milima父のブログ/トルコ・ヨルダン・その他

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メルハバ通信その10(2006年9月)

2012年05月20日 | メルハバ通信

メルハバ通信その10

ここカマンでは早くも冬の訪れを感じる。夏から今まで4,5日間隔で暑い日と冷え込む日が繰り返している。辺りの風景や吹く風も昨年11月にカマンへやって来た時の様相を呈してきた。このまま、この短い秋からどんどん冬に向かって行きそうな勢いだ。

《日本から持ってきたカエデの紅葉》

《上部にある滝組》

《池とクルシェヒル方面の山々を望む》

 ちょっと前までは日本庭園の桜やカイス(すもも)、ツタ類の紅葉が目立っていた。しかし、その紅葉も早くも散り始めてきている。逆に夏の暑さで参っていた芝生の緑は元気を取り戻した。秋の手入れの行き届いた?庭を見ていると非常に気持ちがいいものだ。

《藤棚付近のツタの紅葉》

《最上部の紅葉》

《池と流れ》

私の目ではカマンの日本庭園は春よりも秋の方がより綺麗に感じられる。アンカラのテレビ局も日本庭園の撮影に来た。私も日本からの植木職人として紹介された。ひょっとするとアンカラではちょっとした有名人になっているかも・・・?

《テレビ局の取材》

《園路も秋の風情である》

さて、9月中旬に隣町のカレケチリでお祭りがあり、アンカラからやって来た妻と娘、同期のSさんとで出かけた。カマンからカラケチリまで40kmほどの距離である。

アンカラ行きのオトブス(長距離バス)に乗り、途中で降ろしてもらう。たくさんのテントが張ってあり、賑やかそうな場所がすぐに目に入った。一目で祭りの場所が解った。

アスファルトの道が迂回しているので、祭り会場らしき所にめがけて一直線に小道を進んだ。だんだん道らしき物がなくなり、一軒の家の庭先にやって来てしまった。どうもこの家に入っていく道だったようだ。ちょうど5,6人の住人らしき人々が庭先でチャイ( 紅茶 ) を飲もうとしているところであった。とりあえず彼らに挨拶をすると、決まったように“ようこそ。チャイを飲んで行け”である。

祭りの時間も心配だったが、人の敷地に黙って入り込んで、誘いを断るのもたいそう失礼になる。いつものようにチャイを頂く。チャイの後はメロンの接待。皮付きの小さな瓜のようなメロンであった。どうして食べるのかと思ったら、なんとおばさんは皮のままボリボリと音をさせてかぶりつく。我々も皮のまま食べようとしたのだが、これはちと堅い。やっぱり皮を残してしまった。他の住人はこの姿に大笑い。皮のまま食べるのはこのおばさんだけだった。

“夕食もここで食べて行け”と言われたが、あまり長居は禁物なので、祭り会場に向かう。この家のお兄さんが我々を祭り会場まで案内してくれた。最初はステージの遠くで見物していたが、日本人だと解ると最前列の席に招待された。市長らしき人や市のお偉いさん達と握手する。民族衣装を着て踊りを踊っている子供たちが、娘のmilima(美里麻)を見るとこちらにやってきた。milimaが引っ張られるようにその子供たちと踊らされる。なかなかの人気者になって、ひっぱりだこである。主催者もあまりの混雑ぶりに、とうとう子供たちに注意をする始末。

《milimaも参加して踊る》

歌手やサズ(トルコのギター)の演奏を堪能して帰途に着いた。帰りもチャイをご馳走になった家のお兄さんがバス停まで送ってくれた。“バスはもうやって来ないよ。うちに泊まったら?”と言ってくれたが、アンカラからのオトブスを8時に予約していたので、ちゃんと乗れて無事にカマンのアパートに帰ることができた。妻も娘もここカマンが二人が住んでいる首都のアンカラより楽しいとたいそう喜んでいた。

9月23日から1ヶ月間、トルコ(イスラム圏)ではラマザンといって、断食月である。太陽の出ている間は食事はおろか、タバコや水も飲めない。

10月初めにエコロジーという雑誌の編集者で、我々と友達になったサブリさんがクルシェヒルからカマンにやってきた。カマンにある彼の親戚の家で夕暮れのイフタルという食事があり、我々(Sさんと私の家族)が招待された。

