メルハバ通信その20
容赦なく強烈な日光が差す日中は、まだまだ暑いトルコのアナトリア地方だが、朝夕はだいぶ涼しくなってきた。外にいると半袖では肌寒いこともある。ふと耳を凝らすと鈴虫も泣いている。カラカラに乾いた空気も微かではあるが、秋の匂いが感じられる。
シニアボランティアの任期も残すところ2ヶ月になった。まだまだやり残した事がある反面、結構自分では満足できる活動ができたのではないかと感じている。ここに来させて頂いた多くの人々に感謝し、トルコでの残された日々を大切に過ごしていきたいと考えている。
さて、先月に取り掛かった“あずまや”の製作だが、新しい柱の基礎位置が崩壊前の位置とだいぶ“ずれ”があることを懸念していた。果たしてアンカラの職人が元通りに組み立ててくれるか不安だったが、日本から観光に来た友人をイスタンブールに出迎えに行っている間に見事に組み上げられていた。柱の“ずれ”も上手い具合に吸収されており、ほっと一安心。今回は私の心配が単なる危惧で済んだ次第だ。少々の“ずれ”はタマム(オーケー)とするトルコ人のおおらかな考えに軍配が上がった訳だが、偶然上手くいったような気もしないではない。まあ深くは考えないで、以前のように立派な“あずまや”が復活したので、ここは良しとしよう。
《職人の手により完成したあずまや》
現在はだいぶ涼しくなってきたので、樹木の刈り込み作業を一時中断し、藤棚と“あずまや”の柱の根元部分を石とモルタルで補強する作業に入った。
近くの川原(とはいっても雨が極端に少ないので水は枯れているのだが)で作業人のガリップと二人で適当な小石を選別して集める。ある程度集めたら、ケプチェ(バックホウの付いたブルドーザ)で日本庭園の入り口まで運んでもらう。ガリップは本来の芝刈りの仕事があるので、入り口からは私一人で石を積んでいる。日本と違って石も規格化されていなく、また砂やセメントも離れた場所から一輪車で持ってくるので、思ったよりも時間が掛かる。
石積みの仕上がりも日本と比べるともう一つ、もう二つといった感じではあるが、見栄えよりも柱の補強に重きを置いて製作している。モルタルの部分を増やし、目地も厚くしている。ここカマンでは日本と比べると遥かに強い風が吹く。構造物は強風対策が肝心である。私が帰国して直ぐに藤棚が壊れたでは、ここに何をしに来たのか解らない・・・。
《川原で拾ってきた石で補強する》
8月30日はトルコのいわゆる“戦勝記念日”で国民の祝日になっている。第一次世界大戦後、敗戦国であったトルコは戦勝国によってバラバラに解体されようとしていた。そこで立ち上がったアタチュルク(初代大統領で、今でもトルコ国民の英雄であり象徴だ。トルコ国中いたる所にアタチュルクの像、旗、写真、肖像画等が掲げられている。)がギリシャ軍をエーゲ海に追い返す戦争を開始したのがこの日であった。以後トルコ軍は快進撃を続け、イズミールでとうとうギリシャ軍を駆逐した。戦争を開始した記念の日を“勝利の日”として称えているそうだ。
カマンでも、夜になると祝砲が上がり、軍人達が松明とトルコ国旗で街の中心街を行進した。後にはたくさんの車や人々が続く。車のクラクションを鳴らし、歓声を上げたり・・・。夜遅くまで賑やかなお祭り騒ぎであった。
《軍隊によるパレード》
ところで、市役所の電気工事を担当しているムラットから彼の弟の結婚披露宴に、同期のSさんと私達家族が招かれた。トルコで正式に結婚披露宴に招待されたのは初めてだったので、期待して出かけた。トルコでも日本と同じようにお祝いとしてのお金を包むそうで、こちらの相場で一人当たり10リラ(1,000円程度)を持参した。
披露宴は夕方から始まり、花婿と花嫁の家族別々に催される。まず、会場であるムラットの実家に行くと、玄関で笛と太鼓の演奏で派手に出迎えられる。庭に通されるとトルココーヒーやコーラ、ジュースなどの飲み物でもてなされた後に食事が出される。
《笛や太鼓で出迎える》
我々は特別待遇で、少し離れた席でムラット自慢の魚料理が用意されていた。常は敬虔なイスラム教徒であるムラットもこの日は特別な日で、久し振りのビールを口にする。しかし、彼に言わせると、次は子供の結構式まで酒は決して飲まないとのことであった。披露宴で他に酒をたしなむ人もいるが、日本のように、おおっぴらには振舞われない。隅っこでビールの入ったコップを傾け、ひっそりと飲んでいる。やはりここはイスラムの国、アルコールは一応、禁止なのだ。ただし、アンカラやイスタンブールの披露宴では結構平気で飲んでいるようだ。
さて、ムラット特製のおいしい魚料理とビールでほろ酔い気分になり、みんなの踊りに参加する。トルコ人は実にダンス好きで、披露宴でもお祭りのように踊り明かす。我々もひっぱり出されて、下手な踊りを披露しする。みんなからは“やんや、やんや”の喝采である。
ムラットはサズ(トルコギター)の名手で、市役所の催しや祭りでは街の人々の前で必ずサズを演奏している。この日も、サズの腕前と自慢の喉を参加者に披露した。
9時頃になっただろうか。みんなが車に乗込んで移動する。我々にも“乗れ!”という。何事だろうと思ったら、花嫁の家でクナの儀式(染料を花嫁の手のひらに塗る)が始まるとのこと。
花嫁の家に行くと、花婿の所と同じように庭でみんなが踊りまくっている。踊りが終わると、ローソクを手にみんなが素早くトンネルのアーチを作った。スイカの実をくり貫いて作ったローソク立てもある。そのトンネルの中を潜って、花婿と真っ赤なベールで包まれた花嫁が登場。みんなの中心に据えられた椅子に二人が座った。
《トンネルを作り、花嫁と花婿を迎える》
そこで木の皮から作った染料であるクナが参列者に配られ、花嫁の手のひらに塗られた。このクナの儀式は、昔は男子禁制だったそうだが、今では結婚式の一つの儀式としてみんなの前で披露されているようである。
さて、クナの儀式も無事に終わり、とうとう花嫁が赤いベールを脱いだ。なかなか理知的な美しい女性である。そして、二人を中心にまた盛大なダンスが始まった。我々はここで花嫁の家をおいとまし、また花婿の家に戻った。
《ベールをかぶった花嫁》
《ベールを取って、ダンスに参加》
ところで先日、私の山岳部時代の友人がトルコを訪ねてくれ、アンカラやカッパドキアを案内した。念願だったウフララ渓谷を歩いた。ここはグランドキャニオン(行ったことはないが)を思わせるような渓谷に多くのキリスト教信者が隠れ住んだという渓谷である。教会跡も点在しいて、なかなか見応えと歩き応えのある所であった。
《ウフララ渓谷を歩く》
《スケールの大きなウフララ渓谷》
《ちょっと絵になるロバ》
《渓谷にはなぜか羊の群れも》
《カッパドキアにてスカーフ姿の女性》
《洞窟から望む》
《カッパドキアにて》
《洞窟天井に描かれたフレスコ画》
《カッパドキアにて》
大学時代にはよく3人で山を歩いたものである。あれから30年以上の月日が流れたが、思わず時が遡った様な気になった。“飛んでカッパドキア~♪(イスタンブールならず)”トルコでの山岳部時代の復活であった。