milima父のブログ/トルコ・ヨルダン・その他

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メルハバ通信その13通信(2007年1月)

2012年05月24日 | メルハバ通信

メルハバ通信その13

1月12日から健康診断のために日本に帰国した。このメルハバ通信も日本からお送りしている。身体に異常が無ければ2月8日に関空を発って、9日にトルコに戻る。久しぶりの日本なので、できれば温泉にもゆっくり浸かりたい。

昨年11月にカマン市長が亡くなられたが、12月にも悲しい別れがあった。それは私と同期のSさん二人で飼っていた、猫のタマちゃんとの別れであった。

タマちゃんとの出会いはちょうど1年前であった。カマン3人組でパーティー(たぶんクリスマス)の料理を持って、私が部屋を出ようとすると、ドアの外に生まれて1ヶ月にも満たないような子猫がうずくまっていた。

《初代タマちゃん》

猫をそのままにして、2階にあるMさんの部屋で盛大?なパーティーをした。そして、ほろ酔い機嫌で自分の部屋に戻って来ると、ドアの前にまだその猫がいる。私は日本でも猫を飼っているので、可哀想になり、一晩くらいならと部屋の中に招き入れた。バスルームで汚れた体を綺麗に洗ってやり、インスタントのミルクやビスケットなどをやる。ゴロゴロと喉を鳴らせ、非常に人懐っこい猫である。私がベッドで寝ていると、ベッドの中に入り込んできた。日本でも良く飼い猫が布団に入ってきていた。猫も暖かくて気持ちいいんだろうとそのまま一緒に寝込んだ。

さあ翌日、カマンの仲間に、この猫はどうしたものかと相談した。トルコにずっといる訳ではないし、部屋の中で飼うにはちょっと無理だ。可哀想ではあったが、外に出すことにした。厳寒のトルコの冬をやり過ごせるのかなと非常に心配していた。

やはり外は寒いのか、人が出入りする隙にアパートの中にこっそり入ってくる。猫の姿を見かける度に安心していたが、1階に住んでいるSさんの話だと、夜はどうも地下にあるボイラー室辺りで寝ているようである。時々Sさんや私が餌をやるようになった。二人で相談して名前を付けてやろうということになり、Sさんがたまに見かけるので、タマちゃんはどうかなと提案した。すぐにタマちゃんと決まった。

最初はほんとにたまに見かけていたタマちゃんであったが、餌をもらうためにしょっちゅう1階のSさんの部屋に来るようになっていた。Sさんの部屋で餌が無い時などは4回の私の部屋までやって来て、ドアの前で“ニャーオ、ニャーオ”と餌を催促する始末。

カマンでは猫の餌などは売っていないので、私が仕事でカイセリに行った時などにキャットフードを購入するようになった。そして、男2人(カマン3人組のもう一人のMさんは、ほとんどカレホユック研究所に寝泊りしていたので)にとっては無くてはならない大切な存在になってしまった。

そのタマちゃんが12月初めに行方不明になった。ほとんど毎日、夜にはSさんの部屋に来ていたのに、1週間以上も姿を見せなくなった。交通事故にでもあったのではないだろうかと心配していた。

Sさんが私の上の階に住んでいるムスタファ少年に聞いたところ、なんと車で撥ねられたとのことであった。やはり、交通事故に遭っていたのか・・・。私たちのアパートの前は国道になっていて、交通量も田舎のカマンにしては非常に多い。他の猫でも結構撥ねられるのも多いのではないだろうか。実に可哀想なことをしたものだと感じていた。

そして、タマちゃんが消えてから10日ほどしたある日、私は市役所へ行く途中の道路でタマちゃんそっくりの子猫を見つけた。これも生まれて1ヶ月ほどの子猫で、頭を撫でてやるとゴロニャーンと甘えてくる。タマちゃんの生まれ替わりか、まるでタマちゃんの落とし子のような気さえした。

Sさんがやって来るのを待って、この猫を見せる。Sさんもあまりのそっくりさにびっくりして、すぐさま家に連れて帰ると言う。こうしてタマちゃん2世が誕生してしまった。交通事故や寒さが心配なので、タマちゃん2世を今度はSさんの部屋で飼うことになった。私たちが日本に帰国する時は誰か飼い主を見つけるつもりである。

《2代目タマちゃん》

それから2,3日して、日本庭園へ行くバス停に向かうために(12月に入ってから寒い日は自転車の代わりにバスを利用していました。)道路を横断した。すると、街路樹の根元に1匹の猫の死体があり、タマちゃんとそっくりだ。しかし、タマちゃんと比べると大きすぎるので、そのまま日本庭園に行った。