《イフタルの食事を頂く》

昼間に食事ができない代わりに日が暮れてからたらふく食べる。レンズ豆のスープから始まって、なぜかカイセリマントゥ(カイセリ以外でも客をもてなすのにカイセリマントゥをご馳走するのだ。)、鶏のピラフ、チョバン(羊飼い)サラダ等々。旨いトルコ料理でお腹一杯になって、またまたみんなが大満足した。帰りにトルコのピクルスのような漬物をたくさんもらったのだが、強烈な臭いで部屋の中には置けず、ベランダで眠っている。さすがの私も未だに食べる勇気も出ず、さてどうしたものか? 何とか食してみないことには話のネタにならないし・・・。思い切って挑戦しなくてはと思っている。

さて、10月16日で日本庭園に関わる作業人たちは仕事納めであった。みんなで写真を撮ってくれと言われて、整列したり踊っているところを撮影した。みんなが急に居なくなると、これから日本庭園は私一人、非常に寂しくなりそうだ。また研究所の犬たちが私の唯一の話し相手になるのであろう。

《みんなで踊る》

ところで、研究所の犬ではないが、カマンでの犬事情について述べたいと思う。春にオメールハジュルに自転車で行く際に、チョバン犬(羊の番犬)に噛まれた話は前に書いたが、最近、またまたチョバン犬に襲われた。この秋になってから日本庭園に行く途中、犬を見かけることが多くなっていた。小麦などの刈込が終わって、羊や牛たちを畑で放牧させていることが多くなったためだろう。

《羊を護る犬とロバ》

しかし、こちらに向かって吠えるだけで、かかって来る様子はなかったので安心していたのだが、その日はあの恐ろしいチョバン犬がゆっくりと吠えながらこちらに近づいてきた。

素早く遠ざかろうと自転車を早めると犬も急に走り出し、その犬が私に近づくや否やもう2匹のチョバン犬が吠えながらすごい勢いでこちらに向かってきた。1匹であれば格闘になっても何とかなると思っている私でも、さすがに一度に3匹は逃げるしかない・・・。

全力で自転車を漕ぐが、今にも追いつかれて、オメールハジュルでのように噛まれそうになった。自転車の左右後方から1匹ずつ、もう1匹は畑から追ってくる。このままでは駄目だと思い、右側の犬の方へ急ハンドルを切ってフェイントを入れた。これには犬も一瞬ひるんでスピードを緩める。“これはいけるぞ!!” 追いつかれそうになると、時々フェイントを入れながら、とうとう犬たちの追撃を振り切った。犬を振り切るのがもう少し遅かったら、これから登り坂だったので犬に追いつかれていただろう。今から考えてもぞっとする。

この事件を日本庭園の作業人たちに話すと、“犬は危険だから、カマンで拳銃を購入しろ!”と言われた。と言ってもおもちゃの拳銃であるが・・・。次のパザール(青空市)で玉の出るやつを購入したが、“こんなもんでは犬が怖がらない。玉は出なくてもいいから、火薬を使った大きな音がするのが必要だ。”と言われて、カマン中を探し回ってやっと手に入れた。。子供が遊ぶプラスチック製の小さな拳銃なので、日本庭園に行く時はズボンのポケットにいつも忍ばせている。

そして、先日、早くもそれが役立つことになった。チョバン犬に襲われてから近道の畑沿いの道は通らないでいた。この日はアスファルトのチャウルカン村に行く手前の道を入った。角に家があり、前日に自動車でこの家の前を通る時、犬が私たちの前に 突進して来るのを見ていたので、ちょっと嫌な予感がしていた。

念のため、引き金がすぐ引けるよう拳銃をポケットから取り出し、手に持って素早く通り過ぎようとした。例によって犬の吠える声がするが、いつものごとく庭にいるようだ。ところが、この家の角を曲がると別の2匹の犬が突然自転車に襲い掛かってきた。すぐさまその犬めがけて引き金を引く。パーン!!。ものすごい銃声が・・・。

すぐ近くまで来ていた犬は慌てて逃げて行く。3,4m離れた所にいたもう1匹の犬は何が起こったのか解らず、きょとんとした表情でこちらを見ている。しかし、拳銃の音にびっくりしたのか吠えるのもやめて、私に対して危害を加える様子もなさそうだ。そのまま犬を睨んで通り過ぎた。

拳銃の効果に大満足ではあったが、その見返りに私の耳も暫くはツーンと痺れたままだった。人間の何倍も耳のいい犬にとってはこれはかなりな脅威となったであろう。“犬どもめ、ざまあみろ!人間様の恐ろしさが解ったか・・・ ” しかし、それからは遠回りの安全な道(だと思う)を通っている。音だけの拳銃にも犬に慣れられてしまうかもしれないので・・・。

《この気球でカレホユック遺跡の全景を撮影する》

とにかくここトルコでは犬に遭わないのが一番である。


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