私の母は美容師でした、来る日も、来る日も美容室で
お客様の頭を美しく仕上げてました
母は、戦後、内地に帰ってから、学校に行き、資格を取りました
年も取ってましたが、高校生ぐらいのヤングたちと
一緒に勉強して、私たちを大学に行かせてくれました
母のおかげで、今があります
父が現地招集され、子供3人抱えて、戦争は激しくなり
母が当時の心を昔、話してくれました
引揚げ船で、内地に帰えれる保障もなかったのでしょう
「どうせ死ぬなら、父さんのいる、ここで、みんなで死んだほうが良い」
当時の母は、23~24歳ぐらいだったんでしょう
今でも、兵隊にとられて父はいないし、どんな気持ちだったんだろうと思います
最近、よく思い出します。母は私たちにとって、神様です
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