生き物を保護する時、毎回思うことがある。
助けることが最善かどうか、保護して助かる命もあれば、そうでない命もある。
助かった時には本当に嬉しいし、良かった!!って思うけど、助からなかった時には余計に怖い思いをさせただけだったんじゃないかとか、結局自己満足なんじゃないかって思う。
助けるも助けないもどちらも間違ってはいないんだけどね。
先週のつばめちゃんは翌日死んでしまった。
残された5羽のヒナたちは心配していたけど今朝、一斉に飛び立った。
朝早くから夕方まで餌を運び続けたパパもこれで一安心だね。
無事にヒナが巣立ってくれてほっとした~
今夜、無事に帰ってきてくれますように。
先週のブログにも書いたように、私には不思議なことがよく起こる。
生き物を助けることが多いんだけど、何か意味があるんだろうか。
ある夜、車で走っていると道路わきの側溝辺りに何かいるような気がした。
真っ暗だし、道路からは見えない所だったけど、どうしても行かなきゃいけない気がして車を止めて急いで行って見ると黒い30cmくらいのかたまりが。
よくわかんないけど助けなきゃ!って思って車からタオルを持ってきて包んでライトに照らしてみるとくちばしの長い鳥。
野犬か猫かに羽の付け根をやられてた。
あいにく翌日は動物病院も休診日だったこともあってどうしようもなかった。
出来ることは傷口の消毒くらいしかなかった。
ペットショップに写真を見せて餌など相談し、ミルワームを買って食べさせたりしたけど、結局病院にあと数時間ってところで息をひきとった。
そんなになるのにどうして私に気付かせるんだろう。助けられなかったことがこんなにも悲しいのに、見えてもいないのにどうして見つけてしまうんだろう。
ある時はバイクで走っていると子猫の声が聞こえた。道路は広く、右は海。左は崖になっていてその上は森。ヘルメットだってしていたし、気のせいかとも思ったけど一応、探してみた。
そしたら何でそんな所に?ってくらいの険しい崖の上に子猫が。
どこから助けに行けば良いのか、、大回りして斜面を登っていくと、なんと可愛らしいこと。すぐに抱きついてきた。
バイクの収納スペースに押し込め、急いでつれて帰り餌をあげた。
その後、元気になったので里親を探そうとお店のスタッフに相談すると、それじゃあ私が!ってあっさり引き取り手がきまり、生涯、愛情たっぷり幸せな猫生を送った。
そうやって幸せに生きていかれる命と、あっけなく死んでしまう命と、どう違うんだろう。
あの子猫の声だって聞こえるはずがないのにどうして聞こえたんだろう。
他にもすずめやコウモリや猫や犬、カラスなど色々助けてきた。助からなかったのはつばめちゃんとくちばしの長い鳥。
何だかそういう使命みたいなものがあるのかなって思ってしまう。
今までは生き物に話しかけて、たぶんこう言ってるって思って勝手に会話してたけど、ちゃんと会話できるようになりたいな。
そしたら色んな場面で役に立てるのに。。。
あ、足に紐が絡まって木の枝にぐるぐる巻きになってたカラスを助けた時には、お礼だったのか私の頭の上で何週か飛んで山に帰っていきました。
その時にはありがとうって聞こえた。
絶対、そう言ったもん。
言葉を発することの出来ないもの達の声を聞いてあげたい。
辛い気持ちも喜びの声も、通訳してあげられたら、私自身も幸せだろうと思うから。
でも、生かしてあげられなかったから、、
残念だった。
お空から立派に育ったわが子を見守っててくれてるかな。