも「争う」ということである。
(3) 相手方の供述の証明力を弱めることや、自分の方の供述の証明力を取り戻すことばかりではなく、更に自分の方の供述の証明力を強める(増強ないし支持する)ことも含まれるとする説。
理由:①「争う」という文言から証明力を強める場合を除く理由はない。
②この規定による証拠は、証拠能力が認められるのではなく、ただ証明力を争うために使われるだけであるから伝聞法則には反しない。
③我が国の刑訴法は、英米法よりも職権主義が強いので、相手方がある供述について争っていなくても、裁判官が疑いを持っている場合には、検察官も弁護人もその証明力を強める証拠を出すことができる。
④証明力を弱める、あるいは強めるといっても、その区別はデリケートであり、証明力を弱めるということで、証明力を強める証拠が出されることを防ぐことは実際上困難である。
(4) 検討
この問題について、まだ最高裁の判決はない。ただし、東京高判S54.27は、回復証拠としてなら許容できるとの判断を示している。通説及び実務の大勢は、(2)説に立っている。