💘君が人生の時…💘~Time of your life~

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29年・・

2018-04-15 17:22:37 | 想い
平成元年に亡くなった母の祥月命日です。
丸29年経ちました。
母が亡くなった時、私は24歳でしたので、母の亡くなってからの人生の方がもう長くなっているんですね。
「平成」の元号も間もなく終わります。
何だかすごく不思議な気持ちです。
朝、当時の会社へ行く準備をしていた時に「天皇(昭和天皇)が危篤状態」ということを電話で知らせてくれたのは母でした。
すぐにテレビをつけると画面に大きく「崩御」とだけ出ていました。
元号が「平成」へと変わり、1月半ばに私は階段から落ちて入院。
その時母はすでに「急性リンパ性白血病」が再発していました。
ただ、当時の病院でベッドの空きが無かったのですぐに入院出来ない状態でした。
私は1か月半入院しましたが、母は毎日来てくれました。
でも、自分の病気とそれが再発したことは気づいていたみたいです。
感の良い人でしたからね。
私の退院間近になって、ようやく母もベッドが空き入院生活。
今度は私が母の病院に通うことになりました。
私が入院している間は元気だったのに、入院してからは急激に弱っていったような気がします。

私も自分自身の入院で仕事を休み、迷惑を掛けた分頑張りたい気持ちと母を心配する気持ちで結構ギリギリの状態。
病院と職場を往復する毎日が続きました。
病院には母の兄弟姉妹が付き添ってくれていましたし、4月になってからはすでにこちらに来て仕事をしていた弟も帰ってきてくれていました。
病院から職場に電話がくる度にそれこそ「心臓が止まる」そんな思いの毎日でした。
仕事復帰したばかりで疲労もあり、母の病院に行っても何も出来ないで傍にいるだけでした。

母が亡くなったのは私が仕事が休みの土曜日の夜でした。
最後の数時間は時々優しい笑みを浮かべながら寝ていましたが、その前までは意識もはっきりしていました。
夜になって看護婦さん(当時は看護師とは呼んでいませんでしたね。)が度々病室に来ました。

23時57分母は逝きました。

仮通夜、通夜、葬儀と私は泣きどおしだったと記憶しています。
すべてのことは今は故人となった母の長兄が仕切ってくれました。

「絶対100歳まで生きるよね」
いつも弟とそんなことを言っていましたが、44歳で亡くなってしまうとは夢にも思わなかったです。

母が生きていれば私は北海道を離れることは無かったと思います。
でも、今こうして私はここで生きています。
病気にもなったし、大変なことはたくさんありましたが、それでもたくさんの出逢い、めぐり逢いに恵まれました。
人との出逢い、それは私の人生の強みだと思っています。

そして不思議なことに今は病院で事務員をしています。

母が病気になり入院してから、主治医はもちろん、看護婦さんたちもとても良い人ばかりでした。
その時から私は心のどこかでいつか病院で働きたいと思っていたんです。
それは心の本当に隅の隅の隅くらいにある想いでした。

五十路になり、それが実現するとは思っていませんでした。

そしてこれも不思議なのですが、現在の私の主治医はその時の母の主治医と雰囲気がとても似ていて、実は苗字も同じなんです。

気温が安定しない毎日が続いています。
私も仕事は元気にやっていますが、身体は色々あります。
昨日、ある方のブログで「春バテ」というのがあるのを知りました。
まさに今はそれかも知れません。皆さんも気を付けて下さいね。

皆さんも気を付けて下さいね。



ありがとうございました。