仕事をしていても、だんだん猫の死体が気になってきた。Sさんに電話して、もう一度確かめてもらうことにした。大きすぎるのでやっぱり違うということだ。ところが、時間が経ってSさんも心配になり、もう一度昼休みに見に行ったそうだ。顔をじっくり確かめたところ、タマちゃん独特の顔の模様が確かにあるという連絡を受けた。私も仕事を切り上げて、カマンに戻った。

そして、二人でタマちゃんの死体を公園になっている丘の中腹に葬ってやった。私の部屋からはいつでもタマちゃんのお墓を見ることができる。きちんと葬ってやることができたので、1年という短い人生でだったが、きっと満足して天国に行ってくれたと思う。タマちゃん、楽しい日々をありがとう。安らかに眠れ!。

さて、今度のタマちゃんはちょっと「やんちゃ」だ。タマちゃん1世はおっとりしていたのに、なかなかじっとしていない。クリスマスパーティーの時にもMさんが手を引っかかれて、血だらけになってしまった。Sさんもちょっと手を焼くかもしれない・・・。

しかし、私の部屋でタマちゃん2世を預かった時に、milima(娘)が爪を切ってやった。これで暫くは大丈夫だろう。やんちゃではあるが、この猫も実に可愛い子猫である。 

12月3日にコンヤという街で行われるメブラーナの舞を見に行った。イスラム教の一派であるメブラーナ教による宗教行事だが、白い衣装を着て、クルクルと回り続ける有名な踊りである。観光用のものはイスタンブール等で見られるが、私たちが行ったのはコンヤで1年に一度12月に行われる正真正銘の舞である。

《メブラーナ7つの助言》

今ではトルコを代表的するものとして、世界中から観光客が訪れる。日本のテレビやガイドブック等で見られた人も多いのではないだろうか?

《メブラーナの舞い》

黒装束で身をくるんだ僧侶が荘厳な音楽や歌とともに、白装束に変わり、気持ちを集中して回り初める。見ているこちらも厳粛な気持ちになり、実に感動ものであった。

《メブラーなの舞い》

 

さて、milimaの学校が冬休みなので、妻と供にカマンにやって来た。Mさんの奥さんもトルコに来ていて、ドイツから考古学の研究にやって来ているYさんも迎え、盛大なクリスマスパーティー及び年越しパーティーを催した。久しぶりに賑わったカマンだった。

年が明けて、家族3人で世界遺産に指定されているサフランボルに行った。「杖屋ペンション」と言って、日本人御用達のペンションに泊まったのだが、客は韓国人がほとんどであった。最近はどうも韓国人のほうが幅を利かせているみたいだ。他の観光地の旅行者も韓国人のほうが目立つ。

《サフランボルの街》

《サフランボルでトルコダンス》

しかし、トルコ人にとって日本人は別扱いである。このペンションにテレビ局の人が来て、我々日本人家族だけが撮影に招かれた。トルコで働いている日本人としてインタビューも受けたので、ひょっとするとテレビで流れるかも?

12月の日本庭園では主に梨の木に取り付いているヤドリギを落とす作業をしている。ヨーロッパでは冬に落葉樹が葉を落とした後でも、ヤドリギだけが青々と葉を付けているので、生命力のシンボルとして見られているそうだ。クリスマスの飾りにも使われる。

しかし、トルコ人たちはヤドリギが付いていると梨の実付きが悪いと言うので、これらを綺麗に除去すると同時に無駄な枝を剪定している。地面近くまで垂れ下がっていた枝も落とし、だいぶスッキリとしてきた。果たして今年はたくさんの実を付けてくれるだろうか?今から楽しみである。

《樹に着いている宿り木》

《宿り木の除去後》

また、カマン3人組で、第2回目の日本語初級講座を開始した。今度はアヒ大学の学生が我々の生徒である。希望者は150名ほどあったのだが、多すぎるので取敢えず30名ほどを対象に行っている。なかなかみんな熱心に授業に参加してくれている。以前は内容がちょっと難しすぎたのと、我々の教え方ももう一つだったのか、卒業生は一人だけであった。今度は多くの人が長続きできるように工夫するつもりだ。

《2回目の日本語講座》

《日本語講座の学生と記念撮影》

1月は日本に帰国中なので、2月のメルハバ通信はお休みさせていただく。外の気温はトルコ、カマンの方が低い(現在で最低気温-5℃くらい)のですが、家の中はセントラルヒーティング(集中暖房)でとっても暖い。日本に帰ってから、日本の家はなんと寒いんだろうと感じている。


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